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第2章
3.朝
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目が覚めて、腕の中にルイスがいない。
一人で寝るのに慣れてないから、あれ、と思う。
ルイスは……そう思いあたりを見渡して、いつもの部屋でないのに気づいた。
ああ、そうだ。昨日は……。
「あ……」
起き上がりながらはっとする。
ここは、公爵邸。しかも客間でもない、ヘルマンの寝室だ。
ユリアは真っ青になってベッドから慌てて抜け出した。
慌てすぎて足がもつれ、こけそうになって――しっかりと抱き止められる。
「急に動くな」
すぐにヘルマンの声がして、ユリアはほっとする。
「気分はどうだ?」
声は優しいが……顔を上げられない。
ヘルマンは答えないユリアの顎を取り、顔を上げさせた。
「どうした」
無理に上を向かされ、顔を覗き込まれる。いたたまれなくて、目を背けた。
「ユリア」
ゆっくりと名前を呼ばれる。
「はい……」
「どうした?こっちを見なさい」
恐る恐る見るヘルマンは、もうすでに起きてだいぶ経つのだろう。すっかり身支度を整えている。
様子を見るように覗き込まれ、恥ずかしくなる。
「気分が悪くはないか」
「大丈夫です……その、僕、寝起きなので……」
ふっと笑って、ヘルマンはユリアの頭を抱き寄せた。
優しい抱擁にほっとしてユリアも頭をもたれかける。乱れた髪を直すようにゆっくりと髪を撫でられる。
「頭は?痛くないか?」
「大丈夫です。すごく寝た時みたいに、ちょっと重いかな、くらいで」
「フェルナンドの言うように、酒豪かもしれないな」
それを言うなら、フェルナンドとヘルマンの方がよほど飲んでいたが……。
「朝食は食べられそうか?」
「はい」
「湯を用意させてある。入ってきなさい」
「え……いえ、流石にそれは!」
ヘルマンが指したのは、よりによってヘルマンの寝室とつながる浴室だ。主人のベッドを奪ったばかりか浴室まで使うなど、とんでもない。
「もう用意させた。行ってきなさい。着替えはそこにある」
見れば、真新しいシャツとズボンまで。
至れり尽くせりすぎないだろうか。
「誕生日くらい、いいだろう」
もともとそのつもりだったらしい。衣服一式も用意してくれていたようだ。
「すみません……」
客室に宿泊する予定ではあったが。どうしてこうなったんだろう。
「洗ってやろうか?」
「なっ……」
「昨日言っていただろう、離れたくないと。――ずっと抱きしめていて、だったか」
「だ、なっ、……そっ――」
あまりの恥ずかしさに、言葉が出てこない。魚のように口をぱくぱくしてしまうだけだった。顔に熱が集中する。
ヘルマンの顔でからかわれたのだと分かる。
「い、行ってきます……」
おずおずとヘルマンから離れ、浴室へと向かった。
ユリアはゆっくりとお湯につかり、昨夜の醜態を思い出し、また再び恥ずかしさに沈むしかなかった。
恥ずかしくとも、いつまでも入っているわけにはいかない。
ユリアはのろのろと浴室から出た。
ヘルマンは待ち構えていたようにユリアの髪を丁寧に拭いて梳き、結い上げてくれた。
食堂で一緒に朝食を取って、一息つく。
屋敷に人は多くいるはずなのに、ほとんど人に出会わないようにしてくれているのもヘルマンの気遣いだろうか。
長期間、ユリアが屋敷に滞在し療養していたことはまだ皆の記憶に新しいだろう。
この半年、補佐官の仕事をしているとあまり屋敷の人間と接触することはない。しかし以前と違って、すれ違うと挨拶を交わすようになった。誰にお世話になったのかもわからないので挨拶以上に話すことはないが、屋敷の人たちが皆一様に好意的な態度で接してくれるのはひしひしと感じた。
公爵邸の人は、皆あたたかい。
きっとヘルマンが優しいからだとユリアは思っている。
