聖娼王女の結婚

渡波みずき

文字の大きさ
18 / 18

18

しおりを挟む
 セレスタンは、客人まれびとの衣装ではなく、正装を身にまとい、手には白手袋までつけていた。その右手が素早く外を指差す。

「いますぐ出て行け」

 ふだんより一段低い声で言い放ち、セレスタンは部屋の外を指差す。男は先程までの居丈高なようすが嘘のように狼狽し、服を抱えて飛び出していく。廊下の先で巫女のものらしき悲鳴が上がったが、セレスタンは気にせずこちらを振りかえった。

「怖い思いをさせてしまいましたね」

 言いながら、安心させるように微笑んで、寝台の脇に跪くと、セレスタンは手袋をしたまま器用にライラの下着を付け直し、服の裾を元に戻した。

「王太子殿下から、婚姻の許可を得てきました。ご署名もいただいてきましたよ。ごらんになりますか?」

 返事もしないうちから、セレスタンは上着の内ポケットから書類を取り出して、ライラの前に広げて見せた。そこには確かに婚姻許可証があり、兄の直筆の署名がなされていた。

「今日から、正真正銘、ララは私の妻だよ」

 ライラは目の前に差し出された書面の、いつもは名乗りもしない長々とした自分の正式名を指でなぞり、その下に書かれたセレスタンの名のうえで、手を止めた。セレスタンがライラの手元を見て、説明を加える。

「──ああ、バーデン伯爵位は、オルレアの従属爵位のひとつなんです」
「……ティノだったのね」
「ええと?」

 つぶやきの意図を読めずにいるセレスタンを見つめ、ライラは伝わることばを選んで口にした。

「王太子殿下を通して、わたくしに求婚したのは、あなただったのね」
「はい。ララに一目惚れしたその足で、時機も弁えずに申し入れました」

 ライラの乱れた髪を撫で付け、セレスタンが視線を合わせてくる。その視線の強さに、息を呑む。

「どんなに嫌だと言われても譲る気はないよ。元々、第二王女殿下との婚姻を打診されていたから、ララが私の名をその文脈で知っていて嫌がるかもしれないとは、求婚する段階で覚悟していた」
「……わたくしが縁談を断ったら、どうするつもりだったの」
「偶然を装って直接会って、どうにか関係を深めようと考えていた。だから一昨日、ララが神殿にいることをすぐに知ることができた。あらかじめ、あなたの動向を探らせていたから。私は、そういう男なんだよ、ララ」

 手を取られる。甲にくちづけられる。そのしぐさを見て、胸が詰まって何も言えずにいると、セレスタンはライラの手を裏返し、てのひらにもくちびるをつけた。

「気持ち悪いよね、二度と会わないと言った男に触れられるのは」
「ティノ」
「でも、社会的にも身体的にも、あなたはもう、私の妻だ。ぜったいに離さないし、このまま屋敷に連れて帰る」
「ティノ、聞いて」
「何を?」

 問いかけながら、セレスタンがこちらを見上げる。ライラは彼の頬を両手で包んだ。

「思い込みで酷いことを言ってしまったわ」
「気にしていないし、ララが私のものになってくれるなら、なんだって許すよ」
「──ティノも、わたくしだけのものになる?」
「もちろん」

 請け合ったセレスタンにくちづけをねだろうとして、てのひらで押し留められる。

「ララ、野次馬がたくさんいるみたいだから、ここまでにしよう。……お聞き及びのとおりです。婚姻許可証は、こちらに。妻が神殿を出てもよろしいですね?」

 野次馬のなかに神殿長の姿を認めて、セレスタンは立ち上がり、先手を打つように声をかける。彼の発言に、神殿長はライラを見た。うなずくと、険しい表情がすっと和らいだ。

「ええ、構いません。ここまできちんと整えていらした殿方は、きっと貴方様が初めてでしょうね」
「恐れ入ります」

 慇懃に返して、セレスタンはライラを横抱きにした。興味津々のようすで居並ぶ年若い巫女たちのあいだを進んで、廊下の奥の出入り口から外に出ようとする。ライラは、セレスタンにおろしてくれと頼んで、床に足をつけると、精一杯の礼をし、こうべを垂れた。淑女の礼しか知らないライラに対して、巫女たちは一斉に手を合わせ、会釈を返してくれる。

 側に立つ彼に目配せし、再び抱き上げられて外に出る。神殿の近くに停められていた馬車に乗せられ、ライラが連れてこられたのは、壮麗な屋敷だった。

 3階建ての左右対称の建物で、さほど大きくはない。ライラの住んでいた離宮よりは広いが、貴族の一家が長期間住めば次第に手狭になるだろう。基本的に、オルレア家は、王都で過ごす期間が短いのかもしれない。議会と社交の期間だけ、こちらにやってくるのが常なのだろう。

