失恋したのに離してくれないから友達卒業式をすることになった人たちの話

雷尾

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後編

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 涼を転園に追い込んだ美少年は、高梨詩だった。けれども彼は子供の頃に自分がした悪戯などすっかり記憶の彼方に忘れ去っていた。それがどれだけ相手の心に傷を負わせたか気づきもしないままに。皮肉にも彼が恋した相手は、当時自分が悪戯しトラウマを受け付けた張本人だった。
 当時の記憶があやふやな涼が、詩が当時の加害者であることを覚えているのかは定かではないが、運命というものがあるのなら、実に皮肉なものだ。

「で、ここからが本題なんだけど」

「これ以上の何かがあるのか」

「これは……本人がどう思うかの話だから、話半分程度に聞いてくれていい」

 タナカは涼は幼少期のトラウマから、性への考え方が後天的に無理やりノンセクシュアル寄りになってしまったのではないかと考察する。そうでなければ翔に対する執着と、詩を拒絶したことと、それから翔とのあの風呂場での一件がどうにも辻褄があわないと熱弁までし出した。

「でも、あいつ俺のこと『そういう目で見れない』って」

「うーん、もしかしたら翔のこと振ってから何かに気づいたのかもよ」

 アイツ、悪い意味で赤ちゃんみたいなところあるじゃんとヤマザキが言う。彼の心はどこか捻じれて歪んでいて、友情と恋愛とごちゃ混ぜになっているのではないかと。ひょっとしたら翔もまだこの恋を諦めなくていいのかもしれないとヤマザキは言葉を続ける。

「ヤマザキ、皆……俺もう何かに期待するの怖いんだよ」

「まだ若いのに何言ってんだ!」

「タメだろうが」

「それに、お前本当に涼のこと嫌いになったか。吹っ切れたか? 今あいつは性被害の加害者と暫定恋人同士なんだぞ、恋愛感情は置いといて幼馴染や友達としてどう思う。もしアイツが憎いなら『ざまあみろ』でいいと思うけどさ」

 そうじゃないんだろう。ヤマザキにまっすぐ見つめられ、翔はすぐに答えることができなかった。

「いいよ」

 夕日眩しい教室、大切な幼馴染に告白されて振った後にやってきた、詩の告白に対する涼の答えがこれだった。
 涼は、翔を家族以上に大切に思っており、親友であり幼馴染であり時には母のように父のように慕い、そして神のように崇拝の念すら抱いていた。

 涼にとって恋人とは、キスやセックスをしなくてはならない人と認識していた。それは幼少時の経験から涼にとっては苦痛で汚らしい行為であり、大切な翔にそんなことはさせられないと思っていた。
 彼は、恋人というものは性の捌け口としか思っていなかった。翔に自分が性的な目を向けないように、純真な翔を汚さないように俺は他所で恋人を作らなければならない。
それであればだれでもいいとも思っていたが、頭ではそう考えていても心のどこかでそれを拒絶した。

「翔、どうして告白してきたの」

 このまま翔と家族よりも兄弟よりも仲良く、ずっと一緒に居られると涼は思っていた。恋人は別れたらそれでおしまいだが、親友や家族はずっと一緒だと妄信的に思っていた。けれども、一緒に風呂に入ったり同じ布団で寝ているうちに、涼は翔に対する思いが家族愛や親愛とは異なる、どろどろしたものが混ざっていることに気付いてしまった。

「ずっと一緒にいたいの」

 清らかな翔に、自分のどろどろしたコールタールのような黒い欲と思いは向けたくないというのに、彼はあの告白で自分の思いに気づいてしまった。

「どうして離れるの」

 告白を断ったことで親友や幼馴染の関係に終わりが来るなんて、未熟な彼の心は考えもしなかった。

「翔、大好き」

 心の未熟さのせいで傷つけてしまった最愛に伝えるには、今更過ぎるだろうか。あまりにも残酷だろうか。

「大好き……」

 自分の姿を見つける度に、辛そうな顔をする翔にどれだけ無自覚に残酷なことをしてきたのだろう。もう一度チャンスがあるのなら、今度は間違えないのに。けれどもきっとすべてが遅い。いつしか涼の心は後悔でいっぱいになった。