以前フェルナンドにその話をしたら非常に変な顔をされたが。
今日は休日なので昼までゆっくりと過ごすつもりだった。
特にすることもなく、ヘルマンと書斎に移動した。
公爵邸の書斎は仕事で時折訪れる。初めて来た時には半分も理解できなかった蔵書が、今はなんとか理解できないものはなくなった。但し、読むことができたのはまだごくごく一部だけだ。
「――何か気になるものはあったか」
しばらくしてヘルマンが声をかけてきた。
「いえ。これだけ多いと、何を読めばいいのか」
「そうだな……今取り掛かっているものでいうと――」
そういって本を二冊選んでくれた。
ユリアはそれを借りて帰ることにする。
書斎には窓辺に広い机と椅子のスペースがあり、少し読んで過ごすことにした。
椅子に座ろうとするとヘルマンに呼びかけられ、手招きされる。長椅子に共に座ろうということらしい。
ヘルマンの横に腰かけると、ヘルマンの腕は腰に回って、ユリアをかかえるようになる。そうなるとついヘルマンを背もたれのように寄りかかってしまう。この上なく落ち着く態勢だ。
「重くないですか……?」
「いや。もっと重くなった方がいいな」
「ヘルマン様はいつもそう言いますね」
ぱらり、と本をめくる音が響く。
光を取るために窓は設置しているが、本棚は光を避けて設置しており、窓の側は結構広いスペースになっている。窓を開けていると夏でも涼しい風が吹き、くっついていても暑いということはなかった。
ヘルマンは本を読まずにユリアの髪をなでたり、一緒に本をのぞいたりしていた。
「――昨日も軽かった」
「きのう……」
ふとした呟きに、本を読んでいるからユリアは反応が遅れた。
そういえば昨日、自分はヘルマンに抱きかかえられて部屋まで運ばれたのだった。
「思い出したか」
固まるユリアを面白そうにヘルマンが撫でた。
「昨日は……本当に、申し訳ありませんでした」
「謝ることはないと思うが」
ヘルマンは少し落ちてきたユリアの髪を拾い、耳にかけた。その耳がほんのり色づいているのを見てそっと唇を寄せた。
「そうだな……私がいるとき以外は、酒を飲むのはやめなさい」
「ふ……」
囁かれるのがくすぐったくて首を竦めてしまう。
ヘルマンはすっと離れて、はあ、と悩まし気な溜息をついた。
「ユリア。そんな声を出して」
「み、耳……くすぐったくて」
はあ、とユリアは息を整えた。
「ご心配なさらなくても、ご主人様以外からお酒を注がれても飲めないと思います」
昨日も、ユリアのグラスにはすべてヘルマンが酒を注いだ。
「ならいいが……」
補佐官になればあちこち出向し、酒の場もあることだろう。――しかしそれもまだ先のことだ。それなのについ心配してしまう。
ヘルマンは両手をユリアの腰に回し、しっかりと抱きしめた。そのまま肩に顔をうずめる。
そういったヘルマンは珍しくてユリアはヘルマンの方を見た。細い黒髪がさらりと肩に乗っているのが見える。
「ご主人様?――お疲れですか」
「いいや。こうして、幸せをかみしめているところだ」
そう言われてユリアも幸せそうに笑った。
「僕と一緒ですね」
ふわりと軽やかに言われて、ヘルマンは視線を上げた。幸せそうな顔をしているユリアが見たくて。
ユリアの目と間近でぶつかる。
自然とそのまま唇を重ねていた。
昨夜とは違い軽い口づけで終わらせるつもりだった。ユリアの唇の感触を軽く確かめるように触れてから離れようとすると、ユリアの手がヘルマンの腕に移動した。
ヘルマンはもう一度ユリアと口づけした。
今度も軽いもので、少しユリアの唇を舐めるだけ。唇は少し開かれていたが唇より先には進まないように、慎重に、それでも少し長く味わってからゆっくりと離れる。
離れたユリアの頬は上気していた。
その顔を見ると自然と笑みがこぼれた。
「ユリア。愛している」
ぱちりとユリアがゆっくりと瞬き、緑の瞳がより輝いて見える。
「ご主人様……」
