あたたかな鳥籠を君に、優しい口づけをあなたに

サイ

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第3章

13.

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 屋敷に帰ってきたら、まだ昼の三時だった。
 ルイスは疲れたのでベッドに横になる。
「寝るのか」
「うん。疲れた」
 いつもならそう言えばベンがベッドに上がるか手をつないでくれるのに、今日は椅子に座ったまま、黙ってこっちを見ていた。
「ベン?」
「――どうだった、あいつ」
「楽しかったよ。話してたら、嫌な感じも減ったかな」
「抱き合う程か」
「楽しいのとそれは関係ないでしょ」
 ルイスは目を閉じた。シーツにくるまってもどこか肌寒く、身体は疲れているのになかなか眠れそうにない。
 何度か寝返りを打って、ベンをもう一度見れば、ベンは黙ってこちらを見ていた。
「――なに」
「べつに。面倒がってた割には、楽しかったんだな」
「思ってたよりはね」
 少なくとも初対面であんなに苛立たされたことを思えば、劇的に好感度は上がった。とはいえ、もう一度会うかどうかもわからない相手だ。住む世界も違う。
「ベンは何してたの?朝から」
「ちょっと調べもの」
「へえ。――あ、明日さ、例のガフマン商会長が来るんだけど。ベンどうする?」
「俺がいてもな。ここで寝てる」
「そうなの?貴族ごっこしないの」
 ベンが呆れたような声を出す。
「そんなことしなくても、本物が並ぶだろ」
 確かに、おそらくヘルマンかフェルナンドが立ち会うだろう。
 ルイスは天井をしばらく眺めていた。
「――ねえ、ベン」
「あ?」
「僕すごく疲れたんだけど」
「……………………」
「一緒に寝てくれないの?」
 寝てくれないのなら、諦めてもう起きていようかと思う。
 ベンはため息をついてからのろのろとベッドに入ってきた。
「どうかした?」
 どことなく機嫌が悪いようにも思う。
「何も」
 ベッドの中で両手を頭の下に敷いて、ベンはじっと天井を見ていた。
 いつもうっとうしいぐらい絡みついてくるのに。
 ふと、消毒薬の匂いが鼻をかすめて、ルイスはさっと身を起こした。
 ベンは目を閉じて寝ようとしている。
 ガバリとベンのシャツをめくってみる。
「ぉい!」
 いつもなら割れた腹筋が見えるのに、そこには包帯が巻かれていた。
「ベン、これ何」
「――大げさに巻いてるだけで、かすり傷だ」
「ねえベン。なんかちょっとやばいことに手を出してるんじゃ……」
「なんだよやばいことって」
「怪我するようなことだよ!」
 ルイスが大声を出すのは珍しかった。ベンは少し驚いて身を起こす。
「大丈夫だって。やましいことはしていない」
「やましいかどうかじゃなくてさ。危ないことしてるの?」
 そっと包帯の上から触れてみる。どこが傷かはわからなった。血も滲んでいない。
 ベンを見ると触ったからと言って痛がっている様子もなかった。不機嫌の原因がこの怪我かと思ったが、違うのだろうか。
 ベンは思い詰めたような顔をするルイスの頭をガシガシと撫でた。
「だから、大げさに巻いてるだけだって。危ないことしたんじゃなくて、訓練で怪我しただけ」
「訓練……?」
「ああ。だから心配するなって。面白くてつい夢中になっちまったの」
 ベンがまっすぐ見ながら言うから、ルイスは少しほっとした。
 嘘は上手じゃないから、きっと真実なんだろう。
「そんなに強くなりたいの」
「まあ……他にすることねえし。取り柄もねえし。――ほら、寝るんだろ」
 ベンがいつものようにルイスを抱えてベッドに寝転がった。狭いベッドでくっついて、ベンの熱い体温とゆっくりな心臓の音が間近に感じられた。
 ベンがルイスの両手を包むようにして持った。ベンが揉むようにしてきて、自分の指が冷たく固まっていたことに気づく。
 もう片方の手でベンはルイスの頭を撫でた。
「――俺はどこにもいかねえから」
 ベンはそれだけ言って、ずっとルイスの手と頭を撫でてくれていた。
 ベンの固く荒れた手と馴れた匂いが、習慣のようにすぐに眠気を連れてきた。



