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5話 チワワの世界
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チワワ好きの人ならば、チワワから見た世界を見て見たいと思う人もいるだろう。その大きな目、大きな耳で見たり聞いたりしたことを、地面に這うような目線、すばしこく走っていくスピード感と周囲の大きさを。チワワの世界は、人間の目線ではとても計れない。自分が姿勢を低くして伏せてみて、チワワと目線を合わせてみると、愛犬と一緒に同じ目線で走ってみたいと思う人もいるかもしれない。
そこで、そんな希望を叶えようと鳴海さんが考えたのが「チワバター」だという。チワバターとは、チワワのアバターを着て自分の飼っているチワワや、チワ友のチワワたちと一緒に遊べるという催しだ。
「ちょっと魅力的でしょ。色々意見はあると思うの。チワワに対して支配欲が強い人は、同じ目線って有り得ないみたいだけど、私は優さんが『ガリレオコンビと一緒に走り回ったりして遊んでみたいなって思う』というアイデアが素敵だと思ったの。一緒に走ってじゃれて遊んで、ご飯やオヤツを食べて、疲れたら仲間で固まって寝るの。これぞチワワのパラダイスの真髄って思うのよね。」
と鳴海さんが言う。
「もちろん、チワバターとかいっても、チワワの着ぐるみを着てチワワの群れの中に入るんじゃないのよ。それじゃ全然同じ目線ではないじゃない。そこで、英知と技術を集めて、本当のチワワ同然になるっていうアバターを作ったの。チワワのアバターはチワワの言葉が分かるし、話せるし、嗅覚・聴覚も一緒。餌は一緒に食べることができて、人間の身体には害がないように変換されるようになっているの。すごいでしょ? だいたい日常一緒にいれば、何となく言いたいことは分かるし、チワワによっては言っていることがよく分かるような子もいるんだけどね。直接お話ができるって、本当に夢じゃない?」
私は鳴海さんがいうチワバターを想像してワクワクしていた。ガリレオコンビと話せる。聞いてみたいこともあるし、話したいこともある。一緒に遊べたらどんなに面白いだろうと思ったこともある。チワ友のチワワたちとも、話してみたいこともある。鳴海さんが言っていることが本当ならば、これはレオナルドダヴィンチもビックリの発明だ。一緒に聞いていた恵理子さんが目を潤ませている。
「素敵!ちょっと怖い気もするんだけど、リリーと話せるなんて一緒に遊べるなんて、最高だわ!」
鳴海さんはフト恵理子さんに向き直った。
「ちょっと怖い気もするっていうのは?」」
「うん、チワワになるのはいいんだけど、その後ちゃんと戻れるのかな?って。」
恵理子さんが首をかしげながら言った。確かにそれはそうだ。どんな仕掛けか全然分からないのだけど、チワワになったはいいけど人間に戻れなくなったとかはシャレにならない。
「いやだぁ。チワバターだから、チワワにまるっきりなるんじゃなくて、チワワのアバターを着るの。アバターには人間と五感を繋げる装置があって、本物同然のチワワアバターが連動して動くのよ。」
「なるほど。それなら人間本体は安全なところにいるというわけね。装置も安全なのよね。人間の中身もちゃんと戻って来られるのよね。」
恵理子さんが心配そうに言う。鳴海さんのご自慢の装置だというのに、ちょっと失礼な感じもするのだが、見たことも聞いたこともない装置に自分を置くのだから不安というのも仕方がない。
「大丈夫。もし万が一装置がトラブルが起きたり壊れたりしたとしても、人間に害はないから。」
鳴海さんが微笑んで私たちの背中を押した。
「さぁ、みんなに発表に行きましょう。きっとみんな喜んでくれるわ。この滞在に残ってくれた人たちは、きっとチワワの世界へ行きたいと思うような人たちだから。」
「みなさん、本日の催しは『チワバター』です。」
朝のお茶を飲みながら座っていたチワ友たちは、発表する鳴海さんを振り返った。鳴海さんは上から降りてくるスクリーンをとらえると、映し出された装置の説明と一緒にコメントした。
「チワワ大好きな人たちならば、自分のチワワはもとより、チワ友のチワワとも友だちになれてしまう、夢のチワバターです。実際に人間の身は施設にあり、アバターがチワワと接触しますが、話もできれば一緒にご飯も食べることができます。装置的に危険はありません。チワワ御殿最大なイベント、皆さん、どうかご参加ください。」
スクリーンには装置に寝そべる人間と、本物同然のチワワが作り出されて息を吹き込まれる場面が映し出された。広間に居た人々はザワザワとざわめいた。やはり不安な反面、興味とやってみたいという思いが先行しているようだ。鳴海さんは不思議な微笑を浮かべたまま皆を見ている。鳴海さんは皆の反応を見て楽しんでいるのだろうか。一言も口を挟まずに、皆が静まるのを待っている。
「ねぇ、鳴海さん。チワバターいつやるの?」
と、楠木さんが言ったのを合図に、チワ友たちは腰を浮かして、鳴海さんはシャキッと行動を起こした。
「皆さん、ではチワバターの会場へ行きましょう。もちろんチワワちゃんたちも一緒に。」
