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第12章 王太子の後悔と、カレーの奇跡
チンピラを使った食中毒騒ぎは、王太子アレクシスがその場に居合わせたことで、企みとは真逆の結果をもたらした。マリアの指示であったことが白日の下に晒され、彼女の悪行は隠しようもなくなった。
聖女の化けの皮が剥がれたマリアは、すべての地位と名誉を剥奪され、王宮から追放。実家での無期限の蟄居を命じられた。ゲームのヒロインが迎えたのは、愛される結末ではなく、自らの嫉妬心によって招いた、惨めな破滅だった。
アレクシスは、執務室で一人、深く項垂れていた。
自分がどれほど愚かだったか。マリアの可憐な外面だけを見て、その内面の黒さに気づけなかった。そして何より、真摯に自分の道を切り拓こうとしていたエリザベスを、理解しようともせず、一方的に断じ、手放してしまった。
収穫祭で見た、生き生きとした彼女の笑顔。黒い噂に屈せず、自分の力で立ち向かった彼女の強さ。そして、今日の騒動の中でも、毅然としていた彼女の姿。そのすべてが、アレクシスの脳裏に焼き付いて離れない。
彼は自分が失ったものの大きさに、今更ながら気づき、深い後悔の念に苛まれていた。
償い、というわけではない。だが、どうしても彼女に直接、謝罪しなければならない。
そう決意したアレクシスは、数日後、護衛も連れず、お忍びで一人、『スパイス・パレット』を訪れた。
店は以前と変わらず、温かい活気に満ちていた。彼は緊張した面持ちで、カウンターの隅の席に座った。
「いらっしゃいま……殿下!?」
注文を取りに来たエリザベスは、客がアレクシスであることに気づき、驚きに目を見開いた。しかし、彼女はすぐに落ち着きを取り戻すと、一人の客として、淡々と彼に向き合った。
「……ご注文は、お決まりでしょうか」
「……一番、基本的なものを頼む」
アレクシスの声は、少し掠れていた。
エリザベスは黙って頷くと、厨房に戻り、手際よくカレーを準備する。やがて、彼の前に、湯気の立つ一皿のチキンカレーが置かれた。
アレクシスは、目の前のカレーをしばらく見つめていた。これが、民を熱狂させ、エリザベスが人生を懸けている料理。
彼はスプーンを手に取り、意を決して、カレーを一口、口に運んだ。
その瞬間、彼の世界が変わった。
複雑で、芳醇なスパイスの香り。じっくりと炒められた玉ねぎの深い甘み。柔らかく煮込まれた鶏肉の旨味。それらが渾然一体となって、口の中に広がる。ただ美味しいだけではない。作り手の想いが込められた、温かくて、優しい味がした。
それは、彼が王太子としてずっと孤独に食べてきた、豪華で味気ない食事とは、全く違うものだった。
「こんなにも……心が、満たされる味だったのか……」
アレクシスは目を見開き、愕然とした。そして、彼は椅子から立つと、カウンターの向こうにいるエリザベスに向かって、深く、深く頭を下げた。
「エリザベス……すまなかった。君のことも、君が愛するこの料理のことも、私は何も分かっていなかった。本当に、申し訳ない」
その真摯な謝罪に、エリザベスは静かに微笑んだ。
時を同じくして、王国では、新たな脅威が忍び寄っていた。原因不明の流行り病が発生し、王都を中心に急速に広まっていたのだ。高熱が出るわけではないが、ひどい倦怠感と、食欲が全くなくなるのが特徴で、人々は日に日に衰弱していった。
街から活気が消え、苦しむ人々が増えていく様子を見て、エリザベスは居ても立ってもいられなかった。
「私のカレーで、みんなを元気にしたい……!」
彼女はすぐに厨房に立つと、前世のスパイスの知識を総動員し、病に苦しむ人々のための特別なカレー開発に取り掛かった。
食欲を増進させるクミンやコリアンダー。身体を温め、血行を良くする生姜や唐辛子。そして、免疫力を高める効果があると言われるターメリックやニンニク。滋養強壮効果のあるスパイスをふんだんに使い、野菜をペースト状にして栄養を凝縮させた「薬膳カレー」。
エリザベスは完成した薬膳カレーを大きな鍋で大量に作り、『スパイス・パレット』の店先で、無料で配り始めた。
「さあ、皆さん!これを食べて、元気を出してください!」
その様子を、謝罪を終えて店を出たアレクシスが、偶然、目にすることになる。
病に苦しむ人々のために、懸命にカレーを配るエリザベスの姿。彼女はもはや、ただの料理人ではない。その姿は、民を救おうとする、聖女そのもののように、彼の目には映っていた。
そして、奇跡が起こる。エリザベスの薬膳カレーを食べた人々が、みるみるうちに食欲を取り戻し、元気になっていったのだ。
「なんだか、身体の底から力が湧いてくるようだ!」
