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第3章
4.
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ルイスとベンが公爵邸に帰ってきたのは翌日の夕方だった。
街の場所乗り場から歩いて寮まで帰っていると、寮の入り口でユリアが待っていた。
「ルイス!」
ユリアはルイスを見つけると走り寄ってくる。
いつものようにぎゅっと抱き合ってから、ルイスはユリアを見下ろした。再会の抱擁はいつものことだが、自分が帰ってきた側で見下ろす側というのは、いつもと逆で新鮮だ。
「ただいま、リア」
「おかえり!そろそろかなと思って、待ってた」
ユリアの頬は寒さで鼻まで赤くなっている。
「予定通りじゃないかもしれないのに」
「なんか。落ち着かなくって」
ユリアはそう言ってルイスの顔を両手で包み、まじまじと見つめた。
「――大きくなっちゃって」
ルイスはおかしくて笑った。
「なに?背の事?」
「違うよ。僕はルイスが無事か心配で、そわそわしてたのに。何でもないことみたいに行って帰ってきちゃって」
「楽しかったよ。どれも、初めて見るから」
何もかも新しい経験で、楽しかった。
「うん。いい顔してるね」
ユリアが嬉しそうに笑った。もう一度抱き合ってから離れる。
「今日泊まってもいい?色々聞かせて」
「仕事大丈夫なの?」
「うん。ひと段落着いた」
「そうなんだ。お疲れさま」
ベンがじゃあ、と言って別れる。
ユリアとルイスは二人で寮にもどり、食事をしてゆっくりした。
乗合馬車のこと、旅で見かけた珍しいもの、少し汚い宿、初めて目にするもの。それから、ベンのお父さんの事。ひとしきり話してから、それぞれのベッドに入った。
「――また、どこかに行くの?」
「うん。いいかな」
「いいよ。そんなに楽しそうだなんて、驚いてる。でも本当に気を付けてね」
ルイスが生き生きとやりたいことを見つけたのなら、ユリアにとっても嬉しい。
「ベンと一緒だから大丈夫だよ」
「行き先ちゃんと教えてね。公爵様にも」
「うん」
注意事項を延々と語りながら、ユリアはいつの間にか眠っていた。
窓から入る月と星の灯りに照らされた顔を、ルイスはじっと見つめていた。
しばらくすると、ヘルマンから連絡があった。
またしても寮まできてくれたデニスに渡されたのは、ヘルマンの流麗な文字で書かれた一言だけの手紙だった。
『十六時、書斎』
来いと言うことだろう。
ユリアに内緒でと言ったことを守ろうとしてくれているようだ。
執務室と書斎は近いが、用事がなければ会うことはないだろう。
フェルナンドと勉強を始めた頃から、書斎にはいつでも入ってよいとヘルマンに許可をもらっていた。屋敷に行って執事の誰かに声をかければ入れてもらえる。
よく利用するのでふらりと立ち寄っても誰も疑問には思わない。
冬なので書斎はすでに暗くなりかけていた。久しぶりに会った執事長が気を利かせて蝋燭を渡してくれたので、それを机の上に設置する。
西日が差さない位置に窓が設置されているせいか、暗くなるのも早く感じる。
ヘルマンを待つ間適当な本を読みながら時間をつぶした。
程なくしてヘルマンがやってきた。
「来ていたか」
「公爵様」
入り口から声をかけられ、ルイスは席を立った。
「こんばんは」
「何を読んでいたんだ」
「新編・経済論」
「――面白いか」
「あんまり」
言ってルイスは本を片付けた。新と書いてある割には真新しいことはなかった。
書斎の中の本で興味がある分野はほとんど読んでしまった。何気なく取った本だったかが、やはり興味はない。
「座りなさい」
言われたので、中央の椅子に座る。ヘルマンは目の前の机に書類の束を置いた。かなりの厚みがある。
「これは……?」
「とりあえず、こっちは裁判記録と資料の写しだ」
「――え、もう」
ぱらぱらとめくってみると、裁判で使用された資料と裁判の概要の記録だった。見知らぬ人の名前が並んでいる。
「裁判記録の見方はわかるか?」
「フェル様に昔。――これ、公爵様も?」
「ああ」
「それで、なにか……」
「いいや。特におかしなところはなかった」
ルイスは出鼻をくじかれたような気になった。
「まあ、曲がりなりにも貴族の裁判記録だからな。不備など一つも残すはずがない」
たしかに。裁判所の記録だけでは、おかしな点がなくて当たり前である。
