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第3章
21.
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季節は変わり、冬になった。
あれから、ルイスは何をするかずっと考えていた。未だに答えは出ていないが、今までよりも積極的に外に出るようになった。
時折ベンと旅行に出たりしながら、屋敷の手伝いやヘルマンの手伝いをする日々だった。
補佐官の仕事に魅力を感じないと言ってはいたが、まだまだ知らない事を知るのは楽しい。
ユリアと時々顔を合わせるのも楽しかった。
「こうしていると、ユリア君が働き始めた頃の事、思い出すねえ」
フェルナンドはしみじみとそう言って、手伝いをするルイスを見ながら鼻をすする。ルイスのことは本当に息子のように思っていたから、人一倍感慨深い。
屋敷のみんなも同じような心境のようで、下働きを始めると言った時の舞い上がったような反応も、その後の生温かい視線もずっと続いている。
キャロルは修道院に入った。その報告を聞いた時にも、ルイスは何も感じない自分がいた。
王国法上、修道院に入ると除籍される。ルイスは未成年なので、自動的にユリアの子供ということになるように法律で定められている。
叔父から父へとなって、何が変わるわけでもないがユリアはどこか嬉しそうだった。「お父さんに言ってごらん」とふざけてルイスに声をかけたりする。
そのユリアの強い希望で、屋敷にはルイスの部屋ができた。
ルイスはユリアにそう提案された時、一人では眠れない事も打ち明けた。
「赤ちゃんみたいで、恥ずかしいよね」
消え入りそうな声で言うルイスを、ユリアは笑った。
「恥ずかしくないよ。そっか。時々すごく眠そうな時あるよね」
そう言ってベンも気軽に泊まるように言ってくれた。ベンは初めは落ち着かないと言っていたが、寝る時だけでいいから、と言うとちゃんと夜には寝室に来てくれた。
季節が冬になったせいもあって、暖かな屋敷の設備にもすっかり慣れたようだ。人間、楽なものになれるのは早い。今では一日中だらだらとルイスの部屋で過ごすこともある。
ルイスは毎朝ヘルマンとユリアと朝食を摂った。
単純に距離が近づくだけで気持ちの距離まで近づく、ということがあるんだなと思った。今まで以上にユリアとヘルマンを近くに感じた。
そうして穏やかに時は流れ。
ルイスは十四になった。
執務室のドアをノックして、ルイスは慣れた仕草でそこに入った。
「失礼します」
今日はヘルマンとルイス、フェルナンドに加えてクリスティーナもいる。
「みんな揃ってるんだね」
珍しく何の相談だろう、と思いながら執事長から頼まれた書類を届ける。
「すごい荷物だね」
フェルナンドが言ったのは、ルイスが書類とは別にたくさんの小包を持っていたからだった。
「うん、みんながくれて」
通りすがりに会った屋敷の人が、どんどん誕生日のお祝いと言って手渡してくれる。
ユリアが気を利かせて鞄に入れてくれた。
「すごいね。みんなルイスを自分の子供みたいに可愛がってくれて。はは、甘いものが多いな……」
鞄がいっぱいになったが、これで片手で持てる。
「ありがと。じゃ」
「ルイス――ちょっといいか」
ヘルマンに呼ばれて、何かと思い側へ行く。
「掛けなさい」
促されて席に着いた。
「王室から返答があった。無事ファルト家の復爵がなった」
ルイスははっとユリアを見た。もう知っているようで、にこにこと笑っている。
「早かったんだね」
「そうだな。陛下の退位が決まり、春に予定通り戴冠式が行われることになった。それまでに済ませたいという意見が一致したからな」
ヘルマンが数日不在にしていたのは王都に行っていたのだろう。
王室側に急ぐ必要があったのかは謎なので、ヘルマンがよほど圧力をかけたのかもしれない。
「没収されていた国領がそのまま戻される形になる」
「リア……忙しくなるね」
ヴェッターホーン領は、実は南部でファルト伯爵領とわずかに接している。とはいえ、ファルト伯爵領はかなり辺境である。行き来するだけでも数日かかる。
「補佐官、やめるの?」
「うーん……ちょっと模索中」
曖昧な返事の仕方で、ルイスは首をかしげる。
