38 / 69
第4章 対 策
4. 父の言葉 ― 確かな平和のために
しおりを挟むあやかしの沼に入ると、堂々たる態度で請け合ったアベル。
ところが、割り当てられた部屋に一人になると、しばらくして熱が冷めた。そう、あの時は少し興奮していたのだ。これから戦いが始まる! という話を上の者から聞き、関所の衛兵たちが迎撃準備を進めている勇ましい雰囲気に影響されて、自分も勇気ある立派な戦士だという錯覚に陥っていた。
無惨に犠牲になった隊員たちの声を聞いたアベルは、許せない! 敵は卑劣な手を平気で使う悪だ! と強い憎しみをずっと覚えていた。だから、あの時は、恐怖よりも、逆襲できるという闘志の方が勝っていたのである。
なのに、今思えば、まだ見習いなのにあんなふうに言うなんて、自分ではない者が答えたような気分だ。そして情けのないことに、ふいに勇気がくじけた。
そうして、時間が経つにつれ恐ろしさの方が増していき、眠ることができなくなってしまった・・・。
自分にがっかりしたアベルは、それで、気分転換に外へ出た。
そして、庭園の道沿いにあるベンチに座って、涼しい夜風を浴びていた。ここは玄関のすぐそばで、背後には一階の窓が並んでいる。
誰かが玄関から出て来た。ポーチに立っている衛兵が、その人に向かってうやうやしく一礼した。その人は軒先の低い階段を下りて、アベルがいるベンチの方へ曲がってきた。
ルファイアス騎士だ。
「窓からお姿が見えたので。ご一緒しても構いませんか。」
「はい、もちろん。」
アベルが少しずれて場所を空けたところに、ルファイアスは腰を下ろした。
「大丈夫ですか。」
「え、あ・・・はい。」
そう答えながらも、アベルは視線をそらしていた。
ルファイアスが無言で顔をのぞきこむ。
見透かされている・・・と、アベルは観念した。
「いえ・・・あの・・・ほんというと・・・あんまり大丈夫じゃないです。」
わかる・・・というように、ルファイアスはゆっくりと二、三度うなずいた。
「私でよければ。」
下手に聞いたりしないで、目の前の騎士はそう言った。その優しい眼差しは、聞いて欲しいことだけ話せばいい、そう言ってくれていた。
「沼のそばで、彼らの声を聞いたんです。」
ルファイアスは首をひねった。その言葉だけで、だいたいのことは理解できた。今は亡きヘルメスと親しい間柄だったことで、その特殊能力、すなわち風の声を聞ける力については知っていたし、疑わなかった。御霊が集う神秘の山、そう呼ばれるイルマ山で、賢者ヘルメスに育てられたこの少年が、彼と同じその能力を持ったとしてもおかしくはない。変だと思ったのは、〝風〟ではなく〝彼ら〟の声と言ったことだ。沼のそばでと。そこで死にかけたルファイアスは、それについてもさっと理解できた。ということは、死者の声だと。彼が聞いたのは、きっと惨劇の記憶。風というのは、そのようなものまでよみがえらせて、聞かせることができるのか。
一方アベルは、彼が何の指摘もしてこないので通じていると分かり、そのまま言葉を続けた。
「とても悲しく響く悔しそうな声でした。涙が出て、止まらなかった。それで僕・・・敵は突然、思うように力が使えなくなったら、すごく困って慌てふためくだろう。彼らの怨みだと思わせ、悪は討たれると、神の裁きだと思い知らせてやれる、仕返しができるだろうって。だからあの時は、沼に入るのを怖いと思わなかった。」
たかぶる口調とやや乱暴な言葉遣いに、ルファイアスは眉をひそめる。
「バラロワ王国の君主や、その彼の命令に従って、卑怯な殺戮をやり遂げた者たちに、どんな裁きを望みますか。」
そう問われて、視線を地面に向けたアベルは、言わずにはいられなかった言葉を、正直に口にした。
「彼らと同じような、ひどい死・・・。」
ルファイアスは目を伏せ、重いため息をついた。
「残虐に殺された者たちの死は、報復されるべきだと、本音を言えば私も思います。ですが、先代の王や陛下は、その復讐心を解放して実行に移すようなことは、決してしないでしょう。それをすれば、確かな平和をつかむことができなくなるから。憎しみが憎しみを生み、争いが果てなく続いていく。そして、また民間人が巻き込まれていく。陛下は、臣民すべてが永遠に安心できる未来を一番に望んでおられます。耐えがたくても、彼らへの裁きは、過ちを認めて後悔させる以外にありません・・・。」
「でも・・・ラルティス総司令官は・・・彼は納得できるでしょうか。僕よりも許せないでいるはず。」
「確かに、その時は彼も、〝仇を討たねばならない!〟 と強烈に思ったでしょう。しかし今は、その憎悪に打ち勝つため、きっと必死で戦っている。もう戦争はしないと、武器を置いて言える日を迎えるために。これは先代王、つまり、殿下の御父上の言葉です。
〝我々は、いつか武器を置いてこう言える日のために、涙をのんで正義のもとに戦う。もう戦争は止める〟」
僕は子供だ・・・と、アベルは、自分の方が思い知らされた。父は間違っても、怒り任せに人を傷つけたり、手にかけたりしない人だ。その理念に誓って。
