【R18】碧色社長の溺愛はイチョウの下で

紫堂あねや

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20話*運とタイミング

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 ノアは似ていないと言っていたが、写真を見る限りはよく似ていた。本人は怒るだろうが特に笑顔が印象的で優しそうな兄。直で見ると煙たがる理由もわからなくはない葵だが、今は似てる似てない以前の話だった。

「神楽坂社長て……へ?」

 目を瞬かせながら見渡すリビングには、ややこしいことに『神楽坂社長』が三人いる。ひとりは旅館経営のノア、ひとりは輸入会社のディック、そして長男も数年前社長に就任したと聞いた。

(確かお兄さんは旅行会社の……あれ? お父さんが勤めているのも……)

 混乱する葵に気付いたのか、歩み寄ってきた長男は片膝を着くと笑顔で名刺を差し出す。

「はじめまして、お会いできて光栄だ。私は神楽坂 コリス。ノアの兄で、お嬢さんの父上が働いている会社の社長をしている」
「へ…………ええぇええぇぇ!?」

 受け取った葵はディック夫妻同様仰天するが、自慢気に話していた会社名とロゴ、心底不快な顔をするノア。なにより、今までの勢いが嘘のように静まるばかりか色を失う道雄を見れば明白だった。

「麦爺から確認の連絡を貰った時は驚いたし、弟が熱愛する恋人の父と知って心が踊ったものだが……失望したよ、Mr.フキイシ」

 陽気だった声が一瞬で冷ややかになり、立ち上がった長男=コリスの細められた碧色の双眸に道雄は身体を震わせた。

「私は調教師を育てるのも好きだが、どんなに業務が優秀でも愛のない罵詈雑言調教はナンセンス。看過できないな」
「し、しかし社長! これは家族間の問題で……」
「確かに仕事外オフをどう過ごそうがキミの勝手だが、その暴力性が仕事に出ないという保証もない。家族間の問題とも言うが、それは奥方やお嬢さんがキミを家族だと認めている場合のみ成立する話じゃないか?」

 チラリと動くコリスの視線にノアと共に立ち上がった葵が愕然とするのは、あれほど恐ろしかった道雄が自分に縋るような顔をしているからだ。怒りよりも虚しさが上回るが、拾った扇葉のしおりを握ると震える口を開いた。

「っ……いいえ……私はっ、その人たちを親とも思ってなければ……家族とも認めません」
「葵っ! てっめー、育ててもらっておいて「ならば貴様はチヨ婆に何を返した?」

 割って入ったノアはぐっと葵の肩を抱くと、怒りを堪えるように続ける。

「離縁してないと言っていたのなら家族なのだろ? 女手ひとつで育ててもらったのだろ? なのに貴様は会いにも行かず金を無心し、チヨ婆も妹夫妻も蔑ろにした。そんな奴に従う理由もなければ家族だとほざく資格もない」

 荒らげているわけではないのにノアの言葉は重く険しい。だが、自然と葵の目には涙が浮かんだ。自分どころか祖母も浮かばれる随喜の涙が。

「奥方は……聞くまでもないな」

 振り向くコリスのように葵と放心状態の道雄が明奈に目を移す。無表情のまま夫を見つめる様は異様にも映るが、その口が動くことはなかった。
 葵自身も気付いている。一度も『家族』なんて発しなかった彼女が求めるのは道雄という男だけで、娘である自分は入っていない。ただ彼の気を引くための道具だったと。

「よか……た」
「アオ? ……っアオ!?」

 安堵するのもおかしな話だが、これで本当に支配された『家族』から解放される気がした葵の全身から力が抜ける。支える腕と確かな愛が込められた声。そして、自身だけを映す碧色を最後に葵の意識は途切れた。


* * *


 不明瞭な視界が時間と共に形を成した葵の目が白い天井を捉える。ベッドに寝ているのを漠然と感じ取ると、大きな影に覆われた。

「アオ? 大丈夫か?」

 顔を覗かせたのは最後に見た表情と同じ。口元を綻ばせた葵はゆっくりと、それでいて愛し気に呼んだ。

「ノ……ア」
「アオ……」

 ほっと息をついたノアは葵を抱きしめると額や頬、唇へと口付けた。重ねた後は渇きを潤すように上下の唇を舌で舐め、そっと開いた隙間と歯列を割って口内に挿し込む。

「んっ、はあ……ノアんっ」
「アオ……っン、舌……」

 吐息を零しながらの命に自然と伸びた舌を絡ませると蜜音が響く。卑猥なのに望んでいた身体は熱と疼きを発し、ノアの手が襟を捲った。が、なぜ襟なのか違和感を持った葵は視線だけ動かすと、自身とノアの実家ではないことに気付く。