ユリアの目が、もっと、と言っている。もっと続けて、と。
それが分からないヘルマンではなかったが、躊躇した。
昨日のように深く口付けて、離れる自信がなかった。
ヘルマンの手が宥めようとユリアの頬を撫でる。ユリアはそれに擦り寄ってから、自分の手を重ねた。
ヘルマンの手に口付ける。少し開いた唇から、触れるか触れないか僅かに舌をつけた。
「……っ、ユリア」
頬に触れた手に力を込めて引き寄せ、ゆっくりと唇をまた重ねた。
ふっくらとした感触を確かめてから、少しずつ舌を差し入れる。ユリアの舌が遠慮がちにヘルマンの舌を受け入れた。
昨日よりは落ち着いてゆっくりと絡ませる。
甘く柔らかなそれはいくら味わっても飽きることがなかった。
つい夢中になって味わい尽くしてから、ユリアが苦しげにくぐもった声をあげるのに気づき、離れた。
ユリアが赤い顔で息を整えるのを至近距離で見つめる。ユリアの熱い息にずくりと体の奥から湧き上がりそうな何かがある。
「ユリア、舌を出しなさい」
ユリアは少し驚いて、迷うように視線を少し逸らした。
散々口付けをかわしても、自分から舌を出すのは恥ずかしいらしい。
「ユリア」
ゆっくりと、名前を呼ぶ。
ヘルマンがそういうとユリアはいつも逆らえなくなる。
躊躇いながらゆっくりと舌を突き出してきた。
赤くて小さな、可愛らしい舌だ。
「そのまま――」
ユリアは恥ずかしそうに目を伏せ、赤い顔で、それでも必死に舌を突き出している。
ヘルマンはその舌をゆっくりと味わうように自分の舌を絡めた。
「ふ……んん」
舌を出しているとさらに呼吸が難しくて、声が漏れる。ヘルマンの柔らかな舌に絡め取られながら、どう動いていいのかも分からないままに舐められ、動かされる。
口の端から唾液がこぼれた。
それでもまだヘルマンはやめない。
ユリアの舌を口に含み、味わうように熱い舌を絡めながら、時折優しく歯を触れさせ、舌を吸い――。
ようやく離れていく頃には、ユリアはすっかり脱力してヘルマンの腕に寄りかかっていた。
「――大丈夫か?」
離れても荒い息をして力が入らないユリアに、気遣うようにヘルマンが尋ねる。
ユリアは戸惑っていた。
先程は確かにヘルマンの唇が恋しくて、たまらなかった。
今までも、ヘルマンに何かを請うことはほとんどなかったが、ヘルマンはいつも察して、ユリアの希望を叶えてくれた。
今回もそうだった。
しかし、充足感が得られるはずの口付けがそれだけでは終わらなかった。ヘルマンの舌が動くたび、体の奥底から何かが持ち上がってくるような感覚。
紛れもなく気持ちのいいそれに、ユリアはどこか記憶があった。
暴力的な快感しか知らなかったユリアにとって、内側から湧き出るようなそれには戸惑いしかなかった。
同時に激しい罪悪感が湧き起こる。
なぜかは分からないが、幸せなはずの口付けが深くなるにつれ、確かに心地よいはずなのに、その感覚を覚えてはいけないような恐ろしいような気持ちになる。
この激情に身を任せたくなり、同時にそう思った自分がたまらなく許せないような。
「ユリア」
ユリアの戸惑いを察知したのか、ヘルマンが優しく声をかけた。
現実に引き戻されるようにユリアはヘルマンを見上げた。その瞳が不安げに揺れているのをヘルマンも察した。
「上手にできて、えらかったな。ありがとう」
そう言って先ほどとは違う軽い口付けを額に落とす。
ヘルマンはいつも通り褒めてくれた。
良かった。
ユリアは無意識のうちにあった緊張を解いた。
ヘルマンの優しい眼差しがすぐ近くにある。ユリアも嬉しくなって微笑んだ。
「もう少しゆっくり過ごそう。約束の時間まではまだある」
「はい」
何事もなかったように自然に言われて、ユリアは笑って頷いた。
ルイスはフェルナンドが昼前に送り届けてくれることになっている。
ユリアは再び手元の本に視線を落とす。
