【完結】淋しいなら側に

サイ

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 千が家路についたのは、もう夕暮れ時。
 今日はなかなかの収穫だった。千は鼻歌を歌いながら家の裏手へ回る。
「お帰りください!」
 突然、静の厳しい声が聞こえた。いつの間にか静も帰宅していたようだ。
家は確かにあばら屋で小さいが、裏手までこんなにしっかり聞こえると言うことは、外で会話がされているのだろう。
 姉のあんな声は久しぶりに聞いた。収穫物を洗おうとした手を止め、千は身を強張らせた。また町の人が何か無理を言いに来たのかと耳を澄ませる。
「分かっておられぬようですな。王命に逆らうことなど誰にも出来ぬのです。帰れと言われ、我らが容易く退けるとお思いか」
 違う、町の人じゃない。低く野太い声は、とても丁寧でそれは都言葉だった。自分たちと同じ。千は何事かと表へ回った。
 客の姿を見て、千は思わず立ち止まる。
 鎧を着た、十はいるであろう兵士たちだった。どの兵士も銀の鎧に黒い上衣を羽織っている。千はそんな格好をした人間を見たことはないが、彼らが普段自分たちの手が届かない、雲の上にいる人間だということはすぐに分かった。
「千……!」
 佳が気付き、名を呼ぶ。静も弾かれたようにこちらを見つめた。二人とも青い顔をしている。
「姉さま……?」
「家へ入っていなさい、千」
 静の固い声に、拒むことは出来なかった。千は緊張しながら家へ入ろうとした。
 しかし、一団の長のような人が配下に目で合図を送る。千はたちまち三人の兵士に取り囲まれた。
「何?———ど、どいてください」
 見下ろされ、圧倒される。鉄の壁のように無表情で威圧感のある兵士たちだった。放った言葉も、全く反応が返ってこない。
「何をするのです、お退きなさい!」
 静と佳が駆け寄ってくるのが分かる。二人は兵士の囲みを押しのけ、千を守るように抱き抱えた。
「またしても我らを力で屈さんとするか、貞興さだおき!」
 静はどうやら軍団の長を知っているらしい。その名を呼び、激しく睨みつける。その眼光は普通の人間なら気圧されるほどの力を持っていたが、貞興は全く動じなかった。
 顔にたくさんの傷がある。白髪の混じった髪をしているというのに、少しもその体格に衰えは感じさせない。きっと歴戦の武将なのだろう。
「覚えておられましたか、私の名を」
「忘れるものか……」
 静はきっ、と唇を噛んだ。
「我が父に受けし恩を忘れ、父が殺されるを黙して見ていた不忠者を!———大将軍の席は心地よいか、貞興?血塗られた地位に縋るそなたの浅ましき姿、見るに堪えぬ!」
「……………」
 貞興は何も言わなかった。ただ、黙って静の息が整うのを待った。
「———繰り返し申し上げる」
 ぎゅ、っと静と佳の手がきつく千の体を握る。その手はどちらも冷たくなっているのに気づいた。一体、何があったというのか。
 貞興の無機質な声が続いた。
「国王陛下におかれては、このたび第十八夫人を迎えることとされた。先の大老不破家の息女、静香しずか姫、佳枝よしえ姫、並びにご子息、稀千丸きせんまる、三名のうち一名を———」
「黙れ!」
 静はますます興奮した。
「よくも涼しい顔でそのような下劣なことが言える。我らをこのような所へ追いやり、ほとぼり冷めてまた迎えよと言うか。国王の命令はもとより、その命を何の躊躇もなく遂行しようとするそなたには虫酸が走る!」
「———姫君におかれては」
 貞興は右手を挙げ配下を一歩下がらせた。威圧感が和らぎ、静の興奮も少し弱まる。
「この地における生活により、ずいぶんお心がお荒みになられたご様子。これでは陛下のご不興をかうであろう」
 静は怒りに顔を引きつらせながら笑った。
「望むところ。もとよりあのおぞましき男の興など欲しゅうはない」
「ではお望み通り、佳枝姫、千丸君のどちらかに来ていただこう」
「ふざけるな!」
 千には何が起こっているのか分からなかった。ただ、このいきなり現れた男が三人を引き離そうとしているのは分かる。それだけは嫌だ。
「わたくしも……」
 佳が、か細い声を上げた。千にかかる手が小さく震えている。しかし、声音はしっかりしていた。
「陛下にお仕えする心を持ちませぬ。必ずや陛下の御不興をかうでしょう。貞興、お帰りなさい」
