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その4

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 進むも地獄、戻るも地獄、八方ふさがりの獲物達は皆じわじわと命を刈り取られてゆく。本来彼は、復讐ゲームを黙って眺めていればよかった。

無個性な顔で群衆に混ざって恐怖に染まった真っ青な表情を作り上げ、ひたすら怯えてその他大勢の獲物のふりをする。時折自分たちは強者なのだと思い込んだ暴徒共が、自身の獲物と勘違いして彼に襲い掛かって来ることもあるだろう。
そんな時だけねじ伏せやり過ごし、後は時が過ぎゆくまでただただそこで待っていればよかった。全てが平等に痛みにのたうち回るまで。

 彼は、己に課せられた獲物を必ず傷つけなければならない。
けれども彼は、その命を救いたくもあった。幸いなことに終了条件である「標的を傷つける」という行為は、身体に限らず心の傷でも問題はないらしい。つまり殺さなくても、傷を負わせることはできる。
彼は残酷だが心優しく、人に関心がないけれど情愛や友愛の念はある。無慈悲に傷つけるには距離感を間違えてしまったと後悔するには、まだ彼にとってやれることはあった。

 ―男の目の前には、アタッシュケースをぎゅうぎゅうに詰めて数個分ほどの札束がある。男には金が必要だった。無論人間社会に生きる者であればそれは必ず必要なものだが、彼は短期間のうちに莫大な額の金が必要だった。

「私の提示する条件を呑んでくださるのならば、このお金は貴方のものです」

 突如現れた奇妙な依頼主の話を聞くうちに、男の心にはわずかばかりの共感と憐憫の念を抱く。何故かと問われたのなら、彼も依頼主とほんの少しばかり似たような境遇であったせいかもしれない。

男は過去に自分と愛するパートナーと息子を破滅に導きかけた敵とも呼べる者に、制裁を加える必要があった。彼のパートナーと息子は基本的には心根が優しいので、例え敵と言えども酷い復讐を望むことはしないだろう。

 けれども、二度と自分たちの人生に敵を関わらせたくなかった男は、枷を着け適度な暴力と屈辱を絶えず与え、そして遠くへそれを追いやる必要があった。明確に法を犯したわけではない、或いは世間としては「罪を償った」とされる敵を国は拘束などしてくれない。
 自ら二度と出られない檻に、それを閉じ込め封印する必要があった。

「……デメリットなしの復讐ゲームか」

 男が終了条件を満たせなかった場合、金は手に入らないがまたこの日常に戻ってくることは約束されている。その場合、ゲームに参加していた最中の記憶は全て消去される。ちょっとした悪夢でも見たと思ってくれたらよいとは依頼者の談だ。

「いいでしょう、この話お受けしましょう。俺は金が欲しい」

ただし、どう傷つけるかは俺の裁量に任せてほしいけど。あんたの言う復讐にそいつらへの罰が見合っているのかはこちらで見定めさせてもらう。三峰凛成はそう答えた。

「……」

 蓋を開けてみれば、何とも理不尽で残酷な虐殺現場だった。ルールの説明もゲーム開始の知らせもないままに、数名の哀れな生徒たちの首輪が爆発し、弾け飛んだ。
「何が復讐ゲーム」だと凛成は内心で顔をしかめるが、依頼主の心にぎりぎり寄り添ってやるのならば、わかりたくはないが理解はした。

 これは、過去に『彼』自身が受けた理不尽だ。何の咎もないのに突然暴行を受け、平和な学校生活を脅かされ、そして蹂躙され心身ともに消えない傷を負い両親までも失った。その苦しみを「彼ら」にも味わわせてやるために、血縁者や親族である子らが犠牲になっているのだろう。

 自分たちの子供が無惨に殺されて嘆く、親となったいじめっ子たちはそれでもまだ救いがあるのかもしれない。中には「自分が殺されなくてよかった」「子供だけで済んでよかった」と思う鬼畜も潜んでいるかもしれないが。

