『青』の作り手 失恋女子と見習い藍師

渡波みずき

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三十 神田と須原

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 染めの練習は、日課になった。どのくらいの時間をおけば、どれだけ青が深まるのかを、日々試し続けた。赤ちゃん用のガーゼハンカチを大量に買っては糸で絞ってみたり、糊を引いてみたりした。自室に置いた衣装ケースは、染め上がったハンカチで、たちまち埋まっていった。

 七月になり、畑の藍草を刈る日が決まると、役場の仕事も佳境を迎えた。発送した課税通知のとおりに徴税が行われ、滞納通知の一回目を送り、町民からの問い合わせへの対応に追われた。

 外線電話を保留にしながら端末を操作して内容を確認し、その間に窓口の来庁者に声をかけられて、担当者に引き継ぐ。目の回る忙しさのなかで駆けまわっている千草をよそに、課長はハンコ片手にのんびりとしている。

「深見さん、慣れたねえ。感心感心」
「課長! お手透きなら、窓か電話に出ていただいても構いませんけれども!」

 バタバタと綴りや資料をひっくり返している横で、悠長な態度を取られては、さすがにカチンと来るというものだ。強気に言い返す千草に、課長はケタケタ笑い、指示には従わずに席を立った。

「部長会報告を聞きに行ってくる。第三会議室。概ね一時間」

 行き先と終了予定だけを端的に告げ、そそくさと退散していく課長を恨めしく思ったが、文句を言う暇もなく、次の電話が鳴る。メモを取って折り返しにして、窓口に飛び出す。通知書を町民のほうにむけて、逆さから見ながら課税理由を説明していると、問い合わせに来た女性は、あら、と、小さく声をあげた。彼女は、千草の指を示してよこす。

「真っ青やけん、びっくりして。絵でも描かれるの?」
「いえ、これは趣味の藍染めのせいです」

 もう今月に入って十度目くらいの『青い指』に関する質問に、にっこりと答える。仕事ではない、趣味だと言えば、ここから先に踏み込んでくるひとは少ない。相手次第だが、大抵の会話は、これでおしまいになる。だが、今日の相手はどうやらひと味違った。

「へえ、どんな作品を作られるの? 今度見せていただきたいわ」

 そんな切り返しをしてきた町民は初めてだった。千草は少々驚きをもって顔をあげた。改めて、相手の顔をよく観察する。

 女性は、七十歳か、それ以上に見えた。しっかりと手入れのされた感じのする和装の女性だ。千草に着物の知識はないが、ひと目みて、良い品だとわかるふんいきがあった。高価なものという意味ではない。ていねいに扱われてきた来歴がにじみ出ていると言ったら、よいだろうか。

 そう思って見れば、彼女の持参した通知書の封筒には、到達した日付がうつくしい楷書で記されていたり、質問したい事項がメモされていたりする。

 千草は、女性の観察にかまけて言いよどんでしまったことを恥じながら、職員としてではなく微笑んだ。

「そうですね、機会がありましたら」
「あら、機会はつくるものよ。フリーマーケットに参加したり、ハンドクラフトの作品を置いてくださるお店にお願いしたり、同好会に入って合同展示会をしたり、ね。自分の意思次第で、どうにでもなるものだわ」

 女性は、ハンドバッグから名刺入れを取り出すと、手製とおぼしき和紙製の名刺をさしだした。

「どこぞにあなたの作品を出すときは、連絡をちょうだいな」

 個人的なやりとりはいけないのではないかと思いながら、つい、千草は名刺を受け取っていた。

「どうして」

 しまいまで言わぬ問いかけに、女性は上品に笑んだ。

「天然染料の染め物をするのに、ゴム手袋をするひとは信じられんだけなのよ。あなたの指をみたら、きっと誠実な染めをなさるんやないかなと直感しただけなの」

 ぜひ、ね。問い合わせの終わり際にも念を押して、女性は立ち去っていった。残された名刺を、周囲の目を気にしつつ、さりげなく胸ポケットにしまう。

 仕事でもないのに、働きようが褒められた気がして、妙な心地になる。ポケットの布地ごしに名刺をそっとてのひらで押さえる。なんだか、どこかへのチケットをもらったような、そんな気分だった。



 七月下旬になって、藍の一番刈りが行われた。祖父は、ここしばらく続いていた雨に気を揉んでいた。刈った藍草は天日干しにする必要がある。天候は大事だ。千草も倣って天気予報に注意を向けていたが、この日の快晴を知るや、ほっと気が抜けた。

 今日刈る範囲は決まっていたが、一気呵成というのは、まさにこのことだ。朝一から、ひと息に刈り取られた藍草は、すぐに裁断機にかけられて、扇風機で茎と葉により分けられた。

 天候はよいが、徳島の夏の気温は、さほどまで上がらない。東京のビル街のあの蒸し暑さを思えば、二十度後半で済む七月を過ごせるだけ、かなりマシだ。

 千草は首にタオルを巻き、頭から日よけ付きの帽子をかぶって、作業に没頭した。草の香りはあたりに満ち、息も苦しくなるほどだ。

「茎ずくもは、うちはやらないけど、よそではやる家もあるらしいね」
「資料を見たな。このようすだと、うちは葉のほうだけで手一杯になりそうだ」

 松葉の口から、製藍所をさして『うち』ということばが出てくるのがこそばゆくて、千草は笑う。めずらしく作業場に出てきた母が会話を聞きつけて、冷えたペットボトル飲料を差しだして言った。