「それから、こっちはファルト伯爵家の資産一覧、取引履歴、裁判記録に乗らない部分の帳簿、それぞれ三年分だ」
「もしかして……もともと調べてたんですか」
そうでなければ、首都で保管されているはずの裁判記録をこうも早く持ってこられるはずがない。
「いや。集め始めたところだ」
おそらくユリアとその話になった時から調べ始めていたのだろう。
「帳簿の見方は分かるか」
「どうかな……ちょっと見てみないと……」
「わからなければまた聞きにきなさい。それから、追加で入手して欲しいものをまた知らせてくれ」
基本的にはルイスの主導で調査するつもりらしい。
「例えば……ここにある、帳簿の原本って言ったら、どこから集めて来るんですか」
「それは私のあずかり知らぬところだな」
ヘルマンはあくまで何を持ってくるかを指示するだけ。それがどこにあるかを調べ、どうやって手に入れればいいのかを考えるのは別の人間の仕事だ。
「なるほど……」
帳簿をめくってみる。幸い、教わったことのある種類の帳簿の書き方だった。
「じゃあ、ゆっくり見てみる」
ルイスは書類の束を抱えた。なかなかの重量である。
「時間はいくらでもある。根を詰めすぎるなよ」
「うん」
ルイスは重たい書類を見て、それを見守るヘルマンを見上げた。
「ありがとうございます」
心から感謝して頭を下げた。
その日からルイスは部屋に引きこもって、ひたすら帳簿と睨めっこした。
仕事をやめたから一日中これに集中していられる。
わからないことも多かった。その都度書斎で調べたり、それでもわからなければヘルマンに聞きに行った。
帳簿の項目で不明なところがあれば、その関連資料は頼めば一週間程度でそろった。
どこからともなく手に入れた記録の原本と保管資料を比べて調べていく。
それが誰によって指示されたものか、筆跡の違いはルイスにはわからなかったので、専門家に鑑定してもらったりもした。
おそらく膨大な金額がかかっていると思うが、ヘルマンは少しもそんなそぶりはなく常に協力的だった。
行き詰まった、と思ったら、次の切り口を示してくれる。それでもあくまでも主導はルイス。
要所で的確な助言もくれるので、ルイスは大きく迷うこともなかった。
物、人、金、土地の動き。当時の伯爵家のあらゆるものの流れはどんどん明らかになっていった。
まるで家庭教師がついた実践の様々を学んでいるようで、事実その内容はヘルマンだからこそ教えてやれることばかりだった。
ルイスは改めてヘルマンの凄さを感じつつ、着々と調査を進めていた。
季節はいつの間にか春になった。
資料の数が膨大になりすぎて、ヘルマンはルイスに寮の物置部屋を一つあてがった。
そこはルイスの怪しげな研究室と言われ、ベン以外は誰も立ち入らなかった。実際鍵で厳重に管理されている。
「なー、花見に行こうぜ」
ベンがルイスの鋼のようになった肩を揉みながら誘ってくる。
「いかない」
「まだおわんねえのー?」
「うん」
一日中書類と睨み合っているルイスをたびたび連れ出すのがベンの最近の仕事のようになっていた。
放っておくと食事も睡眠も抜くので、ベンは定期的にこの部屋に入ってルイスの世話を焼いた。
「もう春だぞ。旅行の話はどうなったんだよ」
ベンには、また出かけるときにはついてきて、と言っている。実は楽しみにしていたらしい。
「もうちょっと調べてから行こうかなって……効率よくいきたいじゃん」
「効率なんかいいから、とりあえず見に行こうぜ」
どこに行くかもわかっていないのに、ベンはぶーぶーと文句を垂れる。
「行ってみないとわかんないこともあるだろ」
そもそも何を調べているかもよく知らないのに、よく知った顔で勧められるものだ。
ルイスはいったん目を上げて、首を回した。
「春か……」
社交シーズンである。貴族たちは首都に集まり、連日パーティーが催される。
もうすぐヘルマンとユリアも首都へ向かうのだろう。
ルイスはしばらく宙を見て考えこんだ。少し視線をずらし、窓の側に積まれた書類を見る。
「一回、見に行こうかな……」
「おっ、行くか!?」
ベンが張り切って突っ走る前に、ルイスは立ち上がって書類をそろえた。
「その前に、公爵様に相談してくる」
執務室のドアをノックるすると、開けてくれたのはフェルナンドだった。
「お、ルイ君。久しぶり」
「フェル様。こんにちは」
「ユリア君かな?」
「今日は公爵様」
