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3 扉の中
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雨の日だった。
狩人は家で銃の手入れをしていたが、扉を叩く音に気づいて、顔を上げた。
「誰だ?」
返事はなかった。
「誰だ」
もう一度、狩人は訊ねた。
「ここを開けてください」
扉の向こうから、女の細い声が返ってきた。狩人は答えず、作業に戻った。
「開けて――」
「駄目だ」
静かに、けれど重く狩人は言った。
「駄目だ。ここはおまえが来る場所じゃない。森へ帰れ。……白鹿」
雨音は強かった。それに今日は寒い。雨に打たれれば、かなり冷えこむことだろう。
「なぜ……」
憔悴しきった女の声が、雨音にかき消されそうになりながらも、狩人の耳に届いた。
「理由をいちばんよく知っている、おまえが俺に訊くのか。俺は猟師で、おまえたちは獣だ。相いれないのは当然のことだろう?」
「でも、あなたは私を殺さないと言った!」
叫ぶように女は言った。
「それなのに、私はまだあなたにとって、狩られる獣でしかないのですか?」
扉の外で人が座りこむ気配がした。まるで崩れるように。それでも、狩人は扉に背を向けたまま、銃の手入れを続けていた。
「お願いです……」
それは女が最初に言った言葉だった。
「ここを開けてください」
狩人は手に持っていた銃を投げ出すと、乱暴に扉を開けた。
そこには、女が座りこんでいた。雨に濡れて、いつかのあの銀髪の女が。
女は無言のまま狩人を見上げ、狩人は女を見下ろした。
「莫迦が!」
吐き捨てるように狩人は言った。
「風邪を引くぞ……なぜ、よりにもよってこんな日に!」
さすがに今日は女も服を着ていたが、豪奢な銀髪と共に濡れそぼっている。そんな女を、狩人は軽々と両腕に抱き上げ、家の中に戻った。
雨はさらに勢いを増してきたようだった。
***
二人は背を向けあったままだった。
女は暖炉のそばで濡れた服と体を乾かし、狩人はまた元のように銃の手入れをしていた。
沈黙が二人に重くのしかかっていた。
「雨がやんだら、帰れ」
沈黙を破って、狩人が背後の女に言った。
「おまえは森にいるべきだ」
女は沈黙に支配されたままだった。
「おまえ、俺の犬を殺したな?」
びくりと女は肩を震わせた。狩人は女を顧みることなく、淡々と続ける。
「何匹も、何匹も。家の前でバラバラになっていたのもいたし、森の奥に行ったきり帰ってこなかったのもいた。――証拠はない。でも、おまえはそういうことがあった後、必ず姿を現したな。俺のそばに犬がいないことを確かめるように」
「それは……」
「だから、俺はもう犬を飼うのをやめた。生き物は何も俺の近くに置かないことにした。白鹿、おまえは俺にどうしろというんだ? 俺にとっておまえは、どこまでいっても鹿でしかない。たとえ人間に化けれてもだ」
「だったら……どうしてあのとき、あんなことを言ったのですか……?」
女の震える声を、狩人は背中で聞いていた。
「あなたの、伽の相手をしろなどと……あなたがそんなことを言わなければ、私も人の姿をとろうなどとは思わなかったのに……そうすれば叶うことに、気づかずに済んだのに……」
「おまえ、まさか……」
ついに狩人も女を振り返った。そして息を呑んだ。
女は泣いていた。白い頬に水晶のような涙をこぼしながら。
「たとえ犬でも……いや、だからこそ、許せなかった……」
泣きながら、女は言った。
「同じ獣なのに、犬であるということだけで、あなたのそばにいられるなんて……あなたに、愛されるなんて……」
言うなり、女は狩人の胸に飛びこんだ。
狩人は黙っていた。黙って自分の腕の中で泣く女を見ていた。
見た限り、美しい人間の女としか思えなかった。もしかしたら、白鹿などではないのではないかとさえ思えた。
女の肩を、狩人はそっと抱いた。
少し力を入れたら、すぐにも壊れてしまいそうな肩だった。
「なぜ泣く?」
「この涙を流したのは、今日が初めてではありません」
「どうして、おまえが?」
「わかりません。それでも、私はあなたに――」
女は顔を上げ、狩人の顔を見つめた。
あの日と同じ濡れた黒い瞳が、狩人に何かを訴えかけていた。
だが、かすかに女は笑った。
「でも、あなたは、死んでもそんなことはしてくれないのでしょう? 私は人ではないから……私はただの鹿にしかすぎないから……私は――」
