あたたかな鳥籠を君に、優しい口づけをあなたに

サイ

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第2章

2.乾杯

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 ユリアの誕生日。
 四人のディナーはゆっくりと進められた。
 とっておきのシャンパンというボトルが運ばれ、フェルナンドの目の色が変わっていた。
 ユリアは、実はお酒と聞いて少し身構えていた。お酒にいい思い出はない。でも、フェルナンドがこんなに喜んでいるから水を差したくはない。
「無理に飲む必要はない」
 そう言って、ヘルマンは注ごうとする給仕に対し、手を挙げて止めた。そしてボトルを受け取ると、ユリアのグラスにゆっくりと自ら注いでくれた。
 小さな泡がふつふつと上に上がっていく。ほんのり金色のような液体がキラキラと光って見えた。
「うわぁ、きれいだね」
 初めて見る色に、ルイスが歓声をあげる。
「ルイ君の瞳の色だね」
「ルイの目、こんなにきれい?」
 そう言われてみんなの視線が集中する。六歳を過ぎて、ルイスの瞳はすっかり金色になっていた。
「うん、ついつい見ちゃうくらいきれいだよ」
 ルイスは照れたように笑っていた。
 ヘルマンはボトルを給仕の男性に渡し、ヘルマン、フェルナンド、と順にグラスは満たされていく。
 手元に、わざわざヘルマンが入れてくれたお酒。
 そう思うと飲んでみようかという気になった。
「ユリアの未来に」
 ヘルマンが短く言って、グラスを傾けた。
「ユリア君の未来に」
 フェルナンドも続いて、グラスを掲げてくれる。
 ユリアはお礼を言って、綺麗なグラスを見つめる。ヘルマンが、見ている。あの美しい青色の瞳が見守ってくれている。
 ユリアは思い切って一口、シャンパンを流し込んでみた。
 パチパチと弾ける感触のあと、口の中にふわりとフルーツの香りが広がる。そして甘くて苦い味。
 あまりにすっきりと喉を通り過ぎて、その軽やかさにびっくりする。
「これ、お酒ですか?」
 思わず聞くとフェルナンドが上機嫌で答えた。
「ユリア君は酒豪になりそうだねぇ。結構度数高いよ、これ」
 確かにそう言われると、数口飲んだだけなのに頭が熱くなっていく気がする。それでも心地いい熱さだ。
「少しずつ、料理と一緒に飲みなさい」
 ヘルマンの声も気持ちよく脳に響く。
 運ばれてくる料理はどれも美味しくて、料理が変わるたびにワインも変わって。フェルナンドこだわりのセレクトだと言うだけあって、本当にどれも美味しかった。
 初めてお酒を飲むというのに、ついつい全部飲んでしまった。
 食事が終わる頃にはまぶたも重く、すっかり酔いが回っていた。
「リア……おきてる?」
「おきてるよぅ。ルイス、眠い?もう帰る?」
 心配そうなルイスをフェルナンドが抱き上げた。
「ユリア君はすっかりご機嫌になっちゃってるから、酔ってない僕達で帰ろっか」
 フェルナンドは少しも酔ってない様子で、満足そうに笑った。
「今日は絶対連れてきてって言われてるんだ」
「うん。フェデリーとあそぶ」
「ユリア君はお酒飲んでるんだから、そのまま豪華なベッドで寝たらいいよ!おやすみ!」
 初めから二人はそのつもりだったらしい。
 ユリアの知らないところでよく色々と決めていることは今までもよくあった。てっきり一緒に公爵邸に泊まると思っていたのに。
 ルイスが手を振るので、ユリアも手を振る。
「おやすみ……」
「おさけって、よくねれるんだね。ねれないとき、のめばよかったね」
「それがお酒の難しいところでね。上手に飲まないと気分良く酔えないんだよー」
「上手に……?」
「そうだよ。だから大人にならないと飲んじゃだめなんだよ。ルイ君が大人になった時は、金庫のシャンパンを開けてもらおうね」
 そんなことを言いながら帰っていった。

