あたたかな鳥籠を君に、優しい口づけをあなたに

サイ

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第1章

3.ルイスと2人で(過去)

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 その日は突然やってきた。
 ユリアが孤児院に預けられてから四か月程度経った日の夜。
 ユリアは夜泣きのひどいルイスを背負って、孤児院から少し離れた川辺まで歩いてきていた。
 ルイスの夜泣きはほぼ毎日の事だった。今日は特にひどく、なかなか寝付いてくれない。
 ユリアは日中の作業も決まったものはないが他の子ども達は早朝から仕事がある。
 睡眠の邪魔はできないので、少しでもぐずりだしたらユリアは急いで抱いて施設の外まで歩いていた。
「うう、う、うう、ああー」
「よしよし、ルイス、どうしたの?お腹すいた?どこか痛いところがあるの?」
 返事はないとわかっているが、こうして話しかける。ルイスは半分寝ているので、ユリアの声を聴かせるだけで落ち着くこともあった。
 お腹がすいたわけでも痛いわけでもないのは、わかっている。
 きっとルイスにもわかるんだろう。
 ――ここが地獄だってことが。



 ふと、一方向の空が異様な赤さで染まっていた。孤児院の方角だ。
 ユリアは血の気が引いた。
 火事だ。孤児院が燃えている。
 ユリアは慌ててルイスを前に抱きなおした。
 どうしよう。どうしたらルイスを守れる。
 咄嗟に思ったのはそれだった。
 恐る恐るユリアは孤児院へ近づいた。
 巨大な焚火のように燃え広がった孤児院は離れていてもあたりの気温を上げるほどに燃えている。
 鎧の金属音に条件反射で身体が固まり身を屈めた。
 兵士たちだ。
 森の入り口から伺い見ていると、たくさんの子ども達が屋根もない荷運び用の馬車に乗せられている。
「おい。これで全員か?――誰かわかるものはいないのか!」
 兵士の怒鳴り声が離れていても聞こえる。
「道を開けろ!」
 あわただしい中でもひときわにぎやかに一群が動く。担架にのせられ、全身やけどを負っているが、あの体格は院長に違いない。あの怪我では命も危ういのではないか。
 突然のことにユリアは息をのみただ見守るしかなかった。
 先ほどまで自分の身体を「教育」と称して蹂躙していた男が、ただの肉塊のようになって運ばれていく。もちろん悲しみなどはなかったが、突然の日常が変わったことにだろうか、ただ衝撃で、嬉しいとも思えなかった。
「あれは院長か」
「はっ、隠し通路に潜伏しておりましたため、逃げ遅れたようです。喉が焼け会話は難しいかと」
「ちっ」
「隊長、修道士を連れてきました!」
 連れてこられていたのは一番新入りの修道士だった。まだ若く、ユリアが来る少し前に来たと言っていた。
「お前、人数を確認しろ。取り残されているものはいないか」
「いません。これで全部です」
 ほかの修道士たちはみな縛られているのに、その男だけ拘束されていない。もしかすると彼が何らかの密告をしたのかもしれない。
 直接話したことはないからどういう人かは知らないが、子どもたちに交じってよく働いているところを見かけた。
 ユリアとルイスのことを言わなかったのはなぜだろう。
「よし、全員連行しろ!」
 早くも隊は撤収を始めた。
 炎に包まれ証拠の押収は難しいと判断したのか。そもそも小さな孤児院の事件など、焼いて終わりにするのが定石なのか。
 まだ燃え盛る孤児院を残して、あわただしくその金属の集団は去っていった。
 ユリアは縛られたようにその場からうごけなかった。
 ついて行くべきだったのだろうか。
 ついて行って……それでまた別の孤児院に?――絶対に嫌だ。
 しかしまだ二つにもなっていないルイスは、なんとか歩くことはできるが四六時中人の手がいる。
 食事もユリアと同じものを食べれるようになってきたが、むしろ成長とともにユリアから離れたがらなかったり、どんどん難しくなっていた。
 それでも。
 あんな地獄に戻るより、きっとずっとましなはずだ。
 いつの間にかルイスが起きて、じっとユリアを見つめていた。
「りあ、――りあ」
 最近ルイスはしきりに自分の名前を呼んでくれる。
 その声で呼ばれる度に、なぜだかユリアはいつも泣きそうになるのだった。
「ルイス。おはよう。明るいから、目が覚めちゃったね」
 掠れた声でそういうと、異常に気付いたのかルイスは首を回して燃える孤児院を見た。
「あ、あ……!」
 必死で指をさしている。ユリアはルイスを宥めるように抱きしめ、トントンと背中をたたいた。
「大丈夫だよ。朝になったら、違うところに行こうね」
 説明してわかるわけではないが、ユリアが少しも慌てていないからか、いつもの優しい声にルイスは不思議そうな顔をしたが泣き出したりということはなかった。
 ただ黙ってユリアと一緒に燃える炎を見ていた。


