帰還のヘルズゲート

生獣屋 芽怠

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第16話 最後の日

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 不安は私を縛り付ける。キリキリ食い込んで、どこまでも逃がさない。
 外はもうすぐ日が暮れる、夕日の赤い光が部屋に飛び込む中、自分の部屋で不安と戦っていた。  
 最後の日、それは今日の事だ。

「峻くん……」

 デートの日、私は峻くんを呼び止めた。
 ただ、手をつないでもいい? これを言いたくて。
 でも、言えなかった。
 まさか今頃になって後悔するなんて。
 彼は帰って来ると言ったんだ、だから信じて待つだけ。
 帰って来たら私の思いをぶつけるんだ!
 そんな思いが渦巻いていると部屋ドアが開く。

「まこと~、ごはんだよ」

 入って来たのは心だった。

「食欲が無いんだ、ごめんね心、せっかく呼びに来てくれたのに」

「まこと~、びょうきなの? 元気だせよ!」

「心……ありがとう」

 心の気遣いが嬉しかった。本当にありがとう。

「じゃあ、ママにいらないっていうよ」

「うん……」

 心は私を元気づける様に、めい一杯の笑顔を振りまきながら下の階に降りて行った。
 私はボーッとしていても、頭は彼で溢れていた。

 彼のこと、もっと、もっと、知りたい。

 私のことも、もっと、もっと、知って欲しい。

 もし、もう会えなくなったら、嫌だ。

 私が伝えたい言葉、それはたった二文字。
 好き。
 絶対、彼に伝えるんだ! だから、信じて待ってる。
 彼がそう望んでいるから。

 でも、信じるってけっこう大変なんだな。
 私はベットに寝転ぶ。眠くもない。でも、身体に力が入らなくて、心が辛くて横になる。
 気休めだと分かっていながら。
 あなたとの日々が私を締め付ける。
 楽しかっただけ、余計に……。








 ◆ 
 
 空は赤く、徐々に闇が迫るだろう。窓の外を見つめながら俺、佐波峻は必死に恐怖を押し殺していた。
 恐怖。
 地獄の住人共との戦いが怖いわけじゃない、ただ、まこちゃんにもう会えなくなったらと思ってしまうと、無性に怖い。

「どうしたんだ佐波?」

 後ろからスミスが語りかけて来た。今思えばこいつとは不思議な関係だ。
 死神と人間、本当に不思議だ。

「何でもないさ、それより腹減ってないか?」

「ああ、腹ぺこだ……なぁ、佐波、たぶん今日はいろいろ大変だと思う、だから、オレがお前を守る」

「スミス……ありがとうな」

 彼女は恥ずかしかったのか、顔が赤く染まる。

「えっと、べ、別にお前の為じゃないんだぞ! み、皆川の為だぞ!」

 更に顔を赤くしている。

 「分かった、分かった、それでもありがとう。スミス」

「うっ……さ、さぁ、メシだ!」

 おかしな奴、でも少し心が楽になった。
 本当に感謝するよ。
 今日の夕飯は奮発して焼肉だ。スミスは子供の様な顔をして待ちわびていた。

「何だこれは、野菜も肉も生だぞ!」

「今からこのプレートで焼いて食べるんだよ」

 焼肉用のプレートをテーブルに乗せ、スイッチを押し、温まるのを待つ。しばらくしてプレートが温まり、そして肉を焼き始める。

「お~~!」

 頬を真っ赤にして喜んでいる。もしスミスに犬の尻尾があったなら、絶対に振っているだろう。

「ほれ、焼けたぞ、このタレにつけて食うんだ」

 スミスは恐る恐る箸でつかみ、タレをつけ、口へとほうばる。すると笑顔になり、次々と食べて行く。
 どうやら気に入った様だ。

「旨いぞ佐波!」

「そりゃ良かった。お前、箸の使い方上手くなったな」

「そ、そうか?」

 どうやら褒められて嬉しい様だ。スミスは男口調だが、実は一番女性らしいでは無いのかと思う時がある。
 不意にある疑問が頭に浮かび上がった、それはこの戦いが終わったらこいつは一体どうするのだろうか?
 地獄に帰るのか?
 この疑問をスミスに訊いてみる事にした。