 急に静かになって寂しいような気がする。
「そんな顔をするな」
 いつの間にかヘルマンが横に立っていた。すっと頬を撫でられる。
「今日は私と過ごしたいんだろう?」
「まだ、いいんですか?」
 ユリアが期待の眼差しを向けるので、ヘルマンが一瞬たじろいだようにも見えた。
「――そんなに無防備に喜ばれると、何もできないな」
 ヘルマンはそっと手を差し出した。
「行こう。酔い覚ましに散歩するか?それとも、部屋でゆっくりお茶でも飲むか」
 ユリアはじっとヘルマンを見上げた。透き通った緑の瞳が熱で潤んでいる。
 ヘルマンが視線を逸らした。ヘルマンの方から視線を外すのは初めてかもしれない。
「ご主人様」
 ユリアは縋るようにその手を取り、そのままヘルマンの腕の中へ滑り込んだ。
 ヘルマンの広い胸へ頭を預ける。ヘルマンの鼓動が伝わってきた。それ以上に自分の体も脈打っている。
 頭が心地よい酔いに支配され、深く考えず、望むまま体を預けた。
「ユリア……部屋へ行こう。見られるのは嫌なんだろう?」
 そんなことどうでもいい。ただ触れていたかった。このまま身を任せて眠ってしまいたい。
「ユリア」
 困ったようなヘルマンの声。ユリアはその優しい声に愛しさが更に膨れ上がって、両手をヘルマンの腰に回した。力を込めて抱きついて、体を預ける。
 ヘルマンのため息が頭上から聞こえる。
「――とんだ酔っ払いだな」
 ふわりと体が浮いた。頭がくるくると回るようだったが、身を任せていればいいという安心感があるからそのままヘルマンにしがみつく。
 ユリアは子供のようにヘルマンの腕の中で笑い、その腕に頬を擦り寄せていた。