「……これは、前哨戦ですか?」

 こっそりと挙手して呟くようにして問いかけると、返答はない。沈黙が答えなのだと凛成は判断した。彼は一つの仮説を立てる。いじめの程度が低かったほぼクラスメートや群衆と化した者に関しては「子供のみ」の犠牲で、親であるその者たちには直接の制裁はないのだろうと。

 そして、この復讐ゲームは絶えず監視され撮影されているであろうことを凛成は確信している。
 R学園を数日貸し切る資金や、凛成への報酬などはどこから出てくるものなのか。依頼主に莫大な資産はあるのかもしれないが、この復讐ゲームはさらにそれを助長する金になるのだろうと凛成は考えた。金持ちは娯楽と刺激に飢えているものだ。一昔前はスナッフムービーやスナッフファイルなどと呼ばれていた道楽のための殺人動画として、恐らく「これ」も使われている。ひょっとしたら既に深淵のよくないウェブサイトの奥の奥で、「それなりの賑わいを見せて」リアルタイムで配信されているかもしれない。

 頭部以外も惨たらしく損壊した死体を目撃したのは、これで何体目だろうか。李流伽たちは事切れた生徒たちを見ても悲しみや胸を悼める思いは、すでに浮かび上がることがなかった。
 人を哀れみ悲しみ、死を悼むという感情は心に余裕がありどこかで「自分とは別のもの」として心から分断された時に湧き上がる感情なのだと、彼らは思い知らされた。
 
 今の彼らの中にあるものは「次は自分かもしれない」という被食者としても本能的な恐怖心だけ。

目の前の死体は二体あった。女子生徒は頭がはじけ飛んでいたが、着衣の乱れと残された生々しい体液などの様子から、恐らくは殺される前に何者かに犯されたのだろう。
……特別な趣味でもない限りは。
男子生徒のほうは、首があらぬ方向を向いており、捻じれて白目を向き口からは泡を吹いている。首輪は無事なままで全身に打撲の跡が見えることより、男子生徒の死因は純粋な暴力による結果なのだろう。

「……こちらのほうは、首輪に傷がありました」

 李流伽は女生徒の近くに転がっている首輪の破片を観察すると、何かで殴られたような跡と少しだけ形が捻じれて歪んでいるのを見て取った。

「つまり、どういうことだろう」

 大河の言葉に李流伽は少しだけ表情を曇らせる。

「誰かに爆発を誘導させられたんじゃないかと、思っています。首輪を何かで殴りつけたりして破壊させるような刺激を与えて。この首輪は多少のことでは壊れない作りになっていますが、もし故意に壊そうと衝撃を加えたのなら、作動する仕組みなんじゃないかと思って」

「……それに、首輪の壊し方が手慣れている気がする。首なんてなかなか狙いにくい箇所だと思うよ。なのに首輪だけ上手く狙って......そうだな、バットか何かで叩きつけたみたいだ。何度か試してようやく慣れましたって感じがするよ」

 言葉を続けたのは凛成だ。
二日目は、早朝からどこかで誰かが上げた断末魔の悲鳴と爆発音と共に始まった。ただしこの死体たちはそれよりもっと時間が前後して亡くなったのかもしれない、という可能性が爽やかな日差しとは不釣り合いなぐらいに、彼らの心を暗くした。

「凛成君、どこにいくんだ?」

「お花摘んでくる。ちょっと長くなるかも」

 大河の問いかけに対し、凛成は顔に手を当ててぽっとわざとらしく頬を赤らめ、恥じらった様子でそう告げた。人前で全裸になろうが局部を惜しげもなく晒そうが、恥を恥とも思わないこの美形がだ。

「ちっ便所か……気を付けろよ」

「芳樹君、優しいね?りんりん嬉しい♡ありがとー」

「やっぱり糞して死ね」

 芳樹の悪態に対して、ひらひらと大人っぽく手を振りながら長身のイケメンは李流伽たちから離れていった。隙のない洗練された動作で、無駄なことばかりするイケメンの後ろ姿に、李流伽だけは些細な違和感を覚えていた。

「やめろ!なんでこんなことするんだ……っ!」

「お前らも復讐ゲームの仲間か!?」

 贄となった生徒たちの悲鳴は暴力という理不尽で掻き消されてゆく。その光景は何度耳を塞ぎ、顔を背け続けても、慣れるということは無い。

 図書室から田中と花山は部屋を飛び出し、李流伽たちと別れた後は基本的に二人で行動していた。彼らを信用していないわけではないが、あの不気味な部屋へ戻る気力はなかった。田中や野球部で花山はサッカー部に所属している。こんなとばっちりに巻き込まれてさえいなければ、今頃彼らは夏の大会に向けて猛特訓をしているはずだった。

 彼らは、同朋達が麻実たちに嬲り殺されてゆくところを数回目撃し、その度に気配を殺し逃げ回っていた。相手が数人というところと、貴志忠臣と差由羅麻実が常軌を逸しており腕に少々覚えのあった二人でも交戦するには分が悪すぎると判断したためだ。

 早朝、珍しく単独行動を取っている忠臣に二人が遭遇したのは、不運か或いは幸運か。少なくとも麻実と居合わせたのならば、即座に殺されていただろうから。
 物陰に連れ込まれどこかに引きずられていった二人は、その光景に声なき悲鳴を上げる。

「うるせえな怒鳴るな。ここは俺だけの秘密の場所なんだから」

 しーっと人差し指を口元に当て、不自然なぐらいに整った顔立ちで微笑むのは、彼らにとっては殺人狂としか思えない貴志忠臣だ。「ここ」とは一階と隣接した地下倉庫へ続く階段の踊り場で、その下には生徒たちの死体が複数転がっている。

「(秘密の場所って)」

 田中と花山の口パクでの問いかけでも言わんとしていることがわかったのだろう。忠臣は顎で「見ろ」とばかりに死体を指し示す。
 死体についているはずの首輪が全て消えていた。消えていたというには少しばかり語弊があるが、正しくは地面に捻じれて壊れた首輪の残骸が、死体と同じ数だけ転がっている。

「……!」

 機転を利かせたのは花山で、彼はスマホを取り出すとメモ帳に文字を打ち込んでそれを忠臣に見せた。

『ここは、監視カメラが届かない死角なのか?』

映像は届かなくても、音声が拾われる可能性はある。瞬時にそれを察した花山と、花山のスマホを覗き見した田中も驚いた表情で忠臣を見つめる。彼は、文字を確認すると大きく首を縦に振って見せた。

『俺達をここで殺そうとするつもりか?』

 同じようにスマホを取り出した田中の文字を読むと、馬鹿にしたように忠臣は肩をすくめてみせる。

『殺すならこんなまどろっこしいことしないで、大々的に見えるようにやるよ』

 忠臣のスマホ画面を見て、花山は「やはり」とある種の仮説が鮮明に脳裏に浮かんだ。彼らは誰かに殺すシーンを見せつけているのだろうと。目的はわからないしわかりたくもないが、わざと残虐に生徒たちを殺して見つかりやすい場所に死体を転がしている。
 けれども、地下室の死体たちは皆、首をへし折られているところ以外は目立った損傷もなくどれも一撃で殺されたように見えた。彼らは皆苦しまずに死ねた、と思うにはあまりにも勝手で都合の良い解釈だろうか。

『実験台になってくれ。拒否すればお前らを殺す。その代わり』

 忠臣は、人並外れた力で首輪を引き千切ることも容易くできた。また、死角となっているこの場で、実験として複数の首輪を引き千切った際に死体の頭部が爆発することもなく、首輪だけを破壊することができた。

そのため彼は首輪の内部にある種のセンサーが仕掛けられているのではなく、監視カメラで目視した者に対して「彼らの意にそぐわない」行動をした者達に対して、遠隔で首輪の操作をしているのではないかと仮説を立てたのだ。
これまで麻実はそこら中に張り巡らされている監視カメラに向けて、残虐な行為をおこなってきた。見せつけるような首輪への打撃も「彼ら」は見ており、金属バットが当たるタイミングで、首輪を作動させたのではないかと薄っすら考えていた。

