悪役令嬢は求婚しない

東山りえる

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いよいよ領地へと出発する日の朝。屋敷の玄関前には、すでに見送りの者たちが集まっていた。

「ブリーナ、体に気をつけるんだぞ。何かあったら、すぐに知らせるんだ」

兄のジークフリートが、心配そうに私の肩に手を置く。

「ええ、お兄様。ご心配なく。たまには手紙を書きますわ」

「絶対だぞ!変な虫が寄り付いたら、俺がすぐに飛んで行って叩き斬ってやるからな!」

物騒なことを言う兄に苦笑しながら、私は父に向き直った。

「お父様、では、行ってまいります」

「うむ。領地のことは任せたぞ。だが、あまり根を詰めすぎるなよ」

父の優しい言葉に頷き、私は馬車に乗り込もうとした。その時だった。

「お待ちください、クライネルト公爵令嬢!」

甲高い声と共に、一台の豪華な馬車がクライネルト家の門をくぐり、私たちの目の前で止まった。

馬車から降りてきたのは、派手な装いの若い貴族だった。確か、隣国の王族の血を引く、ヴァインベルク公爵家の御令息だ。

「ヴァインベルク公爵子息。何か御用でございましょうか?」

父が、怪訝な顔で問いかける。

すると、その青年は私の前に進み出て、恭しく片膝をついた。そして、芝居がかった仕草で私の手を取る。

「おお、ブリーナ嬢!なんとお痛わしい!あなたの噂はかねがね伺っております」

「はあ…」

いきなりのことで、私は気の抜けた返事しかできなかった。

「王太子殿下は、あなたという類稀なる宝石の価値を見抜けなかった愚か者!ですが、ご安心ください。私には、あなたの真の価値が分かります!」

彼はそう言うと、懐から真っ赤なベルベットの小箱を取り出した。パカ、と開けられたその中には、目も眩むような巨大なダイヤモンドの指輪が鎮座している。

「ブリーナ嬢!私と結婚していただきたい!私の妻となれば、あなたは王太子妃以上の栄華を手にすることができるでしょう!」

彼は自信満々に言い放った。これが、私の記念すべき最初の求婚だった。

周囲が、固唾を呑んで成り行きを見守っている。兄のジークフリートは、こめかみに青筋を浮かべて今にも殴りかかりそうだ。

私は、巨大なダイヤの指輪と、彼の得意げな顔を交互に見比べた。そして、にっこりと完璧な笑みを浮かべた。

「まあ、ヴァインベルク様。素敵なお申し出、ありがとうございます」

「おお!では…!」

期待に満ちた顔で私を見る彼に、私ははっきりと告げた。

「ですが、お断りいたしますわ」

「……え?」

彼の顔が、固まる。

「なぜです!?私の家名と財産に、何か不満でも!?」

「いいえ、滅相もございません。ただ…」

私は、彼の瞳をまっすぐに見つめて言った。

「私は、私の価値を『家名』や『財産』で測るような殿方には、全く興味がございませんので」

私の言葉に、彼は言葉を失い、顔を真っ赤にして立ち尽くす。

「ごきげんよう、ヴァインベルク様。どうぞ、その素晴らしい指輪に見合う、素敵なご令嬢をお探しくださいませ」

私は優雅に一礼すると、今度こそ馬車に乗り込んだ。

「よく言った、ブリーナ!」

馬車の窓から、兄の喝采が聞こえてくる。

私は小さく手を振り返すと、御者に静かに出発を命じた。

(さて、求婚その一、完了。先が思いやられるわね)

私はため息をつきながらも、どこか楽しんでいる自分に気づいて、思わず苦笑した。これから始まるであろう求婚ラッシュも、こうして切り抜けていけばいい。

私の幸せは、誰かに与えられるものではない。私が、私自身の手で掴み取るのだから。
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