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故郷をうたう
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昭和五年十月十日の昼のことだった。
「あなた、緊急ですってよ」
いましがた受けとったばかりの電報を手に、妻が書斎へやってきた。何事かと、成田為三は書きものの手をとめ、電報の封を切った。
「シキユウコラレタシトウオン」
──至急来られたし。東音
東京音楽学校か! 膝頭を打ち、為三はすぐさま立ちあがった。
「文子。少し出てくる」
声をかけると、妻の文子は心得たようすで、外出着を取りに隣室へむかう。
為三は長着の帯を解きながら、不安にかられた。下谷区にある東京音楽学校は、為三の母校だ。自分にこのような電報をよこすとは、よもや恩師の身に何かあったのではないか。
文子が洋服を携えてきた。もどかしく思いつつも袖を通し、タイを締める。朝に無精をせず、ひげをあたっておいてよかった。
為三は身なりをととのえるや、滝野川の自宅を飛びだした。
上野の東京音楽学校へ着き、事務所で名乗ると、用も教えられずに応接室へと通された。為三は、ますます気をもんだ。
長椅子にかけて、茶に手を伸ばす気にもならずにじりじりとして待っていると、紳士がひとり現れ、為三のさしむかいに立った。
だれだろう。事務室長か? それにしては、良い仕立ての服を着ている。為三が椅子から腰をあげると、紳士はこちらが名乗るのも待たずに口を開いた。
「成田君、ご足労感謝する」
素っ気ない挨拶とともに校長の乗杉だと名乗った紳士は、どっかとむかいの長椅子へ腰を下ろすや、単刀直入に切りだした。
「このたび、君を呼び立てたのは、作曲依頼のためだ。秋田県より、県民歌制定に際し、我が校に歌詞を修正し、曲を作成せよとの話があった」
一息に告げられたことばに、理解が追いつかない。為三は、このぶしつけな紳士が校長であるという事実から順に情報を整理して、秋田県の響きに自分が呼ばれた理由をおおよそのところ悟った。県民の卒業生から、ひとり選んだのだろう。だが、秋田出身ならば、もっと有名な作曲家はいただろうにとも思う。
県民歌制定という単語にこころが逸った。作曲家たるもの、自分の作った音が必ず鳴るという確証が得られるのは、何にも代えがたい幸福だ。たとえば、為三自身、交響楽団のための楽曲を何曲か仕上げたことがあるが、日本にはいまだ、まともな楽団はひとつっきりしかない。そこで鳴らされる曲といえば、欧州の名曲ばかり。新進の作曲家の作品が使われる事態は、ほぼあり得なかった。
やりたい。是が非でも、お受けしたい。金など要らぬ。名誉も要らぬ。音が鳴るのだ。
しかし、そこまで考えて、為三は、はたと思いいたった。自分はいま、川村女学院に講師の口を得ている。有り体に言えば、忙しい身だ。今日も授業こそないが、書斎でしていたのは学校での指導の下準備だった。
「──期限はいつまでなのでしょうか」
問うと、校長は唇を舐めた。
「十六日だ」
そのことばに、頭がまっしろになった。
十六日だと? 冗談じゃない! あと六日こっきりで、一曲作れというのか!
「詞は四番までで、公募作で概要ができている。成田君の曲が出来次第、高野先生が良いように詞をあててくださる」
これを聞いて、為三はぞっとしない心地で、さらにもう一度、尋ねてみた。
「……先生。では、秋田県への返送の期限が十六日なのですね?」
「御見込みのとおり。県は、十月末に県民歌を制定するこころづもりらしい。一曲作るのに一週間もあれば足りるとは、いやはや田舎者の考えることは恐ろしい」
その秋田出身の『田舎者』のひとりが目の前にいるにもかかわらず、校長は平気で暴言を吐くや、こう続けた。
「九月に神奈川県で県歌を公募したからな。秋田は教育勅語渙発四十年記念とは謳っているが、単に都会を真似したかったのだろう」
この男の言うなりになってたまるかという敵対心がむくむくと頭をもたげる。それをどうにかこうにか押さえつけながら、為三は口元に微笑みを浮かべた。
「高野先生のご都合はいかがなのでしょう。曲をお渡しして、送付の期限までに一日あれば足りますか?」
「二日欲しい」
つまり、十四日には高野に渡さねばならない。では、作曲には実質四日足らずか。
為三は己の暇と体力と、作曲の速度とを勘案し、計算してみた。
どうにか、間に合う、だろうか。
そうとなれば、腹は決まった。否、県民歌の作曲依頼と聞いたときから、腹などとうに決まっていたのだ。
よし、受けよう。どうしても駄目なら、思いきって休講にしてしまえ!
「謹んでお受けいたします。……公募作の歌詞を一時、お借りできますか?」
こちらの返答に、いかめしい顔つきを保っていた校長の頬がゆるんだのを、為三は見逃さなかった。
──この依頼、何か裏があるな。
為三は考え、厄介なことでなければよいのだがと、小さくためいきを漏らした。
応接室を出て、事務所へ声をかける。県から送られてきた歌詞を借りるためだった。
さきほど、応接室へと案内してくれた若い男性事務員が走りよってきて、為三が作曲を引き受けたことを知るや、校長同様、ほっとしたようすをみせた。
「君。率直に聞くが、なぜ私が選ばれたか、知っているかい?」
「先生が秋田県の御出身で、作曲の手が早いかただと、もっぱら評判だったからです」
「それだけかね?」
食いさがると、事務員は歌詞の書かれた紙を封筒へ詰め、渡してよこしながら、そわそわとする。為三は、ははぁ、と、おおかたの予想がついた。
「昨日のうちにだれぞへ頼んで、断られたんだろう。失礼だなどと思わないさ。だれに頼んだのか聞かせてくれないか」
この問いかけに、若い事務員は背後を気にするふうをみせた。他の事務員たちが聞き耳をたてているそぶりはない。それを確認し、事務員は口元に手を添え、声を低くした。
「……片山穎太郎先生と、小松耕輔先生に」
ようやく得心がいった。
「そうかそうか、教えてくれてありがとう」
為三は笑みまで浮かべ、事務員の肩を軽く叩いてねぎらうと、歌詞の封筒を抱えて、事務所をあとにした。
片山、小松両氏は為三よりも十年ほど先輩だ。片山は恩師の信時潔同様に校歌を多数手がけて忙しくしているだろうし、小松は歌曲や歌劇を得手としている。県民歌などにはさして興味がなかろう。
両氏に断られ、ただでさえ期日まで日がないなかで一日を棒に振り、困った末に思いついたのが自分であったか。校長や事務員にすれば、なんとまあ、不運な話ではあるが、自分にしてみれば、これ以上のない幸運だった。
校長の隠しごとが厄介ごとでなくてよかった。これで、こころおきなく作曲に取りかかれる。県民歌ならば、学校で広く子どもたちに教えられる。県の儀礼のたびにも歌われるだろう。
為三はややもすれば、うきうきと弾みそうな歩みを抑えながら、滝野川の自宅への道をひた進んだ。
歌詞を手に自宅へ戻るや、為三は着替えるのももどかしく机の前に陣取った。
手元には、公募で選ばれた五作の歌詞があった。一等はなし、二等が一作、三等が二作、佳作が二作。さて、高野はいったいどの歌詞を選び、修正を試みるだろうか。
為三は、二等から順に目を通していった。
『あゝ鳥海の黎明に若き秋田は明けそめぬ』
『野良には實る黄金の穂 海には尽きぬ魚の群』
『秀麗気高き鳥海の嶺 狂瀾吼え立つ男鹿の島山』
『雄物の流れよどみなく 鳥海の山秀でたり』
『霞に青き鳥海を鎮めと仰ぐ明け暮れの黄金波打つ国原は我が百萬の住む処』
冒頭の数フレーズを選りだしただけで、為三は唸った。五作のうち、四作が冒頭に鳥海山をうたっている。
「地理歴史唱歌の影響か」
昨今流行りの形式だ。歌詞に、地理や歴史を織りこみ、子どもに覚えさせるのである。なかでも、鉄道唱歌はことに有名だ。学校教育においても奨励されるかたちである。
為三は眉をひそめた。自身もこれまで、何曲もの唱歌や童謡を手がけてきたが、実のところ、本意では無かった。為三には、自分は交響楽団の作曲家だという自負がある。子どもだけに歌わせるつもりで、平易な旋律をと言われるのであれば、あまり好ましい事態ではなかった。
──そういえば、教育勅語渙発、などと、あのいけ好かない校長も言っていたか……。
ざっと見てみると、他にも男鹿半島、十和田湖、田沢湖と、各歌詞に地名が重複する。県民歌であるからにして、秋田県も、郷土愛をもって地名をうたう作品を積極的に入選させたのであろう。
地理をうたうのであれば、その風景を曲調に出したい。鳥海山は秋田富士とも言う。富士山に似たうつくしい稜線を持つ山で、かつて修験道も栄えたと聞く。だが、実のところ、為三にはあまり、なじみのない山であった。