「なぁスミス、ゲートが閉じたら……お前はこれからどうするんだ?」

「これから? 変な事を訊くな? オレは死神だぞ? 今までの仕事に戻るだけだ」

「そう、だったな、お前、死神だったんだよな、大飯食らいの」

 ギシギシと、きしむ音が部屋中を駆ける。スミスが俺を睨み付けて、テーブルを握ってきしませていた。

「何か言ったか佐波?」

「すいませんでした!」

 前は平気で物を壊していたのに、今じゃだいぶ丸くなった。スミスは呆れた様な顔をしながら「まぁいい、さぁ食うぞ!」と、肉を食べ始めた。

「いっぱい食えよ」

「……今日の佐波は気持ち悪いな」

 酷いな。ちょっと傷ついたぞ。

 こういった日々が続く事が幸せって事なんだろうな。

「酷い言いようだな、お前は……」

 言葉を言い掛けた瞬間、唐突に感じる異端な寒気、背筋を駆け抜ける恐怖がこの何気ない時を壊した。
 この感じは奴等だ。

「佐波!」

「ああ、これが最後の戦いだ!」

 俺達は部屋のドアを開け放つ。外界へと出向き、辺りを見回す。
 そしてそれは視界に飛び込んで来る。

「な、何だこれは」

 絶句だった。
 目の前の光景が幻だったらどんなに良かっただろうか。
 スミスは背中に翼を生やし、空へ羽ばたく。マンション全体を見る為に。
 その光景、すべての階の部屋が紅く光っているとスミスが伝えてくる。

「全部だと?」

「佐波! 後ろだ!」

 スミスの叫び声に反応し、俺は後方を視界に納める。そこに居たのは蠢く数体の住人、この空間を徘徊していた。

『『ガアアアアアア!』』

「く、結晶の碧発動!」

 瞳は碧く染まり、両手から氷の結晶を作り出し、奴等目掛け解き放つ。
 真っ直ぐに飛び込む結晶は住人を穿つ。

『『ガアアアアアア』』

 数体を結晶化する事が出来たが、一匹すり抜けて来る。奴は黒いイグアナの様な奴だった。

『ビイイイ!』

「来い!」

 奴の顔面を掴み、碧い光りで覆わせる。瞬時、見事結晶化に成功。

「これは気合い入れないとヤバいな」

 取り敢えず、今の奴等だけ地獄へと帰還させる。放たれた光りは奴等を包む。光は俺の肌を紅い色を写し出していた。

「佐波、オレは空中から奴等を仕留める、お前は中を頼む!」

「お前、一人で大丈夫なのか?」

「オレを誰だと思っている? それに見ろ」

 スミスの指先は結界とマンションの間の世界へと向けられた。そこには数多の奴等の影を写し出している。
 影達はマンションを拒絶しながら透明な壁へと吸い込まれるように張り付いている。
 つまり、結界に群がっている。

「前にここを突破した奴がいただろ? あの住人の中に結界を突破できる奴がいるかもしれない。だから飛べるオレが行くんだ」

「スミス、死ぬなよ」

「それはオレがお前に言う事だ……佐波峻、お前は生きろ!」

 翼を解放、あっと言う間に飛翔していく。彼女の姿はコウモリみたいな翼のせいか、悪魔みたいだが、俺の目には天使に見えていた。
 辺り一面の景色は紅い光で塗られていた。建物の部屋一つ一つが紅い光を放っている。

 突然、部屋のドアが開放され始め、住人が出始める。全てが開かれるまで時間は掛からなかった。
 数体、いや、百以上はいるのではないか?
 止まる事無く増えて行く住人共、ああ……気が狂いそうだ。

 突然、激痛が俺を支配した。
 それは背中、服は焼けただれ、肌が露出している。肌は異様な色へと変化し、人が焼ける匂いを漂わせる。
 すぐ後ろに炎を放つ住人がいた。そうか、俺は炎を直撃したのか。
 苦痛に顔が歪む。声が出ない、痛みは声すら俺から奪い取る。

「ぐっ……この……野郎!」

 炎を再度放つ、左手は碧い結晶を作り、それを防ぐ。
 後ろに気を取られすぎていた。前方から咆哮をあげながら住人共が群がり、大群となって迫る。
 住人の中から、一匹が俺に飛び付き、右肩をかじり、少し肉片を持って行く。
 汗が全身を濡らす。痛みは汗を出させ、恐怖を送りつけて来る。
 かじりついた奴を蹴り飛ばす。だが、すぐ側まで住人共は迫っていた。

「うをおおおおお!」

 身体の周りに結晶を発生させていく。結晶は槍へと形を変化させ、一斉に群れの中へと放つ。線を描き、碧く眩い光は奴等を捕らえ貫く。

「まだ……いるのか?」

 この階だけでは無い、まだ居るのだ。身体は保つのか? 精神は保つのか?
 俺と言う存在に問い掛けていた。






 ◇

 その頃スミスは空中を舞いながら戦闘を行っていた。

「行かせるか!」

 円を描く様にスミスの鎌は奴等を分解する。肉塊となった身体は雨の様に地面へと落下した。

「ルベスは何をしている、こんなに通しやがって!」

 結界に群がる住人共は手を伸ばし、外の世界に恋い焦がれている。

「お前達、そこから離れろ!」

 翼を羽ばたかせ、空を滑る。鎌の刃は奴等を睨みつけ、刃は奴等をこの世界から拒絶させる。
 瞬殺とは正にこの事だろう。

「ふぅ、佐波は大丈夫なのか? くそ、また来た!」

 住人共は群れをなし、ヘビの様に蠢きながらこちらを敵意する。
 彼女の心はある事を繰り返していた。『死ぬな、佐波!』幾度もそう繰り返している。








 ◆

 どれだけの時間が経ったろうか、感覚が麻痺していた。
 全身の様々な場所は血液を流し、目は虚ろで長い時間は俺の体力を吸いつくそうとする。

「こいつで……何匹目だ?」

 無数に戦っていた。
 もう何匹倒したのか分からない。
 俺の頭は彼女を映し出す。
 何度も、何度も。彼女という存在は俺を優しく包む。

 彼女の笑った顔が好きだ。

 彼女の側は居心地がいい。

 彼女の名前を何度口にしたか分からない。

 彼女の世界は俺の世界でもあった。

 そしてまた、彼女の名前を口にする。

「ま、まこちゃん……まこ……と……」

 咆哮が聞こえて来る。目の前に広がっていたのは地獄の住人共。
 今こう言った言葉が似合っているだろう。
 絶望。
 約束を思い出す、彼女との約束だ。
 帰って来る、もしかしたら、守れそうもなさそうだ。

 ふざけるな。

 俺は帰るぞ、こいつらをあちら側へ帰し、この日を乗切る、必ず。

 右手から紅い光を放つ。

 左手から碧い光を放つ。

 紅の帰還と結晶の碧を同時に発動させていく。果たして保つだろうか?
 二層の光は世界を覆い始める。

「一気だ、一気に凍らせて帰してやるよ」

 光を全体に広げ始める。この建物を全て覆っていく。紅と碧の色が世界を支配していた。

 その時だ、紅と碧の世界を切り裂いて、人型の住人が接近し、鋭利な刀剣の様な腕が俺を貫いた。

「があああああっ!」

 腹の辺りが熱い、奴の手は俺の腹を突き刺している。

「ぐぅ……がはっ……」

 吐血、液は地面へと流れ、辺りに広がり始める。

『ジャマハサセナイ』

 歪む、世界が。

 寒い、寒い……。








 ◇

 悲鳴が聞こえて気がした。

「峻くん?」

 ベットから起き上がった。辺りは暗く、夜だと私に教える。
 胸騒ぎが止まらない。
 彼を私は求めている。そこにいないと分かっていながら。
 何? この感情は?
 なんで恐怖を感じているの?