「城島君、ちょっとツラ貸して」

 くいと顎で促されてて、涼は3年B組のクラスメイトに連れられて放課後の校舎裏に呼び出された。リンチでも始まるだろうかと、涼は無抵抗なまま彼らについてゆく。
 校舎裏には3年B組のクラスメイトたちと、その中に紛れて高梨詩がおり、そしてフルーツバスケットのようにぐるりと生徒たちに囲まれた真ん中には、園山翔が居た。

「涼君」

「……はい」

 翔の表情はとても固く、けれどもこんな時だというのに涼の目には愛らしく映る。

「俺は、この間君に告白したけど断られてしまいました。そして振られた直後に涼君は詩君とお付き合いすることになって、付き合っている二人の姿を見ているのが辛くて俺は涼君から離れようとしました。でも、涼君にしてみたら突然友達に嫌われた、距離を置かれたと思ってしまったかもしれません、あの時は言葉が足りなくてごめんね」

「……僕の、方こそ。気が付けなくて」

 恋人がどういう意味なのか翔と涼の間にはかなりの齟齬があった。涼にとって恋人は翔に邪な目を向けないようにするための、もしもの時の性の捌け口用の関係でしかなかったが、世間一般の恋人とはそういうものではないらしいと、ようやく自覚したばかりなのだ。

「え、それって……」

 詩は翔が涼に告白したことを知らず、後から思い返してみれば失恋直後の人間に対して、少々配慮にかける態度を取り続けていたことに、今更ながらに気付いた。
3年B組や翔をよく知る者たちからの目線が冷たかったことの意味を知り、翔に対しての申し訳なさは微塵もないが、ヘイトを集めやすい行動であったという点において「これはまずいな」と瞬時に判断する。

「涼君」

「はい」

「俺は、君と友達になれて嬉しかった。初めて幼稚園で出会った時は何かに傷ついているようで、ほっとけなかったけど、徐々に心の傷が癒えて俺や皆に馴れて少しづつ成長していく君を見ているのはとても嬉しかった。君のはにかんだような笑顔が大好きだった。僕は、君と親友で本当に楽しかった」

「どうして」

 どうして過去の出来事のように言うのだろう。涼は言葉の先を聞きたくはなかった。

「でも、俺は君に親友以上の気持ちを求めてしまった。そうなったらもう友達にも親友にも戻れない、俺はもうこのままずっと一緒にいることもできない」

「翔」

「今日皆に集まってもらったのは、俺と涼の友達卒業式をやるためだったんだ。いままでありがとう涼、本当に幸せだったよ……だから、さよなら。自分勝手でごめん、俺もう友達としてお前といるのが辛くって……ごめん、見捨ててごめん、弱くてごめん」

 別れを告げる側の人間とは思えないほど、翔は涙をだあだあ流しついでに鼻水まで流して決別を告げたばかりだというのに、その目線だけはみっともなく涼に縋りついている。

「翔、かける……泣かせてごめん。いままで酷いことしてごめんなさい。でも僕の話、聞いてほしい。お願いだから」

 涼は翔の目を拭うと、鼻の方は持っていたティッシュを押し当ててチーンとかませた。成すがままにされている翔と、何てことでもないように目尻に唇を落として涙を舐め取っている涼。
そんな二人の姿に3年B組の皆は引きにドン引いて「普段からお前らこんな感じなの」とその距離感のバグり具合に恐れ戦いている。
詩だけがどこか面白くなさそうに、冷めた目で二人を見ていた。

「聞いて、翔」

 何かが抜け落ちたようなぽかんとした表情で涼を見つめると、無言で翔は頷く。

「僕ね、いままで恋人ってキスとかセックスとかそういう「嫌なこと」をしなきゃいけない仲のことだと思ってて、翔にそんな汚い事はさせられないと思ったんだ。だから、翔には綺麗なままでいてほしいから恋人は他に適当に作ればいいやって。本当に、恋人なんて男でも女でも誰でもよかった」

