あたたかな鳥籠を君に、優しい口づけをあなたに

サイ

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第3章

3.

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 ルイスが食事を止めて改まったので、ヘルマンも食事を中断させた。
 手を上げて人を下がらせる。
「どうした」
「ちょっと調べてみようと思って。その……」
 なんと言っていいのか少し迷ってるのを察して、ヘルマンが言った。
「ファルト伯爵家のことか」
「なんで」
「今回の旅はベンの父親を捜しに行くんだろう?だったら自分も、となってもおかしくない、と今思った。違ったか?」
「ううん」
「ユリアに言いづらいというのもわかる」
「うん……」
「別に言っても大丈夫だとは思うが。心配はかけたくないか」
「リアは、僕に全然昔の話をしないから……公爵様には、しますか?」
「あまりしないかな」
 ということは、少しはするのだろうか。
「どんな……」
「そうだな。いいご両親だったと聞いている。厳しいところもあったが、歴史ある伯爵家を継ぐためにどうあるべきか、教わったのだと。ユリアを見ていてもそうだろうと思う」
「僕の、両親は?」
「それは……聞いたことがない。お姉さんとはあまり言葉を交わしたことがないと。幼い時に嫁いでいって、帰ってきてすぐに事件があったから」
 少しの沈黙。
「――調べたいのなら協力するが」
 商人である父親は生まれる時に処刑されている。母親はまだ行方をくらませたままだ。もっとも、誰も探していないのだが。
「実はちょっと前、廊下でリアと公爵様が話してるの聞いたんだ。でもリアは調べるのにまだ乗り気でなかったから。嫌かなと思って」
 廊下で……ああ、とヘルマンが頷く。
「どうかな。どちらかというと、向き合うのが嫌というよりは……それどころでもないという様子だが」
 ユリアの優先順位としては、なんといっても補佐官の仕事である。
 補佐官の仕事はやはりとんでもなく忙しく、全力を注いでいる。ユリア自身もそこまで器用な方ではないので、同時進行で調べるのは難しいのだろう。誰かに頼むようなことでもない。
 ルイスはそれを聞いて意外だった。
 てっきり、まだ向き合う心の準備もできていないのだと思っていた。
「まあ、悲しむ暇もなくここまで来て、というところはあったが。最近は少しずつ話に出ていることろを見ると、受け入れる余裕もできているのかもしれないな」
 こればかりは、ユリア自身の心の問題なので早めることも遅らせることもできない。
 見守るだけだ。
 それを聞いて、ルイスはふときいてみたくなった。誰にも聞けない、知りようがないと思っていたこと。
 ごくりと唾を飲み込む。
「あの……リアは、伯爵が捕まった後の事……ここに来るまでの事は」
 ヘルマンは微かに身構えるようにした。慎重に、ルイスが何を言おうとするのか窺っているようだ。
 少し沈黙が流れ、ヘルマンの方が口を開いた。
「どこまで覚えてる?」
「あんまり……」
 燃える建物。ユリアの腕の中。たくさんの衝撃、ユリアに抱かれて、守られて。
 それだけだ。
「リアが守ってくれてた。リアは、いつも血を流してた」
 当時の記憶を探るようにルイスは目を閉じた。
 包むように抱き抱えられて、何も見えなかった。真っ暗で。ユリアを通じて衝撃を感じ、見上げると、ユリアの緑の目と目が合う。
 ポタポタと顔に暖かい感触を感じ、ユリアに手を伸ばすと、ぬるりと赤い血がルイスの手についた。