「峻くん……」

 また彼の名を呼ぶ。
 胸騒ぎが止まらない。この胸の鼓動を止めてしまいたい。鼓動が波打つ度に嫌な予感だけが私を縛る。
 何これ、痛い、誰かに握りつぶされそうな感じ、吐き気に似た気持ち悪さ。

「まさか……峻くんに何かあったの?」

 彼の名前を口にした途端、不安が倍増する。幾度も彼を虚空に呼ぶ。
 ある事を思い浮かべた。いや、思い浮かべてしまった。
 それは彼の元へ駆け付ける事、そうすればこの嫌な感情は無くなる。
 でもダメだよ。
 約束したんだ。待っているって。
 でも、だけど、やっぱり彼が心配だよ。

「ごめん、約束破るよ……」

 勢いよく部屋を飛び出し、下の階へと向かう。玄関のドアノブに手を掛けた時、私を呼び止める声が動きを止める。

「どこへ行くの、まことさん?」

「ママ……」

「こんな夜遅くにダメですよ? 女の子が夜遊びだなんて」

「……違う」

「え?」

「私は、私は行かなきゃならないの! 約束を破る事になっちゃうけど、それでも!」

 ママの表情は怪訝(けげん)な顔へと変化して行く。
 当たり前だ、いきなりこんな事を言われたって、混乱するだけだ。

「……まことさん?」

「私は行きたいの! 居ても立ってもいられない! 馬鹿な私だけど、何も出来ないけど、それでも!」

 爆発する気持ちを止められない。目が熱い、私は泣いていた。その顔を見たママは、只事では無い事を読み取っていた。

「……何があったか分かりません。でも、今しようとしている事は、あなたが選んだ道なんですね?」

「……うん」

「そう、まことさん、後悔をしないなら、行ってきなさい」

「ママ……ありがとう……行って来ます!」

 扉を開け放ち、どこまでも続く闇の中に消えて行く。その先に、光がある事を信じて。

「……まことさん」

 心配そうに私の名前を呼ぶママがどんどん小さくなって行く。
 荒くなる息遣い。息の続く限り走る。どこまでも、どこまでも。
 恐怖なんかないはずなのに、何で彼の顔ばかり浮かぶの?

「絶対、大丈夫だよ……絶対」

 絶対。この言葉が魔法の呪文だったらよかったのに。
 絶対、大丈夫。
 絶対、生きている。
 絶対、あの事を伝える。
 でも、この世界では絶対なんて事はない。
 だから魔法の呪文だったらよかった。

 もう、考えても仕方ない。今は走ろう。
 この闇の果てに、光がある事を信じて私は走る。








 ◆

 寒さを感じる、と言うものは様々なパターンがある。
 実際に皮膚が寒さを体感する事。
 比喩を使い、心情を語る事。
 今の俺はたぶん後者だろう。

「ぐう……」

 痛みは恐怖を生み、その感情は寒さを感じさせる。
 腹から流れるものは熱いのに。

『キサマノ、ハラワタハ、ウマイカ?』

 人型の住人は奇怪な声で俺に語る。
 奴の手は腹の右側を貫いていた。奴は嫌な笑いを浮かべ、俺を覗く。
 意識が朦朧とし始める中で、前方からは雄叫びを上げ、住人が徘徊し、こちらを目標に定めて近付いて来る。

「くっ、やばい、な……」

『サア、クワセロ!』

 奴の手は俺の中へと動こうとした。そんな事させるかよ! 貫いている手を掴み、碧い光をぶつける。

『ガアアアアアア』

 奴は見事な結晶となり、紅をまとわせて地獄へ帰還させる。

「くそ、血が止まらないじゃないか」

 流れる赤い液は徐々に減っていく。手で押さえるが、指の隙間から流れる。
 体力が保たないだろうな。徘徊する奴等は辺り一面を埋め尽くしていた。
 身体の火傷、腹の傷、体力の限界、この不調和音は俺の気力を削って行く。

「やる事は、一つだけだな……」

 ある事を思い浮かべた。
 今、このマンションは紅と碧の霧に覆われている。つまり、この霧の中なら俺の能力を生かせる。
 一気に奴等を結晶化させて、あちら側へ送り帰す。