為三が生まれ、幼少期を過ごした北秋田郡米内沢からは、山形との県境にある鳥海山は望めない。北秋田で山と言えば、秋田山だ。
なだらかに円錐を描く秋田山を思い起こし、為三は目を閉じた。
秋田の自然は、実に雄々しい。冬は深い雪に閉ざされる。峻烈な岩山から下りてくる春の雪解け水は大地を潤し、豊かな原始の森を育てる。水は人里をも豊かにする。夏には実った青い稲穂が波を打ち、秋には一面、黄金に染まる。
米内沢でも、それは変わらない。生家のすぐ近くを流れる阿仁川の水の澄みきったこと! 川遊びもさんざんしたものだが、サクラマスや鮎を捕ったことも覚えている。
白くチラチラと光る川面を、魚の尾が跳ねる。飛び散る水しぶき。頬へ飛んだしずくをシャツの肩口で拭いながら、つかんだ魚を魚籠へ入れる。夏の日差しにはまぶしい白いシャツは、川の水と汗とでたちまち濡れていく。
為三はまぶたをあげ、えんぴつをふいっと斜めにすべらせた。額より少し上に掲げ、左手を添え、ずん、と重くふりおろす。
四拍子。行進曲にはするまい。そして、子どものためだけの曲にも、してやるものか。できるかぎりの技巧をこらそうではないか。
秋田富士は知らぬが、秋田山は知っている。連なる山々は知っている。雄物川は知らぬが、阿仁川なら親しんでいる。男鹿半島に押しよせる波、その波濤、力強く砕けるようすは、どのようなものだろうか。
描こうではないか。冬はぐっとこらえていても雪には屈せず、自然の豊かさを受けとり、黄金の実りを目指す秋田のひとの誇り高さ、たくましさを。
為三は、指揮棒よろしくえんぴつを振った。情景が音に置き換えられる。為三のなかの世界と、紡ぎだされる旋律は等価になる。
鼻歌をうたいながら、為三はえんぴつと五線紙を手に、ピアノにむかった。主旋律を弾いては、音を書き取っていく。
草案は、依頼を受けたその日のうちに、ほぼ固まっていた。
明くる日、為三は和声学の原著を取りだしてきて、座右に置きながら、草案を見直していた。よほど、没頭していたのだろう。
「──もし」
文子の声がすぐ脇で聞こえて、為三はとびあがるほど驚いた。だが、平静を装う。
「買い物へ行ってまいりますから、留守居をお願いします」
買い物? 文子を見ると、よそいきを着ているワケでもない。夕飯の食材を買いに行くくらいのものだろう。
そこまで考えて、為三は首をひねった。昼に食事をしたかどうかが思いだせない。
「文子、昼は食べたかい?」
「ええ、わたくしはいただきましたけど、あなたは召し上がっていませんよ。握り飯でもこしらえて持ってきましょうか?」
文子が目を細めた。笑いぶくみで尋ねられ、為三は首を横に振った。このようすだと、声をかけられても、ろくに返事をしなかったのだろう。
「いや、いいよ。でも、買い物にはついていこうか」
「平気です。たくさんは買いませんから」
気を遣い、固辞した文子に、為三はくりかえした。
「行かせてくれ。気分転換にもなる」
ほんとうは、埋め合わせをしたい一心だった。一日同じ家にいながら、文子は夫の邪魔だけはするまいと、ひっそりと過ごしていたに違いないのだ。申し訳なさに胸がつまった。
腰をあげ、ついていこうとすると、妻は花のように笑った。
「いっしょにいらっしゃるなら、道すがら、昨日の電報の用件はいったいどのようなものだったのか、わたくしもうかがいたいわ」
そうか、その話さえもまだしていなかったか。己がどれほど県民歌の作曲に集中していたかを、文子から教えられる心地だった。
為三は苦笑まじりで応じ、文子の提げていた買い物カゴを脇からさらった。
「では、行こうか」
「お散歩も構いませんけれど、帰りには魚屋へよらせてくださいな」
文子はころころと笑う。軽い調子でやりとりして、帰宅したころには、為三のなかで曲はすっかりと仕上がっていた。
楽譜は東京音楽学校を経由して、高野のもとへ渡り、歌詞がつけられ、予定どおり、十六日には秋田県へと返信された。謝礼もいくらかもらったが、為三は金額も覚えていない。毎月の仕送りの足しにでもしたのだろう。
鳴らすことを夢見て書いた秋田県民歌も、しかしながら、為三のまえで鳴ることはついぞないだろうと思われた。
後日、送付されてきた楽譜をいつものように綴じ、ピアノの脇の楽譜専用の本棚へ収めると、為三のこころはまた、新たな響きにむかって、ゆるやかに舵を切りはじめていた。
昭和二十年三月。為三は、五十一歳になっていた。
国立(くにたち)音楽学校の教授として、それなりに忙しい日々を送っていたが、太平洋戦争の戦況がますます厳しくなるにつれ、作曲の依頼も、学校での講義も減る一方だった。
だが、依頼がなくとも、曲を作ることはできる。かえって、束縛もなく管弦楽の壮大な曲が作れるのは楽しかった。
自宅で作曲漬けになっていた為三の書斎へ文子がやってきたのは、家事も一段落したであろう昼前のことだった。
文子は部屋へ入ってくるなり開けはなしていた障子を立てて、その場に正座する。妻の固い顔つきに、為三は脳裏に踊っていた音を止め、むきあった。
「どうした。何か、あったかい?」
問いかけると、文子は一瞬あって、目を上げ、為三をひたと見据えた。
「お願いです。疎開してください。このまま東京にいては、きっと死んでしまいます」
文子はそれだけ言うと、膝に手をおいて、うつむいてしまった。
「疎開するって、どこへだい。頼るあてはあるのかね」
「あなたのご親戚に助けていただくワケには参りませんの? 秋田なら、空襲なんてそうそう無いに違いないわ」
『空襲』のひとことで、為三にもやっと、文子がいまになって『疎開を』と言いだした理由が判然とした。先日、十日に起きた下町の大空襲がよほど恐ろしかったのだろう。
確かに、これまでも近所でも焼けた家は多かった。だが、十日の空襲では、死人は何万とも聞いた。ふいうちだったせいだ。空襲警報が解除されてすぐ、敵機が上空を飛んで、焼夷弾を雨あられと落としていったと言う。
それに、今月は特に、空襲が間遠だった。四日、十日と一週間ごとに近隣で大きな空襲が続き、明日がもう十八日。また、焼夷弾が降るかもわからない。以前のようには頻繁でないのが、かえって恐怖を煽るのだ。
「秋田……、秋田ねェ」
顎を撫でる。疎開となれば、親兄弟の縁を頼ることになる。だが、いま、為三の生家を継いだ次兄は、あまり彼とはそりが合わなかった。兄には、賢い弟が研究者や学者になることは容認できても、音楽に血道を上げて、作曲家になるのは理解できないらしい。
「そうだな、連絡はしておこうか」
不安がる文子の手前、口ではそう言うものの、為三には疎開をする気は毛頭なかった。教授の職を失ってまでするものではなし、さしあたって、困窮しているわけでもない。滝野川区が一面焼け野原だというのでもない。
それに、為三らの住まいの向かいは、文子の実家、鈴木家だ。妻の親兄弟を置いて、自分たちだけ逃げるわけには参るまい。
第一、と、為三は文子へ聞こえないように、口のなかでつぶやく。
第一、秋田は、為三にとって、音楽をする地ではない。愛用のピアノを遠く秋田の実家まで運ぶことなど、到底できまい。時間も金もかかるし、家には置いてもらえないだろう。あの楽譜の山も、きっとたずさえては行けない。身ひとつで秋田へむかうことに、為三は意義を感じられなかった。
音楽は、文学と並びたつ時間芸術である。為三は、時間が有限であることを知っている。己の限りある人生の時間を切り取って、技術の粋をこらして音に込める。そうして生み出した音を、この世に留めておく手立てが楽譜だ。ピアノの横に据えられた楽譜専用の書棚は、おおかたが埋まっている。為三がこれまで音にどれだけの時間を費やしてきたのかを雄弁に物語っている。
あの書棚に収まった楽譜群は、いまや為三の人生そのものだった。
文子はその後も何かにつけては、秋田行きを口にしたが、為三はのらりくらりとかわしてばかりで、ろくろく取り合いもしないでいた。
──その罰が当たったのかもしれなかった。
下町の大空襲から一か月後。四月十三日夜。警戒警報の音で、為三は寝床を飛びだした。文子は同様に起きだしてくると、いそいそと頭巾を為三の膝元へよこし、自分は非常持ち出し袋を抱えた。
為三は懐中時計を見た。午後十時半過ぎだ。先日の、あの大空襲では、零時を回ってからが酷かったはずだ。まだ、何時間もこのまま起きていなければならない。
灯を細くして、ふたり並んでまんじりともせずにいると、そう経たぬうちに、今度は空襲警報が発令された。
文子の行動は早かった。
「さ、早いうちに防空壕へ行きましょう」
うながされるまま、義理の両親、兄弟といっしょに防空壕へ入ったとたんのことだ。ゴォと飛行機の音がした。
いまのは迎撃の日本軍機だろうか、それとも敵機だろうか。どちらにしろ、真夜中に耳にすると、落ち着かないものだ。
そういえば、敵機爆音集などと言うものがあったらしいなと、為三は思いだした。さまざまな機体がそれぞれ違った高度を飛行する音をレコードにふきこんで、それを使って学習し、敵機を探索するのだと言う。
まったく馬鹿げた話だと、聞いた当時は思っていた。その方法を提案したのがピアニストだと知って、呆れたものだ。
そのピアニストを笈田と言った。ドイツ留学時代に顔を合わせたことのある年下の日本人留学生だ。下の名は失念したが、特に親しくもなかったのだから、当然だ。二十数年前に会っただけの人物の苗字を思いだせただけで、上等というものだろう。
聞けば、笈田は絶対音感なる怪しげなものを提唱し、教育に励んでいるようだった。
為三は、音感というものにまったく否定的だ。音楽は感性ではなく、理論だ。音を聞きわけられたとしても、ただちに楽器が演奏できたり、作曲ができたりはしない。どちらも長年の努力によって、やっと結実する能力だからだ。音楽をやるうえで、音感は一助となるに過ぎない。
防空壕のなかでは、時間の感覚が失せる。時折、どこからか爆発の振動が響く。気に入りの懐中時計も、この暗がりでは役に立たない。為三は思う存分、無為な考えで気を紛らせていたが、ふと顔をあげた。
入り口の分厚い板戸が揺れている。外から声がする。気のせいではない。
この防空壕へは、親類のみで避難した。めいめいの顔と人数は確認したはずである。逃げ遅れではない。
為三は文子の手を握り、それから、エイと思いきって板戸を開けた。
熱風が顔を覆った。地面から、煙臭い風が吹き上げていく。板戸のむこうにいたのは、煤にまみれた男だった。
「炎が迫っている! ここにいては蒸し焼きになるぞ!」
怒鳴る男の背後で燃えさかっているのは、鈴木家の蔵だった。爆弾の直撃を受けたか、屋根はあとかたもなく崩れ、目の前の道路へと瓦が散乱している。
荒い息をつく男のこめかみから、黒い汗が流れ落ちる。そこでやっと、為三は凍りついていたからだを動かした。
「ありがとう、恩に着ます」
「礼などいいよ、先生。ほれ、早く!」
言われて初めて、煤まみれの顔がだれのものかを悟った。警防団の団員だ。別の場所に避難していたのに、ここが危ういと知って、わざわざ声かけに来たのだ。
為三は文子の手を取って、防空壕を出た。そうして、近くの神社へでも逃げようかと思案したところへ、熱風に乗って、ひらりと飛んでくるものがあった。
白い紙きれだ。足元へ落ちたのを見て、古い本の一部だとわかった。どこかの家にあった本が、爆風でちぎれて飛んできたのだ。
それを目にして、為三は血の気の引く思いがした。
ぐっと握っていた文子の手が離れていた。違う。振りきったのだ。為三は、迷うことなく自宅の庭へと駆けこんだ。
「──あなたっ」
背後で文子が金切り声をあげた。
為三は靴のまま、庭から書斎へ飛びこむと、ピアノの脇にあった書棚へとすがりついた。楽譜を収めた棚だ。為三がこれまでに書いた曲のすべてが、ここにある。
「あなた、あなた! 何をしているんですか、逃げないと!」
文子が為三の腰へ取りつく。為三は、かぶりを振った。
「おまえは逃げればいい。私はここへ残る」
「嫌です、そんなこと、できるはずがないでしょう?」
鼻声になって、文子が背に顔をうずめる。だが、為三のこころは動かなかった。
オーケストラのために書いた曲、発表もしていない曲、未だだれの鼓膜もふるわせたことのないたくさんの音を、こんなところになど、置いては行けない。
為三は歯を食いしばり、棚にしがみついて、肩を揺らす。
「文子ォ、わがっでけれ。こえはおれだぁ! 燃えでええはずがね!」
轟音が響いた。振動でからだが跳ねた。焼夷弾が近くへ落ちたのだ。文子の力がいっそう強まった。通りからは、自分たちを探す両親や義理の兄弟たちの声がする。
「あなた! 後生だから逃げてくださいっ」
大声とともに、ぐんっと後ろへ引っ張られて、為三の指が棚から離れた。ふたりで床へ倒れる。文子はとんでもない力を出して、倒れたままの為三を引きずり、庭へ降りる。
そのときだった。
落雷のような音がして、ピアノがはじけ飛んだ。外れたピアノの鍵盤が転がってきて、膝先を打った。見る間に火が出て、書斎が炎に包まれていく。そのさまを、文子とふたり、ぽかんとして見つめた。
もう無理だと、言われるまでもなくわかった。ピアノが爆ぜた衝撃で、書棚も壊れ、多くの楽譜が床に散らばっていた。端から火が移り、燃えていく。
「ああ……、あああ……」
為三はうめいた。
自宅から火が出たのを目の当たりにして、その後の記憶が為三には無い。気づいたときには、八幡神社の境内の隅にひとりきりでうずくまっていた。
かたわらには文子の用意した非常持ち出し袋があったが、文子の姿は無かった。両親が茣蓙のうえで丸まって眠っている。空がすっかり白んでいたので、ああ、空襲から逃げて、命からがら、ここへ落ち着いたのだと思った。しかし、離れていた文子らが水を得て戻ってきて、話を聞いて驚いた。
空襲から、なんと三日が過ぎていた。そのあいだ、為三はすっかり腑抜けてしまい、水も食べ物も受け付けず、目も合わせず、応答もせずといったありさまだったらしい。自宅から逃げるにあたっても、ひとさまの手を借りたのだと言われて、為三はひとごとのように思えてならなかった。まったく覚えていなかったのである。
だが、ズボンをめくって確かめると、膝には治りかけの打ち身があり、服は全体に煤とほこりにまみれて黒ずんでいた。
空襲のあと、夜が明けてから、文子たちが見てきたところ、家はあとかたもなく燃え尽きていたらしい。もはや家財も着替えも何もない。あるのは我が身ひとつである。
さて、今後の身の振りをどうするべきかとぼんやりと考えていたところへやってきた者があった。
「先生! よくぞ、ご無事で!」
岡本は、為三に師事する作曲家だった。十五年ほど前、秋田県民歌を作曲したころと相前後して、弟子になった。まだ二十代前半であった当初から、それなりに名の知れた人物だったが、一から基本を教えなおしても、腐ることなくついてくる好青年だった。いまもなお、為三の気に入りの弟子である。
「奥さまから連絡を頂戴したので、お迎えにあがりました。何もないところではございますが、ひとまず我が家へいらしてください」
岡本は返事も待たずに、持ち出し袋を背負った。
「しかし、君──」
文子の両親は、兄弟はどうするのだ。
為三がとまどっているうちに、文子は為三の手を引いた。
「いいんです。家も無ければ、ちりぢりに生活するほかありませんもの」
寝入る両親の側で、弟妹が心得たようにうなずく。目で別れを告げられて、為三は何も言えぬまま、岡本に従い、彼の家までの道のりをとぼとぼと歩いた。
滝野川を戦火が襲ってから十日後、為三は米内沢の実家、次兄の憲生のもとに身を寄せた。
遡ること三十余年前、大正三年に、為三は東京音楽学校に進学するために両親には内証で上京した。その後も、不孝をした母のもとへは毎月欠かさず仕送りをしていたし、昭和二年には過去に勤めた毛馬内小学校にて、作品発表会もあった。だが、こうしたかたちで故郷の地を踏むことがあるとは、よもや思いもよらなかった。
暇さえあれば、裏の畑の草むしりをして、そのままぶらぶらと散歩に出かけ、阿仁川のほとりに腰かけ、川面へ石を投げる。そのうち、近所の子どもらが寄ってくるので、ひとしきり相手をする。毎日がそのくりかえしだ。
実家には、家業らしい家業はない。父は役場の吏員であったから、当然というものだろう。兄の手伝いをすることもできず、為三は文字どおりの居候として、日がな一日ぼんやりと暮らしていた。同じ居候でも、都会育ちの文子などは、ことばの壁もある。これまで夫の親類と細やかなやりとりをしたことがないのもあって、肩身の狭い思いをしているに違いなかった。だが、それを助けるにも、稼ぎのない身では口出しをするのも気が引ける。
そうしているうちに、半年があっという間に過ぎた。もう十月もなかばだ。夏には戦争が終結し、日本は負けた。さもありなんと、為三は思った。この国は、耳で戦闘機の飛行音を聞き分けんとした国だ。だが、そのようなことをうかつに口にできるワケもない。
投じた小石は水を切り、跳ねていく。子どものころと変わらぬ光景だ。石を投げる自分ばかりが年を食ってしまった。いや、違うか。この阿仁川の流れも、見栄えこそ同じだが、流れる水は昔のものではないのだから。
水面を見つめていると、鼻先へつきだされた包みがあった。
「食え」
兄だった。めずらしく、昼さなかにこんなところへ来たのか。考えながら包みを受けとって開き、目をむいた。なかには蕗ようかんが二切れ入っていた。
「|全部(じぇんぶ)|食わない(かね)で文子さん|にも(さも)|食わせろ(かしぇれ)」
「……これ、どこで?」
甘いものなど、贅沢品だ。砂糖は、切符こそあれ配給もほぼ止まっている。
買ったのか。いったいどこの店がまだ菓子を売っているというのか。いずれにしても、一等高価な品である。いくら兄の羽振りがよいと言っても、この混乱期には家族と居候とに食わせるので、せいいっぱいのはずだ。
為三はめまぐるしく思考をめぐらせながらも、ひとに見られぬよう、さっと包みを巻きなおし、懐へと仕舞った。
「ありがとう」
礼を言うと、兄は「なんもだ」と答えて、為三の隣へ腰をおろした。
「すっかり東京モンさなっでしまって。秋田弁どこ忘いだべが?」
ごく軽く非難めいた口調で言われても、為三は兄の納得する答えを用意できずに、あいまいに微笑んだ。そこへ、兄のことばが刺さった。
「えふりこぎ」
ええふりをこく。かっこつけということだ。為三はことばに詰まって、手で地面をなでて、小石を探した。
「えふりこぎで|無(ね)」
つぶやいたが、細かく説明することもなく、立ちあがった。
「羊羹をありがとう。文子も喜びます」
礼をくりかえし述べ、為三は兄を置いて家路をたどった。背後で、兄がこちらに聞こえるように大きなためいきをついたのがわかったが、ふりかえることはしなかった。
それからというもの、兄との関係はぐっと悪くなった。これまで仲がよかったのがふしぎだったのだ。兄とだけではない。文子と兄嫁とのあいだも、良いとは言えなくなった。
突然の冷遇に戸惑ったのは、文子だ。
「わたくし、何をしてしまったんでしょう」
そう言って、寝室でふたりきりのときにはさめざめと泣くこともあった。
「私のせいだ、苦労をかけてすまないね。兄と少しケンカをしてしまって」
「まぁ、お兄さまと……。どのようなことが原因ですの?」
問われて、為三はことばを濁した。
「体面に関わることだ。堪忍してくれ」
方言の話だなどと、文子には言えようはずもなかった。東京育ちの文子が疎外感を覚えるだろうと、あえて地のことばを使わずにいた。それを、「えふりこぎ」などと揶揄されたなどと、どうして正直に伝えられようか。
それにしても、と、為三はふりかえる。これまでの半年、兄がそのようなことを気にするようすはなかった。なぜ、いきなり、東京モンだの、秋田弁を忘れただのと、口にする気になったのだろうか。
泣き濡れた目を伏せ、文子は枕に頭を預け、為三にささやく。
「年が明けるまでには、きっと東京に帰りましょう? 妹たちにも会いたいわ」
「──そうだね」
あいづちを、果たして文子は聞いていたものか。妻の静かな寝息をそばに、為三はひとり物思いにふけった。
東京に戻ろうにも、路銀がない。借りるあてもなければ、職も無い。住処もない。そのことは、為三を大いに苦しめた。
兄に無心しようか。この期に及んで?
いままで散々世話になっておきながら、このうえさらに汽車の乗車賃まで強請るのは、為三の美学に反する。それに、為三はいま東京へ戻ったところで、以前のように精力的に作曲活動が行えるとは思えなかった。
終戦直後で、混乱した環境のせいも、もちろんある。だが、それ以上に問題なのは、為三自身のこころにわきあがってくるものがないことだった。
頭のなかで、音が鳴らない。
それがどのようなできごとに端を発しているのかも、やはり、文子には言えなかった。
──そう、あの四月十三日の空襲、目の前でピアノが砕け散り、楽譜の燃えた日からこちら、為三には音楽が聞こえなくなった。いつもいつも、五線譜へと書き留める速度がもどかしいくらいにあふれていた音が止み、静けさだけが手元にある。
空襲の炎は、為三の音楽にかける情熱をも、燃やし尽くしてしまった。
どれほど魂をこめて曲を作りあげても、一度も鳴らずに消えてしまうのだ。そうした無常観が、為三のやる気をいっそう削いでいた。
なるほど、為三は和声学を学び、対位法を学んだ。理論だけで音楽を構築することはできよう。だが、それだけでは、ひとのこころを打つことはできぬ。倉辻正子へ贈った「はまべ」や、唱歌としての「かなりあ」が流行し、広く歌われるようになったのは、詞の力だけではない。為三の情熱が音に宿り、歌詞と相まって訴えかけたからに違いないのだ。
東京に戻り、曲を作っても、いずれ、いまの己が空虚であることを見抜かれてしまうのではないか。これまでのようには鳴らされないのではないか。
臆病風にふかれていた為三を現実に引き戻したのは、兄嫁の声だった。
「たまげだもんだ! また、こっだなところに帳面どご出しっ放しにして!」
むこうにいる兄に聞こえるように言って、兄嫁は畳のうえに伏せてあったノートを拾いあげる。そこからひらりと落ちたのは、新聞記事だった。為三は中身も見ずに紙切れをつまみ、兄嫁へ手渡した。
「おぎに」
礼を言い、兄嫁はその場でノートをめくる。脇から覗くと、それはスクラップブックのようだった。どれもこれも新聞や雑誌の記事ばかりだ。
兄嫁の手が止まった。
或るページに不自然な空白がある。おそらくはここから剥がれ落ちた記事だったのだ。為三は何気なく隣のページの記事の見出しを見て、はっと息をのんだ。
『決定せる縣民歌◇……作曲は成田爲三氏』
貼りつけられた切り抜きの脇へ、兄の字でただひとこと、「目出度い」とあった。
ちょうどそこへ、兄嫁の厭味を聞いて、兄がやってきた。為三と目が合うなり、兄はさっとノートを隠した。そうして、むこうへ戻ろうとして、ぴたりと足をとめた。
「まだ、『歌っこ』こしぇるのが?」
この問いに、為三は即答ができなかった。
新しい音が鳴らない。それを、どうやって説明すればよいのだろう。
為三は席を立った。名を呼ぶ声がしたが、ふりかえらなかった。
家の外へ出て、阿仁川のほとりへやってくると、さきほど目にした新聞記事が、その脇へ書かれた文字の筆跡までもが、頭のなかで反芻された。
──目出度い。
兄は、為三のことなど認めていないのだと、思いこんでいた。
県民歌は、どんな音だったか。
記憶を呼び覚ますと、指が動いた。ピアノを弾こうとしたのだ。しかし、ここにはピアノなど無い。あるのは、己の身のみだ。
為三は、旋律をたどった。声は次第に大きくなり、川辺へ響き渡った。
一度うたうと、足りなくなって、もう一度うたった。もう一度、もう一度。
くりかえすと、顔なじみの近所の子どもらが集まってきて、ふしぎそうに為三のようすを見ていた。
「歌詞、知らねが?」
年かさの子が言って、声をはりあげた。
秀麗無比なる鳥海山よ
狂瀾吼え立つ男鹿半島よ
神秘の十和田は田沢と共に
世界に名を得し誇の湖水
山水皆これ詞の國秋田
一番をうたいあげると、二番からは他の子らもこぞってうたった。いつしか自らはうたいやんで、為三は彼らの声に聞き惚れた。
秋田は、音楽をする地ではない。そう思いこんでいた自分を羞じた。秋田よりも、東京のほうが、音楽で身を立て易い。ただ、それだけのことだった。音楽をするのに、不適当な場所など、あるはずもなかったのだ。
大合唱は四番まで続き、為三はむせび泣きとともに彼らの歌に耳を傾けていた。
為三は家に駆け戻るや、玄関からあがるのももどかしく、自分たちの使わせてもらっている部屋の窓に外から取りついた。
「文子! 文子ッ」
大声で呼びかけると、文子は繕いものの手をとめて、何事かと窓辺へ近寄ってきた。
「どうなさったの?」
「金をくれ。電報を打つから。岡本君に、東京へ行くと伝えるんだ!」
文子の顔色は目に見えて明るくなった。
「帰れるんですの? 東京へ?」
尋ねられて、為三ははっきりとうなずいた。
「東京へ行って、新しい曲を書く」
はじめは理論どおりにしかならないだろう。だが、書き続けてさえいれば、音に触れ続けてさえいれば、いつか新しい音が鳴る日が来る。その音が聞こえたら、すかさず耳をすませ、楽譜に起こせばよい。
半年ものあいだ、自分は思い違いをしていた。作曲への情熱は、勝手に湧いて出てくるものではない。常に刺激を受けなければ、錆びついてしまうのだ。
為三が音楽に触れたのは、師範学校の恩師のおかげだ。もしあのときの出会いがなければ、この胸に息づく情熱は、ちらとも刺激されることなく一生を終えたに違いない。もともと、音楽への情熱自体が、そうしたものだったのだ。
いま、秋田県民歌のおかげで、ちりりとかすかに震えた胸を為三はてのひらでなぞった。
電報を打つために走る。東京へ行こう。作曲に関連する職を得るのだ。音楽の渦のなかへと、ふたたび飛びこもう。
空虚だと見抜かれることへの恐れは、ゆっくりと雲の晴れるように消えかけていた。
十月二十九日、上京して二日後、為三は死んだ。脳溢血だった。
東京にて新しい音に出会うはずの彼の人生は不意の病で潰えてしまったが、彼の作った秋田県民歌をはじめとする数々の歌は、いまもうたい継がれている。
「あなた、緊急ですってよ」
いましがた受けとったばかりの電報を手に、妻が書斎へやってきた。何事かと、成田為三は書きものの手をとめ、電報の封を切った。
「シキユウコラレタシトウオン」
──至急来られたし。東音
東京音楽学校か! 膝頭を打ち、為三はすぐさま立ちあがった。
「文子。少し出てくる」
声をかけると、妻の文子は心得たようすで、外出着を取りに隣室へむかう。
為三は長着の帯を解きながら、不安にかられた。下谷区にある東京音楽学校は、為三の母校だ。自分にこのような電報をよこすとは、よもや恩師の身に何かあったのではないか。
文子が洋服を携えてきた。もどかしく思いつつも袖を通し、タイを締める。朝に無精をせず、ひげをあたっておいてよかった。
為三は身なりをととのえるや、滝野川の自宅を飛びだした。
上野の東京音楽学校へ着き、事務所で名乗ると、用も教えられずに応接室へと通された。為三は、ますます気をもんだ。
長椅子にかけて、茶に手を伸ばす気にもならずにじりじりとして待っていると、紳士がひとり現れ、為三のさしむかいに立った。
だれだろう。事務室長か? それにしては、良い仕立ての服を着ている。為三が椅子から腰をあげると、紳士はこちらが名乗るのも待たずに口を開いた。
「成田君、ご足労感謝する」
素っ気ない挨拶とともに校長の乗杉だと名乗った紳士は、どっかとむかいの長椅子へ腰を下ろすや、単刀直入に切りだした。
「このたび、君を呼び立てたのは、作曲依頼のためだ。秋田県より、県民歌制定に際し、我が校に歌詞を修正し、曲を作成せよとの話があった」
一息に告げられたことばに、理解が追いつかない。為三は、このぶしつけな紳士が校長であるという事実から順に情報を整理して、秋田県の響きに自分が呼ばれた理由をおおよそのところ悟った。県民の卒業生から、ひとり選んだのだろう。だが、秋田出身ならば、もっと有名な作曲家はいただろうにとも思う。
県民歌制定という単語にこころが逸った。作曲家たるもの、自分の作った音が必ず鳴るという確証が得られるのは、何にも代えがたい幸福だ。たとえば、為三自身、交響楽団のための楽曲を何曲か仕上げたことがあるが、日本にはいまだ、まともな楽団はひとつっきりしかない。そこで鳴らされる曲といえば、欧州の名曲ばかり。新進の作曲家の作品が使われる事態は、ほぼあり得なかった。
やりたい。是が非でも、お受けしたい。金など要らぬ。名誉も要らぬ。音が鳴るのだ。
しかし、そこまで考えて、為三は、はたと思いいたった。自分はいま、川村女学院に講師の口を得ている。有り体に言えば、忙しい身だ。今日も授業こそないが、書斎でしていたのは学校での指導の下準備だった。
「──期限はいつまでなのでしょうか」
問うと、校長は唇を舐めた。
「十六日だ」
そのことばに、頭がまっしろになった。
十六日だと? 冗談じゃない! あと六日こっきりで、一曲作れというのか!
「詞は四番までで、公募作で概要ができている。成田君の曲が出来次第、高野先生が良いように詞をあててくださる」
これを聞いて、為三はぞっとしない心地で、さらにもう一度、尋ねてみた。
「……先生。では、秋田県への返送の期限が十六日なのですね?」
「御見込みのとおり。県は、十月末に県民歌を制定するこころづもりらしい。一曲作るのに一週間もあれば足りるとは、いやはや田舎者の考えることは恐ろしい」
その秋田出身の『田舎者』のひとりが目の前にいるにもかかわらず、校長は平気で暴言を吐くや、こう続けた。
「九月に神奈川県で県歌を公募したからな。秋田は教育勅語渙発四十年記念とは謳っているが、単に都会を真似したかったのだろう」
この男の言うなりになってたまるかという敵対心がむくむくと頭をもたげる。それをどうにかこうにか押さえつけながら、為三は口元に微笑みを浮かべた。
「高野先生のご都合はいかがなのでしょう。曲をお渡しして、送付の期限までに一日あれば足りますか?」
「二日欲しい」
つまり、十四日には高野に渡さねばならない。では、作曲には実質四日足らずか。
為三は己の暇と体力と、作曲の速度とを勘案し、計算してみた。
どうにか、間に合う、だろうか。
そうとなれば、腹は決まった。否、県民歌の作曲依頼と聞いたときから、腹などとうに決まっていたのだ。
よし、受けよう。どうしても駄目なら、思いきって休講にしてしまえ!
「謹んでお受けいたします。……公募作の歌詞を一時、お借りできますか?」
こちらの返答に、いかめしい顔つきを保っていた校長の頬がゆるんだのを、為三は見逃さなかった。
──この依頼、何か裏があるな。
為三は考え、厄介なことでなければよいのだがと、小さくためいきを漏らした。
応接室を出て、事務所へ声をかける。県から送られてきた歌詞を借りるためだった。
さきほど、応接室へと案内してくれた若い男性事務員が走りよってきて、為三が作曲を引き受けたことを知るや、校長同様、ほっとしたようすをみせた。
「君。率直に聞くが、なぜ私が選ばれたか、知っているかい?」
「先生が秋田県の御出身で、作曲の手が早いかただと、もっぱら評判だったからです」
「それだけかね?」
食いさがると、事務員は歌詞の書かれた紙を封筒へ詰め、渡してよこしながら、そわそわとする。為三は、ははぁ、と、おおかたの予想がついた。
「昨日のうちにだれぞへ頼んで、断られたんだろう。失礼だなどと思わないさ。だれに頼んだのか聞かせてくれないか」
この問いかけに、若い事務員は背後を気にするふうをみせた。他の事務員たちが聞き耳をたてているそぶりはない。それを確認し、事務員は口元に手を添え、声を低くした。
「……片山穎太郎先生と、小松耕輔先生に」
ようやく得心がいった。
「そうかそうか、教えてくれてありがとう」
為三は笑みまで浮かべ、事務員の肩を軽く叩いてねぎらうと、歌詞の封筒を抱えて、事務所をあとにした。
片山、小松両氏は為三よりも十年ほど先輩だ。片山は恩師の信時潔同様に校歌を多数手がけて忙しくしているだろうし、小松は歌曲や歌劇を得手としている。県民歌などにはさして興味がなかろう。
両氏に断られ、ただでさえ期日まで日がないなかで一日を棒に振り、困った末に思いついたのが自分であったか。校長や事務員にすれば、なんとまあ、不運な話ではあるが、自分にしてみれば、これ以上のない幸運だった。
校長の隠しごとが厄介ごとでなくてよかった。これで、こころおきなく作曲に取りかかれる。県民歌ならば、学校で広く子どもたちに教えられる。県の儀礼のたびにも歌われるだろう。
為三はややもすれば、うきうきと弾みそうな歩みを抑えながら、滝野川の自宅への道をひた進んだ。
歌詞を手に自宅へ戻るや、為三は着替えるのももどかしく机の前に陣取った。
手元には、公募で選ばれた五作の歌詞があった。一等はなし、二等が一作、三等が二作、佳作が二作。さて、高野はいったいどの歌詞を選び、修正を試みるだろうか。
為三は、二等から順に目を通していった。
『あゝ鳥海の黎明に若き秋田は明けそめぬ』
『野良には實る黄金の穂 海には尽きぬ魚の群』
『秀麗気高き鳥海の嶺 狂瀾吼え立つ男鹿の島山』
『雄物の流れよどみなく 鳥海の山秀でたり』
『霞に青き鳥海を鎮めと仰ぐ明け暮れの黄金波打つ国原は我が百萬の住む処』
冒頭の数フレーズを選りだしただけで、為三は唸った。五作のうち、四作が冒頭に鳥海山をうたっている。
「地理歴史唱歌の影響か」
昨今流行りの形式だ。歌詞に、地理や歴史を織りこみ、子どもに覚えさせるのである。なかでも、鉄道唱歌はことに有名だ。学校教育においても奨励されるかたちである。
為三は眉をひそめた。自身もこれまで、何曲もの唱歌や童謡を手がけてきたが、実のところ、本意では無かった。為三には、自分は交響楽団の作曲家だという自負がある。子どもだけに歌わせるつもりで、平易な旋律をと言われるのであれば、あまり好ましい事態ではなかった。
──そういえば、教育勅語渙発、などと、あのいけ好かない校長も言っていたか……。
ざっと見てみると、他にも男鹿半島、十和田湖、田沢湖と、各歌詞に地名が重複する。県民歌であるからにして、秋田県も、郷土愛をもって地名をうたう作品を積極的に入選させたのであろう。
地理をうたうのであれば、その風景を曲調に出したい。鳥海山は秋田富士とも言う。富士山に似たうつくしい稜線を持つ山で、かつて修験道も栄えたと聞く。だが、実のところ、為三にはあまり、なじみのない山であった。
為三が生まれ、幼少期を過ごした北秋田郡米内沢からは、山形との県境にある鳥海山は望めない。北秋田で山と言えば、秋田山だ。
なだらかに円錐を描く秋田山を思い起こし、為三は目を閉じた。
秋田の自然は、実に雄々しい。冬は深い雪に閉ざされる。峻烈な岩山から下りてくる春の雪解け水は大地を潤し、豊かな原始の森を育てる。水は人里をも豊かにする。夏には実った青い稲穂が波を打ち、秋には一面、黄金に染まる。
米内沢でも、それは変わらない。生家のすぐ近くを流れる阿仁川の水の澄みきったこと! 川遊びもさんざんしたものだが、サクラマスや鮎を捕ったことも覚えている。
白くチラチラと光る川面を、魚の尾が跳ねる。飛び散る水しぶき。頬へ飛んだしずくをシャツの肩口で拭いながら、つかんだ魚を魚籠へ入れる。夏の日差しにはまぶしい白いシャツは、川の水と汗とでたちまち濡れていく。
為三はまぶたをあげ、えんぴつをふいっと斜めにすべらせた。額より少し上に掲げ、左手を添え、ずん、と重くふりおろす。
四拍子。行進曲にはするまい。そして、子どものためだけの曲にも、してやるものか。できるかぎりの技巧をこらそうではないか。
秋田富士は知らぬが、秋田山は知っている。連なる山々は知っている。雄物川は知らぬが、阿仁川なら親しんでいる。男鹿半島に押しよせる波、その波濤、力強く砕けるようすは、どのようなものだろうか。
描こうではないか。冬はぐっとこらえていても雪には屈せず、自然の豊かさを受けとり、黄金の実りを目指す秋田のひとの誇り高さ、たくましさを。
為三は、指揮棒よろしくえんぴつを振った。情景が音に置き換えられる。為三のなかの世界と、紡ぎだされる旋律は等価になる。
鼻歌をうたいながら、為三はえんぴつと五線紙を手に、ピアノにむかった。主旋律を弾いては、音を書き取っていく。
草案は、依頼を受けたその日のうちに、ほぼ固まっていた。
明くる日、為三は和声学の原著を取りだしてきて、座右に置きながら、草案を見直していた。よほど、没頭していたのだろう。
「──もし」
文子の声がすぐ脇で聞こえて、為三はとびあがるほど驚いた。だが、平静を装う。
「買い物へ行ってまいりますから、留守居をお願いします」
買い物? 文子を見ると、よそいきを着ているワケでもない。夕飯の食材を買いに行くくらいのものだろう。
そこまで考えて、為三は首をひねった。昼に食事をしたかどうかが思いだせない。
「文子、昼は食べたかい?」
「ええ、わたくしはいただきましたけど、あなたは召し上がっていませんよ。握り飯でもこしらえて持ってきましょうか?」
文子が目を細めた。笑いぶくみで尋ねられ、為三は首を横に振った。このようすだと、声をかけられても、ろくに返事をしなかったのだろう。
「いや、いいよ。でも、買い物にはついていこうか」
「平気です。たくさんは買いませんから」
気を遣い、固辞した文子に、為三はくりかえした。
「行かせてくれ。気分転換にもなる」
ほんとうは、埋め合わせをしたい一心だった。一日同じ家にいながら、文子は夫の邪魔だけはするまいと、ひっそりと過ごしていたに違いないのだ。申し訳なさに胸がつまった。
腰をあげ、ついていこうとすると、妻は花のように笑った。
「いっしょにいらっしゃるなら、道すがら、昨日の電報の用件はいったいどのようなものだったのか、わたくしもうかがいたいわ」
そうか、その話さえもまだしていなかったか。己がどれほど県民歌の作曲に集中していたかを、文子から教えられる心地だった。
為三は苦笑まじりで応じ、文子の提げていた買い物カゴを脇からさらった。
「では、行こうか」
「お散歩も構いませんけれど、帰りには魚屋へよらせてくださいな」
文子はころころと笑う。軽い調子でやりとりして、帰宅したころには、為三のなかで曲はすっかりと仕上がっていた。
楽譜は東京音楽学校を経由して、高野のもとへ渡り、歌詞がつけられ、予定どおり、十六日には秋田県へと返信された。謝礼もいくらかもらったが、為三は金額も覚えていない。毎月の仕送りの足しにでもしたのだろう。
鳴らすことを夢見て書いた秋田県民歌も、しかしながら、為三のまえで鳴ることはついぞないだろうと思われた。
後日、送付されてきた楽譜をいつものように綴じ、ピアノの脇の楽譜専用の本棚へ収めると、為三のこころはまた、新たな響きにむかって、ゆるやかに舵を切りはじめていた。
昭和二十年三月。為三は、五十一歳になっていた。
国立(くにたち)音楽学校の教授として、それなりに忙しい日々を送っていたが、太平洋戦争の戦況がますます厳しくなるにつれ、作曲の依頼も、学校での講義も減る一方だった。
だが、依頼がなくとも、曲を作ることはできる。かえって、束縛もなく管弦楽の壮大な曲が作れるのは楽しかった。
自宅で作曲漬けになっていた為三の書斎へ文子がやってきたのは、家事も一段落したであろう昼前のことだった。
文子は部屋へ入ってくるなり開けはなしていた障子を立てて、その場に正座する。妻の固い顔つきに、為三は脳裏に踊っていた音を止め、むきあった。
「どうした。何か、あったかい?」
問いかけると、文子は一瞬あって、目を上げ、為三をひたと見据えた。
「お願いです。疎開してください。このまま東京にいては、きっと死んでしまいます」
文子はそれだけ言うと、膝に手をおいて、うつむいてしまった。
「疎開するって、どこへだい。頼るあてはあるのかね」
「あなたのご親戚に助けていただくワケには参りませんの? 秋田なら、空襲なんてそうそう無いに違いないわ」
『空襲』のひとことで、為三にもやっと、文子がいまになって『疎開を』と言いだした理由が判然とした。先日、十日に起きた下町の大空襲がよほど恐ろしかったのだろう。
確かに、これまでも近所でも焼けた家は多かった。だが、十日の空襲では、死人は何万とも聞いた。ふいうちだったせいだ。空襲警報が解除されてすぐ、敵機が上空を飛んで、焼夷弾を雨あられと落としていったと言う。
それに、今月は特に、空襲が間遠だった。四日、十日と一週間ごとに近隣で大きな空襲が続き、明日がもう十八日。また、焼夷弾が降るかもわからない。以前のようには頻繁でないのが、かえって恐怖を煽るのだ。
「秋田……、秋田ねェ」
顎を撫でる。疎開となれば、親兄弟の縁を頼ることになる。だが、いま、為三の生家を継いだ次兄は、あまり彼とはそりが合わなかった。兄には、賢い弟が研究者や学者になることは容認できても、音楽に血道を上げて、作曲家になるのは理解できないらしい。
「そうだな、連絡はしておこうか」
不安がる文子の手前、口ではそう言うものの、為三には疎開をする気は毛頭なかった。教授の職を失ってまでするものではなし、さしあたって、困窮しているわけでもない。滝野川区が一面焼け野原だというのでもない。
それに、為三らの住まいの向かいは、文子の実家、鈴木家だ。妻の親兄弟を置いて、自分たちだけ逃げるわけには参るまい。
第一、と、為三は文子へ聞こえないように、口のなかでつぶやく。
第一、秋田は、為三にとって、音楽をする地ではない。愛用のピアノを遠く秋田の実家まで運ぶことなど、到底できまい。時間も金もかかるし、家には置いてもらえないだろう。あの楽譜の山も、きっとたずさえては行けない。身ひとつで秋田へむかうことに、為三は意義を感じられなかった。
音楽は、文学と並びたつ時間芸術である。為三は、時間が有限であることを知っている。己の限りある人生の時間を切り取って、技術の粋をこらして音に込める。そうして生み出した音を、この世に留めておく手立てが楽譜だ。ピアノの横に据えられた楽譜専用の書棚は、おおかたが埋まっている。為三がこれまで音にどれだけの時間を費やしてきたのかを雄弁に物語っている。
あの書棚に収まった楽譜群は、いまや為三の人生そのものだった。
文子はその後も何かにつけては、秋田行きを口にしたが、為三はのらりくらりとかわしてばかりで、ろくろく取り合いもしないでいた。
──その罰が当たったのかもしれなかった。
下町の大空襲から一か月後。四月十三日夜。警戒警報の音で、為三は寝床を飛びだした。文子は同様に起きだしてくると、いそいそと頭巾を為三の膝元へよこし、自分は非常持ち出し袋を抱えた。
為三は懐中時計を見た。午後十時半過ぎだ。先日の、あの大空襲では、零時を回ってからが酷かったはずだ。まだ、何時間もこのまま起きていなければならない。
灯を細くして、ふたり並んでまんじりともせずにいると、そう経たぬうちに、今度は空襲警報が発令された。
文子の行動は早かった。
「さ、早いうちに防空壕へ行きましょう」
うながされるまま、義理の両親、兄弟といっしょに防空壕へ入ったとたんのことだ。ゴォと飛行機の音がした。
いまのは迎撃の日本軍機だろうか、それとも敵機だろうか。どちらにしろ、真夜中に耳にすると、落ち着かないものだ。
そういえば、敵機爆音集などと言うものがあったらしいなと、為三は思いだした。さまざまな機体がそれぞれ違った高度を飛行する音をレコードにふきこんで、それを使って学習し、敵機を探索するのだと言う。
