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馬車の中では貞興と二人きりになった。
この冷たい目をした男とこれからしばらく一緒かと思うと息が詰まる。ただ何を言う気にもなれず、千はただぼうっと外の景色を眺めていた。
「———千丸君」
声を掛けられ、千はゆっくりと貞興の方を振り向いた。貞興は一つの包みを差し出してきた。受け取って開き、それが今まで口にしたこともない、白米の握り飯だと気づく。
「これは……?」
「粗末で申し訳ないが、夕餉にございます」
「粗末……」
千の暮らしぶりなど、知っているはずである。それでも敢えて白米を祖末と言い捨てる貞興に、千は苦笑を漏らした。嫌な人だ、と思う。
「———申し訳ない」
「え?何が?」
不思議に思って聞くが、貞興は少し動揺したような顔をした。あれ、と千は不思議に思う。こんな顔もするのかと。
「これから貴方は、王の妻となられる。そんな方に握り飯を差し出すは、無礼と……気に障った様子」
その言葉の意味をしばらく考えて、千はやっと合点がいった。謝罪は、粗末と言った言葉に対してのものらしい。深く考えずに言った台詞を申し訳ないと言ったようだ。
「俺こそ、ごめん。思ったことが顔に出てしまったんだな。……いただきます」
初めて口にする白米は、話に聞いていた以上に甘かった。麦ですらなかなか口にしない千にとってはごちそうだ。白米とは、なんとおいしい食べ物なのだろう。
「……私を恨んでおいでであろう。しかし陛下には決して恨み言など申し上げぬ事です。陛下は不興とあれば、すぐそなたの首など斬ってしまわれるであろう。今までのご側室達の様に」
「—————————」
貞興の言葉に千はしばらく黙った。重い沈黙が流れ、千がやっと口を開く。
「貞興……さん」
「貞興、とお呼びを」
「では、貞興。———先ほど姉と別れたばかりで不安なのに、その上更に不安を重ねようとするのは、何か俺に思うところあってのことなのか」
「いえ……」
貞興は少し慌てた。そんなつもりは無かったらしい。一対一になると、先ほどの威厳はどこに行ったのかと思うような人間味を見せる。千はこの男に興味を持った。
「あなたは昔父の部下だったのですか?」
「は……」
「父は、どんな人でした?」
貞興はじっと千を見つめた。———そうか、この子は父の顔も知らないのだ。
「———あなた様は、大きくおなりです」
感慨深げに、貞興は言った。遠い目をしている。静が言うほどこの男は悪い男ではないではないだろうか。———そう思うのは千が世間知らずなだけかも知れない。しかし過去を知らないだけに、千の目は曇り無く貞興を見ていた。
「貞興は私の小さい頃を知っているんだな」
「はい」
先を促すように千は貞興を見た。小さい頃の話は姉にねだってよくしてもらった。両親のことを聞くのは千の一番好きな話だった。
「とても、元気に泣くお子でござった。若君が生まれてすぐ母君は屋敷を去られたためもありますが、遅れてお生まれになった跡取りとあって、殿が一心にお育てになっているお姿は端から見ていても微笑ましかったものです。———若君が泣く度に、城じゅうが大騒ぎになり申した。殿が、右へ左へ走り回るため臣下一同こぞってその後を追い———」
千はその姿を想像してくすりと笑った。きっと大変な騒ぎだったのだろう。
貞興はそんな様子の千を見て、ふと真剣な顔つきになった。
「若君。……若君は、殿の———いや、父君の、最期をご存じか」
千はすこしひきつったような、微妙な笑みをこぼした。この貞興という男は、なんと率直にものを尋ねてくるのだろう。普通、子に親の最期を尋ねる様なことをするだろうか。しかも、千の父は並の死に方をしていない。
その表情に貞興はやっと自分の失言を悟った。しかし、その先に続ける言葉を見つけられない。黙ってしまった沈黙を救ったのは千だった。
「———詳しくは知らないけれど、成り行きだけは聞いています。陛下が母さまを側室に望まれ、母さまはそれを苦に亡くなられた。そのため陛下の怒りに触れ、父さまは戦へ出され戦死した、と。その敗戦の咎を受け不破家は断罪となった」
千の顔は少し暗くなったものの、貞興が想像していたほどには沈んでいなかった。千の自分を見る目には憎しみがない。それどころか、真っ直ぐと見つめる目にはどこか親しみすら感じる。
貞興はなかなか次に言葉が出てこなかった。それはやはり、十数年前からずっと胸の内にある巨大な固まりのせいである。千の曇りない瞳を見ると、やはりなんとしてもあの時、自分は———。
「とは言え、実感がわかないのです。––––自分の家は他の家と違う、そう漠然とした思いはあったけれど、それを悲しいとか誰かのせいとは思えません。俺は姉二人に育てられて、本当に幸せでしたから」
千は笑った。それは儚いような、寂しげな表情だった。その言葉が必ずしも真実とは思えない。少なくとも父母のいない寂しさだけは限りなく感じているのだろう。
しかし、貞興はもう更に何かを言うことはしなかった。言えば、また余計なことを言ってしまう気がした。
「そうですか……」
貞興はそれだけ言って、黙って窓の外を見つめた。
二人はその後特に会話することもなく、ほぼ一日かけて王都へと到着した。
