氷の令嬢は、婚約破棄の先で微笑う

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ソフィアが帰ったあと、兄フィリップがすぐに戻ってきた。彼は私の無表情な顔を伺いながら、静かに問いかける。

「どうだった？　ソフィア・エバンズという女性は」

「ええ、可憐な方でした。見た目も仕草も、本当に素晴らしい。それに……人の心を巧みに操るのがお得意みたい」

兄は溜め息をつき、テーブルに拳を置く。

「やはり、お前を陥れようとしているのか？」

「そうとも限りませんわ。彼女が追い求めているのは、おそらく王太子殿下の寵愛と、宮廷での地位でしょう。私に嫌がらせをするのも、その手段の一つかもしれません」

兄は唸るように声を低くした。

「もし何かがあれば、すぐに俺に言え。お前がまるで動じないから、周囲からは余計“悪役令嬢”らしく見えてしまう。少しは素直に感情を出してもいいんじゃないか？」

「それができれば、苦労はしません。私も……好きで氷のようになったわけではないの」

その言葉に、兄は寂しげに目を伏せた。何も言わずに、ただ私の手を握ってくれる。その温かさに、胸の奥が少しだけ痛む。だが、涙を流すことも、怒りを表に出すことも、私にはできない。

「……セレナ」

「兄さま、私は大丈夫。だから、ありがとう」

小さく礼を言うと、兄はわずかに笑みを浮かべて頷く。それだけで、私は十分に救われる思いがした。

やがて、サロンの扉が再びノックされた。騎士のサイラスが姿を見せる。

「セレナ様、よろしければ少しお話ができればと思いまして」

「構いませんよ。兄さま、少し席を外していただけますか？」

兄は怪訝そうに眉を寄せつつも、サイラスに視線を移して小さく肯いた。

「わかった。用が済んだら呼べよ」

兄が出て行くと、サイラスは無表情なまま、床に片膝をついて頭を下げた。まるで忠誠の儀式のようだが、彼なりのけじめなのだろう。

「セレナ様、私はずっとあなたをお護りしてきました。だからこそ、今の状況が許せないのです。ソフィア・エバンズが流す噂も、王太子殿下の軽率さも……」

「サイラス。あなたが腹を立てることじゃありません。私は私のやり方で、この問題を解決するつもりです」

「ですが、セレナ様が傷つくのを見過ごすわけにはいきません。私にできることがあれば、何でも命じてください」

その瞳には揺るぎない忠誠心が宿っていた。私が悪役令嬢と呼ばれても、サイラスは私を信じてくれている。兄や家族がそうであるように。

「ありがとう、サイラス。……もし何かあったら、必ず力を貸してください」

「かしこまりました」

彼の声には微塵の迷いも感じられない。私が目指すのは、何より家族を守り、公爵家の名誉を守ること。しかし同時に、今まで抑えてきた本当の自分を取り戻すことでもある。それが叶うなら、婚約破棄されたことすら、今の私には一つのチャンスのように思えてならない。

「……いつか、私も笑える日が来るのかしら」

小さくつぶやいた言葉に、サイラスは静かに目を伏せながら応える。

「ええ、きっと来ますとも。セレナ様は、氷のように見えて、その心は誰よりも優しいのですから」

私はその言葉を胸に刻む。私がこの冷徹さの裏で何を抱えているのか、どれだけの人が理解してくれるだろう。だが、今はそれでいい。いずれ、真実が見えるときが来るのだから。