 次の日、ゲオルグが商品を持って屋敷にやってきた。
 実はその直前『影』からの報告を教えてもらっていた。
 ゲオルグ・シャンベンはかつてファルト家の執事をしていた。伯爵家が滅門した後、もともと実家で営んでいたガフマン商会に入り、いくつかの業績が認められて商会長となった。
 三日間ではとくに怪しいところは見つけられなかった、というものだった。ただ不明な資金源はいくつかあるので、引き続き調査を行うか指示を待つ、と。
 ある程度の規模になれば不明な資金源は何かしらあるものだ。どうするかは会って決めようということになった。
 ユリアはもしかしたらゲオルグと顔見知りかもしれない。
 屋敷に呼んだらユリアへの言い訳はどうするのかと思っていたら、ヘルマンはユリアは部屋で寝ている、という。
「今日は起きてこないだろう」
 と言うから、おそらく大丈夫なのだろう。
 結果、ヘルマンとフェルナンド、ルイスの三人でゲオルグに会うことになった。
 ゲオルグはヘルマンを見ると畏まってずっと腰を折るような姿勢でいた。
「まさか、公爵様直々にご覧いただけますとは、恐悦至極でございます!――先日、そちらのご子息がいらっしゃいました時には、なんという僥倖ぎょうこうと思いましたが、それがこのようなご縁につながりますとは……」
「商会長、これは?」
 ヘルマンがうんざりする前にフェルナンドが話を振った。
「おお、お目が高い!そちらは今ではもうなかなか手に入らない、リャシナカ国からの輸入品の瑪瑙めのうで作らせた鉢でございます。この独特の縞模様、高い硬度の品質!一生ものとなること間違いありません!」
「へ、へえ……じゃあ、これは」
「こちらもまた素晴らしい品でございます!これほど透明度の高いダイヤはなかなかないと思われませんか?加えてこの大きさ!それを男性用のリングに加工するという贅沢!」
「そう、かな……」
 フェルナンドがゲオルグを引き受けてくれているが、商品の二つ目ですでに疲労が見えている。
「――公爵様、どうですか」
 一体ここからどうするのかルイスにはわからなかった。
 とりあえずヘルマンとフェルナンドから見たゲオルグの印象を聞いてみたい。そうすればヘルマンが方針を示してくれるかもしれない。
「どうかな。ルイスの言っていた通りのようだが」
「まさか、買いませんよね」
「何か気に入ったものがあれば言いなさい」
「買わずに帰すっていうのもありなんですか?」
「もちろん」
 それなら気負わなくてもよさそうだ。気に入ったところで、こんな高価なものは買えない。
「――ちょっとゆっくり見てもいいかな」
 フェルナンドがげっそりした様子でゲオルグに行った。
「もちろんでございます!では、わたくしはこちらで控えておりますので!」
 ゲオルグが商品の端でニコニコと立っている。
 フェルナンドがどうする、と視線で聞いてきた。
「さて。適当に見て返すか」
 ヘルマンの台詞を聞いていて、ルイスはふと思いついたことがあった。
「公爵様」
 小声で呼びかけると、ヘルマンが少しかがんでくれる。その耳元で、ゲオルグに聞こえないように言った。
「筆跡を確かめたい」
「ああ、それはいい考えだな」
 ヘルマンは頷いてゲオルグを呼んだ。
「その商品をもらおう」
 差したのは翡翠の置物だった。明らかに適当だ。
「はっ!ありがとうございます!!さすが公爵様、ご決断がお早い!」
「――少し研磨が足りていないようだな。もう少し磨いてから届けてくれ」
「は、これは、失礼いたしました」
「契約書を交わそう。フェルナンド」
「はい。――ああ、すみません、商会長、こちらで契約書を交わしましょう」
「はい!ありがとうございます」
「面倒なので、今から言うから商会長が文面も書いてね」
「もちろんでございます!」
 え、そんな感じで書かせるんだ。ルイスは少しびっくりした。しかしそこは天下の公爵家である。公爵家のいうことがこの世のルールのようだ。そういうこともあるんだろうということになる。
 ルイスは強引な手法に少し驚いていたが、ヘルマンは何事もなかったように商品を見て回っていた。