「しばらくは執政官を置いて、任せたいと思ってるんだ」
「遠いから?」
「それもあるけど、単純に僕の能力の問題が大きいかな」
「何言ってるの」
クリスティーナがここで口を挟んだ。
「ファルト領は鉄鉱山と船舶があるし、リャシナカとの通商条約もある。うちとはまた違った知識が必要になるから、ここから領地を運営するのはまず無理」
扇を広げぱらぱらと優雅に仰いだ。冬なので何かの毛皮がついている。
「要するに、ヘルマンと離れたくないだけでしょう」
「いえ、そういうわけじゃ……」
ユリアはもごもごと言って少し赤くなった。
「僕は、ご主人様やフェルナンド様みたいに、素早く、要領よくたくさんの仕事をするのは苦手なので」
こつこつ帳簿の計算をするのは得意だ。でも、複数の仕事を同時進行でこなす二人を見ていると、とてもそうはなれないと感じる。
「補佐官の仕事もまだちゃんとできていないのに、中途半端なままあれもこれもっていうのは、無理だなって思って」
やるなら伯爵領で本腰を入れて取り組まないと無理だと思う、と言う。
補佐官をやめるという選択肢はないようだ。
「――まあ、実際に領地経営してる貴族って、実は少ないくらいだかね」
フェルナンドがさらりと曝露する。
「え、そうなの?」
「そうだよ。ヘルマン様みたいにちゃんとやろうとしたら、普通は自分の時間なくなるでしょ?社交なんて誰もできなくなるよ」
「言われてみれば……」
ヘルマンは春にちょっと顔を出すだけだ。それでも首都から帰ってくると仕事が山のようにたまっている。
「今すぐ担おうと思う必要はない。得意な分野から、少しずつ移行していけばいい。体制が急に変わらない方が領民も安心できる」
「何もしない領主でも、不満は出ないの?」
「何もしないのに私腹を増やしたら出るだろうが、得た利益をそのまま還元しているうちは文句は言わないだろう」
「要するに、名前だけ変わるって感じなんだ」
「名前と言えば、伯爵でなくて侯爵だがな」
「――え」
ヘルマンがあまりにも普通に言ったので思わず聞き返す。
「ファルト家が?ファルト侯爵?」
「ああ。当然だろう。王家の裁判で、冤罪で当主らの命を奪ったんだ。しかもそれを明らかにしたのもファルト家の後継とあれば」
「へえ……」
「王家としてはなかなか頭は下げられないからな。報償という形で報いたいんだ。――ついでに土地も増えるぞ。ヴェッターホーン領に面する部分を増やす形で」
「すごいね。リア、侯爵様だ」
ユリアはルイスに笑いかけた。
「ルイスのおかげだよ」
「戴冠式の時に大々的に公表する予定だ」
とにかく予定通りに行ったようだ。ルイスはほっと胸をなでおろした。
「――本題はここからだ」
「本題……?もうすでにお腹いっぱいだけど」
「私の後継について」
ヘルマンはまだまだ若く見えるが、後継者についてそろそろ考えなくてはいけない時期とも言える。子供がいないなら縁戚から養子を迎え、後継者教育を始めなくてはいけない。人によっては教育に何年もかかるかもしれないから、遅いぐらいだろう。
ヴェッターホーンともなれば傍系血族も多く、後継者候補は山ほどいるはずだ。
「以前から考えていたんだ。後継者教育も実は始めている」
ルイスは驚いて記憶を辿った。
公爵邸に子どもはいないはずだ。外で教育をしていたのだろうか。
ヘルマンは目を細め、優雅に笑った。ルイスにすっと手を差し出す。
「ルイス・ファルト。――君を養子に迎えたいんだが、どうだろう」
ルイスはきょとんとして、一瞬止まった。
「どう……、え?」
周囲の顔を見ると、みんなルイスを見ていた。返事を待っている顔だ。
誰も反論しない。もうこの四人の中では話が終わっているのだ。
「――冗談だよね」
ヘルマンは首を振った。
「傍系から養子を迎えるんじゃないの?」
「ろくなのがいないのよ」
クリスティーナが答えた。一番反対すると思ったのに。
「公爵位は普通の貴族とは、少し違う」
ヘルマンが淡々と説明する。
「他領と違ってかなりの自治が認められている。私兵も持ち、裁判権もある」
一つの国であるともいえる。
「公爵位を継ぐということは、王国に楯突く力を得るということだ。血筋より能力。能力より、為人だ」
「それは……だから、公爵様は、皇族だから」
「それはたまたま母親が皇族だっただけだな」
