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その5

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 人を殺してしまった。大河の頭の中はその一言で埋め尽くされていた。恋人や幼馴染たちの元を離れ逃げ回った彼は今、音楽室のグランドピアノの横に蹲っている。

 彼の恋人である小春はピアノを習っており、放課後に教室のピアノを借りて練習している姿が大河の脳裏に浮かぶ。彼がここに来てしまったのも、そんな思い出をバラバラになってしまいそうな心の拠り所として縋りついてしまったからかもしれない。

彼女は元々ピアノについては親の習い事として始めたものであり、特段好きでも嫌いでもなかったというその旋律は、時を重ねるうちに熟練度は勿論の事、彼女にしか出せない音というものが確かに存在していた。

 白いカーテンと窓ガラスから差し込む陽射しの姿が、大河の中の彼女を一層視界から遠ざけてゆく。華奢で繊細な指先が複雑に時に蜘蛛のように動き、高速で移動する姿は素人から見ても目を見張るものがあった。
 次第にゆったりと音は一つ一つ浮かび上がっては終焉を迎え、一つの短い曲そのものが終わり、また新しい旋律が次の音へとつなげてゆく。

 現実逃避をしかけている脳にこびりつくようにして、何かを訴えかけているのは、同じようにピアノの音色に耳を傾けていた、過去の芳樹だった。

『思い出せ』

 記憶の中の彼は、大河の両肩を掴み必死に揺さぶっている。これはいつの頃だったろうか。中学生時代に芳樹の想い人だった女子生徒が、大河に仄かな恋心を抱いていたと知ったあの時。優しく残酷な彼は、落ち込んでいる時は彼女の肩を抱き、雨の日は傘を差し出し共に帰り、放課後は彼女の悩み相談に乗ってやったりもしていた。
それは周囲から見ても親密に思える程度には、大河は彼女との距離感を見誤り、結果的に彼女を傷つけてしまった。

『小春さん……彼女がいるなら、どうしてあんなに優しくしてくれたの?勘違いしちゃうよ、こんなの誰でも……』

 泣きながら去り行く彼女の後姿を目にしても、当時は何も思わなかったというのに。芳樹に肩を強く揺さぶられ「お前って昔からそうだよな」と、憤りの念と共にやるせなさそうに大河から目を逸らした姿のほうが、大河の心を深く抉った。

『……僕は、何を間違えた?教えてくれ芳樹』

 大河の言葉に芳樹はとうとう我慢がならなくなったのか、思い切り彼の頬を殴りつけた。突然の衝撃に大河は尻もちをついて地面に崩れ落ちる。どうして?という大河の表情に芳樹は顔をさらに歪ませる。

『……偽善者野郎』

 当時の芳樹の言動は、半分は想い人を幼馴染に取られた彼の幼い嫉妬のようなものだった。けれどもその半分は、大河と小春の人生にとって戒めと枷ともなった。
 感情のやり場を無くした芳樹はその日を境に大河と小春から距離を置くようになり、質の悪い他校の生徒たちと喧嘩に明け暮れる毎日を過ごし、彼の両親に「うちの子は一体どうしてしまったのか」と涙ながらに訴えかけられても、二人は暗い表情を落とす。

 小春は恋人に嫉妬という念を抱かない珍しい子だった。そのため、大河と他の女子生徒の距離が近くとも、何も思わずそれが本妻の余裕と揶揄され、周囲の嫉妬を加速させることもあった。
そして大河と芳樹という狭い人間関係しか知らない彼女は彼女で、友達を作るのが苦手であり距離感を見誤ることが多かった。心が幼く自分が好感を抱いた者は男女問わず、誰彼構わず友達とも恋人とも呼べない異様な好意と執着を見せる。
小春の無邪気で稚拙な振る舞いは、一部の人間に嫌悪感を抱かせた。

『お似合いですね』

 周囲からのその言葉にはいつも侮蔑が混じる。残酷な博愛主義者と粗悪なゲームに登場するヒロインのような性格の二人は、恋愛というよりもどこか捻じれており、けれども距離感がある。そんな妙な共依存の関係にあったのかもしれない。