この冷たい目をした男とこれからしばらく一緒かと思うと息が詰まる。ただ何を言う気にもなれず、千はただぼうっと外の景色を眺めていた。
「———千丸君」
声を掛けられ、千はゆっくりと貞興の方を振り向いた。貞興は一つの包みを差し出してきた。受け取って開き、それが今まで口にしたこともない、白米の握り飯だと気づく。
「これは……?」
「粗末で申し訳ないが、夕餉にございます」
「粗末……」
千の暮らしぶりなど、知っているはずである。それでも敢えて白米を祖末と言い捨てる貞興に、千は苦笑を漏らした。嫌な人だ、と思う。
「———申し訳ない」
「え?何が?」
不思議に思って聞くが、貞興は少し動揺したような顔をした。あれ、と千は不思議に思う。こんな顔もするのかと。
「これから貴方は、王の妻となられる。そんな方に握り飯を差し出すは、無礼と……気に障った様子」
その言葉の意味をしばらく考えて、千はやっと合点がいった。謝罪は、粗末と言った言葉に対してのものらしい。深く考えずに言った台詞を申し訳ないと言ったようだ。
「俺こそ、ごめん。思ったことが顔に出てしまったんだな。……いただきます」
初めて口にする白米は、話に聞いていた以上に甘かった。麦ですらなかなか口にしない千にとってはごちそうだ。白米とは、なんとおいしい食べ物なのだろう。
「……私を恨んでおいでであろう。しかし陛下には決して恨み言など申し上げぬ事です。陛下は不興とあれば、すぐそなたの首など斬ってしまわれるであろう。今までのご側室達の様に」
「—————————」
貞興の言葉に千はしばらく黙った。重い沈黙が流れ、千がやっと口を開く。
「貞興……さん」
「貞興、とお呼びを」
「では、貞興。———先ほど姉と別れたばかりで不安なのに、その上更に不安を重ねようとするのは、何か俺に思うところあってのことなのか」
「いえ……」
貞興は少し慌てた。そんなつもりは無かったらしい。一対一になると、先ほどの威厳はどこに行ったのかと思うような人間味を見せる。千はこの男に興味を持った。
「あなたは昔父の部下だったのですか?」
「は……」
「父は、どんな人でした?」
貞興はじっと千を見つめた。———そうか、この子は父の顔も知らないのだ。
「———あなた様は、大きくおなりです」
感慨深げに、貞興は言った。遠い目をしている。静が言うほどこの男は悪い男ではないではないだろうか。———そう思うのは千が世間知らずなだけかも知れない。しかし過去を知らないだけに、千の目は曇り無く貞興を見ていた。
「貞興は私の小さい頃を知っているんだな」
「はい」
先を促すように千は貞興を見た。小さい頃の話は姉にねだってよくしてもらった。両親のことを聞くのは千の一番好きな話だった。
「とても、元気に泣くお子でござった。若君が生まれてすぐ母君は屋敷を去られたためもありますが、遅れてお生まれになった跡取りとあって、殿が一心にお育てになっているお姿は端から見ていても微笑ましかったものです。———若君が泣く度に、城じゅうが大騒ぎになり申した。殿が、右へ左へ走り回るため臣下一同こぞってその後を追い———」
千はその姿を想像してくすりと笑った。きっと大変な騒ぎだったのだろう。
貞興はそんな様子の千を見て、ふと真剣な顔つきになった。
「若君。……若君は、殿の———いや、父君の、最期をご存じか」
千はすこしひきつったような、微妙な笑みをこぼした。この貞興という男は、なんと率直にものを尋ねてくるのだろう。普通、子に親の最期を尋ねる様なことをするだろうか。しかも、千の父は並の死に方をしていない。
その表情に貞興はやっと自分の失言を悟った。しかし、その先に続ける言葉を見つけられない。黙ってしまった沈黙を救ったのは千だった。
「———詳しくは知らないけれど、成り行きだけは聞いています。陛下が母さまを側室に望まれ、母さまはそれを苦に亡くなられた。そのため陛下の怒りに触れ、父さまは戦へ出され戦死した、と。その敗戦の咎を受け不破家は断罪となった」
千の顔は少し暗くなったものの、貞興が想像していたほどには沈んでいなかった。千の自分を見る目には憎しみがない。それどころか、真っ直ぐと見つめる目にはどこか親しみすら感じる。
貞興はなかなか次に言葉が出てこなかった。それはやはり、十数年前からずっと胸の内にある巨大な固まりのせいである。千の曇りない瞳を見ると、やはりなんとしてもあの時、自分は———。
「とは言え、実感がわかないのです。––––自分の家は他の家と違う、そう漠然とした思いはあったけれど、それを悲しいとか誰かのせいとは思えません。俺は姉二人に育てられて、本当に幸せでしたから」
千は笑った。それは儚いような、寂しげな表情だった。その言葉が必ずしも真実とは思えない。少なくとも父母のいない寂しさだけは限りなく感じているのだろう。
しかし、貞興はもう更に何かを言うことはしなかった。言えば、また余計なことを言ってしまう気がした。
「そうですか……」
貞興はそれだけ言って、黙って窓の外を見つめた。
二人はその後特に会話することもなく、ほぼ一日かけて王都へと到着した。
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