氷の令嬢は、婚約破棄の先で微笑う

東山りえる

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「静粛に」

審問官の声が広間に響く。ざわざわとした空気が少し静まると、王太子レオナード殿下が唇をかんだまま何か言いかけては止める様子が見えた。そして、その横に立つソフィアは絶望にも似た目をしている。

「ソフィア様、先ほどの契約書について何か弁明はありますか。慈善事業で集めた資金を私的に流用した事実があるとすれば、重大な不正行為です」

審問官の厳しい追及に、ソフィアはか細い声を出した。

「そ、それは……違うんです。私が個人で享受したわけではなく、子爵家が運営している施設の改修費用や、王太子殿下のための衣服を買うために使われたというだけで……」

苦しい言い訳だ。周囲の貴族たちも鋭い眼差しを向け始める。私への脅迫疑惑が焦点だったはずの審問が、いつの間にかソフィアの不正疑惑へと転じた。ここぞというタイミングで動き出したのは、第二王子アレクシス殿下だ。

「審問官殿、私からも提出したい証拠がある」

静かに声を上げたアレクシス殿下は、落ち着いた足取りで前へ進む。その手には数枚の書類が握られている。

「これは、エバンズ子爵家の会計帳簿と、ある大貴族との金銭のやり取りを記録したもの。少し前に私の従者が入手したが、日にちや金額、そこから流れた先が細かく記されている」

そう言って差し出された書類を審問官が読み上げると、会場は一気にざわめきを増した。なんと、ソフィアの父であるエバンズ子爵が、特定の貴族派閥に献金をしている形跡が浮かび上がってきたのだ。

「こうなると、ソフィア様の王太子殿下への接近も、単なる恋愛感情ではなく政治的な思惑が絡んでいると考えざるを得ません」

私が静かに言葉を添えると、ソフィアは激しくかぶりを振る。

「ち、違います。私はただ、殿下をお慕いして……」

「しかし、実際こうして不正な資金の流れがある以上、その言葉を鵜呑みにするのは難しいでしょう」

審問官はアレクシス殿下から受け取った書類を睨み、険しい顔でソフィアを見やる。焦りをあらわにする彼女とは対照的に、私は冷ややかに見つめ返す。復讐心というよりは、ただ事実を証明したい一心だった。

「王太子殿下は、どうお考えなのです」

審問官がレオナード殿下に問いかけると、殿下はぐっと唇を引き結んだまま沈黙した。動揺は明らかだ。自分が信じていたソフィアが、裏ではこんなに危うい行為をしていたかもしれない。さらに、その事実を公にされた今、彼はどう行動するのか。

「レオナード殿下。もしも、そなたがソフィアに誤解されていたのなら、このままではいけない」

アレクシス殿下が真っ直ぐ兄を見つめる。レオナード殿下は俯きながら、少ししてから重い声を絞り出した。

「……確かに、私も知らなかった面があるのかもしれない。ソフィアは私の婚約破棄を後押ししてくれたが、その背後に利害関係があったとなれば……」

言葉の続きは聞こえないが、会場には疑いと混乱が渦巻いている。私が冷たく言い放つ。

「つまり、私が婚約破棄を強要したという話は根拠を失ったわけです。それどころか、ソフィア様が裏で資金を操り、あなたを王太子の地位ごと手に入れようとした疑惑が浮上しています。――審問官殿、これ以上私を“悪役令嬢”だと断じる証拠はあるのでしょうか」

その問いに、審問官は一切返事をしない。むしろ、ソフィアに注がれる疑惑の視線が強まるばかりだ。最初は私を追及する場だったはずの審問が、今はソフィアの嘘を暴く場へと変わっていた。

「あ、あの……」

ソフィアは泣き出しそうな顔でレオナード殿下に縋る視線を送るが、彼は一歩距離を取って瞳を伏せる。その様子を見た周囲の貴族たちは、決定的なものを感じ取ったに違いない。私が被るはずだった悪役は、いつの間にかソフィアのほうに映し出されているのだから。

「暫定的な判断ではありますが……」

審問官が苦い顔で決定を下そうとした瞬間、ソフィアは大きくかぶりを振り、周囲の護衛を押しのけるようにして席を飛び出した。

「私は、私は悪くないわ。だって、あなたが……」

そう言い残して、彼女は広間の出口へ駆け出していく。王太子レオナード殿下も止められないほどの速さだった。残されたのは、混乱と衝撃で立ち尽くす貴族たち。そして、不正疑惑が浮上したエバンズ子爵家の行方を案じる声が次々とあがる。

私がふと顔を上げると、アレクシス殿下が静かにこちらを見つめ、小さく頷いていた。王太子レオナード殿下はただ呆然と、その場に立ち尽くしている。私の潔白はほぼ認められた形だが、それは同時にソフィアの虚像が崩れた瞬間でもあった。
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