 誰でもいいと言われて、詩は顔を引きつらせる。そしてセックスは汚らしいものだと、暗に詩が汚らしい者だと侮蔑の言葉まで吐かれていた。

「たまたま告白してきた詩を恋人にしたんだけど、きっと翔を蔑ろにした罰が当たったんだね。詩は、俺が幼稚園の頃に俺の身体に悪戯をしてきた性暴力加害者だったんだ。
思い出したというか、そのことに気づいたのは本当に笑っちゃうんだけどさ。子供の頃と全く同じことを詩がしてきたから」

 一人称が変わりどこか荒っぽくなった涼に、ギロリと睨みつけられた詩は思わず身を竦ませる。小さい子供の頃とは違い、詩と涼には明確な体格差がある。昔のように押さえつけて、詩の良いようにすることはもうできなかった。

「でも世間と翔の考える恋人と、俺の思ってる恋人が全然違うものだって初めてわかった。俺の思う『恋人』なら、詩はうってつけだったかもしれないね。
……性処理さえできればどうでもいいんだから。だけど、どうしてもだめだった。思い出してからは詩に触れられるのが気持ち悪くて……ねえ詩、悪いけど俺と別れて」 

 幼稚園の事とは言え、過去に俺にしたことを考えたらもう付き合えないのはわかるよね。……性犯罪者って社会でも檻の中でも立場弱いらしいし。
最後は脅しの意味合いも込めて。涼の人を人とも思わない冷たい目線に、詩はぎりぎりと奥歯を噛み締める。

「涼は、本当に好きな人でもキスやセックスが気持ち悪くて汚いものだって、無理だって思うの?」

 涼は、泣き出しそうな顔で首を力なく横に振る。

「翔に、してみたいと思った。でもこれは気持ち悪い、悪いことだから。翔にしたいなんて思っちゃ駄目だと思った」

 無論、キスやセックスは悪い事ではない。潔癖症のけがあるものや特定のセクシャリティにとってはそうかもしれないが、一般的には汚いということでもない。
だからこそ涼を傷つけ心を歪ませた要因に対して、怒りのあまり思わず翔は握りこぶしを振り上げようとするが「だめ」と涼にその手を取られて、ちゅいちゅいと甘えるように唇を落とされた。

「だめ、あんなの触ったら翔が汚れちゃうから、消毒」

「まだ触ってもいないけどな……」

 人目も憚らず、涼は翔の手にキスの雨を降らせると次第に手から二の腕、そこから首筋に唇を落としてゆく。「こら、人前で甘えるなって言っただろ」と窘める翔の言葉を今だけは聞かずに、涼は翔の首筋や耳、頬に唇を落としてそれだけでは飽き足らないのかぺろぺろと犬のように舌を這わせる。

「帰っていいかな」

 拗らせまくった面倒くさい男とそれに巻き込まれた幼馴染の痴話げんかに、3年B組とその周辺も付き合わされた。
 ヤマザキは3年B組を代表してやんわり苦言を述べると、そのままクラスメイトと詩を引き連れて「後は二人でごゆっくり」と足早にその場を去っていった。
 詩は少々抵抗したので、B組の力自慢数名で取り押さえて引きずることになったが。涼のトラウマも、二人の前ではもはや当て馬以下に成り下がっていた。

「翔」

「うん」

「俺、翔の友達も親友もやめていいよ」

「え……」

「俺、毎日翔に告白するから。振られても毎日好きだって告白するから。こっぴどく振ってもいいよ、酷い事言ってもいい。いままで翔に酷い事ずっとしてきたんだもん。それでも翔にOKもらうまでずっと告白する。」

「涼……」

「翔君、好きです。俺と恋人になってください。酷いことしてきてごめんなさい、不誠実でごめんなさい。沢山君の事傷つけました、でも君と離れたくないんです、本当は君とならキスもそれ以上もしたいです、君以外に考えられない。俺には翔だけ……」

