『青』の作り手 失恋女子と見習い藍師

渡波みずき

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三十三 ふたつの再会

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 催事が始まっても、平日のうちは客層が固定されている。比較的年配の女性が多く、ふんいきも和やかで、さほど会場も混み合わない。だが、客足が途絶えることもなかった。

 千草の纏ったワンピースは同業者にも好評で、母娘で来場した客の幾人かは興味を示した。発注に至ったひとまでいる。その場で巻尺を取り出して寸法を測る手伝いをしながら、驚きを隠せなかった。

 あさぎの衣装がすてきなのは確かだが、仕立てから込みで、ブランド品を買うくらいのお値段にはなる。それを即決するひとが来る場所なのだと思うと、ちょっと気後れしてしまいそうになる。

 接客のあいまに自由な時間を見つけては、他のブースを覗きにいく。千草の手許を見て、出展者本人だと思いこんで話しかけてくる相手もいた。

 世間話ができるようになった出展者と、通路に立っていたときだ。見覚えのある人物が展示のあいだをふらふらと歩いていくのが見えた。

 森ガール然とした、ふんわりとした若緑色のワンピースの裾をなびかせた小柄な女性。須原だ。

 千草は会話の相手に断りを入れると、小走りでその背を追いかけた。

「須原さん!」

 声をかけられて、須原はびくっと肩をふるわせる。眼鏡のつるだけが見えるくらい、ほんのちょっぴり顔のむきを変えてみせただけで、こちらをしっかりとふりかえることはしない。けれど、だれの声なのか、彼女もわかっているようだった。

「あさぎ叔母さんも出展してるのよ。むこうの通りに、」

 自分たちのブースまで誘おうとした千草を振り切るように、須原は会場を出た。そのまま、いちばん近くの下りエスカレータを駆け下りていく。

 とっさのことに、千草は追いかけることもできなかった。

 とぼとぼとした足取りでブースに戻り、店番をしているあさぎに、須原を見かけたこと、見失ったことを告げる。あさぎは、へえ……と、ちょっと驚いた表情を見せたが、反応はそれだけだった。

 思い返してみれば、確かにあさぎには須原を懐かしむ理由などない。彼女は、須原が弟子入りを願って押しかけてくることに困惑していたのだから。

 須原がいなくなったのは、千草があさぎから藍染めを習ったからことだろう。タイミングとして、須原が地域おこし協力隊員を辞めてしまった理由は、それ以外考えられない。

 いつ、だれに染め物を習おうと、ほんとうならば、千草に過失があることではない。何度もそう考えようとした。けれど、喉に小骨がひっかかったように、須原の不在は千草をさいなむ。

 だが、今日、偶然にも会いまみえたことで、千草はほんの少しだけ、気持ちが救われた気がした。須原は徳島を去っただけだ。藍から遠ざかってしまったわけではないのだ。それがわかっただけで、どこかで繋がりを持てているように感じて、うれしかった。



 藍染めが繋いだのは、須原と千草の縁だけではなかった。意外な来訪者を見つけたのは、金曜日の夕刻、六時を過ぎたころだ。

 この時間帯になると、会社帰りに立ち寄ったと思しきスーツ姿の客がちらほらと現れるのだが、そのなかのひとりは、ことのほか目立っていた。

 若い男性で、背が高くて、目鼻立ちが整っている。それだけで、周囲の目を引くものだ。だが、彼が目立ったのは、そればかりではなかった。方々のブースに立ち寄り、血眼といったようすで何かを探しているのだ。

 千草はその姿をふしぎな気持ちで見守り、やがて、決心して、あさぎに声をかけた。

「知り合いがいるの。話してきてもいい?」

 あさぎがうなずくのを待って、千草はブースを出た。

 なぜ、彼がここにいるのだろう。かつて相手に抱いた気持ちも、ほとんど忘れかけていた。持ち場を離れてまで話しかけようと思ったのは、ただ、懐かしさと興味がわいたからだ。