 貞興の視線が、自然と千に注がれる。千はどきりと身を固くした。しかし、二人の姉が庇うように前に立ってくれる。
「千も我らと同じ気持ちです。そもそも千は男子。王のお好みにはございますまい」
「貞興、お願いです。帰ってください。やっと取り戻した人並みの生活、もう誰にも乱されとうはないのです」
 佳の説得にも貞興は首を縦には振らなかった。
「王のご側室のうち、半数は男子にございました故、千丸様も必ずやお気に召されることであろう。夫人の家族にはそれなりの生活は保障される。このようなところで暮らす必要もなくなろう」
「王の世話にはならぬ」
 とりつく島もない静の言葉だが、貞興は無視して続ける
「陛下はこうも仰せになられた。従わぬなら殺せと。迎えに兵を連れて来たのはその為です。———姫、よくよくお考えなされ。ここで皆死ぬか、陛下に仕え元の暮らしを取り戻すか」
「あの王の言いそうな事。人の命を何とも思うておらぬ。———そのような主によく仕えられるものよ」
「………………」
「姉さま……」
 不安に、声を出さずにはいられなかった。決して逆らえぬ事など、初めから分かっている。この兵士たちが来た時点で、自分たちの運命は決まってしまっているのだ。
 静は、絞り出すように声を出した。
「———あの王の元へ行くくらいなら、いっそ……」
「姉さま!」
 千は必死で首を振った。姉は迷わず言うだろう。あれほど王家を憎んでいるのだ。従うはずはない。けれど、千はたまらなかった。死にたくない。何より姉に死んで欲しくはなかった。
 そうだ。
 千は貞興を見上げた。冷たい無感情な目。こんな目をした人間は、今まで見たことがない。都には、王の城にはこんな人間がたくさんいるのだろうか。恐ろしいところなのだろう。けれど、でも……。
 貞興はじっと千を見つめていた。千も目がそらせなくなる。
 この男は待っているのだ。知っている。千が、次に言う言葉を。
「俺、行きます」
「千!」
 静の、怒ったような絶望したような声。佳は言葉もなく千を凝視した。千はそのどちらの顔も見ることは出来ず、ただ貞興を見つめていた。
「千、分かっているの?後宮に入るということがどんなことか!」
「———大体は分かってるよ。でも、姉さま。俺は父さまの事も、母さまの事も覚えてないんだ」
 国への恨みといわれても、正直千にはよく分からない。生まれた時からこんな生活で、かつての身分と言われても思い出せない。
「陛下の御不興をかわないかもしれない」
 そのかわり、礼儀作法が拙くて不興をかうかも知れないが。
「決まったな」
「嫌よ!千、やめて」
「千、そんなことをされて、与えられた生活で佳や私が暮らせると思う?あなたを犠牲にした生活など、苦しくてつらくて、とても続けられないわ!」
「続けて」
 千は、ここで初めて姉たちの顔を見た。青い顔。今までこんな絶望的な顔など見たことはない。
「俺は王の元で耐える。姉さまたちは、俺のいない生活を耐えて。耐えて、そうして続ければいつか……」
 その先は、言えなかった。いつかまたこんな暮らしに戻れる。言ってしまえば、あまりに幼稚な望みのような気がして。けれど二人の姉は、言わなくても分かってくれる。
「今まで、姉さまはたくさんのものを捨てて俺を育ててくれた」
 自分も働くと言ったのに、姉たちは決してそれをさせなかった。千はただ、家を守ってくれればいいからと、そればかり言って守ってきてくれた。
「手放したくなくて、それでも小さな俺を育てるために、たくさんのものを諦めてくれたこと知ってる。姉さまの失ったものを、いつか取り戻したいと思っていたんだ。こんな形になってしまったけど……でも、俺、それほど嫌とは思っていないんだ。———ごめん」
 貞興の合図で、兵士が千を姉から引き離した。静も佳も必死で抵抗したが、兵士に取り囲まれては敵うはずもない。
 千はそのまま馬車に乗せられた。間髪を入れず馬車は進み始める。それを取り囲むようにして、兵士の乗った馬が続いた。
「千!待って、やめて———!」
「———千!」
 千は目を閉じて、何も見ないようにした。二人の声がずっと、いつまでも耳に残っていた。
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