あたたかな鳥籠を君に、優しい口づけをあなたに

サイ

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第3章

12.

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 公爵邸に帰り着いたルイスはヘルマンに迎えられた。
 玄関先で泥を落としていると玄関ホールまでヘルマンがやってきた。使用人の一人がマントを受け取ってくれるので、それにお礼を言う。
「ただいま」
「フェルナンドに聞いた。何か収穫はあったか?」
「リアは?」
 ヘルマンがここで尋ねるということは大丈夫だろうが、一応聞いてみる。
「部屋にいる。――書斎に行くか?」
「うん」
 念のため。ヴェッターホーンの屋敷より狭いので、どこで誰に聞かれるかわからない。
「ベン、どうする?」
「俺は寝てる」
 ベンはヘルマンに軽く頭を下げて部屋に向かって行った。
 ヘルマンと二人で書斎に向かう。
「勝手に行って、だめでしたか?」
「フェルナンドに聞いた時は少し心配したが……まあ、無理はしないだろうと思っていた」
「うん。とりあえず見てきただけ」
「そうしていると、全く怪しまれなかっただろう」
 姿を見てふっと笑われる。ルイスは髪を摘んで払った。香油かなにかわからないが、髪に何かをつけるのはどうも落ち着かない。
「格好だけだから。何か聞かれても何て答えていいかわからなくて困った」
「そうか?まあ、黙っていれば相手が勝手にあれこれ憶測するだろう」
 対面の席に座ってから、ルイスは居住まいを正した。
「商会長ゲオルグの事、調べたいです」
「何か気になったか」
「不審に思うって事はなかった。でも、ファルト家の執事と同一人物と思う」
「ふむ……とりあえず基本的な経歴はすぐ調べられるだろう」
「ありがとうございます」
「だが、ファルト家の使用人は執政官数名を除いて全て処刑を免れている。四散した後、それぞれ別の職についていても不自然ではない」
「うん」
「人物としては、どうだった?心証として」
「うーん……小物……?」
 ヘルマンは笑いをこぼした。
 十三の子供に小物と言われるとは。
「言わなくていい失言も多いし。顔にも出るし。そんなに悪どいことを計画して実行できる人には見えなかった。――伯爵家の取り引きを見てたら、少なくとも五年は必要だと思ってて」
 犯罪自体は没落前二、三年の出来事。しかし準備期間も含めるとそれくらいは犯罪に手を染めていることになると思う。
 ヘルマンも同意見だった。黙って頷く。
「ゲオルグはちょこちょこと無駄に動いてる感じ。あの人が水面下であれこれ画策できるかな、って――あれも演技だっていうなら、僕はもうわからないけど」
 ヘルマンは少し考え込んだ。
 直接会って得た印象がそれなら、それも重要な情報だ。
「とりあえず、屋敷にまた呼ぶって言っちゃった」
「それでいい」
 ヘルマンはベルを鳴らした。
 すぐに見慣れない使用人が一人入ってくる。
 三十代くらいの男性で、使用人の服を着てはいるが体格がいいのがわかる。
「影だ」
「――え」
 普通に働いている人だったのか、と驚く。影というから、勝手に物陰に隠れて活動していると思っていた。
「シャルムと申します。以後お見知り置きを」
 落ち着いた声だった。静かに話すのが身に沁みているような。そういえば足音もしなかった。
「聞いていたか?ゲオルグについて調べて報告しろ」
「期限は、いかほど」
「三日」
 そう言えば三日で調べられる範囲を一旦調べてくる。
「承知いたしました」
「ルイス、顔を覚えておけ。今後調査する時に顔を合わせることもあるだろう。基本的にこの件にはシャルムを使う」
「うん。――いいんですか、僕が顔を覚えちゃって」
「その必要があると、判断した。――四日後に商会を呼ぼう。フェルナンドに言えばどうしたらいいか教えてもらえる」
 ルイスは頷いた。



 美術館へ行く日。
 ベンは早朝から出かけると言っていた。その言葉通り、ルイスが目覚めた時にはベンの姿はなかった。