 そばまで近寄って、顔を覗き込むようにして、声をかける。

「涼真、ひさしぶり!」

 藍染めのハンカチを手にしていた涼真は、隣からかけられた千草の声に勢いよくふりむいて、大きな目をさらに見開いた。信じられないという顔つきだった。

「千草? ホンモノ? マジで?」

 ひとりごとのように繰り返しながら、涼真はこちらを向いて、両腕を伸ばしてくる。肩をつかまれそうになったのをすんでのところで避けて、千草は周囲を見た。

 通路で立ち止まっていては、邪魔になる。どこか、別のところに移動するのがよさそうだ。そう切り出そうとしたのを遮るように、涼真のほうから提案があった。

「……あっちで、少し話せる?」

 うなずいて、指さされた方向に催事場を出る。奥まったエレベータホールは狭く、ベンチのひとつもない。予想と違ったのだろう。涼真は居心地悪そうな、困った顔をした。

「座りたい? それなら、ちょうどいい場所があるよ」

 千草のこころあたりの場所は、いつも昼の休憩に使っている屋上だ。いまの時間帯の混み具合はわからないが、土日の昼時ほどは混み合わないだろう。

 エレベータの階数表示は、どれもちょうど地下の食品売り場のあたりに集中している。催事場のある七階に到着するのには、いささか時間がかかりそうだった。

 ここで待つよりも、歩きながら話そうと、エレベータホールの隣にある広々とした階段に足をむける。涼真は行く先もわからないだろうに、文句も言わずについてきた。

「いま、どこに住んでるの」
「実家。徳島に戻ったの。今週はたまたま、叔母さんの手伝いで、さっきの藍染めの催事場に詰めてる」

 長い階段をのんびりと登る。久しぶりの刺激に、太ももが重い。息が苦しくならない程度の速度で、千草は足を進める。

「会社でケンカしたじゃん? あのあと、頭が冷えて連絡取ろうとしたら、LIMEはブロックされてるし、部屋は引き払われてるし、いつのまにか会社も辞めて有給消化してて。蒸発したかと思って、頭真っ白になった」
「そっかー、涼真的にはちゃんとケリついて無い感じだったんだ? ごめんね」

 謝罪を口にしてはみたものの、あんまり、ことばに気持ちは乗らなかった。

「千草が徳島出身だってのと、実家が藍染めの関係の仕事してたのは覚えてたから、もしかしてと思って、展示見にきたんだ。まさか、ホントに会えるとは思わなかった」

 嬉しそうに興奮したようすの涼真の声には、違和感しかない。なぜ、いまになっても彼はこれほどまでに自分に執着するのか。もしも、千草がそんなに大事な彼女だったのなら、裏切るべきではなかったし、もっと、大切に扱ってくれていたはずだ。

 半年前ならきっと、こころが揺れただろう。強い悔しさも感じただろう。だが、いまの千草にはどちらの感情もなかった。少し怖くなって、例の彼女の話に水をむけてみる。

「どう、お付き合いは順調?」
「そもそも、付き合ってない。言ったろ、俺は千草としか付き合ってなかった。なあ、俺たち……」

 誠実ぶったことばの前半を聞いたところで、涼真のことばの先を打ち消すように、わざと、あははと、声高く笑う。そうしながら、二、三段下を歩く彼をふりかえる。

「そうだっけ? 聞いた覚えがないなあ。でも、涼真とは別れてよかったよ。地元で彼氏できたし」

 傷つけるつもりで、脳天気を装って言い放つ。涼真はなぜか辛そうな顔をして、自分の足元を見おろした。

「馬鹿だったと思ってる。俺が何やっても、千草は怒らないで許してくれる、受け止めてくれるって思い込んでた」

 涼真の言い分に耳を傾けているうちに、屋上のエレベータホールに辿り着いていた。ガラス戸を通して見えるのは、夕日の名残のある薄暗い空と、屋上のライトアップだ。

 もし、恋人同士のときに訪れたなら、ロマンチックだったかもしれない情景だが、いまこの状況では、とくに感動するものでもなかった。

「わたし、別れる直前まで、涼真と結婚したいと思ってたんだよ。でも、あなたはわたしの誕生日祝いをするレストランすら、自分で選びたくなかったでしょ? あの関係が続いてたら、わたしはずうっと涼真のご機嫌を伺い続けて、大事にされてなくてもニコニコ我慢してたと思う。──あんな自分には、もう、戻りたくないんだ」

 屋上に出る自動ドアは、すぐそこだ。けれども、涼真は最後の数段を上ってはこなかった。彼の目は、じっと千草の下ろされた腕に、その青く染まった指先に注がれていた。

「……未練がましくして、悪かった。声かけてくれて、ありがとう。おかげで、ちゃんと気持ちが整理できた気がする」

 絞り出すように震えた声で言って、決して千草とは目を合わさずに、涼真は踵を返した。きっと、このさき一生、顔を合わせる機会はないだろう。

 千草は、彼の靴音が聞こえなくなってもなお、しばらくその場から動けなかった。
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