『青』の作り手 失恋女子と見習い藍師

渡波みずき

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三十四 藍草のように

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 十月第一週の日曜日、千草は松葉とふたり、神山森林公園にでかけた。公務員試験が終わり、ひと心地ついたころというのもあるが、松葉とデートらしいデートをしたことがないと気づいて、徳島に帰るなり、誘いをかけておいたのだ。

 千草の運転でむかった公園は、千草にとっても十数年ぶりだ。家族連れやハイカーで賑わう景色は、どこか慕わしく、懐かしい。

 動きやすい格好をすべきか迷ったあげく、今日の千草は例のシャツワンピース姿だった。自分で初めて染め上げたワンピースだ。

 遠目には藍一色に見えるものの、近くで見ると、色の不揃いさが目立つ。染め師でなくとも、感想は「まあまあの出来」だろう。生地や仕立てにかけた金額の割に、できあがりが納得いかなくてしょぼくれた千草に、初心者なんて、そういうものだと、あさぎは笑った。目ばかり肥えて、手が追いつかないものなのだそうだ。

 展望広場にむかって、ハイキングコースを辿る。たわいない話を探しては口にして、見上げた道々の木々は、まだ、紅葉には早い。青々とした葉を透かしておりてくる日差しのやわらかさは、まるで初夏のようにさわやかだった。

「わたしね、この公園が子どものときから、すごくお気に入りだったの」

 千草の歩幅に合わせて、のったりと歩みを進めていた松葉がこちらをふりかえる。千草は、スカートのむこうに見え隠れするスニーカーの爪先に目を落としていたが、彼の視線に気がつくと、目を上げ、道の先に顔をむけた。

「うちは、製藍所をしているでしょ? 一年の大半は農家みたいなものだし、畑や藍の世話があるから、家族旅行をしたことがないの。わたしたち兄弟と母だけとか、母方の祖父母とは何泊かで出かけたことがあるけど、じいやんや父は遠くまでは行けない。でも、ここなら、ねだればすぐに連れてきてくれた。日が暮れるまでいっしょに遊んでくれたこともあるし、展望広場から指をさして、『あれがきっとウチの畑だな』って、みんなで探してみたことも、生け垣の迷路で鬼ごっこをしたこともあるわ」
「ご家族との思い出の場所ってことか」

 うなずいて、千草は微笑む。

「公園の入り口のところの和菓子屋さんもお気に入りで、必ず帰りに買って帰るの。わたしには、家族のみんなといっしょに藍の話ができなかったから、共通の話題といったら、この公園のことくらいしかなかったのよ。たぶん、そういうことだったんだと思う。だからここは、いっとう特別だったの」

 いまは違う。千草も、蒅づくりに関わることができるし、日課のように藍染めもする。藍師の孫娘と言われてひねくれることはないし、青い指先を恥じることはない。ここに居場所がないとも思わない。都会への憧れは、とどのつまり、身の置き所のなさの裏返しだった。

「松葉さんは、協力隊員の任期が終わったら、どうするの?」

 神田は、製藍所に居着くつもりらしいと聞いている。松葉は、意を決した千草の問いに薄く笑むばかりで、答えようとはしなかった。案外、まだ決めかねているのかもしれない。

「ワンピースの次は、何を染める?」

 質問に、話題を変えるような質問で返されて苦笑して、千草はスカートの裾を蹴る。

「そうだね、やっぱりハンカチからかな。藍染めは何度洗っても平気だって、多くのひとに気づいてもらうには、普段使いできるものじゃないといけないし」

 今年の蒅ができあがったら、それを買おうと決めている。まだ、二か月以上先の話だ。そうして、新しい染め液を建てる。あさぎには頼らず、ひとりでやってみるつもりだ。

「どこかでハンカチを売ってみるにしても、わたしは素人だから、初めは地元のフリーマーケットに出てみようかと思うの。慣れたら、フリマアプリに出してもいいなって」

 いつか、役場の窓口で老婦人からもらった名刺は、財布に入ったきりだ。今年の蒅から自分だけで建てた藍。そこから染めた青を目にしたら、きっと、連絡する勇気が出るような気がしている。

「わたしも、聞いていい?」

 どうぞと促されて、千草は足を止めた。歩きながらする話ではないと思った。数歩行き過ぎて、松葉がこちらを振りかえる。彼の顔を見上げると、言いたかったことばはふわりと溶けて逃げていきそうになる。その尻尾をつかまえて、千草は懸命に口を開いた。

「どうして、松葉さんは忘れられなかったの。ぜんぶ投げ捨てて徳島に来るほどのこと、なかったんじゃないの?」

 松葉は、千草がそうした疑問を当然口にするものと、予想していたのだろう。目元をやわらげて、驚くほどすんなりとことばを紡ぐ。

「俺が出会った女の子は、蒅を青いと思っていたんだよ。青くてきれいなんだと言って、こっそりと藍の寝床に連れていってくれた」

 幼いふたりが目にした藍の寝床は、青くなんてなかっただろう。発酵途中で腐葉土みたいな見てくれの葉藍を前に落胆しつつも、今度は「あったかくて寝心地がよさそうだ」という彼女といっしょになって、松葉は湿った葉藍のうえに寝転び、まどろんだ。

「みんなにかわいがられながら、ひとを喜ばすことにこころを砕くあの子が、当時の俺にはまぶしかった。身近で、神田が病んだのを見たら、あの子が変わらずにいてくれるのを、自分の目で確かめたくなったんだ」

 松葉はくちびるに笑みを刻んだまま、千草に手をさしだした。その手を取るのに、てらいはあっても迷いは無かった。

「変わってしまったでしょ」
「お互い、大人になったから。でも、内に持つものは変わっていないと思うな」

 歩きはじめて、初めは合わなかった歩幅が徐々に合っていく。

 展望広場についたら、子どものころとは、市街地のようすも違って見えるだろう。藍畑は、確実に減ったはずだ。

 千草のスカートが日差しに光る。藍は繊維の深いところから、うつくしく輝く。それを見下ろして、松葉の手を握りなおして、千草は少しだけ目を伏せて、風を探した。

 自分たちは、藍草みたいだ。これから、いろんなひとに出会い、手を加えられて、仕上がっていく。そうして、いつか、うつくしい青になる。

 上手くいかない日もあるかもしれない。それでも、試行し続けるだけだ。繰りかえした先に、何か新しいことの見える日まで。
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みんなの感想(1件)

野栗
2023.01.05 野栗

はじめまして。野栗と申します。徳島生まれで、田舎ネタの与太話を書きなぐっております。先祖が藍問屋をしていました。藍のことを何も知らないのが恥ずかしいです。
作品、少しずつ拝見します。
とりあえずご挨拶まで🐰

解除

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