フェルナンドはルイスを招き入れた。中ではヘルマンが書類を眺めていた。ユリアの姿はない。
「またー?聞いてるよ。領地経営について色々教わってるんだって?補佐官の仕事に興味出てきた?」
「ううん」
嬉しそうに聞いてくるので、勘違いしないようここはきっぱりと否定しておく。
「ええー?なんで?」
ルイスは金の瞳をじっとフェルナンドに向けた。
「前から聞きたいと思ってたんだけど」
「なになに?何でも聞いて」
「フェル様、補佐官の仕事好きなの?」
「え……」
「すごく補佐官の仕事を勧めてくれるけど、あんまり魅力を主張されたことないなって」
「ルイ君。実に痛いところを突いてくるね」
フェルナンドがひきつった笑いを浮かべた。
「――でも、じゃあなんでヘルマン様に色々聞いてるの?補佐官じゃないなら領地管理したいの?」
「ううん。リアに内緒でやってることなんだけど、フェル様ちゃんと黙っていられる?」
「ちょっと、失敬だねルイ君。首席補佐官は腹芸なんてお手の物だよ」
ルイスは少し考えた。ヘルマンをちらりと見ると、肩を竦めている。好きにしろと言うことだ。
正直、言わなくても構わないのだが、幼いころからずっと面倒を見てくれている気安さはある。気の知れた兄の様な存在であり、実際にフェルナンドは家族のようにいつも接してくれている。
伝えてもいいかなという気になった。
「ファルト伯爵について調べてる」
フェルナンドはすぐにはわからなかったようだ。
「リアの両親。僕の祖父母」
フェルナンドは口を開けて、それから難しい顔になった。
「え、一人で?」
「公爵様が手伝ってくれてる」
「ああ、それで……最近影の動きが活発だと思ったら」
「影?」
「諜報部隊ね。ヘルマン様が直接お持ちなんだ。補佐官は関与しないんだけど、一応ね。経費のこともあって、何となくの動きは私は知ってるから」
そんなことを言ってしまっていいのだろうか。ルイスの思考を読み取ったようにフェルナンドが続ける。
「これだけ使ってたら、そのうちわかるだろうからいいの。――そうなんだ。残念だなあ。学校の先生やめたって聞いたから、フェデリの先生してもらおうかと思ったのに」
フェルナンドには子どもは三人。フェデリは長男として七歳になり、これからどんどん教育が本格的になっていくはずだ。
「そこはちゃんとした先生がいいんじゃないかな」
「なかなかね。言うこと聞かなくてね。ルイ君の言うことは聞くのにね」
フェデリは相変わらずルイスの後をついて回っている。ルイスが泊りに来て帰ろうとするたびに大泣きしていたものだが、最近は泣くまではいかないもののべったりなのは相変わらずだ。
「――今日はどうしたんだ。早くしないとそろそろユリアが帰ってくるぞ」
ヘルマンに言われてルイスはヘルマンの机の前まで進んだ。
「そろそろ、始めようかと。現地調査」
「現地調査?」
「春の社交シーズン、僕も首都に行ってもいいですか」
数か月の調査の結果、わかったことはまだあまり多くはなかった。
帳簿に不明な点はいくつかある。しかしそれも決定打にかける。
怪しげなものの動きを見つけるだけでも膨大な時間がかかった。何が正しくて、何がおかしいのか、記録のみから想像するのは至難の業だった。
それでもなんとか、不穏な動きをいくつか抽出することができた。
今はその一つ一つを洗い直しているところだ。
怪しげなものの動きの陰には、筆跡の違う誰かの指示があった。
それが分かっただけでも、冤罪の可能性は一気に高まる。
ただ単に汚れ仕事は特定の人物にやらせていたのだろう、といえばそれまでの話。
まだ何もわかっていない。
そもそも、冤罪を疑う要素として一番弱くなってしまうのは、ファルト伯爵家が没落したことで利を得たものがほとんどいないという点である。
古いとはいえ辺境。今は国に没収されて国領となっている。
取引先は分散し、伯爵家に成り代わっている者もいない。
「とりあえず、少しでも利を得た貴族の一覧がこれです」
ルイスはヘルマンに書き出した貴族のリストを手渡した。
進捗状況は数日に一度のペースで行っている。これを見るだけでヘルマンは理解したようだった。
「多いな」
「分散してて。利を得たとも言えるかどうか、微妙なところばっかり」
およそ十近くある。伯爵領を取り囲む領地の貴族たちだ。
「この領地一つ一つ行ってたら何年かかるかわからないから」
「なるほど。社交シーズンというわけか」
春になれば首都のタウンハウスに、貴族はほとんどが集まる。