「そりゃあ、ねえ。余所様みたいに乾燥機も、屋根付きの乾燥場も持たないんじゃ、お天道様頼みだもの。手が回らないわよ」

 一本受け取って、汗をぬぐう。軍手を外し、ペットボトルのキャップをひねる。緑茶で喉を潤していると、背後から声がかかった。

「このあいだから気になっていたんだけど、その指、どういうこと? あたしを差し置いて、あさぎさんの工房に出入りしてるの?」

 須原だ。千草はペットボトルを口につけたままふりむいた。須原は、不機嫌を隠しもせずに、にらむように千草の手元を見ていた。

「違うよ、これは自分で建てた藍でついちゃったの。叔母さんのじゃ、ないよ」

 あさぎに教わって藍建てしたことは、秘密なのだろうか。どちらにせよ、うかつに口にすれば、面倒を呼びこみそうな事案だ。

「自分で? あなた、蒅どころか、藍染めのことも何にも知らなかったのに?」

 独学ではないのだろうなと、暗に問われていることに気づいて、千草は言いよどんだ。ふりかえってみれば、まるで弟子みたいな扱いだった。あさぎの懇意の旅館から木灰をもらい、藍を建てるにもいちいち教えを請うた。ワンピースのためには、縫製所や布問屋にも連れていってもらった。

 どこからどうやって話せばいいのだろう。迷っていると、脳天気な声が歌うように割り込んできた。

「千草ちゃんはね、五月ごろから頑張ってたよ、叔母さんに教わりながら、試行錯誤して。僕もTシャツ染めてもらったんだよー! きれいな色だよ、あやかちゃんにもあとで見せてあげるねっ」
「……何よ、それ」

 一段低い声だった。須原のようすがおかしいことを、周囲が察するのにじゅうぶんな、怒気をはらんだ声音だった。

 神田はにこにこと、いつもどおりのかわいらしいくらいの笑顔で、どうしたの? と言いたげにする。それにいらついたのか、須原は一歩、神田に近づいた。

「まさくんまでグルになって、あたしに隠し事してたの? 二か月もずっと? あたしがどれだけ、あさぎさんに藍染めを習いたがってたか、知らなかったワケじゃないでしょう? どうして教えてくれなかったの?」

 悲鳴にも聞こえた。だが、神田は笑みを崩しもしなかった。あっけらかんとした調子で言ってのける。

「だって、あやかちゃん、離れに住みたくなかったんでしょ? だったら、しかたないよ。自分からみんなと距離をおいたのに、あたしだけ仲間はずれにしないでよ、なんて言われても、みんな困っちゃうよねえ? 離れに住んでたら目に入ったと思うよぉ、千草ちゃんが染めたハンカチが、毎日欠かさず干されてたんだから」

 人懐っこい神田にはあるまじき辛辣さだった。反逆とも言える態度に須原は絶句し、それから、何かの答えを探すように、自分を見つめる周囲を見回した。

 千草も視線を受けた。だが、目は合わなかった。須原の強気さは影を潜めていた。怯えたような顔をした彼女に、神田は笑みを消し、冷ややかな視線をむける。

「第一さ、地域おこし協力隊に応募しておいて、定住する気はない、こんな田舎は嫌だ、技術だけ盗んだら都会に戻るんだって、方々で公言するのは、正直どうかと思うんだよねえ。役場のひとも苦笑してたじゃないか。キミの言う『田舎』を受け入れて暮らしているひとにも、ここを選んでこれから長く住み着こうっていう僕らにも、失礼だ」
「まさくんなんか! あんたなんか、何のポリシーも無いくせに、テキトーにあたしを批判しないで!」

 甲高い須原の叫び声は庭にうわんと反響し、地面に広げられた藍草の破片にまみれるように消えた。ギリギリで保っているように見える彼女を、神田は鼻で笑った。

「ポリシーがないから、何なの? 所長やあさぎさんが数十年かけた努力の末に身につけた技術を尊重できない人間になんか、何も言われたくないなあ。一朝一夕にプロレベルになれるはずがないこともわからないんだろ? 一年か二年かそこら弟子入りしただけの人間に『だれそれさんに師事した』って吹聴されたくない職人の気持ちが、キミにわかるの? 師匠の積み上げてきた評価や地盤が弟子にそのまま受け継がれるんじゃないんだよ。弟子の評価が、師匠の実績に影をさすんだ」

 強い語気で言い、神田はことばを区切った。

「僕には、ポリシーが無い。作業に関する健全な思考力も、失って久しいよ。だから、尊敬だけは忘れたくない。所長も、あさぎさんもすごいひとだ。何十年かして、同じようにできるかどうかもわからないくらいすごい。いつか、……いつか、自分でできるようになるために、僕は、いま与えられる作業を一生懸命こなすことしかできない」
「それでええ」

 祖父がつぶやいた。千草がそちらを見やると、祖父はさっと背をむけて、もう一度、小さく言った。

「それでええ。同じ天気の一年は、もう二度と無い。小上粉がどう育つのか、葉藍が乾くまでどれだけ必要なのか。そういうのは、毎年続けて、いつか身につく。初めはみんな、先達の言うなりだ。そうやって、からだが覚えていく。おまえはわしの声を聞け、そいつじゃのうて」

 顎で松葉を示して、祖父は藍草の裁断作業に戻った。扇風機に送られてくる熱風に、気持ちが切り替わる。

 千草はもう一口、お茶を口に含むと、ボトルを母に託し、祖父を追った。松葉も神田も職人たちも、三々五々、千草に倣った。──ただひとり、須原を除いて。

 裁断した葉を庭いっぱいに並べていく。じりじりとした日差しを背中に受けながら、箕をふるうようにして葉を広げ、竹熊手で均一にならす。使わない茎の部分を集め、葉と混ざらぬように処理する。それぞれ、祖父の指示で忙しく立ち働いているうちに、須原の姿はどこにも見えなくなっていた。
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