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花弁舞う季節 《誠一郎side》
花弁舞う季節
しおりを挟む僕には、同い年の幼なじみがいる。歳は二十歳で名を島崎 咲子と言う。
咲子は髪の綺麗な人だった。腰まである長い黒髪は濡羽色のシルクのようにつやつやと輝く。影の落ちるほど長いまつ毛、透き通るルビィのような唇、蝋を固めたように白く滑らかな肌。
そんな美しい彼女の事を、僕はとても愛おしいと思った。
しかし、これは恋などのような感情では断じてない。ただ、可愛いらしく美しいそういう感情だ。
桜が見頃の季節、彼女が嫁ぐことになった。もうそんな歳かと、同い年ではあるが他人事のように考える。
「誠一郎にも、きっといい人が見つかると思うわ」
そんな言葉を僕にかける。その日は嫁入り準備で相当疲れていたのだろう、転がりこむように僕の家の扉を開けた。2人でゆっくり話せるのも最後だからと、走って来たのか柔らかな胸が呼吸とともに波打つ。
疲れた彼女にお茶と茶菓子を出した。粗末な物しかないが何も出さないよりは良いだろう。よく晴れた日だったので縁側に案内し、自分も隣に腰を下ろす。
「僕は、しがない事務職だ。なかなか出会いもなくてね」
と、自分を嘲笑するように笑う。自分の容姿は決してとても良いものでもなく、地味でどこにでもいるような顔である。
「ふふ、そうやって謙遜して自分を下に下げる物言いは昔っから変わらないのね」
彼女は楽しそうに笑う。
するとポツリと独り言のように話始めた。
「…私が結婚する相手ね、実は親が決めた相手なの。よく知らないし、お見合いで1度会っただけ。別に悪い人じゃないけれど、なんだか他人行儀で話しても『うん』とか『そうか』って。…嫌われてるのかしらね」
恐らく誰にも伝えたことがないのだろう。ぽつりぽつりと話す彼女の顔は微かに暗い影を落としていた。
「きっと、相手方も緊張しているだけさ。話せばすぐ打ち解けることが出来るはずだよ」
気の利いた返しが出来ない自分に腹が立つ。彼女の暗い顔を見ていると、何時もは出てくる言葉も、喉元に溜まるだけだ。
「そうね…そうだといいわ。……貴方とずっと一緒に居ることが出来たらいいのに。」
僕と一緒に、そう聞こえた気がして胸の奥に痛みが走る。だが彼女はもうすぐ嫁に行く身だ、自分の妄想が生んだ幻聴に違いない。誰に聞かれてる訳でもないが必死に言い訳を並べる。
そんな風に頭で考えていれば、頬を撫でるように風が吹いてきた。今は春の日差しが丁度いい季節だ、冷たさは残るものの凍えるような寒さは感じなかった。隣で揺れて艷めく黒髪を見ていると、走ってきたからだろうか毛先が絡まっているのに気付く。
「毛先が絡まっている。えっと、櫛はどこにあったかな…」
立ち上がり櫛を探そうとすると、私持ってる、と咲子が櫻色のポーチから櫛を取り出す。菊の花があしらわれたシンプルなデザインだが、檜で出来ているようで上物だと一目で分かる。
「…これ?この櫛は彼が贈ってくれたの。『女は、身だしなみくらいしっかりしていろ』って怒られちゃった」
これでも、ちゃんとしてるつもりなのよと苦笑する。
「嬉しいけど、プレゼントに櫛を贈るなんていつの時代かしら。もっと気の利いたアクセサリでも贈ってくれたらいいのに…」
「でも、櫛を贈るだなんてロマンチストじゃないか」
「ロマンチスト?日常で使えるものだからいいけど、櫛なんて今どき流行らないわ」
そう話しながら咲子は丸く切りそろえた爪の並ぶ白い手で櫛で髪をとく。 しかし細かく絡まっていて取れないようだ。
「貸してごらん」
そう言って櫛を受け取り、さらりと流れる髪に触れる。絡まった房を取り、手で抑え毛先から梳いていけば、彼女は梳かしやすいように背を向ける。
「もうすぐ春が終わるわ、夏がくれば貴方とこうやって会うことも出来なくなるのね…」
そういえば相手の家は実家が太く、関東の方に屋敷を持っていると聞いた。恐らく咲子もその屋敷に嫁ぐのだろう。鹿児島の田舎で共に育った親友を送り出すのはこんなにも心が痛くなるものなのだろうか?先程から胸の奥が痛み上手く息を肺に送ることが出来ない。
「会えなくとも、手紙を書くよ。……さあ、梳けたよ」
彼女がありがとう、と感謝を述べていると吹いてきた風に解けた髪がなびく。今まで手にあった髪は指の間を通り離れていく。中指から人差し指に流れる髪の感触。その感触に寂しさと後悔を覚える。
――ああ、なぜこんなにも胸が締め付けられるのか。
その答えが頭に浮かぶ。
最初から気づいていたのだ。農家の家に生まれ十分に教育が受けられない自分に女学校で習った勉強を教えてくれた。彼女のおかげで役場の事務の仕事にも就くことが出来た。
胸いっぱいになるほどの空気を一気に吸い込み、少しずつ少しずつ吐いていく。向き直った咲子の瞳は春の日差しに照らされてキラキラしている。
「咲子、君はきっと幸せになる」
「……だから」
「誰かの言いなりになるのではなく自分の意思で生きて欲しい」
そう話す誠一郎の顔は、いつもの陰気な顔ではなく幼い頃の少年時の顔であった。自分の感情を押し殺し人の目を伺う瞳でなく、自分の思う事を心の底から伝えている。
自分の彼女に対する思いを伝える事はしない。もし伝えてしまえばきっと咲子を困らせてしまう。彼女には相手の人と幸せになって欲しい、そう心から願っているのだ。
「そうね、…ありがとう」
誠一郎の言葉を受けた咲子は一瞬嬉しいような悲しいような色を瞳に映すが、直ぐにいつものにこやかな笑みに戻ってしまった。
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