もう離さない……【もう一度抱きしめて……】スピンオフ作品

星河琉嘩

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第2章

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 栞がAquamarineで働いていることを、輝はいい気がしなかった。なぜそんなところで働いているのかと聞いたが、苦笑いをするだけだった。
 あの日、自分の話をした時、Aquamarineで働いている理由は話せなかった。輝を巻き込みたくないという、無意識からの思いだったのかもしれない。一郎に輝の存在を知られれば、きっと輝のことも利用するだろう。輝はキレイな顔をしている。母である高幡屋の女将に似て、とてもキレイな顔立ちをしている。輝のことも年齢を誤魔化して、ホストクラブへ放り込もうとするだろう。それに、あの高幡屋の息子だ。三男だときても、強請ゆするには十分価値のある存在だ。
(輝くんのことは、知られないようにしなきゃ)
 巻き込みたくない。それでも一緒にいたい。矛盾が栞を苦しめる。


「栞さん」
 土手にある公園。真夜中に、こうしてここで会うことが日課になっていた。
 ただそこにいて、他愛もない話をする。それだけで栞の心は安らいでいく。それと同時に、申し訳なさでいっぱいだった。
「輝くん…」
「ん?」
「……なんでもない」
 元々話をするのが得意ではない。そんな栞を知っている輝だから、輝の方から話をする。それは出会った頃もそうだった。
「ねぇ。栞さん」
 ベンチに座り足をブラブラとさせていた栞に、輝は言った。
「今度、ライブやるんだ」
「……そう」
「来てくれる?」
「でも…」
「来て欲しい」
 輝がそう言うのは珍しい。今まで何度もライブをしていた。だけど自分から誰かを誘うなんてなかった。
「来て欲しいんだ」
「ん」
 短く返事をすると、また栞は黙り込んだ。



     ❏ ❏ ❏ ❏ ❏



 一郎にAquamarineで働くことを強要されてはいる栞だが、一応休みはある。そのあたりは、瑞原から一郎に言って貰っている。初め一郎は、瑞原に「毎日でも働かせろ!」と怒鳴っていた。その度に「うちが労働基準法に反することをさせる気か!」と言い返していた。そんなことをさせる気なら、雇えない。他の店でも同じことを言われるだろう。そう言われてしまってからは、一郎は大人しくするしかなかった。
「明日は休みだったよね」
 着替えを済ませ、帰ろうとしていた栞に、瑞原は声をかけた。瑞原を見上げると、ただ頷く。
「本当は君のような子は、ここで働くことは賛成出来ないんだよね」
 栞はその言葉を聞いて、焦った。
(高校生だとバレないかしら……)
 クビになったら、一郎に何をされるか分からないものだ。
「すみません…」
 栞はそう言うと、足早に店を出て行く。店の前には、一郎がニヤッと不敵な笑いを見せて立っていた。そして手を差し出す。その一郎に促されるまま、バッグから封筒を取り出す。その封筒を勢いよく取ると、一郎はなにも言わずに去って行った。
 栞の給料は日給でもらっている。その日その日で給料を貰い、勤務が終わると店の前に待ち構えている一郎に持っていかれるのだ。そのことを瑞原は知らないわけなかった。だがそれを口出すことが出来ないでいる。

「はぁ……」
 ため息を吐くと、身体が重く感じる。トボトボと駅まで歩いて行く。Aquamarineは、地元から離れたところにあるから、誰かに会うなんてことはなかった。時間も遅いからか、余計に会わない。
 終電ギリギリに電車に飛び乗って、地元まで行く。終電だからか、電車の中にはほぼ人がいない。酔っ払ったサラリーマンや、遊び歩いた大学生がポツリポツリといるくらいだ。栞のように高校生が乗ってるなんて、誰も思わない。


 ガタンっ!プシュー……!


 電車の停まる音と共に、ドアが開く。そのまま栞は電車を降りて、改札へ向かった。ICカードをかざして改札を抜けると、いつもの見慣れた光景がそこにあった。
 夜なのにまだまだ暑い。熱風を身体に受けて駅のロータリーに出た。

「栞さん」
 声をかけられて振り向くと、輝がそこに立っていた。
「ど…して?」
「会いたくなったから」
「よく最終に乗って帰ってくるって分かったね」
「分からないよ」
「え」
「ずっと待ってた」
 輝のその言葉に、栞は驚いた。
「ダメじゃないの!」
 炎天下の中、栞をずっと待ち続けていたことを、嬉しくもあったが心配にもなった。
「この暑い中、ずっといたなんて…っ!」
「大丈夫。昼間はそこのカフェにいた」
 駅前にある一軒のカフェ。この時間は閉店してるが、昼間は駅を利用する客でいっぱいだ。
「だけど…」
 なにかを言おうとした時、輝は栞の手を握りしめた。
「送る」
 そう笑った輝は、栞の手を引いて歩いていった。
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