「会ったからといって何かが分かるとは限らないだろう。人の良さそうな顔をして悪どいことをする者の方が多い」
「うん。これは、ただの足掛かりというか。イメージを持ちたいからというか」
ここらで一区切りつけて、次の段階に進んでみてもいいのかなという気になった。一度貴族たちの顔を見て、足で調査を開始するきっかけにしたい。
ヘルマンは少し考えた。
「私と貴族の集まりに出たいということか」
貴族の顔はそう簡単に見れるわけではない。平民のルイスが王都に行ったからと言って、一人も顔を見れないだろう。
だがルイスは首を振った。
「僕はただの平民なので。方法は考えます」
「利用できるものはしないと、いつまでも真実にはたどり着かないぞ」
ヘルマンは立ち上がってリストを置いた。
「フェルナンド。準備してやれ」
「はい」
フェルナンドはルイスににっこりと笑いかけた。
「いいね。僕の遠縁ってことにしようか」
どうしてフェルナンドがそんなにわくわくした顔をしているんだろうと思いながら、ルイスは改めて心強い味方に感謝した。
街の場所乗り場から歩いて寮まで帰っていると、寮の入り口でユリアが待っていた。
「ルイス!」
ユリアはルイスを見つけると走り寄ってくる。
いつものようにぎゅっと抱き合ってから、ルイスはユリアを見下ろした。再会の抱擁はいつものことだが、自分が帰ってきた側で見下ろす側というのは、いつもと逆で新鮮だ。
「ただいま、リア」
「おかえり!そろそろかなと思って、待ってた」
ユリアの頬は寒さで鼻まで赤くなっている。
「予定通りじゃないかもしれないのに」
「なんか。落ち着かなくって」
ユリアはそう言ってルイスの顔を両手で包み、まじまじと見つめた。
「――大きくなっちゃって」
ルイスはおかしくて笑った。
「なに?背の事?」
「違うよ。僕はルイスが無事か心配で、そわそわしてたのに。何でもないことみたいに行って帰ってきちゃって」
「楽しかったよ。どれも、初めて見るから」
何もかも新しい経験で、楽しかった。
「うん。いい顔してるね」
ユリアが嬉しそうに笑った。もう一度抱き合ってから離れる。
「今日泊まってもいい?色々聞かせて」
「仕事大丈夫なの?」
「うん。ひと段落着いた」
「そうなんだ。お疲れさま」
ベンがじゃあ、と言って別れる。
ユリアとルイスは二人で寮にもどり、食事をしてゆっくりした。
乗合馬車のこと、旅で見かけた珍しいもの、少し汚い宿、初めて目にするもの。それから、ベンのお父さんの事。ひとしきり話してから、それぞれのベッドに入った。
「――また、どこかに行くの?」
「うん。いいかな」
「いいよ。そんなに楽しそうだなんて、驚いてる。でも本当に気を付けてね」
ルイスが生き生きとやりたいことを見つけたのなら、ユリアにとっても嬉しい。
「ベンと一緒だから大丈夫だよ」
「行き先ちゃんと教えてね。公爵様にも」
「うん」
注意事項を延々と語りながら、ユリアはいつの間にか眠っていた。
窓から入る月と星の灯りに照らされた顔を、ルイスはじっと見つめていた。
しばらくすると、ヘルマンから連絡があった。
またしても寮まできてくれたデニスに渡されたのは、ヘルマンの流麗な文字で書かれた一言だけの手紙だった。
『十六時、書斎』
来いと言うことだろう。
ユリアに内緒でと言ったことを守ろうとしてくれているようだ。
執務室と書斎は近いが、用事がなければ会うことはないだろう。
フェルナンドと勉強を始めた頃から、書斎にはいつでも入ってよいとヘルマンに許可をもらっていた。屋敷に行って執事の誰かに声をかければ入れてもらえる。
よく利用するのでふらりと立ち寄っても誰も疑問には思わない。
冬なので書斎はすでに暗くなりかけていた。久しぶりに会った執事長が気を利かせて蝋燭を渡してくれたので、それを机の上に設置する。
西日が差さない位置に窓が設置されているせいか、暗くなるのも早く感じる。
ヘルマンを待つ間適当な本を読みながら時間をつぶした。
程なくしてヘルマンがやってきた。
「来ていたか」
「公爵様」
入り口から声をかけられ、ルイスは席を立った。
「こんばんは」
「何を読んでいたんだ」
「新編・経済論」
「――面白いか」
「あんまり」
言ってルイスは本を片付けた。新と書いてある割には真新しいことはなかった。
書斎の中の本で興味がある分野はほとんど読んでしまった。何気なく取った本だったかが、やはり興味はない。
「座りなさい」
言われたので、中央の椅子に座る。ヘルマンは目の前の机に書類の束を置いた。かなりの厚みがある。
「これは……?」
「とりあえず、こっちは裁判記録と資料の写しだ」
「――え、もう」
ぱらぱらとめくってみると、裁判で使用された資料と裁判の概要の記録だった。見知らぬ人の名前が並んでいる。
「裁判記録の見方はわかるか?」
「フェル様に昔。――これ、公爵様も?」
「ああ」
「それで、なにか……」
「いいや。特におかしなところはなかった」
ルイスは出鼻をくじかれたような気になった。
「まあ、曲がりなりにも貴族の裁判記録だからな。不備など一つも残すはずがない」
たしかに。裁判所の記録だけでは、おかしな点がなくて当たり前である。
「それから、こっちはファルト伯爵家の資産一覧、取引履歴、裁判記録に乗らない部分の帳簿、それぞれ三年分だ」
「もしかして……もともと調べてたんですか」
そうでなければ、首都で保管されているはずの裁判記録をこうも早く持ってこられるはずがない。
「いや。集め始めたところだ」
おそらくユリアとその話になった時から調べ始めていたのだろう。
「帳簿の見方は分かるか」
「どうかな……ちょっと見てみないと……」
「わからなければまた聞きにきなさい。それから、追加で入手して欲しいものをまた知らせてくれ」
基本的にはルイスの主導で調査するつもりらしい。
「例えば……ここにある、帳簿の原本って言ったら、どこから集めて来るんですか」
「それは私のあずかり知らぬところだな」
ヘルマンはあくまで何を持ってくるかを指示するだけ。それがどこにあるかを調べ、どうやって手に入れればいいのかを考えるのは別の人間の仕事だ。
「なるほど……」
帳簿をめくってみる。幸い、教わったことのある種類の帳簿の書き方だった。
「じゃあ、ゆっくり見てみる」
ルイスは書類の束を抱えた。なかなかの重量である。
「時間はいくらでもある。根を詰めすぎるなよ」
「うん」
ルイスは重たい書類を見て、それを見守るヘルマンを見上げた。
「ありがとうございます」
心から感謝して頭を下げた。
その日からルイスは部屋に引きこもって、ひたすら帳簿と睨めっこした。
仕事をやめたから一日中これに集中していられる。
わからないことも多かった。その都度書斎で調べたり、それでもわからなければヘルマンに聞きに行った。
帳簿の項目で不明なところがあれば、その関連資料は頼めば一週間程度でそろった。
どこからともなく手に入れた記録の原本と保管資料を比べて調べていく。
それが誰によって指示されたものか、筆跡の違いはルイスにはわからなかったので、専門家に鑑定してもらったりもした。
おそらく膨大な金額がかかっていると思うが、ヘルマンは少しもそんなそぶりはなく常に協力的だった。
行き詰まった、と思ったら、次の切り口を示してくれる。それでもあくまでも主導はルイス。
要所で的確な助言もくれるので、ルイスは大きく迷うこともなかった。
物、人、金、土地の動き。当時の伯爵家のあらゆるものの流れはどんどん明らかになっていった。
まるで家庭教師がついた実践の様々を学んでいるようで、事実その内容はヘルマンだからこそ教えてやれることばかりだった。
ルイスは改めてヘルマンの凄さを感じつつ、着々と調査を進めていた。
季節はいつの間にか春になった。
資料の数が膨大になりすぎて、ヘルマンはルイスに寮の物置部屋を一つあてがった。
そこはルイスの怪しげな研究室と言われ、ベン以外は誰も立ち入らなかった。実際鍵で厳重に管理されている。
「なー、花見に行こうぜ」
ベンがルイスの鋼のようになった肩を揉みながら誘ってくる。
「いかない」
「まだおわんねえのー?」
「うん」
一日中書類と睨み合っているルイスをたびたび連れ出すのがベンの最近の仕事のようになっていた。
放っておくと食事も睡眠も抜くので、ベンは定期的にこの部屋に入ってルイスの世話を焼いた。
「もう春だぞ。旅行の話はどうなったんだよ」
ベンには、また出かけるときにはついてきて、と言っている。実は楽しみにしていたらしい。
「もうちょっと調べてから行こうかなって……効率よくいきたいじゃん」
「効率なんかいいから、とりあえず見に行こうぜ」
どこに行くかもわかっていないのに、ベンはぶーぶーと文句を垂れる。
「行ってみないとわかんないこともあるだろ」
そもそも何を調べているかもよく知らないのに、よく知った顔で勧められるものだ。
ルイスはいったん目を上げて、首を回した。
「春か……」
社交シーズンである。貴族たちは首都に集まり、連日パーティーが催される。
もうすぐヘルマンとユリアも首都へ向かうのだろう。
ルイスはしばらく宙を見て考えこんだ。少し視線をずらし、窓の側に積まれた書類を見る。
「一回、見に行こうかな……」
「おっ、行くか!?」
ベンが張り切って突っ走る前に、ルイスは立ち上がって書類をそろえた。
「その前に、公爵様に相談してくる」
執務室のドアをノックるすると、開けてくれたのはフェルナンドだった。
「お、ルイ君。久しぶり」
「フェル様。こんにちは」
「ユリア君かな?」
「今日は公爵様」
フェルナンドはルイスを招き入れた。中ではヘルマンが書類を眺めていた。ユリアの姿はない。
「またー?聞いてるよ。領地経営について色々教わってるんだって?補佐官の仕事に興味出てきた?」
「ううん」
嬉しそうに聞いてくるので、勘違いしないようここはきっぱりと否定しておく。
「ええー?なんで?」
ルイスは金の瞳をじっとフェルナンドに向けた。
「前から聞きたいと思ってたんだけど」
「なになに?何でも聞いて」
「フェル様、補佐官の仕事好きなの?」
「え……」
「すごく補佐官の仕事を勧めてくれるけど、あんまり魅力を主張されたことないなって」
「ルイ君。実に痛いところを突いてくるね」
フェルナンドがひきつった笑いを浮かべた。
「――でも、じゃあなんでヘルマン様に色々聞いてるの?補佐官じゃないなら領地管理したいの?」
「ううん。リアに内緒でやってることなんだけど、フェル様ちゃんと黙っていられる?」
「ちょっと、失敬だねルイ君。首席補佐官は腹芸なんてお手の物だよ」
ルイスは少し考えた。ヘルマンをちらりと見ると、肩を竦めている。好きにしろと言うことだ。
正直、言わなくても構わないのだが、幼いころからずっと面倒を見てくれている気安さはある。気の知れた兄の様な存在であり、実際にフェルナンドは家族のようにいつも接してくれている。
伝えてもいいかなという気になった。
「ファルト伯爵について調べてる」
フェルナンドはすぐにはわからなかったようだ。
「リアの両親。僕の祖父母」
フェルナンドは口を開けて、それから難しい顔になった。
「え、一人で?」
「公爵様が手伝ってくれてる」
「ああ、それで……最近影の動きが活発だと思ったら」
「影?」
「諜報部隊ね。ヘルマン様が直接お持ちなんだ。補佐官は関与しないんだけど、一応ね。経費のこともあって、何となくの動きは私は知ってるから」
そんなことを言ってしまっていいのだろうか。ルイスの思考を読み取ったようにフェルナンドが続ける。
「これだけ使ってたら、そのうちわかるだろうからいいの。――そうなんだ。残念だなあ。学校の先生やめたって聞いたから、フェデリの先生してもらおうかと思ったのに」
フェルナンドには子どもは三人。フェデリは長男として七歳になり、これからどんどん教育が本格的になっていくはずだ。
「そこはちゃんとした先生がいいんじゃないかな」
「なかなかね。言うこと聞かなくてね。ルイ君の言うことは聞くのにね」
フェデリは相変わらずルイスの後をついて回っている。ルイスが泊りに来て帰ろうとするたびに大泣きしていたものだが、最近は泣くまではいかないもののべったりなのは相変わらずだ。
「――今日はどうしたんだ。早くしないとそろそろユリアが帰ってくるぞ」
ヘルマンに言われてルイスはヘルマンの机の前まで進んだ。
「そろそろ、始めようかと。現地調査」
「現地調査?」
「春の社交シーズン、僕も首都に行ってもいいですか」
数か月の調査の結果、わかったことはまだあまり多くはなかった。
帳簿に不明な点はいくつかある。しかしそれも決定打にかける。
怪しげなものの動きを見つけるだけでも膨大な時間がかかった。何が正しくて、何がおかしいのか、記録のみから想像するのは至難の業だった。
それでもなんとか、不穏な動きをいくつか抽出することができた。
今はその一つ一つを洗い直しているところだ。
怪しげなものの動きの陰には、筆跡の違う誰かの指示があった。
それが分かっただけでも、冤罪の可能性は一気に高まる。
ただ単に汚れ仕事は特定の人物にやらせていたのだろう、といえばそれまでの話。
まだ何もわかっていない。