「父・・・父上・・・。ルファイアス騎士、もっと詳しく話してください。」
以前、この英雄騎士から、父は死を恐れない勇者だとも聞いたアベルは、あやかしの沼に挑める勇気をもらいたい! とさらに思った。気持ちを立て直さなければ。
「例えば、前に聞かせてくれた、バラロワ王国との戦いの話。」
そして、ふと知りたいと思った。父が憎むことなく懸命に理解し、変えたいと努力を続けた相手のことを。しかし、未だに分かり合えないその相手。
「その時、敵の君主の顔は見ましたか。」
「少しだけ。今、彼の顔を見た・・・と言えるのは、私と、エオリアス騎士だけでしょう。もう一人、先代の王ははっきりとご覧になったはずですが。」
そう答えたルファイアスは、言葉遣いを物語の語り口調に変えた。
彼は、聞き取りやすい声で、丁寧に話して聞かせた。時代背景について説明し、歴史を語った。関守マルクスが軍師として活躍した話をし、エオリアス騎士が最強だと謳われるその腕のほどを話した。もちろん、先代のラトゥータス王については、前に話したよりも特に詳しく聞かせた。
アベルは、父が臣民から愛される理由をさらに理解し、当時はもっと多くいた敵と、どう向き合っていたかをも知った。
そして物語は、ついにバラロワ王国との大戦争の核心へと及んだ。
「その戦いは、本来、一騎打ちではなかった。混戦だった。しかしその中で、ついに互いの王が剣を交え合う事態になった。両者、体の大部分を覆う甲冑を身に着けていたが、兜まで、バラロワの王のものは顔のほとんどを隠していた。だがある時、何を思ったか、彼は兜を取って先代の王に挑んだのだ。それを見た我らのラトゥータス王も、同じように応じた。周りにいた我々は、思わず控えて戦いを見守った。どちらも素晴らしい腕前で、強く、互角だった。だがそのうち、我らの王ラトゥータスが優位になった。我々は勝利を確信した。ところが、相手の近衛兵が割って入ってきたのだ。それで、私とエオリアス騎士も透かさず護衛についた。戦いは再び混戦となり、結果的にはバラロワ王国が敗走して、我らウィンダー王国が勝利を手にした。そこでの二人の戦いは、長く感じられたが、実際には束の間だったかもしれない。」
「どんな人でしたか? 髪や、目の色は。」
「髪は赤かった。瞳は茶色。少し頬がこけてエラの張った顔に、その時は顎鬚を生やしていました。逞しさよりも、頭の良さを感じた。」
「じゃあ・・・イルーシャ王女とは違う。」
「彼女は母親似でしょう。」
ルファイアスは、もうじゅうぶん話したつもりでいた。彼のその表情・・・眉間の皺は無くなり、怯える様子も消えたこと・・・から、もう大丈夫だと思われたから。
一方は傾聴し、一方は語ることに集中していた二人は、そのあいだ気にならなかった夜風を、肌身にしみて感じた。体が冷えてきた。
「殿下、最後に聞かせてください。あやかしの沼に入ると改めて決心した、その想いや目的を。」
復讐心は閉じ込めた。僕も、争いの無い時代を夢見て、確かな平和をつかむために、一役買う。そう思うと、恐怖心まで克服できた気がした。
顔をルファイアス騎士の方へ真っ直ぐに向けて、アベルは答えた。
「ただ、正々堂々たる戦いのため。」
ルファイアスは安心したように微笑んで、うなずいた。
とても落ち着いて言うことができたアベルは、大袈裟だけれど、何か悟りの境地に達したかのような気持ちになった。良かった、やっと眠ることができそうだ。
0
あなたにおすすめの小説
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
大根令嬢の雑学無双、王弟殿下を添えて。~ 前世を思い出したので、許婚をほったらかして人助けしまくります!!
古森真朝
恋愛
気弱な伯爵令嬢のカレンは、自分勝手な婚約者レナートに振り回されていた。耐え続けていたある日、舞踏会で何者かに突き飛ばされ、階段から落ちてしまう。
その傷が元で儚く……なるかと思いきや。衝撃で前世を思い出したカレンは一転、かの『ド根性大根』みたいな超・ポジティブ人間になっていた。
『モラハラ婚約者の思惑なんぞ知るか!! 今度こそ好きなことやって、目いっぱい幸せに長生きするんだから!!!』
昔ひたすら読書に耽って身に着けた『雑学』を武器に、うっかり採れ過ぎた作物や、開墾しようとすると不幸に見舞われる土地、不治の病にかかった王族、等々の問題をどんどん解決。
領地の内外で心強い友人が出来たり、いつの間にかものすごく有名になっていたり、何かと協力してくれる王弟ヴィクトルから好意を寄せられたり(注:気付いてない)する中、温かい家族と共に仕事に励んでいく。
一方、前世から因縁のある人々もまた、こちらに転生していて――
【大賞・完結】地味スキル《お片付け》は最強です!社畜OL、異世界でうっかり国を改革しちゃったら、騎士団長と皇帝陛下に溺愛されてるんですが!?
