【完結】淋しいなら側に

サイ

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「ひゃっ!」
 足下に変な感触を覚え、千は飛び上がるようにして片足を上げた。
 恐る恐る雑草をかき分けてみると、一目散に逃げていく小さな影が見える。きっと鼠か何かだろう。
「なんだ……」
 変な物を踏んだのではなくて、一安心である。ほっと息をついて、一段落と空を見上げた。
 秋も深まり、吹く風も冷たくなってきた。
 素足で踏む土はまだ暖かいが、荒れ果てた土地は雑草に覆われ、踏み心地はあまり良くない。
 着物の裾を膝の上まで捲り上げ、草をかき分けながら千は一心に荒れ野を歩き回っていた。早朝から始め、もう陽は沈もうとしている。それでも千は手を休めることはしなかった。
 粗末な薄い麻の着物一着では少し肌寒かったが、体を動かせば耐えられなくはない。それよりも、これから訪れる寒い冬の準備をする方が大切だった。
「———千!」
 遠くから名を呼ばれ、千は背伸びをして道を振り返った。
 すらりとした細い人影を見て千の表情は一気に和む。
よし姉さん!」
 抱えた籠の中の収穫物を落とさないように気をつけながら、腰の高さまである草をかき分け、荒れ野を出る。町から今帰ったばかりの姉は、そんな千の姿を見て少し顔を曇らせたが、特に何も言わなかった。
「ただいま千。変わったことはない?」
「特にないよ。しず姉さんもまだ帰ってない。今日は早かったんだね」
「今日は町でお祭りがあるのよ。だから学校は午前中だけ。———何か収穫があった?」
 聞かれて千は嬉しそうに笑った。
「芋がなってた!去年俺が植えたものだよ。毎年失敗していたのにやっと成功したんだ。今年は暖かかったし、深くまで耕したのが良かったのかな」
「これ———」
 つまみ上げてみれば、それは親指ほどの大きさの芋だった。それでも嬉しそうにしている千を前には、小さいなどと口が裂けても言えない。
「……ねえ、もう少し待てばもっと大きくなると思うのだけど」
「だって、ちゃんとなっているか確かめたくて掘ってしまったんだもん」
「千……」
 呆れて何とも言えず佳はため息をこぼす。
「大体、もうそうやって食べ物を探さなくたって、静姉さまと私が働くようになったんだから」
「そうやって食べ物にお金使っていたら、いつまで経っても貧乏のままだろ。これから冬になって食べ物の値段も上がるんだし。給料は少ないんだから」
「せーん!」
「———ごめん……」
 やっと見つけた仕事だというのは分かっている。未だによそ者扱いの自分達には日雇いの仕事すら満足に見つからない。幼い頃より培った教養を盾に何とか見つけた仕事も、他に仕事はなく足元を見られているからこそ安い給金というのも分かっている。
 とはいえ、最近ではようやく町の人々にも受け入れられ始めた。芋の作り方も近くの農夫のおじさんに聞いたし、どうやら二人の姉には最近恋人が出来たらしい。———まあ、千にしてみれば、町でも姉ほど美しい人を見たことはないから当然のように思えるのだが。
 だからこそ、姉のお金は姉のために使ってほしい。姉が着飾っている姿を見たいのである。
「そもそもね、千。ここは私たちの土地じゃないんだから」
「そんなの———」
 千は辺りを見渡した。綺麗に区画されているのは、ここがかつて巨大な水田地域だったからである。しかし今では水道も土も全く整備されていないため、かつてのように使おうと思ってもとても個人の負担では整備できない。
「誰も気にしないよ。ここの地主はとうの昔に隣へ行ってしまったんだから」
「隣って……」
しゅの国。———俺たちも行けばいいのに」
 十数年前、この国の王は代替わりをした。まだ千が生まれて間もない頃である。その新しい王は噂ではひどい王だという。実際に見たことはないが、何でも側室と連日遊興三昧で政は気まぐれの法令を出す程度で、あとは臣下に任せっきり。おかげで賄賂が横行するとんでもない朝廷になっているとか。
 対して隣の朱国は若い王らしいが賢王の誉れ高く、代替わり以降国はみるみる活気を帯びていっているという。朱国には荒れた土地など一つもなく、今頃は黄金色の稲を付けた田が広がっていることだろう。
「千。私たちの国はここよ」
