花咲き匂う橘の

渡波みずき

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一 賀茂祭

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 四月も半ば、青葉若葉の匂う初夏の訪れたころ━━

 わが権大納言家の邸では、上を下への大騒ぎが起きていた。車宿りには立派な設えの檳榔毛車びろうげのくるまがずらりと並び、華やかに着飾った女房たちが乗りこむのを従者ともども、いまかいまかと待ちかまえている。どの牛車にも葵の花の飾りがさがり、女車の出衣の装いもたいそう煌びやかだ。

 と、さも見てきたかのように語ったものの、あたしとて騒ぎの渦中にいるわけで、実際には様子をのぞきにいった新米女房、近江が興奮しながら、身振り手振りを交えて教えてくれたに過ぎない。

「姫さま、こうも邸内がにぎやかですと、去年のご懐妊祈願の際のお仕度を思い出しますわねえ」

 あたし付きの古参女房の小讃岐なども、うきうきした声音で言って、頬に手をあてる。それを横目に、あたしは脇息にもたれ、深々とため息をついた。

「あのときの身の置き所のない恥ずかしさったら無かったわよ。どれだけ母上を恨んだことか」
「去年の参詣のご一行に加えていただけなかったことが口惜しゅうございましたけれども、今日は小讃岐も姫さまとご一緒できると伺って、楽しみで楽しみで、昨晩はなかなか寝付けませんでしたのよ?」
「そう。そりゃ、よかったわね」

 返答は少し厭味っぽくなってしまった。主人のあたしはお衣裳が重たいわ暑いわ、これから、ぞろぞろと人給ひとだまいの車列を引き連れて、衆目を集めながら出かけなきゃならないことも憂鬱でしかたがないっていうのに、小讃岐は浮かれてばかりいるのだ。厭味のひとつも言いたくなる。
 小讃岐はあたしの不機嫌にようやく気付いたようで、はしゃいでしまったのを決まり悪げにしたものの、不思議そうに問いかけてくる。

「姫さまは、少将さまの晴れ姿をご覧になりたくございませんの?」
「見たいわよ。見たいけど、どうせ見るなら、お忍びでこっそりじっくり見たかったのよ。それなのに、母上があんなことを言い出すから、コトが大きくなっちゃったでしょ?」

 そう、事の起こりは、あたしの夫の道親みちちかが今年の賀茂祭かものまつりの勅使に任命されたことだった。
 賀茂祭は、五穀豊穣や国家安泰を願って執り行われる神事だ。今上のお使いたる勅使が内裏から下賀茂神社、上賀茂神社と都じゅうを回っていくわけだけど、その壮麗な道中の行列は、貴族から庶民に至るまで、大勢の注目の的になるのだ。

 斎王もさることながら、やっぱり祭りの主役といえば、勅使のほう。この勅使ってのが、正しくは近衛使と言って、近衛府から出されるのね。慣例では、近衛中将が務めることが多いらしいんだけど、今年はそこへ、右近衛少将たるわが夫君が抜擢されてしまったのである。

 道親の実家、内大臣家では、先日やっと公表された承香殿の女御さまのご懐妊というおめでたい状況に加えて、末息子の晴れ舞台とあって、力が入りまくっているらしい。それを聞きつけたウチの母上が黙っているはずもなかった。
 報せの届いた翌日にはあたしの部屋に押しかけてきて、それから連日、ご相談にいらっしゃるとあっては、さすがに参ってしまう。

「よろしいですか? 婿どののお衣装を整えてさしあげるのは、婚家のつとめ。季子ときこさまはお裁縫が不得手でらっしゃるから、縫うのはひと針ふた針で構いません。あとは、腕のよい女房に頼みましょう」
「葵の飾りは━━」
「当日は、どこそこからも車を借り集めて、女房は何人引き連れて見物に━━」

 怒涛の勢いにうっかり飲まれそうになっていたけれども、私も百戦錬磨の季子姫だ。母上の提案に待ったをかけるのに、躊躇はなかった。

「祭り見物にいくのは賛成です。でも、あたし、そんなに大所帯で出かけていって目立つのは、ちょっと遠慮したいんですけど」

 ただでさえ、非常識だの出たがりだのとささやかれていたうえに、昨年の懐妊祈願の件もあって、夫の晴れ姿を見に出かけるにも、イロイロと気恥ずかしいところもあるのだ。
 しかし、そんな新妻の機微なんて、母上はばっさりと切り捨ててくださった。