 出迎えたのは、壮年の男性使用人だった。横抱きにされたライラを見るや、周囲に小声で指示を飛ばすようすで、執事などの上級職だとわかる。

「お帰りなさいませ、旦那様。お連れ様はどちらにお通しいたしましょうか」
「ライラ第三王女殿下、私の妻になる方だ。ヴァレリー、寝室の用意は、どの程度整っている?」
「奥様のお部屋につきましては、壁紙を貼り替えたばかりで、お通しできる状況にはございません。客間をお使いいただくのが適当かと存じます」
「わかった。──ララ、客間と主寝室とどちらがいいですか?」

 ライラは迷った。客間では心細いが、主寝室でははしたなく思われるかもしれない。

「私は主寝室に来て欲しいな。隣に書斎があるから、すぐにようすを見に行けるし」
「でも、わたくしが寝室を使ってしまったら、あなたはどうするの?」
「いっしょに寝たいのは山々だけど、王太子殿下に釘を刺されているからなあ。書斎に寝椅子でも置こうかな」

 ライラは流されるように主寝室に通され、たらいの湯でからだを清められた。髪を洗われ、何度も布で水気を取ってくしけずられると、それだけの手入れで髪は艶を取り戻した。やわらかな絹の寝間着にくるまれ、毛先につけられた香油の香りを聞いていると、世話をしてくれていた若い下女のひとりと目が合った。

 見る間に真っ赤になって辞そうとする彼女を引き留め、飲み物を頼む。温かい茶を待っていると、部屋のなかに漂う香りがセレスタンのものだと気づいた。あたりまえだ、彼の寝室なのだから。

 立ち上がり、整えられた広い寝台を見て、ここでひとりで寝るのはさみしいかもしれないと思った。セレスタンの残り香に包まれて、彼なしで眠るなんて。

 寝台の端に腰掛け、ライラは敷布を手で撫でた。セレスタンの妻になったという実感は、いまだ乏しい。これから婚儀の支度を整えるうちに、段々と気持ちが追いついていくものなのだろうか。

 考えていると、扉が叩かれた。室内に残っていた下女がこちらを見る。

「開けてちょうだい」

 指示に従って扉を開けた下女の横顔が、驚愕で強張る。何事かと、ようすを窺ったライラの視界に入ってきたのは、茶器の載った盆を携えたセレスタンだった。

 彼はまず、円卓までまっすぐ進むと、盆を置き、ぐるっと部屋のなかを見回した。

「……!」

 寝台のうえにライラの姿を見つけたセレスタンは、一気に平静を失った。耳まで紅潮させてライラに背を向けると、下女に命じる。

「ヴァレリーを呼んできてくれ、直ちに、だ」

 下女が走り出ていく。彼女が閉めようとした扉を外に向けて開け放って、セレスタンは上着を脱いだ。後ろ手でこちらに差し出して、声を張る。

「ララ、これを羽織ってください。このままだと、まともにあなたと顔を合わせられない」
「どういうこと?」

 問いかけながら、寝台を下りて、上着を受け取る。だいぶ大きいが、袖を通して前の合わせを閉める。

「ララの寝間着姿がこんなに目に毒だとは思わなかったんです。せめて、婚儀まではあなたに手を出すなと厳命されているのに、理性を失いそうだ」
「まあ。いつ執り行うつもりなの?」
「その話をしたいので、執事が着くまで、私から離れていてくれるかな」

 理解して、ライラが円卓の周りに置かれた椅子に腰を据えると、ちょうど外に気配があった。扉が鳴らされ、セレスタンが応対に出る。

「すまないな。話が終わるまで、扉の脇に控えていてくれないか。中は見なくていい。ただ、音には敏感でいてくれ。私が不埒なことをしそうになったら、全力で止めてくれると助かる」
「承知いたしました。しかし、これほど旦那様が取り乱されるのを拝見いたしますと、いささか楽しくなって参りますな」
「ヴァレリー」
「お役目はしかと承りましたので、旦那様もわたくしの出番が来ないよう、お気を確かにお持ちください」

 やりとりを終えたセレスタンは、ライラのところまでやってくると、茶の世話をして、ライラの真向かいの椅子に腰を落ち着けた。まだ赤みの残る頬をてのひらで冷やしながら、青い瞳はようやくこちらを見た。


しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

虚弱姫はコワモテ将軍の筋肉に触りたい

隙間ちほ
恋愛
◼︎無骨な英雄×病弱な筋肉フェチ姫 ◼︎辺境伯の末娘エルナは、領軍の英雄マテウスとの結婚が決まった。政略結婚――のはずが、実は姫は将軍の熱烈なファン。姫がノリノリで嫁ぐ一方、当のマテウスは「か弱い姫君に嫌われている」と思い込み、距離を取ってしまう……。 ◼︎筋肉と鼻血とすれ違いラブコメ。 ◼︎超高速展開、サクッと読めます。

コワモテ軍人な旦那様は彼女にゾッコンなのです~新婚若奥様はいきなり大ピンチ~

3月5日コミカライズ配信♡二階堂まや
恋愛
政治家の令嬢イリーナは社交界の《白薔薇》と称される程の美貌を持ち、不自由無く華やかな生活を送っていた。 彼女は王立陸軍大尉ディートハルトに一目惚れするものの、国内で政治家と軍人は長年対立していた。加えて軍人は質実剛健を良しとしており、彼女の趣味嗜好とはまるで正反対であった。 そのためイリーナは華やかな生活を手放すことを決め、ディートハルトと無事に夫婦として結ばれる。 幸せな結婚生活を謳歌していたものの、ある日彼女は兄と弟から夜会に参加して欲しいと頼まれる。 そして夜会終了後、ディートハルトに華美な装いをしているところを見られてしまって……?