旅する書斎(☆ほしい)
ファンタジー
【第18回ファンタジー小説大賞で大賞をいただきました】→【規約変更で書籍化&コミカライズ「確約」は取り消しになりました。】
佐藤美佳子(サトウ・ミカコ)、享年28歳。死因は、過労。連日の徹夜と休日出勤の果てに、ブラック企業のオフィスで静かに息を引き取った彼女が次に目覚めたのは、剣と魔法のファンタジー世界だった。
新たな生を受けたのは、田舎のしがない貧乏貴族の娘、ミカ・アシュフィールド、16歳。神様がくれた転生特典は、なんと《完璧なる整理整頓》という、とんでもなく地味なスキルだった。
「せめて回復魔法とかが良かった……」
戦闘にも生産にも役立たないスキルに落胆し、今度こそは静かに、穏やかに生きたいと願うミカ。しかし、そんな彼女のささやかな望みは、王家からの突然の徴収命令によって打ち砕かれる。
「特殊技能持ちは、王宮へ出仕せよ」
家族を守るため、どうせ役立たずと追い返されるだろうと高をくくって王都へ向かったミカに与えられた任務は、あまりにも無謀なものだった。
「この『開かずの倉庫』を、整理せよ」
そこは、数百年分の備品や資材が山と積まれ、あまりの混沌ぶりに探検隊が遭難したとまで噂される、王家最大の禁足地。
絶望的な光景を前に、ミカが覚悟を決めてスキルを発動した瞬間――世界は、彼女の「お片付け」が持つ真の力に震撼することになる。
これは、地味スキルでうっかり国のすべてを最適化してしまった元社畜令嬢が、カタブツな騎士団長や有能すぎる皇帝陛下にその価値を見出され、なぜか過保護に甘やかされてしまう、お仕事改革ファンタジー。
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
「無能」と捨てられた少女は、神の愛し子だった――。 凍てつく北の地で始まる、聖獣たちと冷徹公爵による「世界一過保護な」逆転生活。
秦江湖
恋愛
魔法適性「鑑定」がすべてを決める、黄金の国ルミナリス。 名門ベルグラード公爵家の末娘アデリーンは、十五歳の鑑定式で、前代未聞の『鑑定不能(黒の沈黙)』を叩き出してしまう。
「我が家の恥さらしめ。二度とその顔を見せるな」
第一王子からは婚約破棄を突きつけられ、最愛の三人の兄たちからも冷酷な言葉とともに、極寒の地「ノースガル公国」へ追放を言い渡されたアデリーン。
着の身着のままで雪原に放り出された彼女が出会ったのは、一匹の衰弱した仔狼――それは、人間には決して懐かないはずの『伝説の聖獣』だった。
「鑑定不能」の正体は、魔力ゼロなどではなく、聖獣と心を通わせる唯一の力『調律師』の証。
行き倒れたアデリーンを救ったのは、誰もが恐れる氷の公爵ゼノスで……。
「こんなに尊い存在を捨てるとは、黄金の国の連中は正気か?」
「聖獣も、私も……お前を離すつもりはない」
氷の公爵に拾われ、聖獣たちに囲まれ、これまでの不遇が嘘のような「極上溺愛」を享受するアデリーン。
一方で、彼女を捨てた黄金の国は、聖獣の加護を失い崩壊の危機に直面していた。
慌ててアデリーンを連れ戻そうとする身勝手な王族たち。
しかし、彼らの前には「復讐」の準備を終えたアデリーンの兄たちが立ちはだかる。
「遅いよ。僕らのかわいい妹を泣かせた罪、一生かけて償ってもらうからね」
これは、すべてを失った少女が、真の居場所と愛を見つけるまでの物語。
婚約破棄された公爵令嬢ですが、戻らなかっただけです
鷹 綾
恋愛
王太子カイル殿下から、社交界の場で婚約破棄を言い渡された公爵令嬢リュシエンヌ。
理由は――
「王太子妃には華が必要だから」。
新たに選ばれたのは、愛らしく無邪気な義妹セシリア。
誰もが思った。
傷ついた令嬢は泣き、縋り、やがて戻るのだと。
けれどリュシエンヌは、ただ一言だけ告げる。
「戻りません」
彼女は怒らない。
争わない。
復讐もしない。
ただ――王家を支えるのをやめただけ。
流通は滞り、商会は様子を見始め、焦った王太子は失点を重ねる。
さらに義妹の軽率な一言が決定打となり、王太子妃候補の座は静かに消えた。
強いざまあとは、叫ぶことではない。
自らの選択で、自らの立場を削らせること。
そして彼女は最後まで戻らない。
支えない。
奪わない。
――選ばれなかったのではない。
彼女が、選ばなかったのだ。
これは、沈黙で勝つ公爵令嬢の物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる