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 伯爵家に向かう馬車のなか、コルネリアは膝元を見据えながら、やり残したことがないか振りかえった。

 屋根裏部屋に隠していた蔵書は婚姻証明書とともに財産管理人に預けたし、公証人に依頼した証明書の写しは手元にある。身分を証立てる書面は叔父に書かせた。婚姻の支度金のほとんどはディアナに使われてしまったようだが、質素ながら婚礼衣裳はもぎとった。揃いのヴェールと長手袋もある。

 荷物は少なく、付き添う侍女ひとり無い。みじめな道中と言うひともあるだろう。けれども、コルネリアは清々しかった。ワレリア男爵家に、もはや自分の居場所はない。対外的には、生まれ育ったあの場所を追い出されたわけでも、出奔したわけでもないことが、むしろ救いですらある。コルネリアは、単に他家に嫁ぐだけだ。

 ドミティウス伯爵家の門衛は、あらかじめ知らされていた客人の到着に浮き足だったようすだった。コルネリアが車中からさしだす書類をうやうやしく受け取り、門を開け、徒歩で馬車を先導する。広大な敷地のなかには、いくつかの家らしきものが建ち並び、まるでここがひとつの集落であるかのようなふんいきを醸し出している。

 家々は石造りではない。白木製なのかと思ったが、よく見れば乾いた土でできたような色をしている。子どもが通りへ走り出るのを、母親がうしろから押さえる。そのどちらも、肌の色が濃い。

 ──水路の技術者の末裔かしら。

 初代伯爵は、我が国に招いた技術者たちを敷地内に住まわせたのだろうか。あれはその名残かもしれない。めずらしいことだ。

 フェリクスはこの環境で育っている。他の貴族とは考えかたの根本が違う可能性がある。婚約期間をおかない婚姻も、持参金を求めず支度金を用意する姿勢も、婚約披露などの宴を開く気配がないことも、いまのところ例外だらけだ。どれも叔父一家に都合が良かったから受け容れられたが、他家の令嬢に対してこんなことをすれば、社交界から爪弾きにされることだろう。

 やがて馬車はとまった。伯爵家の侍従の手を借りて車を降り、コルネリアは目の前の壮麗な屋敷を見上げた。慣れ親しんだ建築様式にホッとする。こちらも土でできていたら、戸惑ってしまったと思う。

 門衛から渡された書類を手に出迎えたのは、フェリクス本人ではなく執事らしき男だ。グイドと名乗った彼は、コルネリアを見て微笑み、それから証明書に目を落として、訝しそうな顔になった。
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