「(そうだ)」

 芳樹に初めて殴られた時の身体を吹き飛ばされるほどの強い痛みを思い出し、大河はようやく微かな違和に気付いた。
それは衝撃だ。大河が竹刀を振り下ろし祥吾の首に接触した時の反動を、彼は手に受けていなかった。フルスイング後の、物体が竹刀に当たる瞬間の衝撃を彼は感じてはいなかったのだ。竹刀に首輪が当たるか当たらないかのコンマ一瞬の前後に、祥吾の首輪は爆発した。

「(俺の竹刀が彼に接触する前に、首輪は爆発した)」

 祥吾が死ぬタイミングのトリガーとなったのは、間違いなく大河の行動によるものだろう。けれども、最終的に引き金を引き彼の命を奪い去ったのは、悪意のある別の何者かだ。

「こんなところで何をしている」

 ガラリとドアを開き、彼の前に立ちふさがった長身の男は、妙に落ち着き払った、目が深淵のように読み取れない闇を宿した、友人の亡骸を背負った貴志忠臣だった。

『信じられないかもしれないけど、りんりんはこの世界の人間じゃないらしいのです』

「……」

「……」

「……」

 一階から地下室へ続く踊り場に凛成、李流伽、小春、芳樹の四人はいた。

『いや、お前しかいねえだろ。異世界人は』

 芳樹のスマホ越しの突っ込みに凛成はぷすーと笑い声をすかしっ屁のように口から漏らし、そして芳樹に頭を叩かれた。

『……凛成さんが異世界人というのは疑いようもない事実だとして、貴方が「どこから来た」異世界人なのかが……まだ誰も答えていないのでゲームは終わりません』

 李流伽のメッセージに小春と芳樹も黙って頷く。
李流伽は少なくとも「なんの異世界人かわからない」とは言わなかった。恐らく彼女なりの答え、それも正解が見込まれている知識を持っているのだろうと美形の異世界人は推測する。そして凛成にとってはそれが一つの賭けでもあった。

『端的に言う。事情があって、俺は自分の正体をまだ知られるわけにいかない。俺には目的があり、正体をばらされる前に「あなた」に傷ついてもらう必要がある』

 凛成が鋭い目線を送りつけた先には、李流伽の姿があった。ターゲットとなった彼女よりも表情を強張らせて怒りの目線を向けるのは小春で、すぐさま「ふざけるな」と凛成の胸倉を掴み上げたのは芳樹だ。
 むしろ二人を止めようとしたのが李流伽のほうで、そんな三人の様子を見つめた凛成はいつもの胡散臭さを取っ払い、幼くも満面かつ極上の笑みを浮かべてからいたずらっぽく片目を瞑ってみせた。

「……っ死ね、死ねぇ!!」

 ―怒りでのぼせ上がったせいか彼女の視界は真っ赤に染まり、脳内に分泌されたアドレナリンは、疲弊しきった身体を無理やり立ち上がらせる。肌にべたつく汗や髪が不快で仕方がないが、そんなものに気を取られた瞬間、あっけなくこの世から退散することになるのだろう。

「……これ以上は無駄だ。お前のやってきたことも全て」

 無駄という言葉に怒り狂った彼女は、興奮した猿以上に野蛮で攻撃的で、どこまでも醜かった。男は、何でこんな奴に一時でも従ってしまったのだろうとぼんやり考え、これではそこの独活の大木と同じだと自嘲気味に笑う。
 非力な女の力とは言え、金属バッドで数回もまともに食らえば骨も砕かれるだろうし、頭も割れてしまう。

 手を目掛けて蹴りを入れると、バッドはあっけなくその手から離れてくるくると弧を描き、空き教室の隅へと金属音を立てて滑り落ちていった。

「死にたくない?」

 ぜーぜー呼吸を荒くして、カタカタと小動物のように震える彼女……差由羅麻美はこんなにも小さくてか弱そうな存在だったろうか。
死後の世界など信じないが、傍若無人に振る舞い自分の命のためだけに数多の生徒の命を奪い蹂躙していった存在がこんなにちっぽけであることを知ったら、死んだ者たちもさぞや浮かばれないだろうと忠臣は思った。