「姉さまたちが、どうしてこの国にそこまでこだわるのか分からないな。姉さまくらいたくさん物を知っていたら、朱国では大学の先生にだってなれると思うのに」
「千。そんなこと、静姉さまの前では口が裂けても言っては駄目よ」
「分かってるよ。静姉さまの口癖だもの。かつては俺たちの家は大きなお大名だった、って」
「それは本当よ。千は覚えていないだろうけれど、あなたは三つまでは絹の産着にくるまれて、たくさんの侍女に囲まれて育っていたのよ。見上げても頂上が見えないくらい高いお屋敷の中でね。お父様は四大老のお一人だったのだから」
「大老って———父さまはそんなにお年を召していらっしゃったの?」
 佳は呆れ顔になった。
「千、あなた静姉さまに教えてもらったこと覚えてないの?大老は家臣の筆頭の役職名よ。———そりゃあ、確かに千は静姉様や私とはだいぶ遅れて生まれたからお父様もお若くはなかったけど……」
「静姉さまのお話は確かに知らないことばかりですごいとは思うけど、でもやっぱり俺にはよく分からないし必要ないな。お城で働くわけじゃないんだから。臣下の役職名や政治の仕組みを教わるよりも、どうすれば畑の作物が実って、どうすれば天気が分かるか、壊れた道具を直すにはどうすればいいかの方がずっと役に立つ」
 そう言われては、佳には反論できない。確かに、もう大名家ではない自分たちがいつまでも過去に縋っていては、ここではあまりに暮らしにくい。
 城を追われた時、静は十五、佳は十三、千はまだ三つだった。一通りの教養を身につけもうじき婚儀も迎えようとしていた静に比べて、千はまだ物心も付いていなかった。心の何処かで、佳ももうそんな教育は必要ないかもしれないと思う。千が当時のことを覚えていなくて姉の教育に馴染めないのは仕方のない話である。佳の目から見て静の教育は本当にしっかりしている。いや、しっかりしすぎており、千の所作が平民らしくなく、町の子供たちと打ち解けられない要因の一つとなっているのも事実だから。
佳は十年前を思い出していた。
十年前、この地にたった三人で放り出された時。本当に地獄のような日々だった。異端者を見る目、何様だと石を投げられる毎日。何もしたことのなかった手で何をしてもうまくいかず、かつては玉のようだとほめられた肌もすぐに荒れ果てた。付いてきてくれた使用人も一人減り、また一人減り、ついには誰もいなくなった。持ち出せるだけ持ち出した身の回りの物を全て売り尽くし、それでもお金はあっという間になくなっていく。毎日を飢える暮らしなど、想像したことすらなかった。それは本当に恐ろしい毎日だった。
静は学校の文学の教師として、佳は作法を教える塾へ働くことが決まったのは一年前である。ようやく人間並みの生活が出来るようになった。暮らしは未だ厳しいが、それでも飢えることはなくなった。
「佳姉さま……?」
 しばらく黙ってしまった姉を見上げて、千は慌てた。
「あ、でもね、佳姉さまの教えてくれる礼儀作法は、おもしろいと思う。使うことはあまりないけど、でも楽しいから好きだ」
 黙ってしまったのを何と解釈したのか、千はそんな言い訳を続ける。
 静が決めたことだった。静が武家の子息として持つべき知識を、佳は礼儀作法を、千へ教えよう。たった一人の跡取りとして、城へ上がっても恥ずかしくない立派な武家の男子に育てよう、と。
 静は言ったのだ。
———佳、私は生涯忘れない。恨めしきあの国主の事を。たとえこの身は一平民となり果てようと、決して、大名家の、武家の志だけは失ってはならない。武家の誇りを忘れぬよう、生きて行くのです。そして何より、父上と母上の想いを、決して忘れぬように。
 この地へ来た時、静が青い顔をしながら佳の手を取りそう言った。静はどれほどつらくともその信念を貫き通している。その思いに佳もずっと付いてきたのである。
「分かったから、さあ、もう帰りましょう、千」
「もう少ししてから帰るよ」
「そう?……あまり無理をしないでね」
 いつも千は夕暮れまで収穫を続けている。きっと何を言っても戻っては来ないだろう。佳は先に帰り夕食の支度をすることにする。
 佳が去っていくのを見送ってから、千はさて、とまた田んぼへ戻った。
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