 ユリアは何も言わなかった。黙ってじっとルイスを抱いていた。その災害が通り過ぎるのを、いつもじっと耐えるしかなかった。
「そうか……」
 首都の貧困街の頃の記憶だろうか。
 ヘルマンはルイスの読みづらい顔を窺った。
 放浪の約二年の話は、ある程度ユリアから聞いている。最もおぞましい部分は知らないものの、それでも物乞いとして攻撃されていた頃の記憶は少しあるようだ。
 ユリアの体の傷の多くはその頃にできた。おそらく毎日のように傷つけられていたのだろう。
「それは、つらかったな」
 ルイスは首を振った。
「痛い記憶はひとつもない。いつもリアが守ってくれた」
 淡々と語るルイスに、ヘルマンは痛ましい顔をする。
 しかしルイスも傷を知らない子供ではなかった。
 聞き分けの良すぎる子供。誰かと一緒じゃないと眠れない子供。
 ユリアにべったりなようで、急に距離を置く子供。
 子供らしくないそれらを、どうしてやればいいかわからずただ見守るしかしてこなかったが。
 ルイスの目は暗く光っていた。
「僕は、その頃のことをほとんど覚えてないけど。リアがいろんなことに苦しんでたのは知ってる。夜中に何度も飛び起きてたのも、隠れて何度も吐いてたのも。そのせいでいまでも消化の悪いものが食べられない。人混みが苦手で、大人の人が苦手で、誰かが言い争う声を聴くと震えてる」
 何があったのか知らないけど。どこまでひどい目に合えばあれほど恐怖の中で生きることになるのか。
「――今では、もうずいぶんと克服しているだろう」
 ヘルマンが優しい声で言った。ルイスが小さい時にあやしてくれたような優しい声だ。
 その言葉でルイスは察した。ヘルマンは知っているのだ。その二年間に何があったのか。ユリアが話したのだろうか。そしてゆっくりとヘルマンが癒してくれているのだろうか。
 こうやって、ユリアのことを支えているとわかるから。ルイスは安心して任せられる。
「……うん。でも、だから、リアには、もう絶対、傷ついてほしくない」
 ヘルマンは眉を寄せた。
「だからといって、お前が早くユリアから離れることはない」
 ヘルマンは気掛かりだったことを口にした。
「無理をしているんじゃないのか」
 初めて会った日、街の祭りに行った時には年相応に遊びはしゃいでいた。次に会った屋敷でも、ヘルマンを見るなり泣き出して、それも年相応だと思った。
 しかしその後、傷ついたユリアにいざ会ったら、遠慮したのか、すぐに帰ると言い出した。
 そして、ユリアがいるのが当たり前じゃないから、と。まだ五歳の子供が。
「無理してないよ」
 ルイスはきっぱりと言った。
 ――僕が側にいたら、リアはいつまでも……。
 ルイスはその台詞を飲み込んだ。それを言ったら、そんなことはないと皆言うだろう。わざわざ言う必要はない。
「本当に、ただ公爵領の外に行ってみたいと思ってる」
「そうか」
「マッカリ―から帰ったら、次はフォルト伯爵家の事件のことを調べたい」
「………………」
「リアには内緒で。力を貸してください」
 ヘルマンは考え込むように口元を押さえた。そうして少し黙ってから、ゆっくりとうなずく。
「準備をしておこう」
 ルイスは立ち上がって頭を下げた。
「ありがとうございます」
「ただ、約束してほしい」
 ヘルマンは、こつん、とルイスの懐の短剣を指で弾くように触れた。
「あくまでも私の指示下で調査を行う、ということ」
 ルイスはそれが意味する本当の意味をすぐに察した。
 調査はルイスがするのではなく、ヴェッターホーンが行うものをルイスが代行しているという体を取ると。つまりはヴェッターホーン公爵家の庇護のもとで行動するということだ。
「――はい」
 ルイスはもう一度深く頭を下げた。



 数日後、雪景色の中ルイスとベンは出発した。
 ベンは日雇いの仕事でお金をため、ルイスは区切りのいいところで教師の手伝いを終え、給金をもらった。旅費としては十分だ。
 乗合馬車を使い、途中の町で一泊して、目的地に到着する。
 宿を見てから決めよう、ということになって見てみたら、何とか泊まれそうだったので結局野宿はしなかった。
 初めての旅は順調に進み、目的地に到着した。
 目的の街には浮浪者が多かった。話しかけられそうになるたび、ベンがルイスの手を引いてくれるのでほとんど接触はないが。
 子供の物乞いもいた。つい見てしまい、ベンに「あんま見んな」と腕を引かれる。
 ベンの父親という男は、街のはずれで、今にもつぶれそうな小屋に住んでいた。
 酒臭い息を吐きながら、ベンが名前を告げても全くわかっていなかった。サラに出した手紙を見せると、慌てて取り繕うように家に招き入れてくる。
 家の中もゴミだらけで汚れていた。中に一歩入った瞬間、目の端にネズミが走るのを見て、ルイスは回れ右をした。
「僕、ここで待ってる」
 そういってドアの外で待っていたのでどんな話がされたのかはわからないが、ベンはほとんど待つことなく出てきた。
「――お待たせ」
 飄々とした顔をして家を出てきたので、どうだったのかよくわからなかった。
「もういいの?」
「ああ。寒かったろ。あったまりに行こうぜ」
「僕はまだ平気だけど」
「いいの、話は終わったから」
 ベンがそっけなく言って、男の人の見送りもなかったので、そんなものかとルイスはベンについて行った。
 昼過ぎだったので食堂に入る。せっかくだからマッカリ―名物を食べて帰ろう、ということになり、二人で鴨肉の燻製を注文した。
「――どうだったの?」
「ろくでなしだった」
 きっぱりと吐き捨てるように言った。
「なんて言われたの」
「まず、第一声にお金がないって言われた」
「あー……」
「見りゃわかるっつうの。それで、母さんのところに一緒に連れて行って、養ってほしいって」
 酔っていたからか、ベンと同じく直球型なのか、本当にそう言ったらしい。
「俺もお金がないから無理だって言って断った」
「すぐ引き下がったんだ」
「俺の名前も年も知らなかったしな。馬鹿な真似したら痛い目見るって言ったらすぐ引き下がった」
 料理が運ばれてきて、ベンはすぐさま肉にかじりついた。
「あれが父親じゃあ、俺が頭悪いのも納得だわ」
 ルイスはやれやれと肩を竦めた。
 淡々としているように見えて、それなりにショックだったのだろうか。
 いつもは物事がうまくいかなくても、本当に気にしない楽天家だ。その上自分を卑下するようなことを言ったのを聞いたことがない。
 ほとんどを直感で生きているから後悔するようなこともないし、迷ったり悩んだりといった様子を見たこともほとんどない。
「おいしいね」
「ああ……」
「ショックだった?」
「んー。予想通りだけどな。ちょっとでもまともな人間なら、母さんが捨てたりしないと思う」
「そう」
 慰めるのも違う気がしてルイスは黙って食事した。
 食べ終わって水を飲み干してから、ドン、とベンがテーブルにコップを置く。
「さて。帰るか」
「うん」
 今から出れば、夜にはまた中継地点の街に帰れる。中継地点の街はもうヴェッターホーン領だから、そっちで泊まる方が安全だ。
「ルイス、そういえば物乞いの子供めっちゃ見てたけど。気になった?」
「うん。――僕、小さい時リアとああやっていたことがあって」
「へえ……」
「でもあんまり覚えてないんだ。見てたら何か、思い出しそうな気がして」
「思い出したいのか?」
 聞かれてルイスはまじまじとベンを見た。そう聞かれるとは思わなかった。どうだろう。
「わざわざ思い出すようなことか?どうせろくでもない記憶なのに」
「そう……かな」
 ルイスは頭の中の記憶を探った。
 ボロボロの服に包まれた自分たち。ユリアの緑の瞳。――それ以上はやっぱり思い出せない。
「でも、知らないままで済ましたらいけない気がして。僕のせいでリアはあんなに傷だらけなのに」
 ベンがしばらくルイスをみつめて、ポツリと言った。
「俺の一番昔の記憶……母さんの涙なんだよな」
「え、そうなの」
「なんで泣いてたかわかんねえけど。その顔、忘れられねえ。もしかしたらあの男と別れた時なのかもな。俺の記憶にあいつはいないから」
「そっか……僕も、一番初めの記憶、リアの顔」
 ルイスはぎゅっと手を握った。頭が痛くなりそうな気がして、眉間にしわが寄る。
「泣き顔?」
「ううん。リアは僕の前では泣かない」
 ベンがつん、と眉間を押した。
「怖い顔してるぜ。また頭痛いのか?」
「――ううん」
 ルイスは知らず入っていた肩の力を抜いた。
「リア、笑ってた。その時、僕、なぜかそれがものすごく怖かったんだ」
「ユリアさんの笑顔が?」
「笑顔っていうか。うん……」
「大丈夫か?顔色悪いぞ」
 夢で見た火事の光景が浮かび、遠くで耳鳴りの様なものがした。
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