 結局買ったのは謎の翡翠の置物だけで、それはいつの間にか食堂の窓辺に自然に飾られていた。
 筆跡鑑定の結果は時間がかかるので公爵領に帰ってからとなりそうだ。
 数日後、一行はヴェッターホーンへ帰ってきた。
 首都の賑やかさに比べると、ヴェッターホーンはやはり落ち着く。
 いつのまにか馬に乗れるようになったベンが馬で移動するというので、今は一緒に乗せてもらっている。
 馬車よりはお尻が痛くない。
 公爵邸が見えてきて、ルイスは空気思いっきり吸い込んだ。
 牧草と、草花の香り。懐かしい匂いだ。
「帰ってきたな」
「うん。――なんか、ここが故郷なんだって実感するね。離れると」
「ああ」
 約一ヶ月ぶりのヴェッターホーンだ。
「走るか」
「やめて」
 馬車の一団なので、進行はゆっくりである。走る必要などないのに、ベンは度々馬を走らせようとする。初めは風が気持ちいいと思っていたが、揺れるし、お尻は痛いし、バランスをどう取っていいかわからずベンにしがみつくしかない。
「慣れだ、こんなの」
「馬が可哀想でしょ。重いのに」
「こいつ軍馬だぞ」
 鎧を着て乗ることを想定しているため、重量のある騎手で訓練を積んでいる。
「走りたいなら降りるから好きにしなよ」
 別にそれでも構わなかったが、ベンは諦めたようだった。
 ゆっくりとした足取りで一行に混ざりながら、公爵邸に到着した。
 出迎えの脇を通り過ぎながら、ルイスはそのまま寮へ向かう。
 それぞれが旅の荷解きをし始まる。
 屋敷の入り口で、ヘルマンを出迎えるクリスティーナを見かけた。六十を過ぎたとはとても思えない美貌だ。ユリアにもにこやかに話しかけているのを見て、少しホッとしながら寮へ歩いた。



 ヘルマンから連絡があり書斎を訪れたのは、到着した翌日のことだった。
「疲れてないか」
 そう聞いたヘルマンも全く疲れた様子がなかった。ユリアは旅の疲れで今日は一日中ゆっくりすると言っているらしい。
「はい」
 ルイスも特に疲れは感じていなかった。
「早速だが、筆跡鑑定の結果が出た。――一致した」
 ルイスは息を呑んだ。
 ファルト伯爵家の、不明瞭なものの動き。その不審な取引の時に、執政官や伯爵の名前でサインしているものの、別人の筆跡とされていたその人。
「ゲオルグ一人と?偽証したサイン全て?」
 ヘルマンは頷いた。
「三年近くに及ぶ不正な取引の実行は全てゲオルグによるものだろう」
 ちょろちょろと動き回る低姿勢のゲオルグの姿を思い浮かべる。
 ゲオルグが全て考えて実行したのだろうか。
 横領も、密輸入も、不正転売も――?
「その顔は、納得いかないか」
「なんていうか……わかりません。違和感はあるけど」
「――そうだな。その感覚は大切にしたらいい」
 どういう意味だろうか。意図を読めず首を傾げていると、ヘルマンは書類を渡してきた。
 ゲオルグの基本的な情報と、筆跡鑑定結果の報告書だ。
「とりあえずゲオルグの周辺を中心に調べ直したらどうだ」
「うん……」
 何か見えてくるだろうか。
 首都に行く前の、霧の中を進むような時に比べたら、何か掴んだような気がする。でもそれが本当に実体のあるものなのかどうか。
「古くからの伯爵家を潰したにしては、ゲオルグが大して利を得たとも思えないか」
 ルイスの引っ掛かりを言葉にしてくれた。ルイスは黙って頷く。
「動機は金だけとは限らない。怨恨かもしれないし、何らかのしがらみかもしれない。黒幕は別にいるのかもしれない。――実は伯爵自身の指示だったという線も、捨てるのは早計だろう」
 可能性の一つ一つを言葉にされて、ルイスは頭が整理されていくようだった。
「とりあえずそれらの可能性を考慮しながら、もう少し調べてみよう。結果を待ちなさい」
「僕も……もう少し調べてみる」
 何かわかるかどうかはともかく、少し整理する必要はあるだろう。
「ガフマンの拠点はガーラン伯爵領にある」
 そこは旧ファルト伯爵領の隣だった。ヴェッターホーンからは馬車で二日の距離。東南で隣接している。
「そちらも探ってみよう」
「僕も、一緒に調べたらだめかな」
「一緒に、というと……」
「同行するわけじゃなくて。調査の方向性から見たいというか」
 全体的に調べてもらって結果を見るのではなく,何を調べるかまで指示ができたら,もう少し見えてくるものがあるような気がする。
 影はある程度自分で判断して調査するから、学ぶこともあると思えた。
「同行するわけでないのなら……構わないが」
 ヘルマンは少し考えながら答えた。意外とあっさり許可されて、ルイスは自然と身を乗り出す。
「本当?」
「ああ。拠点の一つを教えるから、シャルムと現地に行って調べてくるといい。但し、週に一度は報告に帰ってくること」
 そんなに頻繁に帰れる距離なのか。
「拠点って」
「モンクレアだ」
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