少し乱れた髪をヘルマンが整えてくれた。その延長で髪や頬、耳、首筋を撫でられ、時折くすぐったさに笑い声を上げる。
また穏やかで幸せな、二人の時間だった。
一人で寝るのに慣れてないから、あれ、と思う。
ルイスは……そう思いあたりを見渡して、いつもの部屋でないのに気づいた。
ああ、そうだ。昨日は……。
「あ……」
起き上がりながらはっとする。
ここは、公爵邸。しかも客間でもない、ヘルマンの寝室だ。
ユリアは真っ青になってベッドから慌てて抜け出した。
慌てすぎて足がもつれ、こけそうになって――しっかりと抱き止められる。
「急に動くな」
すぐにヘルマンの声がして、ユリアはほっとする。
「気分はどうだ?」
声は優しいが……顔を上げられない。
ヘルマンは答えないユリアの顎を取り、顔を上げさせた。
「どうした」
無理に上を向かされ、顔を覗き込まれる。いたたまれなくて、目を背けた。
「ユリア」
ゆっくりと名前を呼ばれる。
「はい……」
「どうした?こっちを見なさい」
恐る恐る見るヘルマンは、もうすでに起きてだいぶ経つのだろう。すっかり身支度を整えている。
様子を見るように覗き込まれ、恥ずかしくなる。
「気分が悪くはないか」
「大丈夫です……その、僕、寝起きなので……」
ふっと笑って、ヘルマンはユリアの頭を抱き寄せた。
優しい抱擁にほっとしてユリアも頭をもたれかける。乱れた髪を直すようにゆっくりと髪を撫でられる。
「頭は?痛くないか?」
「大丈夫です。すごく寝た時みたいに、ちょっと重いかな、くらいで」
「フェルナンドの言うように、酒豪かもしれないな」
それを言うなら、フェルナンドとヘルマンの方がよほど飲んでいたが……。
「朝食は食べられそうか?」
「はい」
「湯を用意させてある。入ってきなさい」
「え……いえ、流石にそれは!」
ヘルマンが指したのは、よりによってヘルマンの寝室とつながる浴室だ。主人のベッドを奪ったばかりか浴室まで使うなど、とんでもない。
「もう用意させた。行ってきなさい。着替えはそこにある」
見れば、真新しいシャツとズボンまで。
至れり尽くせりすぎないだろうか。
「誕生日くらい、いいだろう」
もともとそのつもりだったらしい。衣服一式も用意してくれていたようだ。
「すみません……」
客室に宿泊する予定ではあったが。どうしてこうなったんだろう。
「洗ってやろうか?」
「なっ……」
「昨日言っていただろう、離れたくないと。――ずっと抱きしめていて、だったか」
「だ、なっ、……そっ――」
あまりの恥ずかしさに、言葉が出てこない。魚のように口をぱくぱくしてしまうだけだった。顔に熱が集中する。
ヘルマンの顔でからかわれたのだと分かる。
「い、行ってきます……」
おずおずとヘルマンから離れ、浴室へと向かった。
ユリアはゆっくりとお湯につかり、昨夜の醜態を思い出し、また再び恥ずかしさに沈むしかなかった。
恥ずかしくとも、いつまでも入っているわけにはいかない。
ユリアはのろのろと浴室から出た。
ヘルマンは待ち構えていたようにユリアの髪を丁寧に拭いて梳き、結い上げてくれた。
食堂で一緒に朝食を取って、一息つく。
屋敷に人は多くいるはずなのに、ほとんど人に出会わないようにしてくれているのもヘルマンの気遣いだろうか。
長期間、ユリアが屋敷に滞在し療養していたことはまだ皆の記憶に新しいだろう。
この半年、補佐官の仕事をしているとあまり屋敷の人間と接触することはない。しかし以前と違って、すれ違うと挨拶を交わすようになった。誰にお世話になったのかもわからないので挨拶以上に話すことはないが、屋敷の人たちが皆一様に好意的な態度で接してくれるのはひしひしと感じた。
公爵邸の人は、皆あたたかい。
きっとヘルマンが優しいからだとユリアは思っている。
以前フェルナンドにその話をしたら非常に変な顔をされたが。
今日は休日なので昼までゆっくりと過ごすつもりだった。
特にすることもなく、ヘルマンと書斎に移動した。