「へ? ちょ……ノア、ここどこ?」
「良いとこで……どこって病院だ」
「病院!?」

 不満気に包帯が巻かれた首筋に口付けるノアに対して驚く葵はガウン系の病衣を着用し、擦り傷も治療されていた。倒れたことを思い出すも別の疑問を口にする。

「どうしてノアも病院服なの?」
「くっ……!」

 色が違うだけで同じ病衣を着ているノアに葵は小首を傾げる。動きを止めた彼は少しの間を置くと、胸に顔を埋めたまま呟いた。

「アオを病院に運んだ後……その……出たんだ……発作が」
「えぇ!? ちょ、それ大丈夫!?」
「重症だったらアオの傍にいない! そもそも主治医がいる病院なんだ。どこよりも適切な処置を受けられる」
「へ……あ、ここが……」

 補足に顔面蒼白となって起き上がった葵は安堵した。
 改めて見渡す病室は大袈裟なほど広い個室で、手洗いはもちろん対面ソファや大型テレビもあり、仕事をしていたのかノアのノートパソコンも置いてある。薄明が照らす東京の景色に不思議と感慨深くなるのは彼が過ごしてきた場所だからか。

「……なんか落ち着かないね」
「大部屋で次々と退院されていくのも、めでたいのに困りものだがな」
「捻くれすぎて友達できなかったの間違いじゃない?」
「コノヤロー」

 意地の悪い笑みと共に頬を抓られる葵も笑う。だが、痛みが現実を報せるように一連のことが脳裏を過ぎると、ノアの腰に両手を回した。普段より薄い服の上から感じる胸板と心臓の音を聞きながらそっと口を開く。

「……助けてくれてありがとう」
「愚か者たちに屈しずSOSを送ったアオのおかげだ。頑張ったな」

 頭を撫でる手と声の優しさに早くも涙が滲む葵は見られないよう顔を埋めると、彼の服をぎゅっと掴んだ。

「お父さんたち……は?」

 肝心なところで倒れてしまったが聞かなくてはならない結果。
 葬儀時、ノアの名刺に道雄が絶句していたが、まさか本当に自社の社長と血縁関係があるとは夢にも思わなかったのだろう。効果絶大な反面、解雇されたら逆恨みをしないか心配になっていると、携帯を操作したノアは冷蔵庫からペットボトルの水を取り出した。

「後でアオも聞かれると思うが、ひとまず警察を呼んで事情聴取された。被害に遭ったのはアオだから訴えたいなら……そうか」

 間髪を容れず頭を横に振るのは暴行よりもこれ以上関わりたくないのが大きい。蓋を開けたペットボトルを手渡したノアは包帯で隠れた首元に触れると眉を落とした。

「電話ではわからなかったが……その、俺のマフラーで……」
「大丈夫。助けてもらったのが大きいから……でも、証拠品に出されちゃったよね?」
「被害届を出さないなら戻ってくるだろ。麦わら帽子と交換してやっだだだ」

 咄嗟にノアの指を抓ってしまうのは羞恥か、そっぽを向く葵にノアは肩を竦めた。

「届を出さないなら一応降格扱いで、しばらく海外勤務させると兄貴が言っていた。ああ見えて仕事だけはできるらしいからな」
「じゃあ、お母さんも付いて行くのかな」

 喉に水を流し込みながら父しか見ていない母を思い浮かべるが、ベッドの縁に座ったノアはなんとも言えない表情で髪を掻いた。

「ある意味、母親の方が重症だな。俺たちからすれば迷惑な話だが、あそこまで依存される愚か者に同情さえする」
「どういうこと?」

 意図が見えない葵はペットボトルの蓋を閉める。
 確かに母の依存具合は娘の自分さえ引いたが、ノアに迷惑をかける理由が見当たらない。対して彼は視線をさ迷わせた。

「……たまに苦情とは違う電話やネット批判が『蒼穹』にあるだろ?」
「的外れなやつ? 営業妨害になるものは弁護士に相談してるって聞いてるけど」

 対応が悪いや食事を出すのが遅いはわかるにしても違う産地の肉を使ってる、温泉に有害物質を混ぜてる、オーナーは美人の客を見つけると寝取る等の根も葉もない噂どころか宿泊していないのに低評価レビューを付けて荒らす愉快犯がいる。それらの情報を信じてしまう人が少なからずいるため、悪質なものは弁護士を介して開示請求しているのを葵は知っていた。麦野が担当していることも。