「じゃあ、殺さないでやるよ」

 忠臣はまず、麻実の左足首を脱臼させた。ゴキリと鈍く何かの取り返しがつかなくなる音を聞きながら、丁寧に猛反対の足も同じ動作を繰り返す。

「ひぎぃっ!!いたい、いだいいいっ!!」

 痛みのあまりに失禁でもしたのか、地面を濡らした麻実に対して「きたねえな」と忠臣は顔を顰める。それから両腕も同じように外してやると、痙攣でもしたかのようにびくんびくんと身を震わせて、麻実は白目を向いて意識を飛ばした。

「……大げさ」

 一仕事終えた彼はゆっくり立ち上がると、友の元へ向かおうとする。その刹那、雷が頭部に落下したような振動が脳から爪先に駆け巡り、思わず忠臣は膝をつく。

「……そっか、まだお前がいたか。ごめんなぁ、独活の大木なんて言って。謝るよ」

 頭を割られ脳がスイングする。次第に痛みは治まるだろうと高を括っていた忠臣に訪れた次の地獄は、脳の柔らかいところが外気に触れるような、千の針を打ち付けられたような痛みだった。ぽたぽたと流れ出るそれは汗にしてはどす黒く赤い。痛みのあまりゆっくり後ろを振り向くと、血まみれの金属バッドを持った里井健剛の姿があった。

「とりあえず南条君を探そう」

 凛成の言葉に、李流伽たちも無言で頷く。先ほど聞かされた彼の作戦が上手く進むのかは怪しいところだが、それでも李流伽は凛成を信頼し、彼を犠牲とすることを良しとはせずに、その話に乗ることにした。

「いいのか、本当にあいつの言うことを信じて」

「……一応は、利害関係が現時点では私達と一致していると思うんです」

 凛成の最終目的は苛めた主犯格、それもいじめを引き起こした要因となる生徒の子供、李流伽を傷つけることであった。
 「殺せ」とは指示されておらず「傷をつける」という点においても、傷の程度や度合いについては主催からも指示がないので、もし早々に終わらせたいのであれば、凛成自らもっと早い時期に李流伽を拳なりバッドや木刀などで殴りつけてそれで終了とすることもできたはずだ。

 また、凛成は「異世界人」がゲームの終了条件を満たした後でも、ゲーム時間内であれば彼がどこからきた者であったかの回答は有効だと李流伽たちに伝えた。

「俺も主催から、一応事前にルールは知らされていたからね」

 ルールの概要は一枚の紙に記されており、凛成はR学園に飛ばされる直前にそれを読み暗記したのちに、口に放り込んで飲み込んだのだという。

「山羊(やぎ)かよお前」

 「メェー」という情けない声を上げる傾国のイケメンに、芳樹は黙って尻にケリを入れていた。

「……っ!」

 李流伽たちの目の前には、身体を横に向かせた状態でこちらを見つめている忠臣の姿があった。彼の背中には首のない男子生徒、大山省吾が背負われている。

「あ、あの。貴志さん」

 李流伽の声に、忠臣は敵意を見せるわけでもなくこちらを黙って見つめている。話が通じているかもわからないほどに、彼は友人を背負ったまま、微動だにせずただ佇んでいる。

「大河を、見ませんでしたか」

 そんな彼に声を掛けたのは小春だった。ブルブルと小動物のように身を震わせている姿に忠臣は何かを思い出したのか、焦点すら定まっていなかった目を、瞬時に忌々しそうな目線に変えて何故か彼女にそれを向ける。

「強かったよ」

 一件頓珍漢とも言える忠臣の言葉を咀嚼しきる前に、小春と芳樹の顔から表情が消えた。
 彼の言葉をそのまま状況に当てはめるのならば、忠臣と大河は交戦し、そして勝ったのは忠臣ということではないだろうかと、瞬時に小春と芳樹は良くない未来を考えた。
数十秒したのちに、カランッカランと二つ、金属の輪が二人の首から滑り落ちるのを李流伽と凛成は確かに見た。

「……嘘だぁ」

 表情を殺したまま目から涙を零す小春と、掴みかかろうとする芳樹の首からは首輪が消えていた。あわてて凛成が芳樹を忠臣から引きはがし、暴れようとするのを羽交い絞めにして止めている。その場に崩れ落ちそうになっている小春の両肩を支えている李流伽だけは冷静に、忠臣に一言問いかけた。

「大河さん、どこにいますか?」

 不思議なものでも見るようにこちら側に正面を向けた忠臣の頭の半分は割れてへこんでおり、中からは淡いピンクの肉片が見えていた。
 彼の半身は正常ではなかった。崩れ落ちそうなそこからは祥吾と忠臣、最早どちらかわからない血がしたたり落ちてシャツを濡らしている。嗅ぎ慣れてしまった鉄錆の臭いは鼻を突き、赤と白が目に痛いぐらいだ。

 流石に顔を青ざめさせる凛成と芳樹、小春から漏れるヒッという声を手で抑え込むと、李流伽はもう一度ゆっくりと「大河さんは?」と問いかける。

「ピアノ」

「……そうでしたか。ありがとうございます」

 ゆっくり頭を下げる李流伽をやはり数秒程度じっと見た後に、忠臣はゆっくりとその場を後にした。

「音楽室に行きましょう、きっとそこに居ます」

 そこにいなければ、次はピアノが置かれている体育館のステージも探しましょうという李流伽に芳樹は、忠臣を放置していいのかと問いかける。
 首を横に振りながら、それに答えてやったのは凛成だった。

「……彼はもう長くない。生きて、動いているのがもう不思議なぐらいだよ」

「もし、あいつと大河がやりあったならアイツも致命傷ってわけか……」

 一縷の望みをかけて、李流伽たちは大河を迎えにいくことにした。

 ―話は少し前に遡る。空き教室で人知れず、いやもしかしたら数多のギャラリーの前で展開されたであろう忠臣と健剛の死闘は、からくも健剛の勝利で終わった。麻実を行動不能にされた健剛は、彼女が持っていた金属バッドで忠臣の頭部を殴りつけた。

「差由羅さんが誰かにやられたら、そいつを殺してね」

 与えられた使命と言う名の呪詛を、健剛は守った。単純に力だけで言えば忠臣よりも上の健剛は、忠臣の頭を叩き割ることに成功した。けれども死にかけているはずの男はそれでも強く、健剛は加減を知らない金的を忠臣に食らい思わず痛みのあまり蹲り身動きできなくなったところで、忠臣はその場から退散したようだ。

「……」

 後追いせずあのまま放置しておいても、忠臣は時を待たずして絶命するだろう。
 命令には従ったものの別に褒められることは望んでいない健剛だ。こんな時ですら、彼は動かないし何もしない。地面に転がっている麻実をただただ眺めているだけだ。

「……あんた、何してんの」

 少し前に目を覚まし、身じろぎ一つできずに呻いていた麻実は目の前の巨体に声を掛ける。自分がまだ死んでいないことと、無傷ではないが生きている健剛の様子から何かを察したようだった。

「へえ……里井君が、あの化け物を追っ払ったか」

 やるじゃんと口先だけで褒めてやると、こちらへ寄って来るように命令する。

「こっちきて」

「……」

「もっとこっち」

「……」

「抱っこ。差由羅さん、身体動かないんだからさぁ」

健剛は命じられるままに麻実を赤ん坊のように抱きかかえ、静かにゆすってやっている。微かな刺激すら今の麻実には耐えがたい痛みでしかないのだが、珍しく彼女は文句も言わず、されるがままその身を任せていた。

「もう、全部終わりだよ。全部」

「……」

 相変わらず何の反応もしない健剛に対して、麻実は「里井君も死ぬんだよ、差由羅さんのとばっちりで」と憎まれ口を叩くが、それでも健剛は静かに麻実を抱きしめたままだ。彼の表情からは恨みも憎しみも、恋愛感情はおろか喜怒哀楽すらもすっかり抜け落ちてしまっているようで、傍から見ても時が過ぎるのをただ待つのみに見えた。

「……里井君って、生きてて何が一番楽しい?」

 意志を持たないゴーレム、もしくは巨大なテディベアぐらいまでは健剛に愛着を持ってしまった差由羅真美は、初めて目の前の男に悲しい興味を持った。

 ―視界が霞み、頭の中はわけのわからないノイズと意味のなさない言葉の羅列で埋め尽くされてゆく。一歩一歩足を動かすたびに大切なものがぽろぽろ零れ落ちてゆくようで、それは比喩などではなく彼の身体の一部、脳みそが零れ落ちてゆくからだろう。

 窮鼠猫を嚙む、というほどあのゴーレムは弱い存在ではなかったが、すっかりそんな気分だと、彼の中の少しばかりまともな部分がそんなことを考える。
 空気に触れる度に落下した千本の針が頭部に突き刺さるような耐えがたい痛みが、忠臣を辛うじてこの世へ繋いでくれている。

 くだらない思考だ、くだらない毎日だった。もし、人を殺すことが許される場所にいたら彼は英雄だったかもしれない。加虐と暴力が性的興奮を覚えるようになったのはいつ頃からだったろうか。第二次性徴を迎えるよりも声が変わるよりも、きっともっともっと小さい頃から根っこの部分で忠臣はそれを求めていた。彼にとって平和なこの国は、窮屈な檻のような場所だったのかもしれない。

 寝た子は最悪な形で覚醒させられ、残虐性は悍ましくも開花してしまった。それはこの復讐ゲームのせいだとも言えるし、この異様な空間であっても本能に抗うことができなかった理性と言う名のブレーキが壊れていたからともいえる。結局のところ、どうなるかは自分次第だと、壊れかけた頭であっても忠臣はその考えを変えなかった。

 校内に蔓延るざわざわ虫のような生徒たちが、道を通るだけでモーゼのように真っ二つに分かれてゆくというのに、通り過ぎる度に彼ら彼女らは忠臣と彼の友人に呪詛を投げつける。目線で殺せるものであれば殺してやりたいという、黒い憎しみをぶつけてくる。

 彼らに眼光というものはすでになく、目があったその箇所には、今は真っ暗な二つの闇がぽっかりとあるだけ。両の闇からは絶えず血のような涙がしたたり落ちて、ぼたぼたと制服を赤黒く染め上げてゆく。これは忠臣の妄想なのか、もしくは死へ半身入りかけている忠臣が見た死後の世界の入り口だからだろうか。

「頭、潰れたんじゃなかったのか」

 恨めしそうにこちらを見ているあの生徒とあの生徒は、差由羅が首輪にバッドを当てて爆破を「作動させた」はずだ。なんで頭があるんだお前らと忠臣は思う。

 結局あの女は狂人になりきれなかった雑魚だ。大量殺戮を繰り広げているつもりでも、実際にはどこかで監視している主催者のボタン一つでタイミングよく首輪を爆破してもらい、殺している気になっているだけの情けなくて糞ダセえ女、直接手を汚すことすら実はできていない単なる雑魚、なあそうだよな?祥吾と、彼は首が無くなった彼の方を見て笑う。

「あいつのほうが、よっぽどマシだった」

 里井健剛、自我が全くない傀儡のような巨漢を忠臣は思い出した。彼は忠臣の頭部を叩き割った張本人だが、不思議と健剛に対して忠臣は恨みの念を抱かなかった。

「……あいつは、強かった」

 忠臣は、音楽室で出会った男を思い出した。彼の首にはもう首輪はなく、ゲームのルール通りであれば、恐らく心身どちらかに「主催が認めるほど」の傷を負って、復讐ゲームから外れることができたのだろうと忠臣は考えた。

『大山君を殺したのは、俺だ』

 自分の罪を隠すこともなく、忠臣の目の前で土下座をした大河の胸倉を掴むと忠臣は彼の顔をぶん殴った。その時に忠臣は彼の目に贖罪と、それ以上の何か強い意志を感じ取った。
 