何でもないことのように言うが、それにしても、代々皇族との関係が深い一族だ。
「前例がないわけじゃないんだよ」
フェルナンドがルイスの混乱を察して、補足してくれた。
「傍系じゃない養子を迎えて後継に据えたことは過去にもあったんだ」
「それ、戦争の時代とか、特別功績のあった家臣とかだよね」
その歴史はルイスも知っている。平時の今とは事情が違う。
「前例には変わりないでしょ?」
「本当はファルト侯爵を継いでもらいたかったんだ。僕は補佐官の方がいいから、侯爵位はルイスにお願いしようかなって。そのつもりでご主人様と話してたら、やっぱりもったいないなって言われて。今回の件で領地経営について一通り勉強したでしょ?影のことも、裁判についても学んだって聞いたから」
ユリアは、本当にすごいね、と続けた。
「補佐官の仕事は興味ないって言ってたけど、もっと範囲を広げて、領地を治めるのならどうかな」
いや、規模がまるで違う。比べるものでもないと思う。
「そんな、急に他人を連れてきて……反発があるよね」
「こういう時のための独裁だよ。根回しすれば、いけると思う」
フェルナンドが答えた。日頃から伊達に忙しく働いているわけではない。経営の裁可をヘルマンがほとんど担っているから、後継の指名に誰かの口を挟む隙はあまりない。もちろん十分に根回しはするだろうが。
ファルト家を再興した、金眼の少年。感触としては悪くないものを感じる。
「僕……リアと違って、平民として育って来たから。色々と難しいと思う」
「そうでもないよ。ポールマン邸で基本的な所作は教わったでしょ?意外と、違和感ないよルイ君」
「お前はまだ十四だ。これから学んでも少しも遅くはない」
「一度やってみればいいじゃない」
クリスティーナがなんでもないことのように言う。
「大奥様は、反対すると思ってました」
「実践に勝る教育はないわ。ここまで出来上がってるものをみすみす手放すのは惜しいのよね」
「この人は実力至上主義の、効率重視思考だ」
「母親に向かって何、その言い草は。――ルイス、難しく考えなくていいのよ。ヘルマンがいるんだから、一緒にやっていくくらいの気持ちで。また次に渡したらいいんだから」
「実は、王室の許可はもう取ってる」
「えっ……」
早すぎないか。まだルイスは何も知らなかったというのに。
「ファルト家の件と同時に言った方が話が早いからな。とは言え、強要できるものでもない。嫌なら断ってくれ。だが、引き受けてくれたら嬉しい。――一緒に公爵領を治められたらと思う」
ヘルマンにそう言われると、ルイスはもう、断ることなどできなかった。
難しいことはたくさんあるし、とんでもない話だと思う。
でも、他でもないヘルマンが、こうして自分に目を掛け、声をかけてくれるから。
「僕、お父さんって、公爵様みたいな感じかなってずっと思ってた」
いつも見守り、信じてくれて。そして怒ってくれた。
「――やってみたい。頑張ってみたい」
「そうか」
ヘルマンが満足そうに笑った。
「じゃあこれは、十四歳の誕生日プレゼントだ」
ヘルマンは胸ポケットから、見慣れた銀の短剣を出した。
訴訟の書類を全て納め終わった時に、これで本当に終わりだね、とヘルマンに返した短剣だ。
「それ……」
「初めて見るだろうから説明すると」
ヘルマンはルイスの言葉を遮り、何食わぬ顔で語り出した。
「ここについている紋章は、直系のみ使用できるもので、今は私と母が使っている。これを使うという事は私の後継者と周囲に知らしめる事になる」
ヘルマンはルイスにだけ分かるように、唇の端を持ち上げた。
「濫用するようなものではないが……使う時は躊躇うな」
「………….…」
ルイスは呆気に取られたように少し固まった。それを恐れ多いと感じていると取ったのか、クリスティーナが横から呆れたように言った。
「そんな説明しなくてもルイスは分かるわよ。――とにかく持っていればいいの。貴方くらいだと短剣でちょうどいいと思うわよ。わたくしは指輪で持ってるわ」
クリスティーナは指輪をチラリと見せ、ルイスに向かって笑顔を見せた。
「これからは家族として、よろしくね。やっと孫ができて嬉しいわ」
「大奥様……」
ヘルマンによく似た顔でそう言われると、それだけで胸が熱くなる。