公爵邸の書斎は仕事で時折訪れる。初めて来た時には半分も理解できなかった蔵書が、今はなんとか理解できないものはなくなった。但し、読むことができたのはまだごくごく一部だけだ。
「――何か気になるものはあったか」
しばらくしてヘルマンが声をかけてきた。
「いえ。これだけ多いと、何を読めばいいのか」
「そうだな……今取り掛かっているものでいうと――」
そういって本を二冊選んでくれた。
ユリアはそれを借りて帰ることにする。
書斎には窓辺に広い机と椅子のスペースがあり、少し読んで過ごすことにした。
椅子に座ろうとするとヘルマンに呼びかけられ、手招きされる。長椅子に共に座ろうということらしい。
ヘルマンの横に腰かけると、ヘルマンの腕は腰に回って、ユリアをかかえるようになる。そうなるとついヘルマンを背もたれのように寄りかかってしまう。この上なく落ち着く態勢だ。
「重くないですか……?」
「いや。もっと重くなった方がいいな」
「ヘルマン様はいつもそう言いますね」
ぱらり、と本をめくる音が響く。
光を取るために窓は設置しているが、本棚は光を避けて設置しており、窓の側は結構広いスペースになっている。窓を開けていると夏でも涼しい風が吹き、くっついていても暑いということはなかった。
ヘルマンは本を読まずにユリアの髪をなでたり、一緒に本をのぞいたりしていた。
「――昨日も軽かった」
「きのう……」
ふとした呟きに、本を読んでいるからユリアは反応が遅れた。
そういえば昨日、自分はヘルマンに抱きかかえられて部屋まで運ばれたのだった。
「思い出したか」
固まるユリアを面白そうにヘルマンが撫でた。
「昨日は……本当に、申し訳ありませんでした」
「謝ることはないと思うが」
ヘルマンは少し落ちてきたユリアの髪を拾い、耳にかけた。その耳がほんのり色づいているのを見てそっと唇を寄せた。
「そうだな……私がいるとき以外は、酒を飲むのはやめなさい」
「ふ……」
囁かれるのがくすぐったくて首を竦めてしまう。
ヘルマンはすっと離れて、はあ、と悩まし気な溜息をついた。
「ユリア。そんな声を出して」
「み、耳……くすぐったくて」
はあ、とユリアは息を整えた。
「ご心配なさらなくても、ご主人様以外からお酒を注がれても飲めないと思います」
昨日も、ユリアのグラスにはすべてヘルマンが酒を注いだ。
「ならいいが……」
補佐官になればあちこち出向し、酒の場もあることだろう。――しかしそれもまだ先のことだ。それなのについ心配してしまう。
ヘルマンは両手をユリアの腰に回し、しっかりと抱きしめた。そのまま肩に顔をうずめる。
そういったヘルマンは珍しくてユリアはヘルマンの方を見た。細い黒髪がさらりと肩に乗っているのが見える。
「ご主人様?――お疲れですか」
「いいや。こうして、幸せをかみしめているところだ」
そう言われてユリアも幸せそうに笑った。
「僕と一緒ですね」
ふわりと軽やかに言われて、ヘルマンは視線を上げた。幸せそうな顔をしているユリアが見たくて。
ユリアの目と間近でぶつかる。
自然とそのまま唇を重ねていた。
昨夜とは違い軽い口づけで終わらせるつもりだった。ユリアの唇の感触を軽く確かめるように触れてから離れようとすると、ユリアの手がヘルマンの腕に移動した。
ヘルマンはもう一度ユリアと口づけした。
今度も軽いもので、少しユリアの唇を舐めるだけ。唇は少し開かれていたが唇より先には進まないように、慎重に、それでも少し長く味わってからゆっくりと離れる。
離れたユリアの頬は上気していた。
その顔を見ると自然と笑みがこぼれた。
「ユリア。愛している」
ぱちりとユリアがゆっくりと瞬き、緑の瞳がより輝いて見える。
「ご主人様……」
ユリアの目が、もっと、と言っている。もっと続けて、と。
それが分からないヘルマンではなかったが、躊躇した。
昨日のように深く口付けて、離れる自信がなかった。