「……祥吾をどうやって殺した」

 友達だから、最後が知りたいんだよと酷く落ち着いた声で尋ねると、大河も予想外だったのか一瞬目を瞬かせて、それから静かに答え始める。

「この竹刀で彼を殴った。竹刀は首に当たり、首輪を誤作動させてしまったんだ。俺は人殺しだ」

 これから殺されるかもしれないというのに、大河という男はまた深々と忠臣に頭を下げる。それで十分だった。その答えだけで忠臣は大河を「シロ」と判断した。けれども彼は言葉を続ける。

「何で俺に謝る?」

 またもや目をぱちりと瞬きさせると、大河は「君の大切な人を、俺が奪ってしまったから」とキリリとした眉を下げ、申し訳なさそうに何度も頭を下げる。

 厳密にいうのなら、命を奪ったのはゲームの主催側だろう。大河が竹刀を振り回し首に当たる瞬間を見計らって、首輪を作動させた。それは麻実の時と恐らくは同じだ。きっとこの男は麻実と違いハナから首を狙うつもりはなかったのだろう。致命傷にならない箇所を狙ったが手が滑ったか、或いは祥吾が動いたか。
 運悪く首に当たりそうになった竹刀は、祥吾にとって死へのトリガーとなった。

……この正義感溢れる哀れな男も、復讐ゲームに振り回されているだけの哀れな贄なのだろう。

「……南条だっけ。ちょっとだけ預かっててくれないかな」

 俺の大切なもの。すぐに戻って来るから。大河はポカンとした表情を見せた後、真面目な眼差しを向け、それからこくりと頷いた。

「(それからは……記憶が、混濁している)」

 頭を割られた忠臣は死神に絶命を少しだけ延長してもらい、音楽室まで足取りも重く、息も絶え絶えという状態でやってきた。大切な者、大河に預けた祥吾の死体を返してもらうためだ。

「……っ貴志君!」

 律儀にも、大河は祥吾の死体を自分の胸に抱きしめて、忠臣が来るまで待っていた。しっかりと亡骸を抱きしめて、絶対に守るという騎士のような強い意志を感じた。
ここまで誰かに死を悼んでもらえたのなら、祥吾も天国にはいけないだろうが成仏ぐらいできるんじゃないかと、忠臣は心の内で笑う。

「酷いケガだ、保健室に」

「……」

 忠臣は痛みをそのままに静かに首を振った。こうして会話をしていること自体、彼にとっては時間のロスとなる。そのかわりに。

「あり、がと……う」

 頭も舌も上手く回らず酷い発音になってしまったが、大河の耳には届いただろうか。忠臣は祥吾を背負うとそのまま音楽室を出ていった。
 
「……」

 これでもう、本当にさよならなのだろう。恐らくは永遠に。
彼「ら」にはもう、この世にいられる時間が限られている。大河は瞬時にそれを察すると、祥吾を抱きかかえていた時に付着した多量の血もそのままに、無言で彼らが出てゆくのを見守っていたことを、忠臣は知らない。

もう、この学校に彼「ら」の脅威となるものは居ない。忠臣は次第に言うことを聞かなくなる足を無理やり動かしながら、一階へ降り校門へ向かい、グラウンドまでやってきた。

「あ、おう、う、えあ」

 もう、口からは意味をなさない音しか発することができなくても、忠臣は祥吾に言葉をかけてやっているつもりだ。それはたとえ言語化されていたとしても、さほど意味などないことばかりだけれど。

「(授業だるかったな)」

「(放課後暇ならどっかいこう)」

「(今日は何して遊ぼうか)」

 忠臣の目には、下校する生徒や部活動に勤しむ生徒たちで溢れごった返している光景が映っている。ざわざわ騒がしい騒音もチャイムの音も、聞き飽きたはずなのにどこか酷く遠くて懐かしい。

「ぁあ……」

 授業が終わり学校から出ることができる開放感からだろうか、校門はいつも以上に日の光で輝いており、その先が霞んでしまいよく見えない。
我ながら現金なものだと忠臣はまた笑い、祥吾に肩を貸してやると、最後の気力を振り絞って一歩、その足を踏み出した。

 冷たい監視カメラが映している光景は、校門に頭一つだけ出して倒れている忠臣と、それよりも一歩前に身を乗り出すようにして倒れている、頭部のない祥吾二人の亡骸だった。
 死の寸前も忠臣は祥吾を早くこの学校から、自分より先に出してやりたいと思ったのだろう。

 復讐ゲームの主催にも慈悲があったのか、彼らは校舎へ戻されることなく、そのまま校舎の外へずりずりと引きずられてどこかに消えていった。死体は処分されるのだとしても、ここから離れたどこか広い場所でそれは行われるのだろうと、悪趣味などこかの視聴者たちは、今だけはそれを願った。

 ―階段を駆け上がり廊下を走り、普段禁じられていることを全力で行っているのは非常事態だから、大切な者を守りたいから、そんな理由からだろうか。先陣を切って走る小春に続く芳樹と凛成、追いつくのがようやっとという李流伽は息を切らして音楽室へ向かう。

「大河!」

 窓の外を眺めて佇んでいた男は、確かに生きている。校門の方を見つめていた大河は涙を流していたが、小春が飛びつくように抱き付いてくると、彼はそれを優しく受け止めた。
えっえっと小さな子供のように泣き崩れる小春の姿を、いつもそうしてやるように穏やかで慈愛に満ちた眼差しで彼女を見つめ、大河は慈しむように背中を優しく撫でている。
 これは彼らにとっては日常で、血に塗れた今の空間ではとても異常な光景にも見えた。

「……無事でよかったです」

「本当に。生きててよかった、南条君......」

「心配かけて、ごめん。さっきは取り乱してしまって……ありがとう俺はもう大丈夫」

 李流伽と凛成は最悪の事態も考えていたが、大河は顔に殴られて跡があるのみで、他に外傷は無いように見えた。シャツについた血はきっと彼自身のものではないのだろう。
 そんな二人に対してもにっこりと聖母のような笑みを浮かべる大河は、どこまでも完璧だった。

「……おい」

 芳樹がまっすぐに大河を見つめている。しゃがみ込んで同じ目線で、昔のように幼馴染を見つめていた。

「芳樹も、心配かけてごめん……でも、もう大丈」

 小春の髪を梳くように撫でてやる手つきは酷く大人の仕草だが、その指先は少しだけ震えているのを芳樹は気づいているのかいないのか、もう一度「おい」と同じように繰り返す。

「……芳樹」

 しゃがみ込んで大河の近くに座り込んだ芳樹に、彼は抱き付いた。しがみつかれているうちに、いつしか芳樹のシャツは大河の涙でじんわり熱く濡れる。

この三人は幼い頃より歪で歪んだ感情のまま繋がってきた。芳樹は幼い頃よりいつも、努めて一歩引いたところで大河と小春を見ていたが、大河は芳樹がいないと自分の一部が切り離されてしまうような感覚に陥り、その苦しさから疎まれても嫌われても彼の元を離れることなどできない男だった。

「……」

 芳樹は、大河を抱きしめることもなければ頭を撫でてやるといったこともしない。ただ、彼にしがみつかれているだけだ。それでも大河にとっては充分だった。

「芳樹の匂い、落ち着く」

「気持ち悪いこと言うな」

「……へへ」

 辛辣な言葉を投げつけられても、やはり芳樹がいることが大河にとっては何よりも心の安定剤になるのだろう。彼にとって庇護すべきものは小春で、彼が守られたい男は芳樹なのかもしれない。

「……」

 李流伽には、彼ら三人の関係性や絆といったものはわからないが、ともかくこの三人がばらばらになってしまうことは良くないということを、至極冷静な目で見つめていた。
バランスが崩れてしまえば全て無駄になるところだったが、今回は小春と芳樹による「運の良い」勘違いと早とちりにより、二人の首輪も外れてくれた。

 後は、李流伽と凛成の計画が成功すればこの復讐ゲームからも解放される。

「……」

「どうしたの、山野内さん?」

「凛成さん。私は、本当にあの三人が無事でよかったと思っています。しかも彼らはもうゲームの参加者から外れました。なのでもう……」

「君は一人で大丈夫なの?」

 りんりんがいなくなっても大丈夫?みんながいなくなっても、一人で最後まで頑張れそう?イケメンの掴みどころのない眼差しに、今の李流伽はまっすぐ向き合うことができなかった。

 
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