「そのひとりがアオの母親だったんだ」
「…………へ?」
「麦野も半信半疑だったようだが、アオの住所と一致したらしい。しかも兄貴の会社からも請求されていた」
「へ……ちょ、なにそれ……どういうこと?」
「すべては愛が故、らしいわよ」

 入室してきたのは欠伸をする昌子。疲労が見えるが、困惑する葵に胸を撫で下ろすと腕を組んだ。

「あの奥さん、コリーの会社どころか旦那自身の悪口を毎日複数のアカウントを使ってSNSに書き込んでたそうよ。記事を見て怒る旦那の鬱憤を自分に向けさせるためにね」
「な……」
「ウチを批判したのはアオを呼び戻すためらしい。実際裏掲示板ではアオを名指しで批判していて、あわよくばクビになって戻ってくる、旦那がまた自分に振り向いてくれると……アオ」

 ベッドに寝転がった葵は両手で顔を覆う。その身体は怒りと馬鹿らしさで震えていた。

「ふざけないでよ……そんなの口で言えばいいじゃない。なんで他人様に迷惑かけるの……お父さん以上の下衆じゃない」
「……愚か者も初耳だったらしくてな、しばらく呆然としていた」
「訴訟起こされて旦那がクビになってもいいとか言ってたしね……真っ先に精神科医が来たわよ」

 深い溜め息に、両手で覆った葵の頬から涙が落ちる。
 それが本当に愛なのか愛憎なのか知る術もなければ知りたくもないが、常軌を逸してるのは間違いない。道雄も含めたら恥の上塗り。ノア一家に多大な迷惑をかけていることに胸が押し潰されそうになる。

「私っ……もう……どう詫びたらっ……」
「事情もわかったし、俺も兄貴も請求は取り下げる。詫びるのも愚か者たちでアオじゃない。そもそもウチのは愚か者に渡した名刺を見てのことだし、俺にも非がある」
「でも、私には……二人の血が入ってる……いつか下衆なことをしでかして……また迷惑かけるのが……怖い」

 泣き伏す葵の告白にノアが苦渋の色を浮かべるのは電話越しに聞いていたからだろう。関係ないと頭で理解していてもどこかしら似ている血筋に葵の不安は募るばかりで室内が静まり返った。そこに顔を出したディックが事態を把握できず驚いていると、ひと息ついた昌子が歩きだす。

「でもね、アオちゃん……それは運なのよ」

 ノアとは違う手が背中に乗った葵は頭を上げる。霞む視界に映る昌子は眉を落としながらも微笑んでいた。

「血筋が絶対ならノアは病気になってないわ」
「っ!」
「もちろん、あたしとディックの先祖に同じ病がいなかったとは言えないけど病気も親も運なのよ。親だってどんな病気かどんな子か選べないし、その先も愛せるか非行に走らないかは運とタイミングだと思う。二人が出会えたのもそうでしょ?」

 涙を落とす葵だけでなくノアも昌子を見上げると、ディックと顔を見合わせた彼女は苦笑しながら二人の頭を撫でた。

「でもね、再会できたのはアンタたちが行動したからよ。ノアが旅館を作ったから、アオちゃんがお祖母さんを忘れずにいたから運気がアップした。Ok?」
「へ? あー……Okか言われても」
「急に宗教臭くなったぞ」

 自信満々に指を立てられても呆けるしかない葵と怪訝な顔をするノアにディックが大笑いする。

Yeahそういう exactlyことです! 理屈より本能にオマカセ、コリーくんのことですね」
「オレハアノオロカモノヲカゾクトハミトメナイ」
「ぷっ! ノア、その顔へんっははは」

 一瞬で不愉快な顔をしたノアに葵は笑いが込み上げる。その目から流れる涙が先ほどとは違う類だと察した昌子とディックもつられるように笑うとノアは口を尖らせるが、ひと息つくと髪を掻いた。

「運頼りはどうかと思うが、実際タイミング良いし乗っておくか。てことで、アオ。誕生日おめでとう」
「へ?」

 突然のことに葵も夫妻も目を瞬かせる。携帯を見せてもらうと十一月二十九日、六時二十分。夕暮れだと思っていた残照がまさかの朝焼けだったことに葵の顔が真っ青になるが構わず口付けられた。

「んっ!?」

 それは深い口付けだったが、すぐ離れる。呆然とする葵を碧色の瞳で捉えたノアは口角を上げると包帯が巻かれた手を取った。

「さっさと嫌な場所は去って帰ろう、アオ。『蒼穹』がある阿蘇に」
「……っうん」

 たった二日間離れただけなのに無性に恋しく、それでいて安心する名前に涙を浮かべた葵は頷くと思いを馳せる。二人が出会い、再会した、忘れられない場所を──。


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