女は続きを言うことができなかった。できなかったので、目を閉じた。
雨はまだ降りつづいていた。
狩人は家で銃の手入れをしていたが、扉を叩く音に気づいて、顔を上げた。
「誰だ?」
返事はなかった。
「誰だ」
もう一度、狩人は訊ねた。
「ここを開けてください」
扉の向こうから、女の細い声が返ってきた。狩人は答えず、作業に戻った。
「開けて――」
「駄目だ」
静かに、けれど重く狩人は言った。
「駄目だ。ここはおまえが来る場所じゃない。森へ帰れ。……白鹿」
雨音は強かった。それに今日は寒い。雨に打たれれば、かなり冷えこむことだろう。
「なぜ……」
憔悴しきった女の声が、雨音にかき消されそうになりながらも、狩人の耳に届いた。
「理由をいちばんよく知っている、おまえが俺に訊くのか。俺は猟師で、おまえたちは獣だ。相いれないのは当然のことだろう?」
「でも、あなたは私を殺さないと言った!」
叫ぶように女は言った。
「それなのに、私はまだあなたにとって、狩られる獣でしかないのですか?」
扉の外で人が座りこむ気配がした。まるで崩れるように。それでも、狩人は扉に背を向けたまま、銃の手入れを続けていた。
「お願いです……」
それは女が最初に言った言葉だった。
「ここを開けてください」
狩人は手に持っていた銃を投げ出すと、乱暴に扉を開けた。
そこには、女が座りこんでいた。雨に濡れて、いつかのあの銀髪の女が。
女は無言のまま狩人を見上げ、狩人は女を見下ろした。
「莫迦が!」
吐き捨てるように狩人は言った。
「風邪を引くぞ……なぜ、よりにもよってこんな日に!」
さすがに今日は女も服を着ていたが、豪奢な銀髪と共に濡れそぼっている。そんな女を、狩人は軽々と両腕に抱き上げ、家の中に戻った。
雨はさらに勢いを増してきたようだった。
***
二人は背を向けあったままだった。
女は暖炉のそばで濡れた服と体を乾かし、狩人はまた元のように銃の手入れをしていた。
沈黙が二人に重くのしかかっていた。
「雨がやんだら、帰れ」
沈黙を破って、狩人が背後の女に言った。
「おまえは森にいるべきだ」
女は沈黙に支配されたままだった。
「おまえ、俺の犬を殺したな?」
びくりと女は肩を震わせた。狩人は女を顧みることなく、淡々と続ける。
「何匹も、何匹も。家の前でバラバラになっていたのもいたし、森の奥に行ったきり帰ってこなかったのもいた。――証拠はない。でも、おまえはそういうことがあった後、必ず姿を現したな。俺のそばに犬がいないことを確かめるように」
「それは……」
「だから、俺はもう犬を飼うのをやめた。生き物は何も俺の近くに置かないことにした。白鹿、おまえは俺にどうしろというんだ? 俺にとっておまえは、どこまでいっても鹿でしかない。たとえ人間に化けれてもだ」
「だったら……どうしてあのとき、あんなことを言ったのですか……?」
女の震える声を、狩人は背中で聞いていた。
「あなたの、伽の相手をしろなどと……あなたがそんなことを言わなければ、私も人の姿をとろうなどとは思わなかったのに……そうすれば叶うことに、気づかずに済んだのに……」
「おまえ、まさか……」
ついに狩人も女を振り返った。そして息を呑んだ。
女は泣いていた。白い頬に水晶のような涙をこぼしながら。
「たとえ犬でも……いや、だからこそ、許せなかった……」
泣きながら、女は言った。
「同じ獣なのに、犬であるということだけで、あなたのそばにいられるなんて……あなたに、愛されるなんて……」
言うなり、女は狩人の胸に飛びこんだ。
狩人は黙っていた。黙って自分の腕の中で泣く女を見ていた。
見た限り、美しい人間の女としか思えなかった。もしかしたら、白鹿などではないのではないかとさえ思えた。
女の肩を、狩人はそっと抱いた。
少し力を入れたら、すぐにも壊れてしまいそうな肩だった。
「なぜ泣く?」
「この涙を流したのは、今日が初めてではありません」
「どうして、おまえが?」
「わかりません。それでも、私はあなたに――」
女は顔を上げ、狩人の顔を見つめた。
あの日と同じ濡れた黒い瞳が、狩人に何かを訴えかけていた。
だが、かすかに女は笑った。
「でも、あなたは、死んでもそんなことはしてくれないのでしょう? 私は人ではないから……私はただの鹿にしかすぎないから……私は――」
女は続きを言うことができなかった。できなかったので、目を閉じた。
雨はまだ降りつづいていた。
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