 
 結局そうして一晩中燃える孤児院を見ていた。時折ものすごい音がして建物が崩れていく。自分を閉じ込めて、苦しみしか与えなかった恐ろしい場所。
 空が白み始めると炎はやがて収まり、鼻を突く臭いが辺りに満ちた色ろんなものが焦げた匂い。煙はまだ充満している。ユリアはまだずっと見つめ続けていた。ルイスがそのうち寝息を立てるのをそっと抱きしめながら。
 隣の町まで馬車でも1時間近くかかると聞いていた。夜中にこの火事に気付いてわざわざ駆けつける人もいなかったようだ。
 すっかり焼け落ち、煙も落ち着いた頃。ユリアはゆっくりとその焼け跡に近づいた。
 ここ数日乾燥していたからか、見事に焼け落ちている。育てていた野菜も、庭の井戸も。
 ユリアは手近にあった焼け跡の炭に触れ、それを髪、頬、身体に塗った。
 それから行く当てもなく、道に沿って歩き始めた。
 季節は秋になろうとしていた。
 収穫の秋には何かと人手が必要になる。
 きっと働き口はあるはずだ。



 たどり着いたのは町ではなく、数件の古い家が集まっただけの農場だった。
 早朝に出発していたが、着いたのは昼過ぎだった。
 麦畑で何人かの人が作業をしている。
 牛も飼っている、それなりに大きな規模の農場だった。
 ユリアはそこで雑用として雇ってほしいと交渉した。
 意外にも、あっさりと了承された。少し若いけど、とは言われたが、こうした日銭を稼ぐものを雇うのはよくあることだ。収穫時期に人手が足りなくなるのはどこも同じらしい。
 運がよかった。
 給金はないに等しいが、雇われの間は雨露をしのぐ屋根と、食事は保証される。
 麦の収穫が終わるまで、という条件を付けられたがユリアは大きくうなずいた。
 同じように襤褸ぼろを着た人たちが何人か雇われていた。
 その人たちと一つの小屋で生活しながら、ルイスを脇道で遊ばせたり負ぶったりしながらがむしゃらに働いた。
 ここにいる人たちは、ユリアに何も聞いてこなかった。
 お互い何も持たずただ雇われて働いている。それだけだった。
 体はボロボロになって、夜は倒れるように眠った。時折ルイスの夜泣きで起こされるが、それでも外でよく遊び、夜泣きも減ってきた気がする。
 ユリアは、十分だと思った。
 こうしてその日その日を何とかやっていければ。
 あれほど大切にされていた肌は1週間もしないうちに剥がれがさがさと水分を失った。
 あかぎれになり、皮がむけ、治る前にまたむけていく。手はみるみる固くなっていった。身体を清める場所もなく、垢なのか泥なのかわからないままに肌も黒ずんでいく。
 院長に清潔に保つよう言われていた、忌まわしいこの容姿がどんどん醜くなっていくことが、ユリアはほっとする気持ちだった。
 そうして冬になるまでユリアはひたすら肉体労働に集中した。
 ある意味充実した、ユリアにとっては人間らしい生活だった。



