『青』の作り手 失恋女子と見習い藍師

渡波みずき

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十 藍染工房と叔母

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 年代物のミニに乗り込むと、ますます子どものころに返ったような心地になる。あさぎは、千草がごく幼い時分から、この車を何度も手入れし、大事に乗り続けている。祖父などは、「独り者が道楽で乗る車だ」と揶揄するが、あさぎ同様、千草もこのかわいらしいフォルムが存外に気に入っていた。

「あとでバレるのは嫌やけん、言うとこ。ちーちゃんな、やんだ、親に心配かけたらあかんじょ? 俊子さんに頼まれたわ」
「戻ってきた理由を聞いてくれって?」

 先回りした千草に、ステアリングを握ったまま、あさぎはうなずいてよこす。

「俊子さんやなくて、じいやんかもね。たいそーな」

 舌打ちを聞き、自身の話だというのに苦笑いして、千草は肩をすくめた。

 千草の父方の祖父と、その娘であるあさぎとは、あまり折り合いがよくない。それは、あさぎが染色作家になり、家業を手伝わなかったせいもあるだろうが、他にもさまざまに理由のあることなのだろうと思っている。

 独身を貫いていることや、伝統的な藍染めにこだわらないせいで商工会議所や阿波藍の保存会と、たびたびやりあっている向こうっ気の強さも影響している。隠しごとを嫌うさっぱりとした性格をしているので、千草としてはやりやすい相手なのだが、地元にはなじみにくい。

 田舎なんて、どこも同じだ。先頭を切って新しい物事に取り組もうとすれば、だれかが足をひっぱろうとする。それも、悪意なく完全に善意からだというから、始末に困る。嫁いで何十年経っていても余所者と言われ続けて、町内会や婦人会の連絡を飛ばされた挙げ句、あのひとは手伝いにも出てこないと陰口を叩かれる。

 ことばも違う関東から嫁いだ母の苦労を見ていると、叔母はどうしてここにしがみつかなければならないのだろうかと、感じてしまうこともしばしばだった。

 実際、あさぎには直接聞いたこともあるのだ。自分の受験する短期大学を決めようというとき、叔母さんは町を出ようとは思わないのかと、千草は問うた。あさぎは、ただ微笑むばかりだった。

『出ていったら、忘れられるだけやけん。伝手も無うなってしまう』

 あさぎの手がける藍染めには、蒅という天然染料が不可欠だ。それも、他の産地のものではなくて、徳島産の阿波藍だけを使っている。なるほど、それならば、徳島県に残りたいのもわからなくはない。

 よそでは手に入らないというワケではないが、問屋を通して買い付けるよりも、自分で染料の作り手である藍師に交渉できるほうがいい。県内にはもう、阿波藍を製造する藍師の家は、数少ない。その藍師のひとりが自分の実の父なのだから、ほんとうは外に出たって伝手が無くなることなどないだろう。だが、あさぎは血縁よりも地縁こそが鍵だと思っているようだった。

 千草は車窓を流れていく景色に目を向けた。ちょうど吉野川を越え、神山町にむかっていくところだ。あさぎのアトリエは、吉野川の支流である鮎喰川あくいがわのほとり、歯ノ辻にある。山道に至るまでは、もう少し時間の余裕があるだろう。

 帰郷の理由を端的に並べると、あさぎは短い相槌を打った。感想も意見も述べなかったし、アドバイスすらしなかった。

 しばらく、続くことばがあるかを待っていたのだろう。車内には沈黙が続いた。そのうち、アトリエ兼住居の建物が見えてくる。砂利敷きの駐車スペースに車を停め、エンジンも止まると、車内はもっと静かになった。

「ほな、聞かなかったことにするけんね」

 宣言をして、あさぎはシートベルトを外し、車を降りるまえに一度、こちらを見た。いつもより、ほんの少しだけ優しい笑顔に、気が抜ける。

「そうしてくれると、助かるや……」

 あさぎでよかった。他のひとなら、祖父にまで事情が筒抜けになったかもしれない。千草はシートにからだを預けて仰向いてから、気合いを入れて外に出る。

 あさぎのアトリエは、その住人とよく似ている。いつでも、以前見たのと同じ風情で、そこにある。

 真っ白な豆腐のようなそっけない二階建ての建物の正面には、上半分だけガラス張りのアルミ引き戸がついている。引き戸のうえには、木製の看板が掲げられており、筆文字で『藍染工房 Asagi』と書かれている。引き戸の内側は、事務所スペースの六畳ほどの部屋で、その奥に、床の一段さがった工房部分がある。

 あさぎの住居は二階だ。この引き戸からは立ち入れない。裏に回り、外階段を上がっていくと、住居部分の玄関があり、階段はそのまま、屋上の物干しスペースまで通じている。

 千草はまだ、工房部分に入ったことがない。一階の事務所には、足を踏み入れたことがあるが、染め物をする気もなかったし、あさぎも特段勧めなかったので、工房には用がなかったのだ。

 あさぎは、車の鍵についたキーホルダーに人差し指を通して、ぐるんぐるんと手元でまわしながら、くちびるを尖らせる。

「あーあ。ちーちゃんのせいで、今年の蒅、安くしてもらいそこねた!」
「えっ、さっきの、そういう取引だったの?」
「俊子さんにはかなわんわぁ。完全に足元みられとる」

 染色作家に仕事の生命線である染料の値引きを持ちかけるだなんて、だれだってぐらつく条件だ。あさぎは軽い口調で言っているが、本音では惜しいだろう。

「別に、話してもいいよ?」
「あかんあかん! プライドは買われへん」

 目をつぶり、誘惑を断ち切るように手でことわりを示し、かぶりを振る。申し出を拒否してから、あさぎは何かを思いたったように、ぱっと目を開いて、「よし!」と声をあげた。

「ほな、ちーちゃんにはお客さんしてもらお! ハンカチとスカーフと、どっちがええ?」

 あさぎは裏に回ろうとしていたが、きびすを返して表の引き戸の鍵を開けた。ぱちん、と事務所の灯りをつけると、四方の真っ白な壁紙に映えて、いくつかの作品の色彩が目に飛び込んでくる。

 あさぎは、作家としての活動のかたわら、ここで藍染めの体験教室を開いている。染めに使うためのTシャツ、ブラウス、ハンカチ、スカーフなども様々な材質のものを用意してあり、手ぶらで染め物体験ができるとあって、思いのほか盛況らしい。

 体験教室の生徒たちは、自分で染めたものだけではなく、あさぎの作品も購入して帰っていきたがるという。そうした客層が手にとりやすい価格帯の品といえば、千草がよくもらうハンカチやスカーフなどの小物だった。他に、生徒や客にサンプルとして見せるためのTシャツも、トルソーに着せられている。

 あさぎの言う「お客さんをする」とは、事務所にある小物類や過去の作品を購入しろと、そういうことだろうか。千草は事務所に足を踏み入れながら、ぐるりとなかを見回す。ひさしぶりに来ると、さすがに中のようすは様変わりしていた。
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