忠臣には格闘と殺しに関しては天賦の才能がある。よっぽど監視役も精密な操作をしていたのかもしれないが、バットが首輪に当たる打撃音と爆発音のタイミングに僅かな差異があることに気付いていた。ある時は早く、またある時は遅い。まるでズレた音ゲーのタップのように、忠臣にとっては打撃時特有の爽快感がない、気持ちの良くないものだった。

「……」

「……」

 田中と花山はちらりと互いに目線を合わせ、それから忠臣の方に向き直るとこくりと頷く。このままではあと二日で全員が同じ運命を辿るだろう。李流伽たちの頭脳を頼って異世界人の解明を待つのは、あまりにも分が悪すぎた。

 また、李流伽たちは明確に、復讐ゲーム実行者を苛めた主犯格の子供達であることがわかっている。忠臣の言葉を信じるのであれば、李流伽たちはこの先、麻実率いる暴徒たちによって惨たらしく殺される未来が待っている。
 李流伽たちは麻実にとって人身御供なのだそうだ。復讐に燃えた男の怒りを鎮めるために犯され全身の骨を折られ、目玉をほじられ人としての尊厳がすっかりなくなった状態で柳城悟に捧げられることで、麻実は自分たちの命を救ってもらう算段をつけたようだ。

 数分後。彼の暴力的な腕力は瞬時に首輪を引き千切る。金属がねじ切れる不快な音を立ててから、カチャンと地面に歪んで壊れた輪だったものが二つ、地面に落ちた。
 彼らを救ったのは忠臣だというのに、忠臣は『成功だ』と微笑んで見せてから、あろうことか田中と花山に頭を下げている。その顔は泣いているようでもあり、けれども笑っているようにも見えた。

『逃げろ』

 歪んだ表情のまま忠臣はスマホを、最後のメッセージを二人の目の前に突き付ける。それを読み取った彼らは脇目も降らずに踊り場を飛び出し、階段を上り廊下を走り玄関を抜ける。
 グラウンドを走り校門も突破した田中と花山は、そのままどこかへ消えていった。

「……」

 三峰凛成だけが、彼らの逃走劇を校舎の窓から見つめていた。

「なるほど」

 彼はこの世の者とは思えないほどに、身体能力に優れているがそれは視力も同様で、鷹の目ほどに視力がよい彼は、全てのやり取りを正しく見届けていた。
 一部始終を見つめていた凛成は、足早にその場を去るとぽつりとそうつぶやく。この脱出手段は、李流伽たちには使えないだろう。首輪を外せるほどの人外的なまでの力は、流石に凛成も持ち合わせていない。

 依頼主だって、忠臣のような規格外の化け物は想定していなかったのだろう。
そして救世主は今のところ、李流伽たちにとってはラスボスにも近しい最大の敵でしかない。忠臣が、李流伽たちを助けてくれることは間違ってもないと凛成は考えた。

 しかし、疑問点もないわけではない。柳城悟を苛めた主犯格の子供を贄に差し出すことで助けてもらおうとする彼らだが、忠臣のやり方で開放されるのだからこれ以上人を殺める必要はないはずだ。それなのに、彼はそのことを田中と花山には告げず「李流伽たちは贄にされる」とだけ伝えていた。

「敵なのか、別の目的があるのか……いずれにせよ俺としては、まだ好都合の範囲内だ」

 彼にとって、現時点でゲームが終了してしまうのは望んでいなかったから。
 凛成は、忠臣が地下室近くの踊り場から上がって来るのを見届け、そこに誰もいなくなったのを確認したのちに李流伽たちの元へと戻っていった。

「貴志どこにいったぁ!!あいつ連れてこい!」

「糞が!頭おかしいんじゃねえのお前!」

 2日目の午後。もう全てが手遅れだった。哀れな生贄たちは経験値稼ぎとばかりに、皆麻実に殺されていた。残る贄は李流伽たちのみとなったことを知らされ、小春は現実を知りたくないとばかりに耳に手をおさえその場にうずくまっている。
 血みどろの金属バットは使い込まれ形が歪んでおり、李流伽たちを空き教室に追い込んだ麻実の後ろには健剛と祥吾が控えていた。