 冬が来た。
 ユリアらはあっさりと農場を追い出された。それでもぎりぎりまで、芋の収穫を手伝ったり、家畜の世話をしたりして残れた方だった。
 それに、本格的に寒くなる前に少し次の仕事の目星をつけておきたい。この二か月でユリアは同じような仕事をしている人たちが、冬はどうやって乗り越えているのか聞いていろいろと考えていた。大人の言うことはあまり参考にならなかったが、とりあえず町へ行った方がいいだろうというのはわかった。
 ユリアが今いる場所は比較的南部に位置しているが、それでも冬は外で過ごせば凍死する。
 ユリアは町を目指した。



 町で仕事を探すのは難しかったが、それでもないわけではなった。
 二か月の農場の仕事でためたお金で、細々とパンを買いながら、運がよければ仕事が見つかる。まだルイスとは離れられないので背負いながらの仕事だった。
 子供ができる仕事は限られている。
 主に汚物処理、清掃などの汚れ仕事だった。厩の仕事はいいほうだが、家畜の糞を町の外まで捨てに行くのはなかなか大変だった。背中にルイスを背負い荷物を両手に持つと、骨が悲鳴を上げるようだった。あとは水汲み、荷運び。
 冷たい水で顔を洗って少し小綺麗にしたほうがここでは仕事が見つかった。
 そうして顔を出して仕事をしていると、ある日、お店で雑用を探していると言われ、一人の老人に住み込みで雇ってやると言われた。
 体を綺麗にして玄関に立っておくという仕事だ。
 店は雑貨店だったが、少し贅沢品も取り扱っていた。そこでユリアは扉を開けたり、お客さんの荷物を運んだり。
「店に可愛い顔をした子がいたら、入ってこようって思うだろ?うちはフットマンを雇うだけの金はないからね」
 主人は宣伝方法を模索していたらしい。何にしても、これから本格的に訪れる冬を迎える前に住み込みの仕事を見つけられたのはこの上ない幸運だった。
 清潔な衣服を着て、納屋ではあったが部屋も与えられ。給金はなかったが、毎日パンと、具のほとんど入っていないスープをもらえた。
 ユリアが店先に立つと、町では珍しい金髪碧眼に、客は増えた。その対応も任され、ほどなくしてユリアは一日中忙しくなった。座る暇がなく体が悲鳴を上げようとも、孤児院に比べたらどんな仕事もつらくはなかった。
「君、ちゃんと食べてるのかい?」
 そういって時々常連客が食べ物をくれた。
 この国はさほど貧しくはない。それなのに老人がくれる食事は成長期のユリアには確かに少なかった。
 一日中働いているので他の仕事をすることもできないし、ルイスは今はまだ食べる量が少ないが、このままでは十分に食べさせてやれないかもしれない。
 店の奥でずっと遊ばせておくのもそろそろ窮屈になってきている。
 冬を越し空気が温かくなってくると、ほかの仕事を探したほうがいいのかもしれないと思い始めた。二歳を過ぎルイスは驚くほど大人しくユリアをじっと待つ子だったが、泣くときには背負いながらの接客になる。泣くことが増えてくると、外を歩きたいんじゃないかと思うのだった。
 そう思っていた矢先。
「――ユリア?君、ユリア・ファルトじゃないか」
 店先で懐かしい名で呼ばれ、ユリアは驚いて固まった。
「ああ、今は平民か」
 一見すると紳士風の男だった。
 黒いスーツに黒いハット帽をかぶっている。
 ユリアはドアを固定したまま、じっと見てみる。記憶にはなかった。
「覚えてないよね。君、まだ小さかったから。――お父上にお世話になったんだ。ご両親のことは、なんというか……残念だったね」
「え、と……いえ、あ、はい」
 なんと言っていいかわからず、ユリアは返事に困った。
 男はイーゴリと名乗った。父の取引相手だったという。
 今のユリアの仕事を聞いて、心配そうに顔色を変えた。
「かつての恩師のご子息に、こんな搾取労働はさせられないよ。――主人、この子は私がもらっていくよ」
 半ば強引に、イーゴリはユリアと、店の奥で遊んでいたルイスを連れ出した。
「あの・・・!」
「いいから、ついておいで。悪いようにはしないから。恩返しをさせてくれ!」
 この男の優し気な表情に、ユリアはつい頷いてしまった。
 ――これがまた地獄の始まりだった。
 
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