チワバターの会場は広間などがある御殿とは別の、白い鉄筋コンクリート作りの3階建てのシンプルな施設のようなものだった。外には透明のドームで覆われた太陽光が差し込むドックランになっている。施設の入り口の横にはこのドックランへの入り口があり、そこにチワワたちを放すことができた。暑くもなく寒くもない、遊び道具なんかもあり、走りがいもありそうだ。チワワたちは環境にも慣れてきて、よくお互いを誘いながら遊ぶようになっていた。恵理子さんにくっついていたリリーちゃんも皆と走っている。
「素敵な光景だわね。」
恵理子さんが嬉しそうに笑った。その時、私の横で娘の麻耶が私の袖を引っ張った。
「お母さん、ちょっと風邪引いちゃったみたい。頭が痛くて熱がありそうなの。自室で休んでいていい?」
確かに顔が赤い。麻耶は昨日のプールの後、よく髪を乾かさなかったのではないか。私は麻耶の額に手を置いた。それほど熱は高くはないだろう。ともあれ、無理はする必要はない。
「温かくして、風邪薬はトランクに入っているから飲んで寝ていなさい。このチワバターが終わったら夕食前に部屋に行くから。」
と私は言った。麻耶は今来た施設のドアを戻っていった。私たちはホールのエレベーターで地下へ向かった。
「他の邪魔な通信などが入らないように、念のため地下に作ってあるの。もちろん後で最上階へ行ってみましょう。本当は最上階にはドームの中で本物のチワワとチワバターが交流するところがモニターで見られるようにしてあるんだけど、皆さん全員チワバターになってしまうから必要ないわね。」
鳴海さんは笑っていた。皆チワワになりたいのだ。見ているだけなら、いつも見ている。私たちの行き先は地下のどれくらい深いところなのだろうか?エレベーターには地下のマークだけで階は表示されなかった。だが、乗っている時間が長い。一般人の家でこれほどの地下の施設とはビックリしてしまう。やがてエレベーターのドアがゆっくりと開いて、青く光る壁の部屋に到着した。
「わぁ、なんだか急に近未来的だわ。」
楠木さんが見回して言った。壁にはまるでSFのようにコンピューターパネルが埋め込まれていて、その中にはドックランが映し出されるモニターもあった。
「みんな慣れてきて仲良く遊んでいるね。」
恵理子さんが微笑んだ。
「リリーに感想を直に聞けるのはワクワクするわね。」
ちょっと怖がりなリリーちゃんだから、この楽しさを何と言ってくれるのだろうか。他のチワワと話したりしているのだろうか?想像すると確かに楽しみだ。私たちは鳴海さんの後に続いて施設の青いライトの中を歩いた。間もなく次の部屋が開いて、そこにはSF映画に出てきそうな病院のMRIのような筒型の機械があった。人間が横になって入れるベッドのようになっていて、それがたくさん並んでいる。ゲスト全員分はありそうだ。
「もしかしてこれに寝て、アバターと接続するの?」
私が言うと、鳴海さんは察しがいいとばかりにニヤッと笑った。
「ここに人間の身を置いて、五感や思考や感情などはチワワのアバターに移ります。操作は私がここでやりますし、他の人は入ってこられない構造になっているので、人間の自分の身体は安全です。何か故障やトラブルがあれば自動的に戻ることができるので、危険もありません。もちろん訓練も要りません。ここに横になるだけで痛いこともありませんよ。」
鳴海さんの言葉に、チワ友たちはそれぞれ装置に横になった。私は恵理子さんと楠木さんの間にいた。その横には沖縄のルカさんもいるし、反対側の向こうには雷子さんの飼い主で写真家の関根さんもいる。北海道のルルさんや九州の幸子さんはどこかな?と見回そうと思ったけれど、装置は自動的に私の身体を緩く拘束した。
「ゆっくり目を閉じて、気持ちを楽にしてください。お昼寝をするつもりのような感じで・・・・。」
鳴海さんが言うと同時に、美しくゆったりした曲がフロアに流れた。心地よく眠りを誘ってくる。頭の中がボーっとしてくる。鳴海さんが何か説明しているようにも聞こえるが、私はそれをはっきり聞き終わる前に意識は装置に吸い取られていったようだ。
「ねぇ、大丈夫?君は新入り?」
私が目を覚ますと、目の前に大きな目のアップが迫っていた。
「うわぁ!」
私がビックリして身を起こして後ずさりすると、相手は更に近づいて顔を寄せた。今度は鼻のアップが目の前に。鼻息がフンフンかかる。
「ねぇ、ねぇ。君の名前は?」
私はそこでハッと我に帰った。見下ろすと自分の足や手は四足になり毛がビッシリ生えている。話しかけてくる相手を見直すと、なんとチワワだ。
「私は、私は・・・えーと、優。優って呼んで。君は?」
「僕はガリ。弟のレオは、ほら、今走ってくるよ。ねぇ、寝ていないで一緒に遊ぼう!」
視線をずらすとレオが必死で走ってくる様子が見えた。これが私の家のチワワのガリとレオ、ガリレオコンビか! なんだかわりと違和感がない。兄のガリはしっかりした話し方をして落ち着いている。一方走ってくるレオは単純な馬鹿丸出し的な表情だが天真爛漫ぽい笑顔の雰囲気だ。周囲を見渡すと、起き上がろうとするチワワがたくさんいる。おそらくチワバターでチワワになったゲストたちだ。動きが多少ぎこちない。
「優さん、優さん。」
おそらく恵理子さんと思われる可愛い茶色のチワワがいた。
「恵理子さん?」
私が近づくと、リリーちゃんが寄ってきて私の前に立った。
「大丈夫?私がついているわ。恵理子さんね。」
私はビックリした。リリーちゃんは自分の飼い主の恵理子さんがチワバターでチワワになっていると分かっているのだろうか?