 麻実と交戦しているのは芳樹だ。バットでやぶれかぶれに殴りつけてくるので攻撃が読めないが、それが彼女にとってのスタイルらしく息が切れることもない。
喧嘩にもルールがあるが、彼女は殺し合いもしくは一方的な虐殺しかしてこなかったので、そのような考えは微塵もなく、金的も急所も躊躇なく狙ってくる。
 反対に芳樹にとっての最大のハンデが、彼は麻実を殺すつもりがないという点だ。芳樹は竹刀で麻実の攻撃を受け流し、まずは手元のバットを狙っている。

「でくのぼう!加勢しろや!」

 麻実の言葉にも健剛は反応せず、どうしていいかわからないといった風で首を傾げている。その様子に麻実は苛立ちを隠そうともしないまま「チッ」と舌打ちをする。

「……君、戦う気がないならこちらも手を出すつもりはない」

 基本、女を犯すことのみ命じられていた祥吾は非戦闘員であり目の前の長身の男、大河を前にして戦意は喪失しかけていた。不良程に喧嘩慣れはしていなさそうなものの、運動神経が良いであろう大河と戦っても分が悪すぎると祥吾は判断した。

なによりも彼にはもう、何かを凌辱する意志すらなかったのだ。レイプと惨殺死体が脳内で絡みついて吐き気を起こすような死臭とともに、性欲は歪められそして彼は去勢されてゆく。性欲は罪悪感とグロテスクさで上書きされてしまい、使い物にならなくなったそこは、彼にとっては最大の罰かもしれない。
このことがバレてしまえば、祥吾は麻実に「役立たず」とあっけなく殺されてしまうだろう。

積極的に死に逝きたいとまでは思わないものの、いつ殺されても仕方がないと諦めていた彼の最後の気がかりは、この地獄の中で奇妙な縁で出会った貴志忠臣だった。せめて、彼に一言二言の言葉をかけてから逝きたい。
そう思い、降参しようと両手を上げかけた祥吾に対して

「おい、そいつはレイプ魔だよ!いいのかほっといて?お前の彼女も犯られるぞ!」

 麻実の言葉に、大河はスッと目つきを鋭くさせた。彼は購買部で目撃した惨たらしい女生徒を思い出した。地面に転がされた首のない女生徒の死骸も恨めしそうにこちらを見つめている。反吐するほどに忌まわしい犯罪者が、今度は自分の最愛に手を掛けようとしているということに、我慢がならなかった。

「……俺は、これ以上」

 祥吾が言いかけた言葉も無視して、大河は衝動的に竹刀を振り下ろす。
 それでも人としての良心が残っていたのか肩を狙った竹刀は、祥吾がしゃがみ込んだ瞬間に軌道がわずかにズレて、彼の首筋にそれは向かう。

「……え?」

 竹刀が首に当たるか当たらないかのコンマ一秒、祥吾の首輪は作動し彼の頭部はその面影も無くグロテスクな肉片としてあたりにぐしゃりと、飛び散った。
 鮮血が大河の顔やシャツを濡らし、てんてんとこびりついた赤は次第に酸化してゆっくり黒ずんでゆくだろう。ガクリと崩れ落ちた彼が言いかけた言葉に、大河は絶望する。

『俺は、これ以上何もするつもりはない』

 彼は罰せられるべき犯罪者ではあったが、罰するのは大河の役割ではない。法に則って裁かれるべき男だった。ひょっとしたら罪を償う意志すらあった彼を、大河は衝動と怒りに任せて殺してしまった。そう、自分は人を殺してしまったのだと大河の目の前は真っ暗になった。

「……ちがう、ちがいます大河さん!!」

「……」

 はっといち早く冷静さを取り戻した李流伽は、大河の誤りを正そうと声を掛けるが彼はそれに耳を貸さない。最早聞き取る力すらないのだろう。

「俺は、人殺しだ」

 静かに、けれども周囲に聞こえるように大河は言葉を吐く。

「人殺しだ、人殺し。人殺し、人殺し、人殺し……」

 彼は自分を責めているだけだというのに、壊れたレコーダーのような呪詛は麻実の心も抉り、嫌悪と不快の念を呼び覚まされたらしい。彼女の数少ない人間らしい感情が、人間の嫌なところばかりというのも何とも悲しい話だ。