 連れてこられたのはヘルマンの寝室だった。
 一度だけ入ったことがあるな、と思い出す。
「部屋は用意させていたが、心配でとても一人にはさせられない」
 ヘルマンがそっとベッドにユリアを下ろす。ユリアは必死でその腕にしがみついた。
「一人に?――いやです!」
「ユリア、違う。一人にできないから、連れてきたと言っている」
 子供に言い聞かせるような言い方をされたのがおかしくて、ユリアはくすくすと笑ってその手を離した。
 ヘルマンは調子を崩しやれやれとため息をつく。
 ユリアを運んだせいか体温が上がった。暑くなったのでタイを外して胸元を寛げ、上着を椅子に掛ける。
 シャツだけの楽な格好になって、用意されていた水を取ってユリアに渡した。
「飲めるか?」
「え?喉、乾いてませんよ?」
「飲んだ方が早く醒める」
 こんなに気持ちいいのに、醒ます必要があるんだろうか。喉も乾いてないのに。
 つつ、とユリアが視線を逸らす。
「ユリア」
 ヘルマンのしっかりとした声に、条件反射でユリアは視線を戻した。
「飲みなさい」
 青い瞳がひたと自分を見つめている。その目で見つめられて命じられると、体の芯からずん、と痺れるような気がする。
 ユリアはグラスに手を伸ばす。ヘルマンがグラスを傾けて飲ませてくれた。
 つ、と口の端から水がこぼれ、すかさずそれをヘルマンが指で掬い取る。その指をペロリと舐めてから、反対の手で頬を撫でられた。
「飲めたな。いい子だ」
 ユリアはヘルマンの舌に釘付けになっていた。
 褒められた喜びも相まって、うっとりとしたまま、じっとヘルマンを見上げていた。
 ユリアの唇が物欲しげに少し開き、呆然と見上げられ、ヘルマンは知らずごくりと喉を鳴らしていた。
「ユリア」
 ヘルマンは手のひらでユリアの目を覆った。
 そうでもしないと、欲望に任せて襲いかかってしまいそうだ。
「ご主人様……何も見えません」
 ユリアのか細い声がする。
 ユリアはヘルマンの手を両手で取って、それを自分の唇に滑らせた。そのままちゅ、とねだるように唇を押し付ける。
 ヘルマンの固い手の平に。柔らかい部分に。指先に――。
「――ユリア!」
 呼べばユリアは再び視線をヘルマンに注いだ。その目は揺れ、明らかに情欲に濡れている。
「ご主人様を見ていたいのに。ひどいです」
「悪かったから。――手を」
「もっと触れていたいです。駄目ですか?」
「駄目ではないが……」
 ユリアはヘルマンの手を引いた。
「抱きしめて下さい、ご主人様。ずっと抱きしめていて下さい。僕が眠るまで。――ご主人様の腕の中で眠りたい」
「……………」
 目の前のこの青年は、どうやら美しい悪魔だったらしい。
 ヘルマンは一瞬天井を仰いで、覚悟を決めた。
 ヘルマンは背後から、ユリアがすっぽりと収まるように抱き寄せた。後ろから抱きしめる形で腕を回し、これ以上ユリアが悪戯いたずらをしないように両手で両手を覆うように抑える。
 ユリアは背中にヘルマンの温かさを感じてすぐに体重を預けた。
「ご主人様……いつもよりあたたかいですね」
 頭をすりよせると、ちょうどヘルマンの寛げて露出した首元に顔が当たる。すん、と息を吸うようにヘルマンの首元に鼻を当てた。
 びくりとヘルマンが固まる。
「ユリア。寝るんだろう」
 声が固い。不安になってユリアは頬を預けたままヘルマンを見上げた。
 近くで目と目が合う。ヘルマンの青い瞳が、欲に揺れている。それを見たらユリアも体の奥から熱くなるものを感じた。
「ご主人様……」
 小さく開いた唇がヘルマンに寄せられる。
 ヘルマンの瞳は更に動揺した。
 赤く、ぷっくりとした美しい形の唇が、少しずつ近づいてくる。
 物欲しそうに、はあ、と熱い息を吐いて。
 ためらいは一瞬だった。
 ヘルマンの手がユリアの後頭部に回され覆いかぶさるように顔が下りてきて、深く唇が重ねられた。
 瞬間、痺れるような興奮が駆け巡る。
 お互い少しも離れたくなくて、それぞれの唇の感触を確かめるように深く重ねられた。
 やがてヘルマンの舌がユリアの唇を割ってゆっくりと侵入した。
 どうしたらいいのかわからずユリアは体を固くする。ヘルマンはそれを察知して一度唇を離した。
 欲情した視線が絡み合う。
「――嫌か」
 ヘルマンが慎重に尋ねた。ユリアは必死で首を振った。
「もっと。ご主人様」
 夢中で訴える。
「はじめてで……どうしたらいいかわからなくて。ごめんなさい」
 少し目元を赤くして、それでもやめてほしくなくて必死に言い募る。
 ヘルマンは湧き上がる興奮を抑えるのに必死だった。
 だめだ。理性を保たなければ。――壊したくない。絶対に。
 ヘルマンは心を落ち着けるようにユリアの髪を撫でた。するするとつややかな髪がヘルマンの手を滑っていく。
 ヘルマンは再びユリアの唇をふさいだ。
 抑えきることができず、今度は躊躇わずに舌を差し入れ、ユリアの遠慮がちな舌を絡めとる。少し小さな舌を思う存分味わってから、上顎も余すことなく蹂躙じゅうりんする。
「……ん、ん……」
 ユリアが苦しそうな声を上げた。
 ヘルマンはその声に更に興奮し舌を押し入れる。反射的に逃れようとするユリアの後頭部を片手で抑え込み、更に唇を押し付けた。
「息をしろ」
「あ、ん……、んふ――」
 言われたことに必死で従おうとユリアは呼吸を繰り出したが、ヘルマンの舌の動きに翻弄されてくぐもった声が出るだけだった。その声にヘルマンがまた昂ぶる。
 声も漏らせず、ユリアの口の端から唾液が伝い落ちた。苦しくて涙も浮かんでくる。
「んん……うう……」
 苦しくて、気持ちよくて、頭がぼうっとしてきてから、ようやくヘルマンの舌が離れた。
 荒い呼吸を繰り返し、赤い顔、潤んだ瞳。あまりにも情欲的な表情だった。
 それを宥めるようにヘルマンはユリアの唇を舐め取った。
 そんな行為にユリアは今更照れたのか軽く身じろぐ。
 首筋まで赤くなっているのがたまらなく色気を見せている。ヘルマンは背後からその首筋に吸い付き舌を這わせた。
 ユリアがびくりとはね、体を硬くした。
 今までの興奮に突き動かされた反応とは少し違う。
 ヘルマンはそれを敏感に感じ取って、即座に唇を離した。
 ユリア自身も自覚がないのだろうか。見つめられて不思議そうな顔をしている。
「ご主人様?」
「――今日は、ゆっくり過ごそうと思っていたのに」
 ちゅ、と頰に軽いキス。
「ついやりすぎてしまった。酔っ払いにできるのはここまでだ。もう寝よう」
「僕は酔っ払いですか」
 ユリアはそう言ったが、寝ようと言われて、眠かったのを思い出したようだ。
 体をヘルマンに再び預け、もたれかかってくる。そのままベッドに横になった。
 素直に瞼を閉じるユリアにヘルマンはまたキスを落とした。
「ああ、可愛い酔っ払いだ。――おやすみ」
「ご主人様も一緒に寝てくれますか?」
「……………」
 それはなかなかの拷問じゃないか。そう思ったが、ユリアは本気でいっているらしい。
「眠るまでこうしているから」
 ユリアは安心したのか、離すまいと考えたのか、少し体をねじってヘルマンに腕を回した。
 その温かさに安心するかのように程なくして寝息を立てて眠った。
 かなりの量の酒を飲んでいた、無理もない。

 ヘルマンは穏やかな寝息を立てるユリアをじっと見つめた。
 ――危ないところだった。
 口付けて舌を絡めるだけでも、もっと、もっと、と無理矢理押し進めてしまいそうだった。
 この欲情を出してはいけない。
 ユリアには特に、自分の中の怪物は見せたくなかった。
 そもそもこの先に進めることがあるのだろうか。
 今日は酒の力を借りていたが、ユリアは少し触れるだけでも赤面するようなところがある。過去の傷を思い起こすようなことは絶対にしたくなかった。
 いや、無理して進まなくてもいい。むしろ進めてはいけない。
 今のように、世話をして可愛がってやれればそれでいい。
 ヘルマンは自分に言い聞かせるように繰り返した。
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