「美味しい……久しぶりに、こんなに美味しいものを食べた……」
エリザベスのカレーが起こした小さな奇跡は、やがて国全体を救う大きな波へと変わっていくことになる。
聖女の化けの皮が剥がれたマリアは、すべての地位と名誉を剥奪され、王宮から追放。実家での無期限の蟄居を命じられた。ゲームのヒロインが迎えたのは、愛される結末ではなく、自らの嫉妬心によって招いた、惨めな破滅だった。
アレクシスは、執務室で一人、深く項垂れていた。
自分がどれほど愚かだったか。マリアの可憐な外面だけを見て、その内面の黒さに気づけなかった。そして何より、真摯に自分の道を切り拓こうとしていたエリザベスを、理解しようともせず、一方的に断じ、手放してしまった。
収穫祭で見た、生き生きとした彼女の笑顔。黒い噂に屈せず、自分の力で立ち向かった彼女の強さ。そして、今日の騒動の中でも、毅然としていた彼女の姿。そのすべてが、アレクシスの脳裏に焼き付いて離れない。
彼は自分が失ったものの大きさに、今更ながら気づき、深い後悔の念に苛まれていた。
償い、というわけではない。だが、どうしても彼女に直接、謝罪しなければならない。
そう決意したアレクシスは、数日後、護衛も連れず、お忍びで一人、『スパイス・パレット』を訪れた。
店は以前と変わらず、温かい活気に満ちていた。彼は緊張した面持ちで、カウンターの隅の席に座った。
「いらっしゃいま……殿下!?」
注文を取りに来たエリザベスは、客がアレクシスであることに気づき、驚きに目を見開いた。しかし、彼女はすぐに落ち着きを取り戻すと、一人の客として、淡々と彼に向き合った。
「……ご注文は、お決まりでしょうか」
「……一番、基本的なものを頼む」
アレクシスの声は、少し掠れていた。
エリザベスは黙って頷くと、厨房に戻り、手際よくカレーを準備する。やがて、彼の前に、湯気の立つ一皿のチキンカレーが置かれた。
アレクシスは、目の前のカレーをしばらく見つめていた。これが、民を熱狂させ、エリザベスが人生を懸けている料理。
彼はスプーンを手に取り、意を決して、カレーを一口、口に運んだ。
その瞬間、彼の世界が変わった。
複雑で、芳醇なスパイスの香り。じっくりと炒められた玉ねぎの深い甘み。柔らかく煮込まれた鶏肉の旨味。それらが渾然一体となって、口の中に広がる。ただ美味しいだけではない。作り手の想いが込められた、温かくて、優しい味がした。
それは、彼が王太子としてずっと孤独に食べてきた、豪華で味気ない食事とは、全く違うものだった。
「こんなにも……心が、満たされる味だったのか……」
アレクシスは目を見開き、愕然とした。そして、彼は椅子から立つと、カウンターの向こうにいるエリザベスに向かって、深く、深く頭を下げた。
「エリザベス……すまなかった。君のことも、君が愛するこの料理のことも、私は何も分かっていなかった。本当に、申し訳ない」
その真摯な謝罪に、エリザベスは静かに微笑んだ。
時を同じくして、王国では、新たな脅威が忍び寄っていた。原因不明の流行り病が発生し、王都を中心に急速に広まっていたのだ。高熱が出るわけではないが、ひどい倦怠感と、食欲が全くなくなるのが特徴で、人々は日に日に衰弱していった。
街から活気が消え、苦しむ人々が増えていく様子を見て、エリザベスは居ても立ってもいられなかった。
「私のカレーで、みんなを元気にしたい……!」
彼女はすぐに厨房に立つと、前世のスパイスの知識を総動員し、病に苦しむ人々のための特別なカレー開発に取り掛かった。
食欲を増進させるクミンやコリアンダー。身体を温め、血行を良くする生姜や唐辛子。そして、免疫力を高める効果があると言われるターメリックやニンニク。滋養強壮効果のあるスパイスをふんだんに使い、野菜をペースト状にして栄養を凝縮させた「薬膳カレー」。
エリザベスは完成した薬膳カレーを大きな鍋で大量に作り、『スパイス・パレット』の店先で、無料で配り始めた。
「さあ、皆さん!これを食べて、元気を出してください!」
その様子を、謝罪を終えて店を出たアレクシスが、偶然、目にすることになる。
病に苦しむ人々のために、懸命にカレーを配るエリザベスの姿。彼女はもはや、ただの料理人ではない。その姿は、民を救おうとする、聖女そのもののように、彼の目には映っていた。
そして、奇跡が起こる。エリザベスの薬膳カレーを食べた人々が、みるみるうちに食欲を取り戻し、元気になっていったのだ。
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「美味しい……久しぶりに、こんなに美味しいものを食べた……」
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