「出来るのか?」

 やるしかない、果たして俺の命は持つだろうか? 体力の無い今、命を削るしかない。
 この賭けは上手くいくのか分からない。

「……まこちゃん」

 彼女の名を呼ぶと、不思議と心が癒された。

「……やるか」

 瞼を閉じ、精神を集中させる。
 感覚を建物全てへ広げていく感じ、自分の一部の様に。
 歪む、目の前が。
 まだ、倒れるわけにはいかない。
 ふらつく中、俺の心を支えているのはまこちゃんだった。

 必ず帰る。

「約束、必ず守るから」

 全体に広がる色を全て把握した。これで準備は終わりだ。
 だが、唐突に奴等は俺に牙を向く。
 俺は苦しみの声を放つ。
 ヘビに似た奴に右肩を噛まれ、左腕、両足と体中をかきむしる。苦しむ声はこの空間を走り、絶望を奏でる。

「がぁあ! くっ……か、覚悟……しろよ……な」

 削られた命は建物全体に響き、無数の碧い結晶を出現させ、数多の地獄の住人共を捕らえた。
 放たれた無数の結晶は奴等を捕獲、そして結晶化。雄叫びをあげさせた。

『『ガアアアアアアアアアアアアア!』』

 世界に響く咆哮、二度とこんなもの聞きたくは無い。
 そして、紅の帰還を発動、次々と奴等を消していく。

 紅と碧が混ざり合い、そして薄れていった。

 辺りに地獄の住人の気配が無くなった。
 終わった。あの忌まわしい呪縛から解放されるんだ。

「帰れ……居るべき場所へ」

 ぐにゃりと世界が歪み、倒れたのは冷たい地面。
 頭に繰り返されるのは彼女の、まこちゃんの事ばかりだった。








 ◇

「なんだ! 光が!」

 空中を舞っているスミスの瞳にその光景が飛び込んで来る。彼女の感情は不安を抱いていた。

「まさか佐波か? こんなにいっぺんに帰したのか? ……精神は持つのか?」

 紅と碧の光は、周囲を飛び交い、重なり、薄れていく。
 ようやく光は消え去り、静けさだけが辺りを支配した。

「佐波……」

 彼女は彼をもとめ、辺りを見回す。一階、一階、隅々まで調べる。そして見付けた。

「さ、佐波!」

 目の前に映った光景にスミスを震わせる。震えながら彼女は佐波峻の元に駆け寄る。

「佐波!」

 皮膚は焼け、血が流れ続け、ピクリとも動かない。
 地獄から解き放たれた世界で使命を全うした男は無情にも瀕死に追い込まれていた。









 ◇

「見えた! マンションだ!」

 私の目にマンションが見え始め、不安はさらに増す。無事でいて、ただこう繰り返すばかり。
 結界は中の空間を拒絶するものだ。外からはただのマンションにしか見えない。無論、音も拒絶する。地獄の住人達だけを閉ざす結界は静けさを放つ。

「はぁ、はぁ……」

 私は結界の中へと入っていく。この中がどうなっているのか分からないまま。

「何、これ……」

 愕然。入った途端だった。住人達のバラバラになった肉塊がそこら中に落ちていた。こんなに出て来たなんて。
 足が震え始め、身体全体を揺らす。私はふらつく足取りで、階段を登る。
 上がりながら一階、一階、を調べていった。心臓は激しく波打ち、目は涙を溜めている。

「峻くん! 峻くん! 居たら返事をして!」

 幾度と彼を呼ぶ。だが、響く声はすぐに静けさに食われる。
 不安だけが湧き上がる感情。その時だった、聞き慣れた声が聞こえて来た。

「皆川ー!」

「あ、スミスちゃん!」

 翼を羽ばたかせ、外から彼女が降り立った。彼女は身体のあちらこちらに傷を付けている、凄まじい戦いだったと物語っていた。

「皆川、こないはずじゃ無かったのか?」

「心配だったの、それよりも峻くんは?」

 スミスちゃんは顔を歪ませ、不安を形作る。
 なんでそんな顔をするの?
 恐る恐る私は彼女の名前を呼ぶ。

「……スミスちゃん?」

「さ、佐波は自分の部屋だ」

 私は駆け出して行く。疲れだけが私を邪魔する。
 ようやく彼の部屋の前まで来た、ドアノブが異様な感じを受けた。峻くん、一体どうなったの? 震える手は、扉を開放した。

「峻く……」

 言葉が詰まった。彼は目を瞑り、ベットの上で横になっていた。一瞬見れば、眠っている様に見える。でも、傷だらけだった。
 傷? いや、致命傷だった。体中を傷で覆われている。

「やだ、火傷も……ああ、どうしよう、どうしよう……」

「狼狽えるな! 傷の手当てだろ? 血だけは何とか止めたんだ、だがまだ手当てをしないといけない。手伝え!」

「あ……う、うん!」

 私とスミスちゃんは彼の手当てを始めた。手当てに長い時間が掛かる、それが傷の多さを教えていた。
 傷の手当てが終わる頃にはもう朝になっていた。

「これは死神が使う傷癒しの薬だ、人間にも効くとルベスは言っていた」

「峻くん、死なないで」

 いつまでも眠ったままの彼、寝息の音もたてずに。
 その時だった。部屋の片隅の空間が歪み、人の形を成していく。

「皆さん、大丈夫ですか?」

 その声はルベスさんだった。彼の顔を見た途端に涙があふれ出してしまった。

「峻くんが大変なんです、助けて下さい!」

「すいません、ようやく、ゲートを閉じたところでした……」

 ルベスさんはひどく疲れ切っていた。顔色は蒼白、よほど大変だった事を物語っている。

「ルベス、一体どれだけの数を相手にしたんだ?」

「数千から数万……くらいですかね、はは、流石の私も、疲れちゃいました」

「ルベスさん、峻くんが……峻くんが……」

 ルベスさんは峻くんのそばまで来ると、不快な顔をする。彼からそんな顔を見たくなかった。

「……危険ですね、命を削りすぎています。このままではどうなるか本人次第です」

「分からないの? 峻くん助かるか、分からないの?」

 私を濡らす涙は、枯れ果てずに流れ続けていた。頬を伝い、そして身体を濡らす。

「残念ですが、分かりません」

「そんな……」

「皆川!」

 スミスは私を後ろから抱いてくれた、強く、強く。痛い、この痛みはスミスちゃんの痛みでもあるんだ。だって、抱き締める腕が震えているから。

「大丈夫だ、お前が信じないで誰が信じるんだ?」

「スミスちゃん……」

 涙が止まらない、悲しみと、安らぎと、決意と、いろんな感情が混ざりあっていた。
 そうだよ、私が信じないでどうするんだ。

「私、信じるよ、信じて彼を待つ!」

「ああ、一緒に待とう、皆川」

 ルベスさんはずっと峻くんを見つめていた。複雑な顔で。
 そして何故か安堵の表情が見えた気がした。

「峻は本当によくやりました。人間がここまでやれるとは、“彼女の為”にここまで出来るとは……」

「え? “彼女”って?」

 ルベスさんは微笑んだ。
 意味が分からないままだ。
 あたたかな顔で私と峻くんを交互に見つめ続ける。

「お礼をしなくてはなりませんね」

 そう言うとルベスは私に目線をやる。

「真さん、今から大切なお話があります。どうか、心して聞いて下さい」

「え? ルベスさん?」

「あなたの“封印された記憶”を戻す時が来ましたね」

「え?」

 封印された記憶?
 何の話?
 彼は何を言ってるの? 

 ルベスさんは真剣な顔で私を見詰めていた。そして口を開く。

「なぜ、峻はヘルズゲートを守る様になったのか、その答えは貴女の中にあります」

「私の中? 何を言ってるのか分からないよ!」

「分かる訳がありません。私が断片の記憶を封印したのだから」

 封印された記憶の中に答えがある? 一体どういう事何だろうか? ルベスさんは今からの事を話始める。

「これから記憶を解いていきます。貴女はその間、夢を見る様に無くした記憶を体験していくでしょう」

「無くした……記憶」

 その時、ルベスさんと目が合う。瞳が紅く光出して、私の見る世界が歪み始める。

「あ……ううっ……」

「いってらっしゃい、真さん」

「しっかりな! 皆川」

「私は……」

 歪む世界に飲み込まれていく。

 私は、夢へと旅だった。
 
 
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