あたたかな鳥籠を君に、優しい口づけをあなたに

サイ

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第2章

8.わかり合いたい

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 フィンの部屋はユリアの寮より小さく、三人入れば少し狭いくらいだ。ベッドが置かれていて、その前にクッションが一つ。衣装台が一つ。それでもうほとんどスペースはない。
「フィン、わかってるよな。無茶したら、オーナーも庇いきれないからな」
「うるさいな、さっさと出てってよ」
 下働きの男は早々に去っていった。
 取り残されて、ユリアは居心地も悪く入り口に立ったままフィンを見ていた。
 フィンはベッドの上で布団にくるまったままこちらを見つめていた。
「補佐官なら町の視察するだろうから張ってろって言ったら、まさかこんなにすぐ見つけて来るなんてね」
 幸いというべきか、フィンは落ち着いていた。
「ご用件は」
「そんなところに立ってないで入りなよ。むさくるしい場所だけどさ」
「いえ、ここでいいです」
「――あんたいくつ」
「十八ですけど」
 フィンは舌打ちした。
「若いのに乗り換えるってわけ」
「僕は補佐官ですから」
「知ってるよ。補佐官で、ヘルマン様の夜のお相手もしてるんでしょ?だから俺の事はもうお役御免ってわけだ」
 今までとは少し雰囲気が違う。なんというか……育ちの良さがなくなっている。
「――あの。なんで僕を探したんですか」
 フィンは座ったままじろり、とユリアを睨んだ。
「単純に、俺の後釜に興味があったからだけど?」
 その言葉にユリアは眉を寄せる。ただ、フィンに言われる分にはさほど傷つかなかった。
 フィンは布団を押しのけて、そばにあったグラスから水を一気に飲み干した。
「あんた、いつからヘルマン様のところにいるの?」
「十四の時です」
「なんだよそれ!」
 フィンがガン、とグラスを置いた。
「俺は十八の時からずっと、ヘルマン様にご指名いただいてたんだよ。五年間ずっと。それがぱったりなくなったのが三年前!あんたのせいじゃん!」
 ユリアのせいかどうかはともかく、つまりフィンは二十六歳ということだろうか。とてもそうは見えなくて驚く。
「――何だよ、その顔」
「いえ。お若く見えるな、と」
「はあぁぁー?」
 フィンが変な声を上げた。
「なんだよもう、調子狂うんだよね」
 フィンはそのまま再びベッドに転がった。ドスン、と大きな音がする。
「――あぁあ。一番の上客だったのに」
 その言い方はもう諦めがついているようで、ほっとする。朝はよく顔が見えなかったが、フィンはヘルマンに執着していると思っていたから。
「あんた。顔に安心したって書いてる」
 フィンが大きなため息をついた。ゴロゴロと転がるからシーツがぐちゃぐちゃになっているが、特に気にならないらしい。
 鳥の巣の様なベッドの中でフィンは肘をついてこちらを見上げた。
「あんたもさ。十八には見えないけどね。どう見ても子供じゃん。それも発育の悪い子供。細くて抱き心地も悪そう」
 いきなりそしりの連続である。
「その金髪に緑の目、明らかに観賞用じゃん。貴族じゃないの?」
「平民です」
「へえ……よく無事でこれたね。あんたみたいのって、好き者からしたら垂涎ものだろうに」
 言っていることの意味が分からない。
「天然で、なぶって、いたぶって、泣かせたくなるってこと。無自覚なところが余計危ないんだよ」
 恐ろしくなって身構える前にフィンが手を振った。
「あ、俺はそんな趣味ないからね。俺はされたいほうだから」
 だからこの仕事は天職なんだ、という。
 天職。
 ユリアは意外な気持ちだった。男娼というのは、もっとつらい境遇のものたちがしている仕事だと思っていた。
「あの、その仕事って何歳くらいまでやるんですか」
「人によるけど、ここは三十ちょいくらいかな。お肌の張りが悪くなると売れなくなるでしょ。俺もあと数年だなー」