「んまああ、弱気でいらっしゃること。そのようなお気持ちでは、いつか婿どのに見限られてしまいますよ。よろしいですか、季さま。少将さまとて、妻は生涯ひとりとは限りませんのよ。婿どの、ひいては内大臣家がご覧になるのは、妻が祭りを見に来たかどうか、ではありません! 我が権大納言家がどれほど熱心に婿どのをバックアップする気でいるのかを、このときとばかりに、しっかりと、アピールする必要があるのですわ。そのためには、見物のための一行が華やかで、ひときわ目立つことに越したことはありません」

 こうまで言われては、いつものように「道親さまはあたしひとりだと言ってくれています」なあんて反論、できようもなかった。
 そうして、あれよあれよというまに準備万端整えられ、外堀を埋められて、今日に至るのである。

「姫さま。志子ゆきこ姫さまがこちらの対屋にお越しになるそうでございますよ」

 声をかけられて、私は広げた扇の陰で大あくびをして、それから、小讃岐に指示をとばした。

「席の用意はいらないわよ。志がこっちに来たら、すぐにも出かけられるように車を寄せておいて」

 あたしの腹違いの妹、ひとつ年下の志子姫は、つい最近、本邸に引き取られたばかり。母君が亡くなってから父上が引き取るまでのあいだに苦労があったようで、およそ大貴族の姫君にあるまじき価値観の持ち主だ。でも、気持ちのよいほど芯の通った彼女は、ときにとても頼りになる。

 そんな志子姫は、顔を合わせるたびに「季姉さま! あたくしの将来について、父上はどうお考えだと思われます? ご相談に乗っていただけませんこと?」とねちっこいまでに言うので、厄介な存在である。私としては、母上と同じくらい、志子姫のことも持てあましているのが正直なところ。

 その志子姫も、近頃はなさぬ仲の母上を頼みの綱としているらしい。今日は、あたしのお目付け役を買って出て、同乗して祭見物に行こうというのだから、ひとというのはわからないものだ。はじめのころなんて、母上のほうは志子姫を憎き恋敵の娘としか扱わなかったし、志子姫は志子姫で「北の方にご挨拶をするなんて」と嫌がっていたというのに、いったいいつのまにどうやって、あの母上と意気投合したものやら。

 衣擦れの音も高く、気配が近づいてくる。志子姫に違いない。どうせ、このあともずっと一緒にいなけりゃならないのだから、邸内に長居は無用だ。

「小讃岐! 車は?」
「すぐにもお乗りいただけますわ」

 頼もしいお付き女房の様子が心強い。あたしは腰をあげ、まるで迎えうつように志子姫を招き入れた。

「まあ、慌ただしいようすですのね。もう、ご出立の時刻ですの?」

 面食らったようすの志子姫は、そんな表情でも美人で、ついつい見とれてしまう。母君譲りの美貌ときくから、父上も隅におけない。花橘のかさねは、夏らしい青も鮮やかだ。あたしなんかみたいな平凡な顔では印象の柔らかすぎる花橘の色目でも、志子姫が纏えば、ぼやけることがないんだから惚れ惚れする。

 このひとも、後ろ盾を失わなければ性格もゆがまなかったろうし、都でも評判の美しい姫君のひとりに数えられていたことだろう。いまだって、正妻の娘ではなくとも権大納言家の姫には違いないのだから、もっと評判になってもいいと思うんだけど。

 そう思うと惜しいよなあと、まじまじと見つめていると、志子姫はきつく眉根を寄せた。

「何をジロジロと見てらっしゃいますの? あたくし、そうした値踏みするような視線、大ッ嫌いですのよ」
「ごめん、ごめん。相変わらず、うちの妹はきれいだなあって思っただけよ。さ、出かけましょ」

 まだ何か言いたそうな志子姫を軽くいなして、あたしは小讃岐とともに三人で飾り立てられた牛車に乗り込んだ。
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