 いつもの四人で朝食をとりながら、その日の予定について話し合う。
 三人とも、今日は執務にあたるらしい。
「ルイスはどこか行くの?」
「美術館。――みんな仕事してるのに僕だけごめんね」
「何言ってるの!子供は遊ぶのが仕事でしょ」
 フェルナンドが力を込めて言ってくれた。
「そうだよ。ごめんね、もっと色々行けたらよかったね」
 ユリアの申し出にルイスは首を振った。十分一緒に過ごしていると思う。
「今日は、最近知り合った子と約束してる」
「新しい友達?」
「まあ」
「へえ。こっちでも友達できたんだ」
「ルイ君ほんとモテるよね。老若男女から。わかる気がするんだよね。ルイ君と話すと微妙に癒されるんだよ」
「微妙に……」
 フェルナンドの言い方は喜んでいいのかわからない。
「そんなに話してはないんだけどね」
 ユリアが興味津々に聞いてきた。
「どんな子なの?」
「なんか、貴族の子だと思う。アーチっていう同い年の子」
 ガチャン、とカップが音を立てる。ヘルマンのカップだ。
 そんなふうに音を立てるのは珍しい。
「ご主人様?」
 ユリアが不思議そうに聞いて、ヘルマンは何事もなかったようにカップを持ち直した。
「失礼」
「家名とかは聞かなかったの?」
「うん。聞いたところでね」
「確かに」
 ユリアも納得した。家同士でお付き合いする訳ではない。平民の暮らしではそれが普通だ。
「気をつけてね。美術館周辺は治安がいいけど。その格好でいくの?」
 ルイスは頷いた。今日は普通の、自前の服。いつも遊び歩いている格好である。ユリアと違って、街を歩いていても注目を集めることもないので、危険を感じたこともない。
「じゃあ、そろそろ行ってきます」
 ルイスは朝食を食べ終え、立ち上がった。
「気をつけてね」
 みんなに送り出されて、美術館へ向かった。



 特に時間を約束していなかったので適当に近くで時間を潰そうかと思っていたら、アーチは入り口のところで待っていた。
「いつから来てたの?」
 声をかけると、満面の笑みを浮かべる。そうすると年より若く見える。弟がいるとこんな感じだろうか。
「ルイス!」
「待った?」
「いや、小一時間だ」
 結構待っていた。しかしアーチは全く気にする様子はなかった。
「考えてみると、待ち合わせをするのは初めてだった。来てくれるのかと思いながら待つのは楽しいな」
「そうかな……」
「今日はあの男は?」
「ベン?来ないよ。ベンは美術品に興味ないから」
「そうか。二人か」
 アーチは今日はご機嫌のようだった。
「アーチの護衛は?」
「見えるところにはいない。今日はルイスと二人で楽しみたいからな」
 いるのはいるらしい。見渡してみるが通りには通行人がいるだけで、どれかはわからなかった。
「入ろう」
「うん」
 アーチは言っていた通り、美術館の中を細かく案内してくれた。展示品のどれを見ても説明できるのはルイスも少し驚いた。
 昔の作品も現代の作家にも詳しい。好きなのかと思ったが、教養の範囲らしい。
 貴族って大変だ。ヘルマンも知っているのかもしれない。
 一通り見てから、美術館近くのレストランで昼食を取ることにした。
 昼を少し過ぎて、混雑も和らいでいる。
「特に気に入ったものはなかったか?」
 まんべんなく見て感想も言わなかったからだろうか。心配そうに、アーチに聞かれた。
「どれも面白かったよ。博識だねアーチ」
「こ、これくらいは、普通だ。文化的な財産を守り伝えるのも重要だからな」
 料理が運ばれてくる。簡単な、肉と野菜をパンで挟んだものだ。
「――あ、美味しい」
「だろう?ここは、私も気に入ってるんだ」
「アーチ、街に詳しいね」
「父が、若いうちに経験を積めと……積極的に街に送り出してくれる。ここは生まれ育った街だが、他の街にも」
 ルイスはぺろりと食べ終わってメニューを眺めた。もう一個注文する。
「実際勉強にはなる。だが……それをどうしていいかは、よくわからない」
「アーチはお替わり注文しないの?」
 アーチは面食らったような顔をした。
「ルイス、私は真剣に悩みを話しているんだが」
「あ、ごめん」
 全く興味がなくて聞いていなかった。
「アーチはお上品に食べるね。こんな庶民のランチでも」
 まだ半分も食べられていない。
「遅いか……?」
 アーチは慌てて食べようとする。
「急がなくていいよ。綺麗だなと思っただけ」
「きれ……」
 アーチの顔が真っ赤になる。
 お上品と言われるのはそんなに恥ずかしいのだろうか。そう思い、それ以上は言わずルイスは運ばれてきたお替わりのハムサンドに手を伸ばした。
「ルイスは、将来に不安はないのか」
「ふぁい」
 ない、と言ったが口に一杯入っていたのでうまく発音できない。
 アーチは変になって顔で笑った。
「お前……口に入っているのに喋るなよ」
「僕は口に入れたまま喋るし、食べながら仕事するの」
「そんなに……頬を膨らませて食べるものなのか」
「大口で食べたらおいしいよ」
 ルイスの皿はもう残り半分くらいになっている。真似をさせようとしたが、アーチは慣れない食べ方に、ただパンと肉をばらばらと散らばせただけだった。
 ルイスはその真剣な様子に声を上げて笑った。
 結局、ルイスが二つ食べ終わってもアーチはまだ食べ終わっていなかった。
「――初対面はひどかったけど、今日は楽しかったよ」
 ルイスはアーチの皿から転がり出ていたミニトマトを差し出した。
 なんでも真剣なアーチに親しみが湧いて、ルイスはふわりと笑いかけた。ミニトマトを口の中に入れてやる。
 アーチは驚いて噛むのも忘れているようだった。ついフェデリにするようにしてしまったが、驚かせてしまったらしい。
「どの話も面白かった。今日はありがと」
 実際、同い年でここまで話が合うのは初めてだった。同年代の貴族の子と話すのが初めてだからかもしれないが。
 教養もあり、たくさんのことを知っているアーチと話すのは楽しい。フェルナンドと話すのとはまた違った面白さがあった。
 アーチは視線を逸らし、水を飲みつづけている。耳が赤いままだ。色が白いからよく目立つ。
「それは、ルイスこそ。――本当に、謎だな。知識は貴族の教育を受けたもののようなのに、振る舞いは貴族ではない」
「すごいんだよ、ヴェッターホーンの教育は」
「そのようだな……そこまでだと、将来に不安がないと言うのも頷ける」
 ルイスは少し考えた。
 それは少し違う。不安がないのは、将来のイメージがそもそもないからだ。不安とは違う。
「何になるか、まだ決めれてないからね」
「決めてないのか?ヴェッターホーン領で働くのではないのか」
「やりたいこと見つかってない」
「じゃ、じゃあ……!私の補佐官として、そばにいてくれないか!」
「それはないな」
 即答した。アーチの顔が崩れる。
 フェルナンドの度々の誘いも断っているのである。
 昨日今日知り合った、しかも偉そうな同い年の子の補佐官など論外である。
「……っ、少しは、悩んでもいいんじゃないか」
「考えてもみてよ。僕みたいな孤児にさ、お金も時間もかけて公爵様は無償で教育してくれたんだよ。それに恩返しもすることなく、ぱっと現れた君のとこに行くと思う?」
「恩というなら……私が代わりに返そう。それでは駄目か」
「うーん。そもそも、アーチの補佐官に魅力を感じない」
 アーチは悲しい顔をそのままルイスに向ける。
「そう、言われると、さすがに傷つくぞ」
「逆にさ、なんで受けると思うの?」
「私の補佐官という名誉ある職を断るのは、君くらいなものだからだ」
「そんな傍若無人な人の補佐官が……?」
 名誉と言われてもピンとこない。ヘルマンと比べてアーチを選ぶわけがない。
「傍っ……そんなことを言われたのは初めてだ」
「うん。もっと気を付けたほうがいいよ。その年で既にそんな偉そうだとか、ほんと問題だよ」
 ルイスが言うと妙な説得力がある。淡々と言われるからか、それが真理のような気になる。
「威厳を示さねば……皆がついてこない」
 アーチの声は小さかった。
 声が小さいのは、自分でもおかしいと思っているからか。いったい誰がこの素直なアーチに、そんなことを教えたのだろうか。それとも貴族の間ではそれが普通なのか。
「――公爵様はさ、数々の功績をあげて領地を富ませて、人間としても素晴らしい方だけど、僕みたいな人間もちゃんと尊重してくれる。丁寧に向き合ってくれて、少しも偉ぶったりしないよ。でもすごく威厳はある」
 ルイスは水を飲み、コン、とグラスを置いた。
「十三歳で示したい威厳って何なの?」
 アーチが黙ってしまう。
 つい言いすぎてしまった。
「今日、アーチと遊んだのは楽しかったよ。いい思い出になった。ありがとう」
 アーチの青灰色の目がじっとルイスを見上げた。
「今日が楽しくて。ごめんね、はじめの時よりは好きになったからかな、つい言いすぎちゃった」
「好っ……」
 普段は人にこんな深入りしたことは言わない。ルイスは少し反省して立ち上がった。
「そろそろ出よっか」
「いや、まて!」
「――ん?まだ食べるの?」
「違う」
 アーチはまた顔を赤くして、何かを言いたそうにしている。しかし少し待っても言葉は出てこなかった。
 結局何も言わないまま、二人で店を出ることになった。
「じゃあ、帰るね」
 店を出てルイスはあっさり帰ろうとする。
「帰るのか!?」
「だってもう、美術館終わったし」
「お、お前、私のことが好きなんだろう?もっと一緒にいたいとか思わないのか」
「ええ?思わないけど」
 思いもよらないことを言われたというルイスの顔に、アーチは訳が分からなくなった。
「お前が何を考えているのか、わからない……」
「お互い様じゃない?」
 まだ付き合いが浅いのに分かり合えるわけがない。
「――もう、会えないかもしれないんだぞ」
「そうだね。元気でね」
「会えなくても平気なのか!」
「……え、うん。ごめん」
 ルイスとしては、全く問題ない。
 もともと今日でお別れという話だった。友達になってほしいと言われてた時から、ヴェッターホーンに帰るから会えないと釘を刺しておいたはずだ。
「まあ、手紙書いてよ」
 ルイスとしてはそれくらいしか言えなかった。
 アーチは深いため息をついた。
「――わかったよ。会いたくなったら……会いに行ってもいいか」
「うーん。居るかわからないよ?あ、また来年の春になったら首都に来るかもしれないから」
「友達って、そんなものなのか。努力して会おうとしないのか」
「わかんない。僕、友達ってベンしかいないから」
 アーチは力強い目を向けた。
「これからは、私も入れてくれ」
「うん」
「最後に、その……別れの挨拶をしてもいいか」
「うん……?」
 あいまいな返答だったが、アーチはそれを了承と取ったようだった。突然距離を詰められたと思ったら、ぎゅっと抱きしめられた。
 まあ、次にいつ会えるかわからないし……。
 そう思い、ルイスが腕を回そうとした時。
 突然、強い力で後ろに引っ張られた。アーチとの抱擁が解かれ、バランスを崩したところ、後ろから大きな体に抱きとめられる。
 見上げると――ベンだ。
 片手でルイスを抱えるようにして、ベンはあえて見下ろすようにアーチを見ていた。
 アーチは居心地が悪そうに一歩下がる。
「ベン、いま帰り?」
「ああ」
 ルイスが首を上に向けると、間近にベンの顔がある。ベンはアーチを睨むような視線を外さなかった。
「ベン、顔怖いよ」
「こんな道の真ん中で何やってんだ」
「お別れの挨拶だって」
「はぁ?」
 ベンが目を細める。アーチがごくりと息をのんだ。後方からすっと人影が見える。異様な雰囲気を察し、護衛が姿を現したのかもしれない。
「ベン、やめてよ」
「ルイス。おまえ……」
 ベンが眉を寄せたまま何かを言おうとして、大きなため息に替えた。
「もう帰ろ」
 ルイスが、もう疲れた、と言う。
「――ああ」
「じゃあね、アーチ。さよなら」
 あっさりとルイスが挨拶をして、手を振った。アーチは何か言いたそうにしていたが、ベンに気圧されたようで、それ以上引き止められなかった。
 ベンがルイスの手を引いて速足でその場を立ち去った。
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