「その後は、何をするんですか?」
「決めてない。身請けされるのも自由がないし。安宿に行く奴もいれば、これまで稼いだ金で事業始めたり、オーナーの仕事手伝ったり」
「路頭に迷うようなことはないんですか」
「ないない。少なくともモンクレアではない。俺たちには年金があるから――ちょっと、なんでそんなこと聞くんだよ」
「あ、今後の参考に……。僕、未成年だったので今まで歓楽街の仕事は任されてこなかったし、未知の領域だったので」
「真面目か!」
「年金ってことは、やっぱりそれがないと立ち行かない人もいるんですよね」
「そりゃ、病気とか……あのさ、この話続けないとだめ?」
「あ、そうですね。自分で調べます。――じゃあ最後に、もっとこんな制度があったらなって思うことはありますか」
 フィンは呆れたように叫んだ。
「ない!満足してるよ!ありがとな!」
「あ、いえ……そこは公爵様のお力ですから」
 ユリアが照れているのを見て、フィンが脱力した。またベッドに転がる。
「ほんっと、変な奴だなあ」
「僕、ここには視察に来たので。一番大切なのは、やっぱり仕事なんです。――それを思い出しました。ありがとうございました」
「いやいや。ヘルマン様の事も大切でしょ」
「それはもちろんですけど……」
 ユリアは思い出して暗い気持ちになる。
 まだヘルマンの元に戻る気にはなれなかった。
「心配しなくてもあんたのご主人様を取ろうなんて思ってないよ。あんた、ヘルマン様が好きなんでしょ?俺たちの間に愛とかないから」
「それにしては随分と……」
「営業だよ、えいぎょう!本当に好きなら三年も放置されて待ってたりしないよ。目の前に金塊が現れたら誰だって飛びつくでしょ」
「金塊……」
「お金を落としてくれる上に、相性が抜群だったからってだけ。ヘルマン様だってわかってる。――この仕事してて、愛なんて語りだしたら、もう終わりだよ」
 フィンが、はあ、と大げさにため息をついた。
「ヘルマン様ほどわかってくれる人いないのになあ。ぎりぎり限界まで、ちゃんとわかってしてくれるんだ。あの幸せったら」
 ユリアは視線を落とした。
 ヘルマンの手を思い出していた。
 すべてを委ねたいと思えるあの手。ヘルマンはいつも、ユリアがつらくなる手前で気づいて、優しく気遣ってくれる。
「――でもま、別を探すよ。俺をいたぶってくれる可愛いご主人様を探すよ」
「いた……え?」
「――俺は、普通にちゅっちゅあははには興味ないの!しゃぶるなら喉ガンガン突かれたいし、やるなら縛られて殴られて、髪の毛掴んで振り回されて、無茶苦茶にされないと勃たないの!」
「えっ…………そんなことしたら」
 つらいじゃないか。激しく狼狽えるユリアを気にせずフィンはごろん、と仰向けになった。
「そしたら、苦しくて痛くて、――安心する」
 まさか。ヘルマンはそんなことをしていたのだろうか。想像ができなくてびっくりする。
「俺、修道院に捨てられてさ。ここに来るまでは散々だったけど、今は満足してんだよ」
 ――修道院。
 その言葉に、ユリアは愕然とした。
 もしかして。同じような境遇の人が沢山いるんだろうか。
 自分もあのままあそこにいたら、ここにいるのはユリアだったんだろうか。
 古い記憶が呼び覚まされる。
「――ちょっと、大丈夫?」
 あまりの顔色の悪さにフィンが声をかけた時。
 ノックの音と、ドアが開くのが同時。すぐ横のドアが開いて、ヘルマンがぬっと押し入ってきた。
「ユリア」
 ヘルマンはユリアを見てはっとし、その青い顔に手を伸ばした。そっと頰を撫でる。
「どうした。顔色が……」
 ヘルマンが腕の中にユリアを包み込んだ。
 いつもの安心する香りにユリアは徐々に血の気を取り戻していった。
 どうしてヘルマンに会うのを避けていたのかも、もう忘れてしまったようだ。
「ご主人様、どうして」
「知らせをよこしただろう?ここに向かうと。そんなことを聞いたら、心配で来ないわけには行かない」
「ご主人様……」
「すまない。ちゃんと話すから。全部、聞いて欲しい」
 ユリアは少し躊躇した。
 ヘルマンの口から聞くのは、少し怖い。
 ヘルマンはユリアの前に膝をついた。ユリアの両手を取り、そこに祈るように額を寄せた。
「――君に、聞いて欲しい」
 ユリアはどきりとした。
 親密な、これから先ずっと共に歩む恋人として、聞いて欲しい。きっとそういう意味だ。
「わかりました」
 ヘルマンはほっとした顔をして、立ち上がった。ユリアの腰を抱いてドアに向かい、フィンを振り返る。
「――今後ユリアに用がある時は私に声をかけてくれ」
「大事なんですね。――ま、物足りなくなったらいつでもどーぞ」
 ヘルマンの手がぴくりと反応した。
 一瞬の沈黙。
「お前には感謝しているが……そんな日は来ない」
 


 再び、ヘルマンの部屋。
 ヘルマンはユリアと共にソファに腰掛けた。
 ずっと手は繋がれたままで、ここまで来た。今は横にぴったりとくっついている。
「大丈夫か?」
 先ほど顔色が悪かったからか、まずは顔を確認される。
「色々と……辛いことを聞かされたか」
「あ、いいえ。いい人でした。なんと言うか……勉強になって」
「だが、顔色が良くなかった」
「それは……」
 思わずぎゅっと手を握る。ヘルマンの手を握りしめることになり、ヘルマンが心配そうに覗き込んだ。
「少し違っていたら、あそこにいたのは僕だったかもしれないって思ったんです」
 ユリアは深呼吸して、呼吸を整えた。
「フィンさんも、始まりは修道院だったって。僕も……」
 ヘルマンの目が見開かれた。修道院からの話は初耳だ。
「始まりはそこだったんです。院長は、仕込んで、出荷する、って言っていました」
「少し前……全国的に人身売買が横行していた時期があったんだ。その温床となっていた各修道院に密偵をやって大々的に取り締まった」
 ヘルマンも国王に請われて数か所に密偵と兵を派遣した。まさかそのうちの一つにユリアがいたとは。――当時の報告書は目を覆いたくなるものばかりだった。
「じゃあ、あの人は密偵だったんですね。――その日、修道院が燃えて、僕は解放されたんです」
 あの人がユリアを自由にしてくれたのはきっと意図してのことだと思う。
 ユリアはあの燃え盛る炎を思い出した。
 激しく燃えて、何も寄せ付けない強い炎。
 ユリアが黙り込んだので、ヘルマンはそっと肩を抱き寄せた。
「私が知らないところで、君がつらい思いをしていたのが……耐え難い」
「でも、救っていただきました」
 ユリアは意を決してヘルマンを見た。
「だから、何でも話してください。ご主人様が僕を愛していると言ってくださったように、僕も、ご主人様を心からお慕いしています。だから、聞きたいです」
「ユリア……」
 ヘルマンは眉尻を下げてユリアの髪を撫でた。
「以前、私は君を縛り付けてどこにもやりたくないといったのは覚えているか」
「――はい」
 ユリアが倒れた時だ。自分には価値がないと焦るユリアを、ヘルマンは何もしなくても、かけがえのない存在だと言ってくれた。
「それが私の欲だ。――愛する人を縛り付けて、この手に収めたいと思っている」
 それは以前も言っていた。けれどヘルマンはユリアに無理強いをすることはなく、今まで丁寧に愛してくれた。
 ユリアが呑み込めていない様子にヘルマンは自嘲気味に続ける。
「自分の中の欲望に気づいたのはまだ十代のころだった。普通の、男女の慈しみ、愛し合うような恋愛に興味が持てなかったんだ。――欠陥だと思ったよ。仲のいい両親を見ていたから尚更かな」
 ヘルマンはユリアの髪を撫でながら、慎重に言葉を選んだ。
「そのうち、自分の中でその欲望が膨れ上がるのを感じた。それが性欲と重なっているのに気づいた時、絶望した」
「欲望、ですか……?」
「ああ。そんな時にフィンに会った。フィンは私の欲望をすぐに見抜いて。――そして、この欲望を、何もおかしな事ではないと……むしろもっと、と悦んでいた。正直、救われた。怪物でないと言われたようで」
「……………」
