5 / 17
2.無自覚なご主人様
2
しおりを挟む
黒部が屋敷の敷地を出る。茜色から夜の帳が落ちようとする空は厚い雲に覆われて、夕凪の冷たい風が短く刈り込まれた頭髪を薙いだ。年齢は40になったばかりだが、人生の風雪に耐えた深い皺が刻まれた厳つい顔は、実年齢よりもずっと老けて見える。
「お疲れさんです」
黒塗りのセダンで待機していた舎弟が、十分に熱を含んだアイコスを渡してくる。それを受け取って口に咥えた。後部座席に乗り込むと、疲れが体をどっと重たくした。
「店は?」
「すでに昨日の売上金の回収と、巡回点検は終わっております。二、三トラブルはありましたが解決済みです。詳細は明日」
「ん、ありがとう。じゃあ染谷のところに送ってくれ。そのまま帰っていい」
「お迎えは?」
「いい。泊る。もう疲れた。明日の朝、7時に迎えに来てくれ」
黒部は時計を確認する。あと5分で動画配信が始まるところだった。
長引かなくてよかった。
黒部はほっとする。いつも営業会議は組長の気分で無駄に長引いたりする。ところが、本家の伝令が何かを伝えた後、すぐに解散となった。後で他の若頭補佐連中に聞いたところ、今日姿の見えない組長の一人が今朝がた仏になっていたらしい。そのニュース速報が昼過ぎに入り、本家の留守番に警察からの呼び出しがかかったとのことだった。
ラーメン屋一本で堅気になりたい。そう言っていた男だった。
「ああ、もうあのチャーシューは味わえねえんだな」
ぼやいて黒部は車内にある手元ボタンを操作する。セダンの真ん中で防弾板の黒い仕切り板が自動的にせり上がってきた。完全とは言えないが防音効果も高い。
黒部はごそごそと胸元を探る。出てきたのはスマートフォンだ。慣れた様子で操作して、いつもの配信サイトを開く。
「みんな~こんばんわ~」
画面に映っているのはケモミミ、眼鏡、巨乳の3Dアバターの女の子。少し鼻にかかったような高めのアニメ声が可愛らしい。
鳥籠ユメミ。雑談系動画配信者。
ただ雑談とは銘打つものの、その見識は広く、物の見方は独特で、きちんと的を得ている。うっすら業界の愚痴を振っても全く物怖じすることもなく、むしろ理解と共感を示したうえで話に乗ってきてくれる。
店の女の子と話すと必ず金や特権的な扱いを狙う下心が見え隠れするせいで、この年まで心から異性との会話を楽しむなんてことができなかった。けれどユメミは違う。顔も素性もお互いに知らずにいられる関係だからこそ、純粋にコミュニケーションだけを楽しんでいられる。その関係が心地よかった。
「こんばんわ!」
「おとうふさん」の名前で5000円を投げる。アバターのユメミが本当に嬉しそうな顔で微笑み、リアクションをしてくれた。
「わー。こんばんわ、おとうふさん。今夜は仕事で参加できないって言ってたのに。嬉しい」
「だるい会議がサクッと終わったからね」
「よかったぁ。久しぶりに一人漫談しなきゃならないかと思って不安だったんですよね。よろしくお願いします」
さらに5000円を投げる。黒部とユメミの関係にちょっかいをかけてくる他のリスナーが8000円を投げたので、1万円をぶっこんで牽制する。
金という武器を使って、ユメミ争奪戦を繰り広げるのも楽しい。こっちには弾丸などいくらでもある。ステゴロのプロだ。負ける気は一切しない。
そうして今夜も黒部はマネーウォーでストレスを発散するのだった。
「お疲れさんです」
黒塗りのセダンで待機していた舎弟が、十分に熱を含んだアイコスを渡してくる。それを受け取って口に咥えた。後部座席に乗り込むと、疲れが体をどっと重たくした。
「店は?」
「すでに昨日の売上金の回収と、巡回点検は終わっております。二、三トラブルはありましたが解決済みです。詳細は明日」
「ん、ありがとう。じゃあ染谷のところに送ってくれ。そのまま帰っていい」
「お迎えは?」
「いい。泊る。もう疲れた。明日の朝、7時に迎えに来てくれ」
黒部は時計を確認する。あと5分で動画配信が始まるところだった。
長引かなくてよかった。
黒部はほっとする。いつも営業会議は組長の気分で無駄に長引いたりする。ところが、本家の伝令が何かを伝えた後、すぐに解散となった。後で他の若頭補佐連中に聞いたところ、今日姿の見えない組長の一人が今朝がた仏になっていたらしい。そのニュース速報が昼過ぎに入り、本家の留守番に警察からの呼び出しがかかったとのことだった。
ラーメン屋一本で堅気になりたい。そう言っていた男だった。
「ああ、もうあのチャーシューは味わえねえんだな」
ぼやいて黒部は車内にある手元ボタンを操作する。セダンの真ん中で防弾板の黒い仕切り板が自動的にせり上がってきた。完全とは言えないが防音効果も高い。
黒部はごそごそと胸元を探る。出てきたのはスマートフォンだ。慣れた様子で操作して、いつもの配信サイトを開く。
「みんな~こんばんわ~」
画面に映っているのはケモミミ、眼鏡、巨乳の3Dアバターの女の子。少し鼻にかかったような高めのアニメ声が可愛らしい。
鳥籠ユメミ。雑談系動画配信者。