「もう少し、孫らしい呼び方はまだ無理かしら?」
クリスティーナの方から、一歩も二歩も歩み寄ってくれている。
それが分かるから、ルイスは胸が熱くなった。赤の他人なのに。こんなに温かく受け入れてくれる。
ルイスは照れたように、ふわりと笑った。
「……おばあ様……よろしくお願いします。これから色々、教えて下さい」
かわいい。
クリスティーナはぼそりと呟いた。
ヘルマンは、それを横目で見た。クリスティーナがルイスのことを実はかなり気に入っていることを知っている。
金眼というだけで気にしていたのに加えて、今回の功績がルイスの実力を裏付けた。
そして何よりこの顔。系統が父親と似ている。簡単に言えば、クリスティーナの弱い顔だ。
クリスティーナはこほん、と取り繕うように咳払いした。
「あまり急ぐんじゃないわよ。ヘルマンはね、さっさと貴方に公爵位を渡して、あわよくばファルトで小ぢんまり、ユリアと二人ゆっくり過ごそうとしているのよ」
そんな、退職後のセカンドライフみたいに。
「だからあまり急がず、子供らしく遊びながら学びなさい」
「はい」
思いがけない誕生日になった。
あれから、ルイスは何をするかずっと考えていた。未だに答えは出ていないが、今までよりも積極的に外に出るようになった。
時折ベンと旅行に出たりしながら、屋敷の手伝いやヘルマンの手伝いをする日々だった。
補佐官の仕事に魅力を感じないと言ってはいたが、まだまだ知らない事を知るのは楽しい。
ユリアと時々顔を合わせるのも楽しかった。
「こうしていると、ユリア君が働き始めた頃の事、思い出すねえ」
フェルナンドはしみじみとそう言って、手伝いをするルイスを見ながら鼻をすする。ルイスのことは本当に息子のように思っていたから、人一倍感慨深い。
屋敷のみんなも同じような心境のようで、下働きを始めると言った時の舞い上がったような反応も、その後の生温かい視線もずっと続いている。
キャロルは修道院に入った。その報告を聞いた時にも、ルイスは何も感じない自分がいた。
王国法上、修道院に入ると除籍される。ルイスは未成年なので、自動的にユリアの子供ということになるように法律で定められている。
叔父から父へとなって、何が変わるわけでもないがユリアはどこか嬉しそうだった。「お父さんに言ってごらん」とふざけてルイスに声をかけたりする。
そのユリアの強い希望で、屋敷にはルイスの部屋ができた。
ルイスはユリアにそう提案された時、一人では眠れない事も打ち明けた。
「赤ちゃんみたいで、恥ずかしいよね」
消え入りそうな声で言うルイスを、ユリアは笑った。
「恥ずかしくないよ。そっか。時々すごく眠そうな時あるよね」
そう言ってベンも気軽に泊まるように言ってくれた。ベンは初めは落ち着かないと言っていたが、寝る時だけでいいから、と言うとちゃんと夜には寝室に来てくれた。
季節が冬になったせいもあって、暖かな屋敷の設備にもすっかり慣れたようだ。人間、楽なものになれるのは早い。今では一日中だらだらとルイスの部屋で過ごすこともある。
ルイスは毎朝ヘルマンとユリアと朝食を摂った。
単純に距離が近づくだけで気持ちの距離まで近づく、ということがあるんだなと思った。今まで以上にユリアとヘルマンを近くに感じた。
そうして穏やかに時は流れ。
ルイスは十四になった。
執務室のドアをノックして、ルイスは慣れた仕草でそこに入った。
「失礼します」
今日はヘルマンとルイス、フェルナンドに加えてクリスティーナもいる。
「みんな揃ってるんだね」
珍しく何の相談だろう、と思いながら執事長から頼まれた書類を届ける。
「すごい荷物だね」
フェルナンドが言ったのは、ルイスが書類とは別にたくさんの小包を持っていたからだった。
「うん、みんながくれて」
通りすがりに会った屋敷の人が、どんどん誕生日のお祝いと言って手渡してくれる。
ユリアが気を利かせて鞄に入れてくれた。
「すごいね。みんなルイスを自分の子供みたいに可愛がってくれて。はは、甘いものが多いな……」
鞄がいっぱいになったが、これで片手で持てる。
「ありがと。じゃ」
「ルイス――ちょっといいか」
ヘルマンに呼ばれて、何かと思い側へ行く。
「掛けなさい」
促されて席に着いた。
「王室から返答があった。無事ファルト家の復爵がなった」
ルイスははっとユリアを見た。もう知っているようで、にこにこと笑っている。
「早かったんだね」
「そうだな。陛下の退位が決まり、春に予定通り戴冠式が行われることになった。それまでに済ませたいという意見が一致したからな」
ヘルマンが数日不在にしていたのは王都に行っていたのだろう。
王室側に急ぐ必要があったのかは謎なので、ヘルマンがよほど圧力をかけたのかもしれない。
「没収されていた国領がそのまま戻される形になる」
「リア……忙しくなるね」
ヴェッターホーン領は、実は南部でファルト伯爵領とわずかに接している。とはいえ、ファルト伯爵領はかなり辺境である。行き来するだけでも数日かかる。
「補佐官、やめるの?」
「うーん……ちょっと模索中」
曖昧な返事の仕方で、ルイスは首をかしげる。
「しばらくは執政官を置いて、任せたいと思ってるんだ」
「遠いから?」
「それもあるけど、単純に僕の能力の問題が大きいかな」
「何言ってるの」
クリスティーナがここで口を挟んだ。
「ファルト領は鉄鉱山と船舶があるし、リャシナカとの通商条約もある。うちとはまた違った知識が必要になるから、ここから領地を運営するのはまず無理」
扇を広げぱらぱらと優雅に仰いだ。冬なので何かの毛皮がついている。
「要するに、ヘルマンと離れたくないだけでしょう」
「いえ、そういうわけじゃ……」
ユリアはもごもごと言って少し赤くなった。
「僕は、ご主人様やフェルナンド様みたいに、素早く、要領よくたくさんの仕事をするのは苦手なので」
こつこつ帳簿の計算をするのは得意だ。でも、複数の仕事を同時進行でこなす二人を見ていると、とてもそうはなれないと感じる。
「補佐官の仕事もまだちゃんとできていないのに、中途半端なままあれもこれもっていうのは、無理だなって思って」
やるなら伯爵領で本腰を入れて取り組まないと無理だと思う、と言う。
補佐官をやめるという選択肢はないようだ。
「――まあ、実際に領地経営してる貴族って、実は少ないくらいだかね」
フェルナンドがさらりと曝露する。
「え、そうなの?」
「そうだよ。ヘルマン様みたいにちゃんとやろうとしたら、普通は自分の時間なくなるでしょ?社交なんて誰もできなくなるよ」
「言われてみれば……」
ヘルマンは春にちょっと顔を出すだけだ。それでも首都から帰ってくると仕事が山のようにたまっている。
「今すぐ担おうと思う必要はない。得意な分野から、少しずつ移行していけばいい。体制が急に変わらない方が領民も安心できる」
「何もしない領主でも、不満は出ないの?」
「何もしないのに私腹を増やしたら出るだろうが、得た利益をそのまま還元しているうちは文句は言わないだろう」
「要するに、名前だけ変わるって感じなんだ」
「名前と言えば、伯爵でなくて侯爵だがな」
「――え」
ヘルマンがあまりにも普通に言ったので思わず聞き返す。
「ファルト家が?ファルト侯爵?」
「ああ。当然だろう。王家の裁判で、冤罪で当主らの命を奪ったんだ。しかもそれを明らかにしたのもファルト家の後継とあれば」
「へえ……」
「王家としてはなかなか頭は下げられないからな。報償という形で報いたいんだ。――ついでに土地も増えるぞ。ヴェッターホーン領に面する部分を増やす形で」
「すごいね。リア、侯爵様だ」
ユリアはルイスに笑いかけた。
「ルイスのおかげだよ」
「戴冠式の時に大々的に公表する予定だ」
とにかく予定通りに行ったようだ。ルイスはほっと胸をなでおろした。
「――本題はここからだ」
「本題……?もうすでにお腹いっぱいだけど」
「私の後継について」
ヘルマンはまだまだ若く見えるが、後継者についてそろそろ考えなくてはいけない時期とも言える。子供がいないなら縁戚から養子を迎え、後継者教育を始めなくてはいけない。人によっては教育に何年もかかるかもしれないから、遅いぐらいだろう。
ヴェッターホーンともなれば傍系血族も多く、後継者候補は山ほどいるはずだ。
「以前から考えていたんだ。後継者教育も実は始めている」
ルイスは驚いて記憶を辿った。
公爵邸に子どもはいないはずだ。外で教育をしていたのだろうか。
ヘルマンは目を細め、優雅に笑った。ルイスにすっと手を差し出す。
「ルイス・ファルト。――君を養子に迎えたいんだが、どうだろう」
ルイスはきょとんとして、一瞬止まった。
「どう……、え?」
周囲の顔を見ると、みんなルイスを見ていた。返事を待っている顔だ。
誰も反論しない。もうこの四人の中では話が終わっているのだ。
「――冗談だよね」
ヘルマンは首を振った。
「傍系から養子を迎えるんじゃないの?」
「ろくなのがいないのよ」
クリスティーナが答えた。一番反対すると思ったのに。
「公爵位は普通の貴族とは、少し違う」
ヘルマンが淡々と説明する。
「他領と違ってかなりの自治が認められている。私兵も持ち、裁判権もある」
一つの国であるともいえる。
「公爵位を継ぐということは、王国に楯突く力を得るということだ。血筋より能力。能力より、為人だ」
「それは……だから、公爵様は、皇族だから」
「それはたまたま母親が皇族だっただけだな」
何でもないことのように言うが、それにしても、代々皇族との関係が深い一族だ。
「前例がないわけじゃないんだよ」
フェルナンドがルイスの混乱を察して、補足してくれた。
「傍系じゃない養子を迎えて後継に据えたことは過去にもあったんだ」
「それ、戦争の時代とか、特別功績のあった家臣とかだよね」
その歴史はルイスも知っている。平時の今とは事情が違う。
「前例には変わりないでしょ?」
「本当はファルト侯爵を継いでもらいたかったんだ。僕は補佐官の方がいいから、侯爵位はルイスにお願いしようかなって。そのつもりでご主人様と話してたら、やっぱりもったいないなって言われて。今回の件で領地経営について一通り勉強したでしょ?影のことも、裁判についても学んだって聞いたから」
ユリアは、本当にすごいね、と続けた。
「補佐官の仕事は興味ないって言ってたけど、もっと範囲を広げて、領地を治めるのならどうかな」
いや、規模がまるで違う。比べるものでもないと思う。
「そんな、急に他人を連れてきて……反発があるよね」
「こういう時のための独裁だよ。根回しすれば、いけると思う」
フェルナンドが答えた。日頃から伊達に忙しく働いているわけではない。経営の裁可をヘルマンがほとんど担っているから、後継の指名に誰かの口を挟む隙はあまりない。もちろん十分に根回しはするだろうが。
ファルト家を再興した、金眼の少年。感触としては悪くないものを感じる。
「僕……リアと違って、平民として育って来たから。色々と難しいと思う」
「そうでもないよ。ポールマン邸で基本的な所作は教わったでしょ?意外と、違和感ないよルイ君」
「お前はまだ十四だ。これから学んでも少しも遅くはない」
「一度やってみればいいじゃない」
クリスティーナがなんでもないことのように言う。
「大奥様は、反対すると思ってました」
「実践に勝る教育はないわ。ここまで出来上がってるものをみすみす手放すのは惜しいのよね」
「この人は実力至上主義の、効率重視思考だ」
「母親に向かって何、その言い草は。――ルイス、難しく考えなくていいのよ。ヘルマンがいるんだから、一緒にやっていくくらいの気持ちで。また次に渡したらいいんだから」
「実は、王室の許可はもう取ってる」
「えっ……」
早すぎないか。まだルイスは何も知らなかったというのに。
「ファルト家の件と同時に言った方が話が早いからな。とは言え、強要できるものでもない。嫌なら断ってくれ。だが、引き受けてくれたら嬉しい。――一緒に公爵領を治められたらと思う」
ヘルマンにそう言われると、ルイスはもう、断ることなどできなかった。
難しいことはたくさんあるし、とんでもない話だと思う。
でも、他でもないヘルマンが、こうして自分に目を掛け、声をかけてくれるから。
「僕、お父さんって、公爵様みたいな感じかなってずっと思ってた」
いつも見守り、信じてくれて。そして怒ってくれた。
「――やってみたい。頑張ってみたい」
「そうか」
ヘルマンが満足そうに笑った。
「じゃあこれは、十四歳の誕生日プレゼントだ」
ヘルマンは胸ポケットから、見慣れた銀の短剣を出した。
訴訟の書類を全て納め終わった時に、これで本当に終わりだね、とヘルマンに返した短剣だ。
「それ……」
「初めて見るだろうから説明すると」
ヘルマンはルイスの言葉を遮り、何食わぬ顔で語り出した。
「ここについている紋章は、直系のみ使用できるもので、今は私と母が使っている。これを使うという事は私の後継者と周囲に知らしめる事になる」
ヘルマンはルイスにだけ分かるように、唇の端を持ち上げた。
「濫用するようなものではないが……使う時は躊躇うな」
「………….…」
ルイスは呆気に取られたように少し固まった。それを恐れ多いと感じていると取ったのか、クリスティーナが横から呆れたように言った。
「そんな説明しなくてもルイスは分かるわよ。――とにかく持っていればいいの。貴方くらいだと短剣でちょうどいいと思うわよ。わたくしは指輪で持ってるわ」
クリスティーナは指輪をチラリと見せ、ルイスに向かって笑顔を見せた。
「これからは家族として、よろしくね。やっと孫ができて嬉しいわ」
「大奥様……」
ヘルマンによく似た顔でそう言われると、それだけで胸が熱くなる。
「もう少し、孫らしい呼び方はまだ無理かしら?」
クリスティーナの方から、一歩も二歩も歩み寄ってくれている。
それが分かるから、ルイスは胸が熱くなった。赤の他人なのに。こんなに温かく受け入れてくれる。
ルイスは照れたように、ふわりと笑った。
「……おばあ様……よろしくお願いします。これから色々、教えて下さい」
かわいい。
クリスティーナはぼそりと呟いた。
ヘルマンは、それを横目で見た。クリスティーナがルイスのことを実はかなり気に入っていることを知っている。
金眼というだけで気にしていたのに加えて、今回の功績がルイスの実力を裏付けた。
そして何よりこの顔。系統が父親と似ている。簡単に言えば、クリスティーナの弱い顔だ。
クリスティーナはこほん、と取り繕うように咳払いした。
「あまり急ぐんじゃないわよ。ヘルマンはね、さっさと貴方に公爵位を渡して、あわよくばファルトで小ぢんまり、ユリアと二人ゆっくり過ごそうとしているのよ」
そんな、退職後のセカンドライフみたいに。
「だからあまり急がず、子供らしく遊びながら学びなさい」
「はい」
思いがけない誕生日になった。
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ユリウスは、魔法が使えないレオンハルトを偽聖者と罵るが、心の中ではレオンハルトのことが気になって仕方ない。
意地悪なのにとても優しいレオンハルト。そして、圧倒的な拳の破壊力で、数々の難題を解決していく姿に、ユリウスは惹かれ、次第に心を許していく……。
全年齢対象。
僕の、しあわせ辺境暮らし
* ゆるゆ
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雪のなか僕を、ひろってくれたのは、やさしい男の子でした。
ふたりの、しあわせな辺境暮らし、はじまります!
ふたりの動画をつくりました!
インスタ @yuruyu0 絵もあがります。
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プロフのwebサイトから飛べるので、もしよかったら!
婚約破棄で追放された悪役令息の俺、実はオメガだと隠していたら辺境で出会った無骨な傭兵が隣国の皇太子で運命の番でした
水凪しおん
BL
「今この時をもって、貴様との婚約を破棄する!」
公爵令息レオンは、王子アルベルトとその寵愛する聖女リリアによって、身に覚えのない罪で断罪され、全てを奪われた。
婚約、地位、家族からの愛――そして、痩せ衰えた最果ての辺境地へと追放される。
しかし、それは新たな人生の始まりだった。
前世の知識というチート能力を秘めたレオンは、絶望の地を希望の楽園へと変えていく。
そんな彼の前に現れたのは、ミステリアスな傭兵カイ。
共に困難を乗り越えるうち、二人の間には強い絆が芽生え始める。
だがレオンには、誰にも言えない秘密があった。
彼は、この世界で蔑まれる存在――「オメガ」なのだ。
一方、レオンを追放した王国は、彼の不在によって崩壊の一途を辿っていた。
これは、どん底から這い上がる悪役令息が、運命の番と出会い、真実の愛と幸福を手に入れるまでの物語。
痛快な逆転劇と、とろけるほど甘い溺愛が織りなす、異世界やり直しロマンス!
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