「ふざけんな!殺さなきゃ……やられるのはこっちだろうが!」

 来いと簡単な命令を告げると、麻実は芳樹の竹刀を金属バットではじき返し、足早にその場から逃走した。巨漢の割に存外足は速く、後に続くのは健剛だ。残された彼らの仲間ですらなかった死体は、冷たい床で転がったまま放置されている。

「人殺し、俺は人を殺した」

「大河!」

 芳樹が彼の元を駆け寄ろうとした瞬間、カランと何かが地面に落ちる音が教室の床に響いた。

「……え?」

 声すらあげずに静かに泣いていた小春が、大河の首元を指さす。それに気づいた芳樹と李流伽も同じように目線をそちらに向け、そして同じように信じられない光景に目を見開いた。

「……どうしてだ?」

 大河も突然涼しくなった首元に少しだけ正気を取り戻す。そう、彼の首輪は外れ、地面に落ちていたからだ。彼らの疑問に対する答えは、数分程度のちに知らされることになる。それが答えだと李流伽たちが理解するには、もう少しの時間と情報が必要であったが。
 祥吾が流したはずの血液が全て、空き教室の黒板に向かっていた。

「うわあぁああぁあああっ!!」

 慈悲すらない責め立てるそれを見た大河は、教室を飛び出していった。黒板には大きく血の文字で「人殺し」と殴り書かれていた。

「違う、大河さん!追いかけましょう」

 何が「違う」のか、芳樹と小春にはわからなかったが、その言葉には彼らも同意し空き教室を後にした。

 ―忠臣は祥吾を探していた。
地下のあの場所で自ら首輪を外し自由となった彼は、祥吾も同じように枷を外してやろうと教室や購買部など一つ一つ回っては、その姿を探していた。
化け物に悟られる前に実行しなければならない、忠臣は祥吾の枷を外しこのまま復讐ゲームから逃亡するつもりだった。

 忠臣は、祥吾と一緒に校門から出る姿を夢想した。彼には本当の意味でこれまでに友達というものがいなかったので、放課後に友と遊ぶということがどのようなものか曖昧にすら想像できなかったが、きっとそれは楽しいのだろう。

 小腹が空けばファーストフード店に寄り、暇つぶしと金の無駄遣いがてらゲーセンにでも寄って遊ぶのだろう。くだらないと思っていた一つ一つが、彼と一緒であればどれも悪くないと忠臣は笑っていた。
 初めてだったのだ。怯え顔と凌辱以外で関心が持てる人間と出会えたのは。
初めてだったのだ、苦痛に歪む顔ではなく、笑顔や退屈そうな顔、眠そうな顔にちょっと不機嫌そうな顔など、いろんな表情を見てみたいと思った人間がいたことが。

彼は健剛はともかくとして、麻実を危惧していた。あれの中には、自分とはまた別の狂気と残虐性を孕んでいる。彼女は彼女なりの生存戦略で生徒たちを殺して回っているが、もしそんなことをしなくともこの地獄から脱出できる方法を今、知ってしまったのなら。
忠臣も人の事は言えないが、麻実は殺人犯だ。それも大量に人を殺めており死刑は確定だろう。

自暴自棄となった彼女の牙が、健剛や忠臣を道連れにしようとしてくるかもしれない。それが祥吾に向くのを忠臣は恐れていた。己の見の保身ではなく他に守るべきものができたことに、忠臣は内心苦笑する。
祥吾となら退屈な日常も謳歌してやろう、彼の性衝動は人を壊すことでしか満たされることはないが、それすらもいらないと忠臣は思った。

「祥吾」

 シーンと、耳が痛くなるぐらいの静寂さに、忠臣は顔を微かに顰める。嗅ぎ慣れた香水の匂いがした。鉄錆臭いそこから嗅ぎ分けたそれは、忠臣がこの場所に来てから唯一悪くないと感じた香りだ。

「どうした?寝てるのか?」

 よく「それ」が祥吾だと分かったものだ。彼は、空き教室に横たわる頭部が粉砕された亡骸を、静かに揺さぶっている。少し薄汚れたブランド物の白いスニーカーと手首の時計は紛れもなく祥吾のものだった。