まったく馬鹿げた話だと、聞いた当時は思っていた。その方法を提案したのがピアニストだと知って、呆れたものだ。
そのピアニストを笈田と言った。ドイツ留学時代に顔を合わせたことのある年下の日本人留学生だ。下の名は失念したが、特に親しくもなかったのだから、当然だ。二十数年前に会っただけの人物の苗字を思いだせただけで、上等というものだろう。
聞けば、笈田は絶対音感なる怪しげなものを提唱し、教育に励んでいるようだった。
為三は、音感というものにまったく否定的だ。音楽は感性ではなく、理論だ。音を聞きわけられたとしても、ただちに楽器が演奏できたり、作曲ができたりはしない。どちらも長年の努力によって、やっと結実する能力だからだ。音楽をやるうえで、音感は一助となるに過ぎない。
防空壕のなかでは、時間の感覚が失せる。時折、どこからか爆発の振動が響く。気に入りの懐中時計も、この暗がりでは役に立たない。為三は思う存分、無為な考えで気を紛らせていたが、ふと顔をあげた。
入り口の分厚い板戸が揺れている。外から声がする。気のせいではない。
この防空壕へは、親類のみで避難した。めいめいの顔と人数は確認したはずである。逃げ遅れではない。
為三は文子の手を握り、それから、エイと思いきって板戸を開けた。
熱風が顔を覆った。地面から、煙臭い風が吹き上げていく。板戸のむこうにいたのは、煤にまみれた男だった。
「炎が迫っている! ここにいては蒸し焼きになるぞ!」
怒鳴る男の背後で燃えさかっているのは、鈴木家の蔵だった。爆弾の直撃を受けたか、屋根はあとかたもなく崩れ、目の前の道路へと瓦が散乱している。
荒い息をつく男のこめかみから、黒い汗が流れ落ちる。そこでやっと、為三は凍りついていたからだを動かした。
「ありがとう、恩に着ます」
「礼などいいよ、先生。ほれ、早く!」
言われて初めて、煤まみれの顔がだれのものかを悟った。警防団の団員だ。別の場所に避難していたのに、ここが危ういと知って、わざわざ声かけに来たのだ。
為三は文子の手を取って、防空壕を出た。そうして、近くの神社へでも逃げようかと思案したところへ、熱風に乗って、ひらりと飛んでくるものがあった。
白い紙きれだ。足元へ落ちたのを見て、古い本の一部だとわかった。どこかの家にあった本が、爆風でちぎれて飛んできたのだ。
それを目にして、為三は血の気の引く思いがした。
ぐっと握っていた文子の手が離れていた。違う。振りきったのだ。為三は、迷うことなく自宅の庭へと駆けこんだ。
「──あなたっ」
背後で文子が金切り声をあげた。
為三は靴のまま、庭から書斎へ飛びこむと、ピアノの脇にあった書棚へとすがりついた。楽譜を収めた棚だ。為三がこれまでに書いた曲のすべてが、ここにある。
「あなた、あなた! 何をしているんですか、逃げないと!」
文子が為三の腰へ取りつく。為三は、かぶりを振った。
「おまえは逃げればいい。私はここへ残る」
「嫌です、そんなこと、できるはずがないでしょう?」
鼻声になって、文子が背に顔をうずめる。だが、為三のこころは動かなかった。
オーケストラのために書いた曲、発表もしていない曲、未だだれの鼓膜もふるわせたことのないたくさんの音を、こんなところになど、置いては行けない。
為三は歯を食いしばり、棚にしがみついて、肩を揺らす。
「文子ォ、わがっでけれ。こえはおれだぁ! 燃えでええはずがね!」
轟音が響いた。振動でからだが跳ねた。焼夷弾が近くへ落ちたのだ。文子の力がいっそう強まった。通りからは、自分たちを探す両親や義理の兄弟たちの声がする。
「あなた! 後生だから逃げてくださいっ」
大声とともに、ぐんっと後ろへ引っ張られて、為三の指が棚から離れた。ふたりで床へ倒れる。文子はとんでもない力を出して、倒れたままの為三を引きずり、庭へ降りる。
そのときだった。
落雷のような音がして、ピアノがはじけ飛んだ。外れたピアノの鍵盤が転がってきて、膝先を打った。見る間に火が出て、書斎が炎に包まれていく。そのさまを、文子とふたり、ぽかんとして見つめた。
もう無理だと、言われるまでもなくわかった。ピアノが爆ぜた衝撃で、書棚も壊れ、多くの楽譜が床に散らばっていた。端から火が移り、燃えていく。
「ああ……、あああ……」
為三はうめいた。
自宅から火が出たのを目の当たりにして、その後の記憶が為三には無い。気づいたときには、八幡神社の境内の隅にひとりきりでうずくまっていた。
かたわらには文子の用意した非常持ち出し袋があったが、文子の姿は無かった。両親が茣蓙のうえで丸まって眠っている。空がすっかり白んでいたので、ああ、空襲から逃げて、命からがら、ここへ落ち着いたのだと思った。しかし、離れていた文子らが水を得て戻ってきて、話を聞いて驚いた。
空襲から、なんと三日が過ぎていた。そのあいだ、為三はすっかり腑抜けてしまい、水も食べ物も受け付けず、目も合わせず、応答もせずといったありさまだったらしい。自宅から逃げるにあたっても、ひとさまの手を借りたのだと言われて、為三はひとごとのように思えてならなかった。まったく覚えていなかったのである。
だが、ズボンをめくって確かめると、膝には治りかけの打ち身があり、服は全体に煤とほこりにまみれて黒ずんでいた。
空襲のあと、夜が明けてから、文子たちが見てきたところ、家はあとかたもなく燃え尽きていたらしい。もはや家財も着替えも何もない。あるのは我が身ひとつである。
さて、今後の身の振りをどうするべきかとぼんやりと考えていたところへやってきた者があった。
「先生! よくぞ、ご無事で!」
岡本は、為三に師事する作曲家だった。十五年ほど前、秋田県民歌を作曲したころと相前後して、弟子になった。まだ二十代前半であった当初から、それなりに名の知れた人物だったが、一から基本を教えなおしても、腐ることなくついてくる好青年だった。いまもなお、為三の気に入りの弟子である。
「奥さまから連絡を頂戴したので、お迎えにあがりました。何もないところではございますが、ひとまず我が家へいらしてください」
岡本は返事も待たずに、持ち出し袋を背負った。
「しかし、君──」
文子の両親は、兄弟はどうするのだ。
為三がとまどっているうちに、文子は為三の手を引いた。
「いいんです。家も無ければ、ちりぢりに生活するほかありませんもの」
寝入る両親の側で、弟妹が心得たようにうなずく。目で別れを告げられて、為三は何も言えぬまま、岡本に従い、彼の家までの道のりをとぼとぼと歩いた。
滝野川を戦火が襲ってから十日後、為三は米内沢の実家、次兄の憲生のもとに身を寄せた。
遡ること三十余年前、大正三年に、為三は東京音楽学校に進学するために両親には内証で上京した。その後も、不孝をした母のもとへは毎月欠かさず仕送りをしていたし、昭和二年には過去に勤めた毛馬内小学校にて、作品発表会もあった。だが、こうしたかたちで故郷の地を踏むことがあるとは、よもや思いもよらなかった。
暇さえあれば、裏の畑の草むしりをして、そのままぶらぶらと散歩に出かけ、阿仁川のほとりに腰かけ、川面へ石を投げる。そのうち、近所の子どもらが寄ってくるので、ひとしきり相手をする。毎日がそのくりかえしだ。
実家には、家業らしい家業はない。父は役場の吏員であったから、当然というものだろう。兄の手伝いをすることもできず、為三は文字どおりの居候として、日がな一日ぼんやりと暮らしていた。同じ居候でも、都会育ちの文子などは、ことばの壁もある。これまで夫の親類と細やかなやりとりをしたことがないのもあって、肩身の狭い思いをしているに違いなかった。だが、それを助けるにも、稼ぎのない身では口出しをするのも気が引ける。
そうしているうちに、半年があっという間に過ぎた。もう十月もなかばだ。夏には戦争が終結し、日本は負けた。さもありなんと、為三は思った。この国は、耳で戦闘機の飛行音を聞き分けんとした国だ。だが、そのようなことをうかつに口にできるワケもない。
投じた小石は水を切り、跳ねていく。子どものころと変わらぬ光景だ。石を投げる自分ばかりが年を食ってしまった。いや、違うか。この阿仁川の流れも、見栄えこそ同じだが、流れる水は昔のものではないのだから。
水面を見つめていると、鼻先へつきだされた包みがあった。
「食え」
兄だった。めずらしく、昼さなかにこんなところへ来たのか。考えながら包みを受けとって開き、目をむいた。なかには蕗ようかんが二切れ入っていた。
「|全部(じぇんぶ)|食わない(かね)で文子さん|にも(さも)|食わせろ(かしぇれ)」
「……これ、どこで?」
甘いものなど、贅沢品だ。砂糖は、切符こそあれ配給もほぼ止まっている。
