『青』の作り手 失恋女子と見習い藍師

渡波みずき

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二十九 藍建ての成果

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 初夏の日差しは強く、日焼け止めが無ければすぐに顔も腕も真っ赤になりそうなほどだ。ふたりを待って前庭にたたずんでいる合間も、あさぎは日を避けるように納屋の影に入っている。

 松葉と神田は、ほどなくして離れから出てきた。手には例の白いTシャツがある。

「何があるの?」

 わくわくした調子で神田で尋ねる神田に、千草は手であさぎを示した。ふたりに気づいたあさぎは、くちびるをニッと引き、軽く会釈をしてみせる。

「実はね、叔母さんに教えてもらって、藍建てをしてたの。たったいま、OKが出て、何か染めてみたくて」
「最初が僕たちのTシャツでいいの? 千草ちゃんのものを染めればいいのに」
「うん。でも、初心者だし、上手く染まらないかもしれないし……」

 隠しごとをしていた後ろめたさと、うまく行くかどうかもわからないものに挑戦する緊張感とで、舌がうまくまわらなくなる。声をかけたのは自分なのに、なんて言いぐさだろう。だが、最初に染めたいと思ったのは、松葉のTシャツだったのだ。

 ふたりと目を合わせていられなくなって、手いたずらをしていると、松葉がすっと千草の視界に入るようにTシャツをさしだした。

「染めてほしい」

 そのことばに、背中を押される。だいじょうぶだと言われたような気がして、顔をあげ、目の前のTシャツを両手で受け取る。

「──いいの?」
「ここさいきん、千草さんの指が青くなったのには、気づいてたから。使ってもらえるなら、むしろうれしいよ」

 千草は受け取ったTシャツを、思わず抱きしめた。だれにも言わずにがんばってきたことを認められた気がした。

「ありがとう」

 礼を述べ、神田が僕のも! と、押しつけてきたTシャツも受け取って、あさぎのもとへむかう。

「男衆、これに水汲んできてよ」

 あさぎが声をかけたことで、うしろにふたりがそのままついてきていることに気づく。染めの準備をして、四人でポリバケツを囲みながら、Tシャツを沈める。絞り染めでもなんでもなく、ただ色を見るためだけのような染めだ。先日のように長い時間をおくわけでもない。

 仕上がった淡い青は、しかし、うつくしかった。これまで見たこともないほど、透明感のある色だった。梅雨時のぐずついた曇り空のもとでなお、きらきらとした光沢があった。

「ええ色やな。初めてにしてはずいぶんと、上手う建ったみたいね」

 お墨付きをもらって、涙が出そうなほどのよろこびがあった。

 庭の物干し竿にTシャツの両袖を通して干す。ふわりと身頃に空気をはらむと、また一段と鮮やかさを増して見える。

 松葉たちのTシャツがそよ風にふくらむのを見て、千草は藍建てを始めた当初の目的を思い出した。

 藍染めのワンピースが欲しかったはずだ。それなのに、藍建てに一所懸命になってしまって、好みのデザインのものを探す暇がなかった。ただでさえ、藍畑の世話に役場の仕事、公務員試験の勉強などと並行して取り組んできたので、理想の服を求めて、実店舗やウェブサイトをゆっくりと見てまわる余暇がなかった。

「早く、ワンピースを買わなきゃ」

 つぶやくと、聞きとがめたあさぎがふりむく。

「理想のデザインは決まっとるの?」
「うん。厚手の木綿でね、ミモレ丈のAラインスカートで、おへそくらいまでボタンのついたシャツワンピース。襟をボタンダウンにするか、胸ポケットがついているものにするかは、現物次第で決めようかなと思ってるの」
「具体的ねえ。感心感心」

 からかうような調子で言って、あさぎは愛車に歩きだす。

「それやったら、今日このあとは布を見に行こか。布が決まったら、デザインを起こして、縫製に持ち込もう」
「いやいやいや、もうその手には乗らないからね! プロに縫ってもらったら、それってオーダーメイドじゃん! いったいいくらかかるのよ!」