「涼君に朗報です」

「え? 」

「なんと、恋人同士のキスやセックスは汚い事でも悪い事でもなくて、好きという気持ちを伝えるためのコミュニケーションです。そして俺は身体が頑丈なので、多少は激しくされても大丈夫。オマケに俺は、涼が悲しい時も嬉しい時もずっとそばにいることができます。俺がそれを心より望むからです。
だから、喧嘩しても仲直りができます。他に一緒に居るメリットは……料理や家事はこれから伸びしろがあるということで多少見逃してほしいけど。よかったら」

これからは、恋人。俺だけにしておきませんか。
その言葉に、涼は思い切り翔を抱きすくめる。

「翔、ごめん、ごめんなさい。翔にそんな卑屈な告白させるつもりなんてなかった、二度も惨めな気持ちにさせてごめん。翔だけだよ俺の恋人は。翔だけなんだよ! 」

 恋とは落ちるもの。先に落ちた恋の洞穴の下で、翔は涼を下から見上げていた。涼は歪まされた倫理と性癖と親友という鎖でがんじがらめになっていたところを、3年B組の皆やかつてのトラウマに足蹴にされて、ようやく翔と同じ穴に落ちてきたところだ。

「……はあ、なんだかとっても疲れた。一生分の涙を流した気がするな。脱水症状になりそうだ、ポ○リでも買ってくるか。涼も飲むか?」

「翔が口移しで飲ませてくれるなら」

「いきなり距離詰めるじゃん」

「だって大好きなんだもん」

 すっかり心が幼稚園児ぐらいの甘えたな高校生に戻ってしまった涼を、翔はお兄さんのようによしよしと頬や頭の辺りを撫でてやる。そして遠慮なく翔に擦り寄る涼とそれを許す翔の姿は、なんとなくサラブレッドと馬を撫でる調教師のようだった。

「おはよう翔、今日も可愛いね。大好きです」

「おはよう涼君、ありがとう」

 その日から。バカップルよろしく人目も憚らずべったりとくっついているのだろうと思っていた3年B組やその隣のA組のクラスメイト達や、翔の友達は予想を裏切られることになる。
 涼は、翔を尊重するように人前では適切な距離を保つようになった。そして、宣言したとおり毎日翔に1日に最低でも1回は告白をするようになった。告白というよりも二人はもう両想いなのだから、好意を伝えているといったほうが適切な表現かもしれない。

「翔、焦らせ」

 本当の意味で親友のヤマザキに「城島を簡単に調子付かせるな。お前はそんなに安い男じゃない。俺たちと沢山遊んで妬かせろ。これまでの分きっちり復讐してやれ」と釘をさされ、人前では甘い言葉も明確な返事も避けて「俺も」と返すことはしなかった。

「でもアイツが大人しく引き下がったのが意外だったな」

 タナカの言葉に、翔と涼はその表情を曇らせる。アイツとは涼の元恋人である詩のことであるが、一応は想い人である涼が忘れられなかったのだろう。一時期は付きまといも酷かった。

「幼稚園の頃にやった悪戯のことは謝るから。ごめんね涼、俺たちもう一度やり直せないかな。涼のことが好きなんだ、涼のトラウマは俺が治して見せるから。反省してる、どうしてもだめなら俺二番目でもいいよ。一番目はあの人でいいから」

「……俺には翔だけだ。でもごめん、適当な気持ちで詩の心を弄んだことだけは謝る」

「別に好きじゃなくてもいいよ、最初は身体だけでも。大丈夫、そのうち俺なしでは生きていけないようにしてあげるから、可愛い涼、最近思い出したけど小さい頃の涼も可愛かったね♡ ぐちゃぐちゃの泣き顔も何もかも」

 涼は改めて、自分のやったことの愚かさを猛省していた。気持ちがない人間に執着されるのは、たとえそれが極上の美形であってもなんて気持ち悪くて気が重いのだろう。適当な恋人を作って愛する翔を傷つけたことと、そうとは気づかず過去の宿敵に付け入るスキを与えてしまったのは、自分への罰なのだと涼は悔いた。

「親御さん巻き込もう」

「え」

「場合によっては信頼できる皆も」

 涼の罰とやらを翔はバッサリと否定し、援軍を呼ぶことにした。

「確かに適当な対応をしたのは涼が良くなかった。詩君に対しても誠意がないと思う。お前は酷いことをした。ただ、ハッキリ付き合いを断ったのに過去の性暴力加害者に付きまとわれているのは涼にとって精神衛生上よくないし、きっと詩の今後にとっても良くはないんじゃないかな」

「うん……うん、わかった。ごめん翔」

「ここ最近ずっと謝ってばっかりだなぁ涼は」

 次の休日。久しぶりの涼の家に、翔と涼は連れ立って歩く。
涼の両親にしてみれば息子に彼氏ができたが実はその相手が過去の性暴力加害者であったため別れたことと、別れたのに執着されていることと、そして新しい恋人がなんと幼馴染の翔君であったという情報量過多で、若干眩暈を起こしかけているようだった。

「涼のおじさんおばさん、お久しぶりです。本当に、このような形で色々ご報告となり本当に申し訳ありません」

「いやいや……翔君も大変だったね。色々とごめんね……涼、翔君から少し離れなさい」

「本当に……どこまであの子は涼の人生を狂わせれば気が済むのか……うう、本当にごめんなさいね翔君。それと涼、翔君から離れなさい。そんなふうに手も繋がないの」

 真面目な話し合いの場ではあるが、涼は翔にべったりとくっつき、バックハグからの恋人つなぎから首筋や頬へのキスという過剰なスキンシップまで何でもあり状態だ。
 やんわり引きはがしても空間を空けてもコンクリートに咲き誇る雑草のように、涼は強靭な片時も離れたくないという強い意志で、翔に貼り付いてくる。

「ともかく、高梨君の件についてはわかった。後は大人たちにまかせなさい。それから……涼!」

 涼の父親は、涼にゲンコツを落とす。

「あの時、お前を助けてやることができなくて辛い思いをさせて、親として心苦しいし悔しい思いでいっぱいだ。だが、それはそれとしてお前は翔君を傷つけた。好きだと思っているならなおさらだ。そこは反省しろ、もう二度と忘れないように……翔君」

「はい」

「こんな息子で申し訳ありませんが、よろしくお願いします」

 深々と頭を下げる涼の両親たちに見送られて、翔と涼は家を後にする。涼に関しては自宅なのだから別に家を後にする必要は全くないのだが「送るよ」と恋人らしいことをしただけであり、決して家を追い出されたというわけではないので安心してもらいたい。

「なんか、結婚の報告みたいだったな……」

「結婚するもん」

「色々言いたいことはあるが、俺まだプロポーズも受けてないのに? 」

「……翔に告白OKしてもらってから、する」

 急がなくていいから。沢山俺のこと傷つけてもいいからゆっくり俺を受け入れてほしいと微笑む涼は、言葉は子供のようにたどたどしさを感じるぐらいなのに、その表情はとても大人びていた。

「なんか、城島のやつ最近いい感じになったな」

「顔だけは元々腹立つぐらい良いけどな」

「まあわかる、なんか雰囲気変わった」

 良いのが顔だけじゃなくなった涼は、周囲に対する態度も変わった。以前は翔以外の人と関わることを避けて常に内向的だったのが、今は周囲の人たちと最低限ではあるけれど、挨拶も雑談程度の会話もするようになった。けれども、涼に友情以上の好意を抱く人に対しては、はっきりとその意志がないことも態度や言葉で示すようになった。

「翔、大変だ」

「どうしたタナカ? ヤマザキも……」

「高梨の奴、またやりやがった」

 高梨詩が、近所の男の子に悪戯をしたというニュースは3年B組と3年A組、それから学校中にあっという間に広まっていった。被害に遭った男の子はふんわりした明るい色合いの髪を持つ子で、事情聴取された詩曰く「小さい頃に好きだった子に似てたから」と供述したという。

「好きだった子って……」

「アイツはもう駄目だ。きっと、あの性質は持って生まれたものだったんだ」

 幼稚園の頃に起こした悪戯は不問にされたが、彼はもう18歳だ。被害に遭った子供にまた深い傷を負わせた詩は、当然のことながら男の子の両親に訴えられそのまま高校は自主退学という形で、去っていった。

 それから少し未来の十数年後の話。当時の記憶も薄れかけた頃に、詩は暴漢に遭遇する。容姿だけは整っているがその表情は恐ろしいほどに歪んでいて、人気のない路地裏で鼻歌交じりに、恐怖で動けなくなったスーツ姿の詩の服を破いている。

「……覚えてねえかな、アンタ昔オレと会ったことあるんだよ」

 男は詩が高校生の時、涼の代わりに悪戯をした男の子だった。黒ずくめのフードを被った姿や、スタンガンや釘バッドなどの武器を持っているところを見ると、計画的な犯行と思われる。

「高梨詩さん。お前のせいで俺はすっかり性癖が歪んじまってね。今は誰かをぶん殴りながらじゃないと勃たねえの。相手の泣きじゃくった顔みないと射精できなくなっちまった」

「ひっ……抱かれてあげるから、暴力はやめて」

「何様のつもりだよお前。俺はお前なんか抱きたくねえ、お前なんかに勃つわけねえだろ。こっちは気持ち悪くて反吐がでる思いなんだよ。俺はお前を復讐しに来ただけ……一生もんのトラウマ抱えさせてやる。お前が無事生きてたら」

 武器や拘束道具の他に、慣れていない者が使うと身体を破損させてしまうであろう凶悪な大人の玩具や、何故か木刀や警棒なども用意されている。無論、男はその目的で使うのだと詩は理解した。無理やり身体を暴かれ局部が裂傷するような激しい行為を強いられながら、この先の人生はろくなことにならないだろうと、今更ながら詩は己の行いを悔いた。

「……涼」

「……」

「涼」

「……あ」

「傍に寄って、いいか」

「……うん」

 幼稚園時代を思い出してしまったのだろうか、顔を青ざめさせて震えている涼の隣に翔は無言で座る。ついっと翔は服の裾を引っ張られるが、そのままされるがままに身を任せてやる。

「翔」

「うん?」

「おれ、心と体が別々に、どっかいっちゃいそうなんだ。捕まえてて、離さないで」

「……おう、わかった」

 バックハグをしてやると「大丈夫、大丈夫」と耳元で意識して少しだけ低めの声で優しく囁いてやる。涼は背中を翔に預けると、数秒そのまま目を閉じる。

「前から抱きしめて」

「うん」

「ぎゅってして」

「わかった」

「今日一緒にお風呂入って、そして一緒にぎゅっとしたまま寝て。チューも沢山して。俺もしていい? 」

「めちゃめちゃ要望増えるじゃん……」

 すっかり正気に戻っているであろう翔に狂っている涼は「だって大好きなんだもん」と心をバブちゃん時代に戻らせて、ここぞとばかりに全力に翔に甘えている。とんでもなく面倒くさくて甘えたがりでか弱くて、だけど案外図太い目の前のイケメンを前に翔は。

「涼、好きだよ」

「絶対に俺の方が好き。大好き、嬉しい」

「そこは『俺も』だけでいいんだよ」

 初めて「好き」を返した。
 ようやく両想いの恋人同士に馴れた二人のその後の学校生活は穏やかで、涼の異様な執着がまた元に戻った以外は、平穏な学校生活であったと言えるだろう。

 二人の卒業式の日、涼の前には長蛇の列が並んでいた。全てが涼宛の告白待ちで整備のため、最後尾には「最後尾こちら」のプラカードを持たせようかと、3年A組の学級委員長が考えたぐらいだ。