買ったのか。いったいどこの店がまだ菓子を売っているというのか。いずれにしても、一等高価な品である。いくら兄の羽振りがよいと言っても、この混乱期には家族と居候とに食わせるので、せいいっぱいのはずだ。
為三はめまぐるしく思考をめぐらせながらも、ひとに見られぬよう、さっと包みを巻きなおし、懐へと仕舞った。
「ありがとう」
礼を言うと、兄は「なんもだ」と答えて、為三の隣へ腰をおろした。
「すっかり東京モンさなっでしまって。秋田弁どこ忘いだべが?」
ごく軽く非難めいた口調で言われても、為三は兄の納得する答えを用意できずに、あいまいに微笑んだ。そこへ、兄のことばが刺さった。
「えふりこぎ」
ええふりをこく。かっこつけということだ。為三はことばに詰まって、手で地面をなでて、小石を探した。
「えふりこぎで|無(ね)」
つぶやいたが、細かく説明することもなく、立ちあがった。
「羊羹をありがとう。文子も喜びます」
礼をくりかえし述べ、為三は兄を置いて家路をたどった。背後で、兄がこちらに聞こえるように大きなためいきをついたのがわかったが、ふりかえることはしなかった。
それからというもの、兄との関係はぐっと悪くなった。これまで仲がよかったのがふしぎだったのだ。兄とだけではない。文子と兄嫁とのあいだも、良いとは言えなくなった。
突然の冷遇に戸惑ったのは、文子だ。
「わたくし、何をしてしまったんでしょう」
そう言って、寝室でふたりきりのときにはさめざめと泣くこともあった。
「私のせいだ、苦労をかけてすまないね。兄と少しケンカをしてしまって」
「まぁ、お兄さまと……。どのようなことが原因ですの?」
問われて、為三はことばを濁した。
「体面に関わることだ。堪忍してくれ」
方言の話だなどと、文子には言えようはずもなかった。東京育ちの文子が疎外感を覚えるだろうと、あえて地のことばを使わずにいた。それを、「えふりこぎ」などと揶揄されたなどと、どうして正直に伝えられようか。
それにしても、と、為三はふりかえる。これまでの半年、兄がそのようなことを気にするようすはなかった。なぜ、いきなり、東京モンだの、秋田弁を忘れただのと、口にする気になったのだろうか。
泣き濡れた目を伏せ、文子は枕に頭を預け、為三にささやく。
「年が明けるまでには、きっと東京に帰りましょう? 妹たちにも会いたいわ」
「──そうだね」
あいづちを、果たして文子は聞いていたものか。妻の静かな寝息をそばに、為三はひとり物思いにふけった。
東京に戻ろうにも、路銀がない。借りるあてもなければ、職も無い。住処もない。そのことは、為三を大いに苦しめた。
兄に無心しようか。この期に及んで?
いままで散々世話になっておきながら、このうえさらに汽車の乗車賃まで強請るのは、為三の美学に反する。それに、為三はいま東京へ戻ったところで、以前のように精力的に作曲活動が行えるとは思えなかった。
終戦直後で、混乱した環境のせいも、もちろんある。だが、それ以上に問題なのは、為三自身のこころにわきあがってくるものがないことだった。
頭のなかで、音が鳴らない。
それがどのようなできごとに端を発しているのかも、やはり、文子には言えなかった。
──そう、あの四月十三日の空襲、目の前でピアノが砕け散り、楽譜の燃えた日からこちら、為三には音楽が聞こえなくなった。いつもいつも、五線譜へと書き留める速度がもどかしいくらいにあふれていた音が止み、静けさだけが手元にある。
空襲の炎は、為三の音楽にかける情熱をも、燃やし尽くしてしまった。
どれほど魂をこめて曲を作りあげても、一度も鳴らずに消えてしまうのだ。そうした無常観が、為三のやる気をいっそう削いでいた。
なるほど、為三は和声学を学び、対位法を学んだ。理論だけで音楽を構築することはできよう。だが、それだけでは、ひとのこころを打つことはできぬ。倉辻正子へ贈った「はまべ」や、唱歌としての「かなりあ」が流行し、広く歌われるようになったのは、詞の力だけではない。為三の情熱が音に宿り、歌詞と相まって訴えかけたからに違いないのだ。
東京に戻り、曲を作っても、いずれ、いまの己が空虚であることを見抜かれてしまうのではないか。これまでのようには鳴らされないのではないか。
臆病風にふかれていた為三を現実に引き戻したのは、兄嫁の声だった。
「たまげだもんだ! また、こっだなところに帳面どご出しっ放しにして!」
むこうにいる兄に聞こえるように言って、兄嫁は畳のうえに伏せてあったノートを拾いあげる。そこからひらりと落ちたのは、新聞記事だった。為三は中身も見ずに紙切れをつまみ、兄嫁へ手渡した。
「おぎに」
礼を言い、兄嫁はその場でノートをめくる。脇から覗くと、それはスクラップブックのようだった。どれもこれも新聞や雑誌の記事ばかりだ。
兄嫁の手が止まった。
或るページに不自然な空白がある。おそらくはここから剥がれ落ちた記事だったのだ。為三は何気なく隣のページの記事の見出しを見て、はっと息をのんだ。
『決定せる縣民歌◇……作曲は成田爲三氏』
貼りつけられた切り抜きの脇へ、兄の字でただひとこと、「目出度い」とあった。
ちょうどそこへ、兄嫁の厭味を聞いて、兄がやってきた。為三と目が合うなり、兄はさっとノートを隠した。そうして、むこうへ戻ろうとして、ぴたりと足をとめた。
「まだ、『歌っこ』こしぇるのが?」
この問いに、為三は即答ができなかった。
新しい音が鳴らない。それを、どうやって説明すればよいのだろう。
為三は席を立った。名を呼ぶ声がしたが、ふりかえらなかった。
家の外へ出て、阿仁川のほとりへやってくると、さきほど目にした新聞記事が、その脇へ書かれた文字の筆跡までもが、頭のなかで反芻された。
──目出度い。
兄は、為三のことなど認めていないのだと、思いこんでいた。
県民歌は、どんな音だったか。
記憶を呼び覚ますと、指が動いた。ピアノを弾こうとしたのだ。しかし、ここにはピアノなど無い。あるのは、己の身のみだ。
為三は、旋律をたどった。声は次第に大きくなり、川辺へ響き渡った。
一度うたうと、足りなくなって、もう一度うたった。もう一度、もう一度。
くりかえすと、顔なじみの近所の子どもらが集まってきて、ふしぎそうに為三のようすを見ていた。
「歌詞、知らねが?」
年かさの子が言って、声をはりあげた。
秀麗無比なる鳥海山よ
狂瀾吼え立つ男鹿半島よ
神秘の十和田は田沢と共に
世界に名を得し誇の湖水
山水皆これ詞の國秋田
一番をうたいあげると、二番からは他の子らもこぞってうたった。いつしか自らはうたいやんで、為三は彼らの声に聞き惚れた。
秋田は、音楽をする地ではない。そう思いこんでいた自分を羞じた。秋田よりも、東京のほうが、音楽で身を立て易い。ただ、それだけのことだった。音楽をするのに、不適当な場所など、あるはずもなかったのだ。
大合唱は四番まで続き、為三はむせび泣きとともに彼らの歌に耳を傾けていた。
為三は家に駆け戻るや、玄関からあがるのももどかしく、自分たちの使わせてもらっている部屋の窓に外から取りついた。
「文子! 文子ッ」
大声で呼びかけると、文子は繕いものの手をとめて、何事かと窓辺へ近寄ってきた。
「どうなさったの?」
「金をくれ。電報を打つから。岡本君に、東京へ行くと伝えるんだ!」
文子の顔色は目に見えて明るくなった。
「帰れるんですの? 東京へ?」
尋ねられて、為三ははっきりとうなずいた。
「東京へ行って、新しい曲を書く」
はじめは理論どおりにしかならないだろう。だが、書き続けてさえいれば、音に触れ続けてさえいれば、いつか新しい音が鳴る日が来る。その音が聞こえたら、すかさず耳をすませ、楽譜に起こせばよい。
半年ものあいだ、自分は思い違いをしていた。作曲への情熱は、勝手に湧いて出てくるものではない。常に刺激を受けなければ、錆びついてしまうのだ。
為三が音楽に触れたのは、師範学校の恩師のおかげだ。もしあのときの出会いがなければ、この胸に息づく情熱は、ちらとも刺激されることなく一生を終えたに違いない。もともと、音楽への情熱自体が、そうしたものだったのだ。
いま、秋田県民歌のおかげで、ちりりとかすかに震えた胸を為三はてのひらでなぞった。
電報を打つために走る。東京へ行こう。作曲に関連する職を得るのだ。音楽の渦のなかへと、ふたたび飛びこもう。
空虚だと見抜かれることへの恐れは、ゆっくりと雲の晴れるように消えかけていた。
十月二十九日、上京して二日後、為三は死んだ。脳溢血だった。
東京にて新しい音に出会うはずの彼の人生は不意の病で潰えてしまったが、彼の作った秋田県民歌をはじめとする数々の歌は、いまもうたい継がれている。
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