ロザリンデのいつわりの薔薇 ~駆け落ち寸前に別れたあなたは侯爵家の跡取りでした~

碓氷シモン
恋愛
【第19回恋愛小説大賞に応募しています。応援や投票よろしくお願いします!】 子爵令嬢ロザリンデは、毎夜、義兄に身体を弄ばれていた。「値打ちが下がらないように」と結婚するまで純潔だけは守られていたが、家名の存続と、病弱な姉や甥の生活を守るためとはいえ、その淫らな責め苦はロザリンデにとって耐えがたいものだった。そしてついにある日、義兄の友人との結婚が決まったと告げられる。それは死刑宣告に等しかった。なぜなら、義兄とその友人は二人でロザリンデを共有して、その身体を気が済むまで弄ぼうと企んでいたからだ。追い詰められたロザリンデは幼馴染の謎めいた書生、ヘルマンに助けを求める。半年前、義兄の愛撫に乱れるさまを偶然目撃されてしまって以来、ヘルマンはロザリンデを罪深い女と蔑み、二人の関係はぎくしゃくしていた。だが、意外にもヘルマンはロザリンデの頼みに耳を傾け、駆け落ちを提案する。二人は屋敷を抜け出し、立会人なしで結婚できる教会がある教区までやってきたのだが、その夜…。 苦労人の令嬢が誤解とすれ違いを乗り越えて初恋の相手と結ばれるまでの物語です。義兄が超ド級の変態で、ヒロインはなかなかに辛い目に遭いますが、ハッピーエンドですので安心してお読み下さい。Rシーンにはエピソードタイトルの後に*をつけています。 ムーンライトノベルズでも投稿しています。また本作品の全てにおいて、AIは一切使用しておりません。

過去の名君は仮初の王に暴かれる

沖果南
恋愛
とある騎士の長い長い片思いのお話です。しょっぱなからせっせしてるので注意してください。

束縛婚

水無瀬雨音
恋愛
幼なじみの優しい伯爵子息、ウィルフレッドと婚約している男爵令嬢ベルティーユは、結婚を控え幸せだった。ところが社交界デビューの日、ウィルフレッドをライバル視している辺境伯のオースティンに出会う。翌日ベルティーユの屋敷を訪れたオースティンは、彼女を手に入れようと画策し……。 清白妙様、砂月美乃様の「最愛アンソロ」に参加しています。

田舎の幼馴染に囲い込まれた

兎角
恋愛
25.10/21 殴り書きの続き更新 都会に飛び出した田舎娘が渋々帰郷した田舎のムチムチ幼馴染に囲い込まれてズブズブになる予定 ※殴り書きなので改行などない状態です…そのうち直します。

溺愛のフリから2年後は。

橘しづき
恋愛
 岡部愛理は、ぱっと見クールビューティーな女性だが、中身はビールと漫画、ゲームが大好き。恋愛は昔に何度か失敗してから、もうするつもりはない。    そんな愛理には幼馴染がいる。羽柴湊斗は小学校に上がる前から仲がよく、いまだに二人で飲んだりする仲だ。実は2年前から、湊斗と愛理は付き合っていることになっている。親からの圧力などに耐えられず、酔った勢いでついた嘘だった。    でも2年も経てば、今度は結婚を促される。さて、そろそろ偽装恋人も終わりにしなければ、と愛理は思っているのだが……?

初恋をこじらせた騎士軍師は、愛妻を偏愛する ~有能な頭脳が愛妻には働きません!~

如月あこ
恋愛
 宮廷使用人のメリアは男好きのする体型のせいで、日頃から貴族男性に絡まれることが多く、自分の身体を嫌っていた。  ある夜、悪辣で有名な貴族の男に王城の庭園へ追い込まれて、絶体絶命のピンチに陥る。  懸命に守ってきた純潔がついに散らされてしまう! と、恐怖に駆られるメリアを助けたのは『騎士軍師』という特別な階級を与えられている、策士として有名な男ゲオルグだった。  メリアはゲオルグの提案で、大切な人たちを守るために、彼と契約結婚をすることになるが――。    騎士軍師(40歳)×宮廷使用人(22歳)  ひたすら不器用で素直な二人の、両片想いむずむずストーリー。 ※ヒロインは、むちっとした体型(太っているわけではないが、本人は太っていると思い込んでいる)

処理中です...