「リリーちゃん? 恵理子さんが分かるの?」
私が話しかけると、リリーちゃんが私を不思議そうに見て、
「当たり前でしょう。匂い?外見?いいえ、分かるのよ。だって毎日一緒にいるんだもの。恵理子さん、チワワの世界へようこそ。いつの私を守ってくれてありがとう。あちらで一緒に遊びましょう。」
恵理子さんの顔はチワワで、匂いも人間と違うし、笑顔は人間の笑顔と違うのだが、恵理子さんが感動しているのが分かる。リリーちゃんはもっと「お嬢さん」的な感じがすると勝手に思っていたが、想像していたよりずっとしっかりした感じがする。
一方他の場所では、楠木さんのところのミー君が立っている。真っ白でふわふわの毛をなびかせるようにして、顔立ちは凛としている。まったくハンサムで、これぞイケメン・・・じゃなくてイケワンの真髄だろう。傍らには立ち上がろうとして戸惑う女の子チワワがいる。おそらく楠木さんだ。ミー君は手を差し伸べる代わりに、鼻先で脇をつついて立ち上がらせてあげようとしている。なんていうか、いつも見ている通り王子様的なのだ。
「やっぱり素敵ね。王子様的なところは人間から見たときと同じだわ。」
と思ってみていると、立ち上がった楠木さんにピッタリくっついて離れない。本当に横にくっついているのだ。
「これは素敵だ。このままずっとこうしてピッタリと横にくっついていたい。このまま一緒にお散歩しない?」
楠木さんがなんだかナンパされているみたいだ。ちょっと面白くて笑ってしまった。するとガリレオコンビが私の横でソワソワしている。
「ねぇ、あっちで遊ぼうよ!」
私はガリレオコンビに促されて走り出した。身が軽い。チワワのアバターなのだから当然か。一緒に風を切って走っているとすごく爽快だ。大小のボールが置いてあるところまでくると、一緒に転がして遊んだ。
「ねぇ、ガリ。」
私はガリに話しかけた。
「なに?ほら、そっちいったよ!ボールおいかけて!」
私はボールを追いかけながら続けた。
「ねぇ、ガリはいつも飼い主のことどう思ってる?扱いは悪いところない?ご飯は満足してもらえてるかなぁ。」
私は横目でチラッとガリを見た。すると横からレオが、
「ボクね、ボクは優さんが大好きなの!優しいし、楽しいし、お散歩一緒に行くのが毎日の一番の楽しみなんだ。ご飯より楽しみなんだよー!」
レオにとって毎日の楽しみは散歩だったのか。でもいつも仕事から帰ってからお散歩に行くと、長い時間は取れなくて、手短になってしまったりして申し訳なく思っている。
「優さん、僕たちは幸せだよ。毎日大満足ってわけにはいかないけれど、それは人間だって同じだろう?」
ガリは思慮深い事を言う。いつも人間みたいな目の奥を感じるのだが、こういうことなのかな。レオは私がイコール飼い主と分からないようだが、ガリにはもう分かっているようだ。
「一緒にたくさん遊ぼう。楽しいね!」
ガリレオコンビに引きずられように移動していると、ちょっと視線を遠くにすると、写真家の関根さんが雷子さんと一緒にいる。雷子さんは人間だけじゃなくてチワワにもファンがいるようで人だかりじゃなくて、チワワだかりがしている。雷子さんはその収拾が付かない状態でも関根さんを横から離さないし、お気に入りの帽子をしっかり被ったままだ。
「全く、この最高の被写体たちをこの角度で撮り放題っていうチャンスなのに、肉球じゃカメラが持てないよなぁ。」
関根さんがぼやいている。しかしモテモテの雷子さんの横でまんざらでも無さそうだ。チワバターでチワワになった人間があらかたチワワの集団になじんできたようだ。知らないようで知っている、知っているようで知らない巨大なチワワの群れが、更に盛り上がって声が高くなってくる。
優の娘の麻耶は、熱っぽい身体を引きずるように自室へ下がっていた。執事やメイドに言うとあれこれ世話をしようと面倒なので、一人でコッソリ戻ったのだ。薬を飲んでベッドに入ると、泥沼のような睡眠に陥った。