「涼君、3年間ずっと好きでした! この3年間とっても胸がときめいて甘酸っぱくて辛くて苦しくて、でも楽しい3年間でした。翔君と幸せになってください」

「涼先輩、入学して涼先輩を初めて見た時からずっと好きでした。一目惚れでした。でも、諦めます。恋人さんと幸せになってください」

「涼、大好き! 同じクラスで楽しかった、ありがとう。翔と末永く幸せに」

「城島、最初はいけすかないやばい奴だと思ってた。そして今は本当に単なるやべえやつだと思ってるけど嫌いじゃなかったよ。恋人と仲良くな」

「涼、幸せになってね、大好き……さようなら」

「城島君、寂しくなるなぁ。これから別々の進路だけどうまくやれよ。お前恋人以外のことは優秀だったから大丈夫だと思うけど、クラスメイトとして好きだったよ、じゃあな」

「もっと仲良くなりたかったなぁ、友達になりたかったけどお前の事情聞いたらそれも強く言えなくて、とりあえず翔と仲良くなってからのお前は嫌いじゃないわ、楽しくやれよ」

「城島、お前翔幸せにしないと許さねえぞ、お前も翔も幸せにな」

 涼を恋愛対象として本気で好きだったもの、友達として好きだったもの、同じクラスメイトとして気に入っていたぐらいの軽い好意を持っていた者たちが、在学中はあまり話せなかったことだけが心残りなのか、いい機会だからと告白会に参列し告白という名の別れの挨拶を次々にしていった。

 涼も、最初の頃は感謝の意と共に丁寧に断っていたが、次第に堪えきれなくなったのか徐々に目に涙が滲んで塩辛い粒となって地面に落ち、最後の方は嗚咽を押し殺し「ありがとう」の言葉だけ辛うじて告げることができた。

 自分はここまで人に好かれるような人間ではないはずなのに。涼を思ってくれる人が、見守ってくれている人がこれだけ沢山いたのだと、今更になって過去の自分を恥じる。二度と誰かを傷つけたくない。皆はこんなにも自分に対して優しく、誠実だった。
ほろ苦い思い出として過去の自分が行った胸を針の先で突くような「適当な告白」は、この先一生自身の戒めとして覚えておこうと思った。

「ざまあみろ城島。おい学校一のイケメンを泣かせてやったぞ。お前の仇取ってやったぞ、復讐してやったぞ翔! ……城島君。翔の事、よろしく頼みます。本当に、お願いだから大切にしてやって……あいつ、どれだけずっとお前のこと好きだと思って……」

 泣いている顔を見られたくないのか、翔の誠の親友であるヤマザキはお辞儀のように地面を向いたまま涼の前に立っている。

「ヤマザキお前、大親友ヤマザキ! ……お前、ほんとお前。ありがとう、せめて宝くじ当たって欲しい」

 語彙が死んだ翔とヤマザキが熱い親愛の抱擁をかましていると、先ほどまで号泣していたイケメンにべりりと引き剥がされてしまい、翔はそのまま涼の腕の中にスポンと収まることになった。

「城島、ケツの穴の小さい男は嫌われるぞ」

「俺の翔へのハグまでは許してない、流石に看過できない」

「翔、辛かったらいつでも帰って来るのよ」

「ありがとうお母さん! アタイ幸せになる」

 ヤマザキと翔のやり取りに、涼はますます拗ねてむくれている。本来の「親友」を見せつけられて嫉妬しているのは、彼の中で本当の恋人の意味をいるまでは、親友が最愛と同意義であったからだ。

「翔、愛してる」

 耳元で翔に聞こえるようにだけそっと囁いた涼の言葉に、目尻を赤めながら同じように耳元で「俺も」と翔は返してやった。

 過去は消せないけれど、きっとこの二人はその都度いろんな人を巻き込んで乗り越えて、時に面倒くさく時には遠回りをしながら、それでも逞しく愛情に満ちた日々を過ごしてゆくのだろう。

 「さようなら」でも「また会おう」でもなく、ただ「ありがとう」を伝え合う3年B組と3年A組のクラスメイトたちは、皆笑顔だった。中には目から涙を止めることができずに流れるがままに滴らせている生徒たちも沢山いたけれど、それでも笑顔のままだった。

 はらはらと舞い散る薄桃色の花びらが、卒業生たちと二人の門出を祝っているようだった。
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