「祥吾、祥吾」

俺、首輪外す方法見つけたんだよ。さっさと外してこんな学校出て行こうぜって誘うつもりだったのに、お前は自力で外しちまったんだなぁ。
せっかちだな。そんなに俺と遊びに行きたかった?俺もだよ、でももう少し待っててくれたらよかったのに。

そんな言葉をかけてやっても、当然返事はない。彼は祥吾の破片すらも取りこぼしたくないとでも言うように、脳や目玉もかき集められるだけ集めて、祥吾や自身のポケットにしまいこむ。中でも目には特別な思い入れでもあったのか、それは忠臣の胸ポケットに二つ、しまわれた。

「祥吾。帰ろう」

 忠臣は物言わぬ祥吾を背負うと、無表情なままぽたりと塩辛い水を目からこぼした。思えばこれが、彼がまだ人であった頃の最後の記憶かもしれない。

「どうしたの皆?」

 ただならぬ様子の李流伽たちと合流した凛成は、至極真面目な様子で「落ち着いて、ねえ南条君はどうしたの」と諭すように声を掛ける。

「俺らだって探してるんだ!」

 凛成を突き飛ばさんばかりの勢いで先へ進もうとする芳樹を、彼は両肩を掴んで停止させた。

「ちょっと、俺について来てほしい」

 有無を言わさぬ様子に、芳樹も少し冷静さを取り戻したのか無言で頷くと一階から地下室へ続く踊り場へ、凛成は皆を導いた。

『……なるほど』

 李流伽たちはスマホの画面で情報交換を終えると、今は特に大河にとって最悪な事態であることを凛成は告げる。

『貴志君は、首輪の拘束を解く方法を編み出していたんだ。もっとも彼にしかできない型破りで破天荒な方法だったけれどね。実験台として田中君と花山君が彼の手によって「ここ」で壊されたけれど、彼ら二人は無事だった。この悪夢みたいな場所からも脱出していったよ』

 凛成からの情報で合点がいったとばかりに、李流伽も大きく首を縦に振った。

『やっぱりそうだったんですね。では、大河さんは本当に、大山さんを殺してはいませんでした。大河さんの竹刀が首に当たる寸前に首輪が作動したからです。
貴志さんの言葉が本当なら監視カメラが祥吾さんの首に竹刀が触れるタイミングで、首輪を爆発させたのだと思います』

 だから彼は殺していませんという言葉に、小春は初めて安堵した風に、さめざめと泣き始めた。監視の目は届いていなくても音声は聞こえているかもしれないので、息をひそめて肩を震わせている。

『……大河の首輪が外れたのは何故だ』

 芳樹の問いかけに対しては、李流伽が『復讐ゲームのルールだと思います』と返した。

『覚えていますか?このゲームはタイムリミットまでに全員死ぬか傷つくか、もしくは異世界人を探し出すかがゲームの終了条件です……大河さんは「人を殺した」という罪悪感から深く心を傷つけたとみなされたので、首輪が外れたんです。それこそ彼の心を壊されるほどに』 

 つまり大河はゲームの終了条件を満たしたのでイレギュラーではなくこの学校から脱出が可能となった存在だ。無事にこのことを知り学校を出られたらいいのだが、当の本人がどこかに行ってしまい行方不明ということと、脱出するには最大の敵が生まれてしまった。

『……きっと事実を知ったら貴志が大河を殺しにやってくる。もしかしたら大河だけじゃなくて俺達も殺されるかもしれない』

 それも、彼が思いつく限りの残忍で惨たらしい方法でと、芳樹は目を伏せる。凛成の話を聞くに忠臣は祥吾に対して彼らの間でしかわからない何らかの強い縁があったようだ。基本的に人間を玩具か虫けら程度にしか思っていない彼が、初めて関心を見せた男があのようになってしまったのだ。

『……君たちに相談があるんだけど、聞いてくれる?』

 凛成が意を決したように、李流伽たちに向き直る。彼らの別れの時は近く、すぐそこまでやってきていた。
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