「欲が満たされるところもあったが、何より、人として認められたのが大きかったんだろうな。一時期、のめりこんだ。――感情を伴わない分、欲の発散だけに注視できたとも言える」
 いつの間にかヘルマンの手が止まり、ヘルマンは自分の手を見つめていた。
「だから、怖かった。本当に愛する人ができた時、私はこの怪物を抑えることができるのかどうか、と。――しかも君はきっと、そういった行為に人一倍恐怖心がある」
 つまりヘルマンは欲望を抑えてユリアと接しているという意味だろうか。
 十分に理解できなくて、それが伝わったんだろう。ユリアの表情を見てヘルマンが軽く笑った。
「大丈夫だ。不安に思わないでほしい。――そういう顔をさせたくなくて、隠していたんだ。度々君の方から誘惑してくれて、すごく興奮したし、最後まで身体をつなげなくても心が満たされていて、私は幸せだと……それを伝えたかったんだ」
「でも、僕は、ご主人様とつながりたいと思っています」
「――そうだな、そのうち……」
「おぞましい記憶しかないことも、ご主人様が塗り替えていってくれるって思います。――だから、ちゃんと、ご主人様がどうしたいのか、教えていただきたいです」
 ヘルマンがあまり乗り気ではないから、ユリアは少し身を乗り出すようにして言い募った。
「嫌なら言う、って言ったじゃないですか。言っていただかないとわからないです。僕にどうしてほしいのか」
 ヘルマンは青い瞳を揺らした。
 迷っているのだ。自分の欲をどこまでさらけ出すのか。
「――まだ僕が信じられませんか?言ったら僕が離れて行くと思いますか」
「いや。信じている。――無理をさせたくないんだ。私を慕ってくれている君が、忠誠心で無理をして傷をえぐるようなことは」
「ご主人様、僕、はじめからご主人様は違うって、言ってましたよね」
 リベイア地方で、二人で出かけた湖水地方で。
「僕にとっては、何をされるかじゃなくて、誰にされるかなんです。だからご主人様が何をしても、きっと嬉しいはずです。それに僕は、忠誠心ももちろんありますけど、あ、愛してますから。だからですよ」
 多分、出会った時から。ずっと惹かれていた。
 ヘルマンは珍しく固まって、その後幸せそうに目を細めた。
「ユリア。――初めて愛していると、言ってくれた」
「すみません。なんだかおこがましくて……なかなか言えなかったんです」
 ヘルマンは照れて少し赤くなるユリアをそっと抱きしめた。
「嬉しい。ユリアから言われると。胸が……熱い」
 少し声が掠れているようで、ヘルマンが本当に喜んでいるのだとわかるから。ユリアも嬉しかった。
「信じてくれますよね」
「………………」
「大丈夫です。えっと……フィンさんに聞いたやつですよね。咥えて喉まで突いて、殴って、髪の毛掴んで――」
「まて。なんだそれは。そんなことはしない」
 ヘルマンがぎょっとしてユリアから離れた。
「あ、そうなんですね」
 ユリアはほっとした。
 ヘルマンは愛おしそうにユリアの顔を撫でた。
 自分のために精一杯、できる限りをしてくれようとするユリア。無理はさせたくないのに、愛おしすぎて、堪らない。縛り付けて、締め付けて、手の中で震えながらもその緑の瞳を自分に向けて、助けてほしいと懇願する様子を想像してしまう。
 厭わしい感情。しかしそれをユリアは受け入れたいと言ってくれた。
 だったらいいだろうか。このままユリアをこの手に閉じこめてしまっても……。
「ご主人様。お腹すきませんか」
 ユリアが行って、ヘルマンはそういえばと思い出す。
 もう昼をとうに過ぎてしまった。二人とも朝ご飯を抜いていたので、一通り落ち着くと空腹を思い出した。
「シェフに申し訳ないですが、用意してほしいと伝えてきますね」
「――いや、私が行って来る。君は休んでなさい」
 そういってヘルマンはちゅ、と頬にキスをして離れた。
 ヘルマンの世話焼きが再開して、ユリアも嬉しくなった。
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