ヘルマンの手が宥めようとユリアの頬を撫でる。ユリアはそれに擦り寄ってから、自分の手を重ねた。
ヘルマンの手に口付ける。少し開いた唇から、触れるか触れないか僅かに舌をつけた。
「……っ、ユリア」
頬に触れた手に力を込めて引き寄せ、ゆっくりと唇をまた重ねた。
ふっくらとした感触を確かめてから、少しずつ舌を差し入れる。ユリアの舌が遠慮がちにヘルマンの舌を受け入れた。
昨日よりは落ち着いてゆっくりと絡ませる。
甘く柔らかなそれはいくら味わっても飽きることがなかった。
つい夢中になって味わい尽くしてから、ユリアが苦しげにくぐもった声をあげるのに気づき、離れた。
ユリアが赤い顔で息を整えるのを至近距離で見つめる。ユリアの熱い息にずくりと体の奥から湧き上がりそうな何かがある。
「ユリア、舌を出しなさい」
ユリアは少し驚いて、迷うように視線を少し逸らした。
散々口付けをかわしても、自分から舌を出すのは恥ずかしいらしい。
「ユリア」
ゆっくりと、名前を呼ぶ。
ヘルマンがそういうとユリアはいつも逆らえなくなる。
躊躇いながらゆっくりと舌を突き出してきた。
赤くて小さな、可愛らしい舌だ。
「そのまま――」
ユリアは恥ずかしそうに目を伏せ、赤い顔で、それでも必死に舌を突き出している。
ヘルマンはその舌をゆっくりと味わうように自分の舌を絡めた。
「ふ……んん」
舌を出しているとさらに呼吸が難しくて、声が漏れる。ヘルマンの柔らかな舌に絡め取られながら、どう動いていいのかも分からないままに舐められ、動かされる。
口の端から唾液がこぼれた。
それでもまだヘルマンはやめない。
ユリアの舌を口に含み、味わうように熱い舌を絡めながら、時折優しく歯を触れさせ、舌を吸い――。
ようやく離れていく頃には、ユリアはすっかり脱力してヘルマンの腕に寄りかかっていた。
「――大丈夫か?」
離れても荒い息をして力が入らないユリアに、気遣うようにヘルマンが尋ねる。
ユリアは戸惑っていた。
先程は確かにヘルマンの唇が恋しくて、たまらなかった。
今までも、ヘルマンに何かを請うことはほとんどなかったが、ヘルマンはいつも察して、ユリアの希望を叶えてくれた。
今回もそうだった。
しかし、充足感が得られるはずの口付けがそれだけでは終わらなかった。ヘルマンの舌が動くたび、体の奥底から何かが持ち上がってくるような感覚。
紛れもなく気持ちのいいそれに、ユリアはどこか記憶があった。
暴力的な快感しか知らなかったユリアにとって、内側から湧き出るようなそれには戸惑いしかなかった。
同時に激しい罪悪感が湧き起こる。
なぜかは分からないが、幸せなはずの口付けが深くなるにつれ、確かに心地よいはずなのに、その感覚を覚えてはいけないような恐ろしいような気持ちになる。
この激情に身を任せたくなり、同時にそう思った自分がたまらなく許せないような。
「ユリア」
ユリアの戸惑いを察知したのか、ヘルマンが優しく声をかけた。
現実に引き戻されるようにユリアはヘルマンを見上げた。その瞳が不安げに揺れているのをヘルマンも察した。
「上手にできて、えらかったな。ありがとう」
そう言って先ほどとは違う軽い口付けを額に落とす。
ヘルマンはいつも通り褒めてくれた。
良かった。
ユリアは無意識のうちにあった緊張を解いた。
ヘルマンの優しい眼差しがすぐ近くにある。ユリアも嬉しくなって微笑んだ。
「もう少しゆっくり過ごそう。約束の時間まではまだある」
「はい」
何事もなかったように自然に言われて、ユリアは笑って頷いた。
ルイスはフェルナンドが昼前に送り届けてくれることになっている。
ユリアは再び手元の本に視線を落とす。
少し乱れた髪をヘルマンが整えてくれた。その延長で髪や頬、耳、首筋を撫でられ、時折くすぐったさに笑い声を上げる。
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