そもそも、冤罪を疑う要素として一番弱くなってしまうのは、ファルト伯爵家が没落したことで利を得たものがほとんどいないという点である。
古いとはいえ辺境。今は国に没収されて国領となっている。
取引先は分散し、伯爵家に成り代わっている者もいない。
「とりあえず、少しでも利を得た貴族の一覧がこれです」
ルイスはヘルマンに書き出した貴族のリストを手渡した。
進捗状況は数日に一度のペースで行っている。これを見るだけでヘルマンは理解したようだった。
「多いな」
「分散してて。利を得たとも言えるかどうか、微妙なところばっかり」
およそ十近くある。伯爵領を取り囲む領地の貴族たちだ。
「この領地一つ一つ行ってたら何年かかるかわからないから」
「なるほど。社交シーズンというわけか」
春になれば首都のタウンハウスに、貴族はほとんどが集まる。
「会ったからといって何かが分かるとは限らないだろう。人の良さそうな顔をして悪どいことをする者の方が多い」
「うん。これは、ただの足掛かりというか。イメージを持ちたいからというか」
ここらで一区切りつけて、次の段階に進んでみてもいいのかなという気になった。一度貴族たちの顔を見て、足で調査を開始するきっかけにしたい。
ヘルマンは少し考えた。
「私と貴族の集まりに出たいということか」
貴族の顔はそう簡単に見れるわけではない。平民のルイスが王都に行ったからと言って、一人も顔を見れないだろう。
だがルイスは首を振った。
「僕はただの平民なので。方法は考えます」
「利用できるものはしないと、いつまでも真実にはたどり着かないぞ」
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「はい」
フェルナンドはルイスににっこりと笑いかけた。
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オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
聖者の愛はお前だけのもの
いちみりヒビキ
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スパダリ聖者とツンデレ王子の王道イチャラブファンタジー。
<あらすじ>
ツンデレ王子”ユリウス”の元に、希少な男性聖者”レオンハルト”がやってきた。
ユリウスは、魔法が使えないレオンハルトを偽聖者と罵るが、心の中ではレオンハルトのことが気になって仕方ない。
意地悪なのにとても優しいレオンハルト。そして、圧倒的な拳の破壊力で、数々の難題を解決していく姿に、ユリウスは惹かれ、次第に心を許していく……。
全年齢対象。
僕の、しあわせ辺境暮らし
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雪のなか僕を、ひろってくれたのは、やさしい男の子でした。
ふたりの、しあわせな辺境暮らし、はじまります!
ふたりの動画をつくりました!
インスタ @yuruyu0 絵もあがります。
YouTube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます。
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婚約破棄で追放された悪役令息の俺、実はオメガだと隠していたら辺境で出会った無骨な傭兵が隣国の皇太子で運命の番でした
水凪しおん
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公爵令息レオンは、王子アルベルトとその寵愛する聖女リリアによって、身に覚えのない罪で断罪され、全てを奪われた。
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前世の知識というチート能力を秘めたレオンは、絶望の地を希望の楽園へと変えていく。
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これは、どん底から這い上がる悪役令息が、運命の番と出会い、真実の愛と幸福を手に入れるまでの物語。
痛快な逆転劇と、とろけるほど甘い溺愛が織りなす、異世界やり直しロマンス!
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