 びしぃっと人差し指を突きつけて叫んだ千草をいかにも面白そうに見つめて、あさぎは真っ青に染まった指先を上品に頬にあてた。いたずらっぽい笑みで、尋ねかける。

「なんぼかかると思う?」

 さすがにイラッとしたが、あさぎのほうも冗談だったらしい。すぐに表情を切り替えて、バッグから手帳を取り出す。

「いまからなら、ちーちゃんの案だけでなく試せるわよ。糸を染めて、絣や地紋のある生地を織るところから始めることだってできる。本職のデザイナーさんに頼んで、いくつかのデザイン案を出してもらうこともできる。ワンピースを数着作成して、染め分けることもできるわ」
「ちょ、ちょっと待って! 『いまからなら』って、どういうこと? これはわたしのワンピースの話だよ? 商品じゃないんだから、そんなにこだわり抜いたものは作らなくていいでしょう?」

 面食らった千草に対して、あさぎは冷静だった。

「あら。あたしはもともと、ちーちゃんに秋の催事で着てもらうワンピースのことを念頭に置いとったわよ? 藍染めはカジュアルに楽しんでもらうのがいちばんだもの。もちろん、フォーマルにも合うけんど、できればガンガン気にせんで洗うてもうて、灰汁が抜けて色が冴えていくのを見て欲しいの」
「おのれ、騙したなあっ!」

 こちらも冗談で飛びかかったのを、あさぎは難なくいなす。叔母と姪のやりとりを傍目に、松葉と神田はTシャツが風にゆれるのを見ていたが、話が一段落したころを見計らうように、松葉が控えめに割って入った。

「そのワンピース制作のお話ですが、見学してもいいですか?」
「ええ、どうぞ。ただし、あたしの車はごっつい狭いわよ」

 案外あっさりと許可が下りたが、車以外にも条件付きのようだった。あさぎは神田に向きなおると、にこっと笑いかけ、彼の胸を人差し指でつん、と押し返した。

「あんたはあかんね。いつまでも、松葉くんの金魚の糞でいるつもりやったら、あんたに教えることはなんもないわ」

 あさぎはせっかちに愛車に歩いていく。ふだんのへらへらした笑顔のまま凍りついている神田をフォローしてやるべきかと逡巡していると、松葉が千草の腕を取った。そのまま、半ば引きずるようにミニの助手席に押し込まれる。

 松葉と千草がシートベルトを締めるのを待ちきれないようすで、あさぎはアクセルを踏んだ。製藍所から一、二分ほど離れたあたりで、千草は後部座席の松葉を振りかえった。彼は、熊のように大きなからだを丸め、おとなしく腰掛けている。その面に浮かぶ表情は、あまり見たことのないものだ。

 彼は千草と目が合うと、少し困ったように笑った。

「神田のことは、気にしなくて平気だから」
「それや、困るんよ。俊子さんや、じいやんにせっつかれとるんよね、発破かけてくれって」

 運転しながら、あさぎが深くためいきをつく。そうして、バックミラー越しに松葉を見るような仕草をした。

「神田くん、こっちに来ること自体も、あんたが決めたけん、ついてきてしもうたんだって? 完全に依存されとるやないの」
「仕事の案件を前に思考停止しているのを見かねて、つい、手を出してしまってから、手を引くに引きかねてしまって。俺も、初めのうち、神田に仕事の相談を持ちかけたことがあったから、その礼をしているつもりでいるうちに、やりすぎてしまったんです」
「あの子、元から、ああなの? 指示待ちだって聞くけど」
「いいえ。入社したときは、容姿にも才能にも恵まれたカリスマ性のあるタイプでした。でも、配属先の上司と折り合いが悪くて。俺たち同期が気づいたときには、遅かった。たぶん、うつの症状なのだと思います。嫌がって受診しませんが、深く考えることが特にできなくなりました」
「それは、本人も、辛いわよ、きっと。そろそろ、こける痛みを思い出してもええんやないかしら。あんたは観音様ちゃうんよ、腕は二本しか無いの。一方の火の粉を払えば、もう一方はお留守になるけんね」

 ふたりが話している内容は少し抽象的で、千草には詳しい事情をうかがい知ることも、あさぎの考えを把握することもできなかったけれど、松葉にはよくわかったらしかった。

「――はい」

 沈黙を経て彼の口にした応答は短かったが、非常に重い響きがあった。
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