ただ雑談とは銘打つものの、その見識は広く、物の見方は独特で、きちんと的を得ている。うっすら業界の愚痴を振っても全く物怖じすることもなく、むしろ理解と共感を示したうえで話に乗ってきてくれる。
店の女の子と話すと必ず金や特権的な扱いを狙う下心が見え隠れするせいで、この年まで心から異性との会話を楽しむなんてことができなかった。けれどユメミは違う。顔も素性もお互いに知らずにいられる関係だからこそ、純粋にコミュニケーションだけを楽しんでいられる。その関係が心地よかった。
「こんばんわ!」
「おとうふさん」の名前で5000円を投げる。アバターのユメミが本当に嬉しそうな顔で微笑み、リアクションをしてくれた。
「わー。こんばんわ、おとうふさん。今夜は仕事で参加できないって言ってたのに。嬉しい」
「だるい会議がサクッと終わったからね」
「よかったぁ。久しぶりに一人漫談しなきゃならないかと思って不安だったんですよね。よろしくお願いします」
さらに5000円を投げる。黒部とユメミの関係にちょっかいをかけてくる他のリスナーが8000円を投げたので、1万円をぶっこんで牽制する。
金という武器を使って、ユメミ争奪戦を繰り広げるのも楽しい。こっちには弾丸などいくらでもある。ステゴロのプロだ。負ける気は一切しない。
そうして今夜も黒部はマネーウォーでストレスを発散するのだった。
1
あなたにおすすめの小説
片想いの相手が「そろそろ恋愛したい」と言ったので、用済みの俺はニートになることにしました。
はぴねこ
BL
高校生の頃、片想いの親友に告白した。
彼はノンケだったから玉砕して友人関係も終わるものだと思っていた。
もしかすると気持ち悪いと軽蔑される覚悟までしていたのに、彼は「今は恋愛をしている時間がないんだ」と自分の夢を語ってくれた。
彼は会社を興した祖父のことをとても尊敬していて、自分も起業したいと熱く語ってくれた。
そして、俺の手を握って「できれば親友のお前には俺の右腕になってほしい」と言われた。
同性愛者の俺のことを気持ち悪いと遠ざけることもせずに、親友のままでいてくれた彼に俺は感謝して、同じ大学に進学して、大学の頃に彼と一緒にゲームを作成する会社を起業した。
あれから二十年間、本当に二人三脚で駆け抜けてきた。
そして、昨年売り出したVRMMOが世界的に大ヒットし、ゲーム大賞を取ったことを祝うパーティーで親友が語った言葉に俺の覚悟も決まった。
「俺もそろそろ恋愛したい」
親友のその言葉に、俺は、長年の片想いを終わらせる覚悟をした。
不憫な拗らせアラフォーが”愛”へと踏み出すお話です。
寂しいを分け与えた
こじらせた処女
BL
いつものように家に帰ったら、母さんが居なかった。最初は何か厄介ごとに巻き込まれたのかと思ったが、部屋が荒れた形跡もないからそうではないらしい。米も、味噌も、指輪も着物も全部が綺麗になくなっていて、代わりに手紙が置いてあった。
昔の恋人が帰ってきた、だからその人の故郷に行く、と。いくらガキの俺でも分かる。俺は捨てられたってことだ。
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
番に見つからない街で、子供を育てている
はちも
BL
目を覚ますと、腕の中には赤ん坊がいた。
異世界の青年ロアンとして目覚めた「俺」は、希少な男性オメガであり、子を産んだ母親だった。
現世の記憶は失われているが、
この子を守らなければならない、という想いだけははっきりと残っている。
街の人々に助けられ、魔石への魔力注入で生計を立てながら、
ロアンと息子カイルは、番のいない街で慎ましく暮らしていく。
だが、行方不明の番を探す噂が、静かに近づいていた。
再会は望まない。
今はただ、この子との生活を守りたい。
これは、番から逃げたオメガが、
選び直すまでの物語。
*本編完結しました
【8話完結】強制力に負けて死に戻ったら、幼馴染の様子がおかしいのですが、バグですか?
キノア9g
BL
目が覚めたら、大好きだったRPGの世界に転生していた。
知識チートでなんとか死亡フラグを回避した……はずだったのに、あっさり死んで、気づけば一年前に逆戻り。
今度こそ生き残ってみせる。そう思っていたんだけど——
「お前、ちょっと俺に執着しすぎじゃない……?」
幼馴染が、なんかおかしい。妙に優しいし、距離が近いし、俺の行動にやたら詳しい。
しかも、その笑顔の奥に見える“何か”が、最近ちょっと怖い。
これは、運命を変えようと足掻く俺と、俺だけを見つめ続ける幼馴染の、ちょっと(だいぶ?)危険な異世界BL。
全8話。
黄色い水仙を君に贈る
えんがわ
BL
──────────
「ねぇ、別れよっか……俺たち……。」
「ああ、そうだな」
「っ……ばいばい……」
俺は……ただっ……
「うわああああああああ!」
君に愛して欲しかっただけなのに……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる