氷の令嬢は、婚約破棄の先で微笑う

東山りえる

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「審問官殿、私からも提示したい資料があります」

そう言って私が小さな革袋を取り出すと、ソフィアの表情が一瞬こわばった。用意した証拠資料を見られては困るのか、それともただの驚きなのか。いずれにしても、ここで主導権を握らなくてはならない。

「先に、私の兄フィリップが証言をします。公爵家として、ソフィア様が流している噂にどれだけの不信を抱いているかを」

そう促すと、兄フィリップは堂々とした態度で審問官の前に進んだ。

「私はフィリップ・ベルナール。セレナの兄であり、公爵家の次期当主です。妹が悪役令嬢と呼ばれているが、少なくとも家族として知るセレナは、脅迫や陰湿ないじめを行う人間ではない。彼女は常に自分の感情を押し殺し、周囲との衝突を避けてきたくらいだ」

会場にいる何人かが、その言葉に頷いたように見える。私が冷静すぎるがゆえに誤解されることが多い一方、昔から私を知っている者たちは、少なからずそういう印象を持っているはずだ。

「したがって、ソフィア様の言う『悪行』が真実だとするなら、あまりに矛盾がある。私には、ソフィア様が嘘をついている可能性のほうが高いと感じられるのです」

兄の強い言葉に、審問官はうむ、と頷いた。そして、ソフィアのほうに視線を移す。

「ソフィア・エバンズ様、反論はありますか」

「……確かに、表面上は冷静に見えます。ですが、それはセレナ様が陰で何をしているかわからないからこそ、恐ろしいと感じているのです」

ソフィアは弱々しい声で答えながらも、こちらへの敵意を隠さない。彼女が好演じる“被害者”像は、下手をすれば多くの同情を買うだろう。

「ならば、私の騎士に証言させましょう」

私は続けてサイラスの名を呼んだ。サイラスはゆっくりと前へ出て、無表情のまま審問官を見据える。

「私はサイラス・アルグレイ。公爵家に仕える騎士の一人です。幼い頃からセレナ様の護衛を担当してきましたが、彼女が他者を故意に傷つけるような場面を一度も見たことがありません」

淡々とした声だからこそ、その言葉には重みがあった。サイラスは続ける。

「ソフィア様に言いたいことがあるのなら、直接申し出ていただければよかった。セレナ様は決して、話し合いを拒否するような人ではありません。それをせず、陰で“悪役令嬢”との噂を広めるのは、少し卑怯ではないでしょうか」

サイラスらしい、控えめながらも鋭い追及だった。ソフィアは咄嗟に言葉を失い、視線をさまよわせる。周囲の貴族たちも、少しずつ私への見方が変わり始めているのを感じる。

「ここまで聞いた限り、まだ真実ははっきりしないようだ」

審問官が中立の立場を示すように言葉を挟む。その瞬間、兄フィリップが小さな声で私に耳打ちする。

「セレナ、今がタイミングだ。お前が集めた“ある証拠”を使うときじゃないか」

私が軽く頷き、革袋を取り出す。中から現れたのは、先日入手した商家の契約書と、ソフィアを取り巻く資金の流れを示す書類だった。証拠として決定的かはわからないが、ソフィアの信用を揺るがすには十分だろう。

「こちらはエバンズ子爵家が最近取り交わした契約書の一部です。慈善事業の名目で集められた資金が、実際は高価な宝石や衣服の購入に充てられている形跡がある。つまり、ソフィア様が普段から口にする『善行』が疑わしいことになります」

ざわめきが広間を包む。ソフィアは目を見開き、必死に取り繕おうとするが言葉が出ない。レオナード殿下も動揺を隠せないようで、額に汗を浮かべている。

「私はただ、ソフィア様が本当に被害者なのか疑問を呈しているだけです。もし彼女が私を悪役として演出するために噂を流したとしたら、こうした資金の裏工作と無関係とは思えない」

そう畳みかけると、会場全体が騒然とし始めた。私が悪役と断じられていたはずの審問が、ここにきてソフィア側の疑惑を浮上させている。兄フィリップとサイラスの証言が支えとなり、私にも勝機が生まれつつあったのだ。
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