どれくらい眠っただろうか。何時間たったのだろう。外は真っ暗なようだ。窓からの光が差さない。部屋に母親の優が帰ってきた痕跡はなさそうだ。熱はまだ下がりきらないようで、ベッドに身体がくっついたように起き上がれない。ゲストルームのある二階の下からは、騒がしい声が聞こえてきて、バタバタと走る音が聞こえた。
「ごめんなさい。急に仕事が入ってしまったの。本当にどうしても断れなくて。すぐに帰ってくるわ。帰ってくるまでゲストの方々を頼むわね。執事の黒井と、メイドのアリアが中心になって切盛りしてね。お願いよ。ちょっと携帯電話が繋がりにくいと思うけど、判断を信じているから。あ、そこのパスポート取ってくれるかしら。」
という鳴海さんの声がする。鳴海さん仕事に出かけるのか。宝くじ当たってこんな素晴らしい御殿を建てたのに、それでも仕事に行くのか。断りきれないと言っていた。そういえば鳴海さんの職業とか知らない。間もなくガタガタと音がして鳴海さんが御殿から出かけていくのが分かった。麻耶はまた再び眠りの中に落ちていった。眠りに落ちていきながら、言いようのない不安が込み上げていて、すぐにでも優を迎えに行きたかったが、どうすることもできない状態でベッドで眠っていた。
そこで、そんな希望を叶えようと鳴海さんが考えたのが「チワバター」だという。チワバターとは、チワワのアバターを着て自分の飼っているチワワや、チワ友のチワワたちと一緒に遊べるという催しだ。
「ちょっと魅力的でしょ。色々意見はあると思うの。チワワに対して支配欲が強い人は、同じ目線って有り得ないみたいだけど、私は優さんが『ガリレオコンビと一緒に走り回ったりして遊んでみたいなって思う』というアイデアが素敵だと思ったの。一緒に走ってじゃれて遊んで、ご飯やオヤツを食べて、疲れたら仲間で固まって寝るの。これぞチワワのパラダイスの真髄って思うのよね。」
と鳴海さんが言う。
「もちろん、チワバターとかいっても、チワワの着ぐるみを着てチワワの群れの中に入るんじゃないのよ。それじゃ全然同じ目線ではないじゃない。そこで、英知と技術を集めて、本当のチワワ同然になるっていうアバターを作ったの。チワワのアバターはチワワの言葉が分かるし、話せるし、嗅覚・聴覚も一緒。餌は一緒に食べることができて、人間の身体には害がないように変換されるようになっているの。すごいでしょ? だいたい日常一緒にいれば、何となく言いたいことは分かるし、チワワによっては言っていることがよく分かるような子もいるんだけどね。直接お話ができるって、本当に夢じゃない?」
私は鳴海さんがいうチワバターを想像してワクワクしていた。ガリレオコンビと話せる。聞いてみたいこともあるし、話したいこともある。一緒に遊べたらどんなに面白いだろうと思ったこともある。チワ友のチワワたちとも、話してみたいこともある。鳴海さんが言っていることが本当ならば、これはレオナルドダヴィンチもビックリの発明だ。一緒に聞いていた恵理子さんが目を潤ませている。
「素敵!ちょっと怖い気もするんだけど、リリーと話せるなんて一緒に遊べるなんて、最高だわ!」
鳴海さんはフト恵理子さんに向き直った。
「ちょっと怖い気もするっていうのは?」」
「うん、チワワになるのはいいんだけど、その後ちゃんと戻れるのかな?って。」
恵理子さんが首をかしげながら言った。確かにそれはそうだ。どんな仕掛けか全然分からないのだけど、チワワになったはいいけど人間に戻れなくなったとかはシャレにならない。
「いやだぁ。チワバターだから、チワワにまるっきりなるんじゃなくて、チワワのアバターを着るの。アバターには人間と五感を繋げる装置があって、本物同然のチワワアバターが連動して動くのよ。」
「なるほど。それなら人間本体は安全なところにいるというわけね。装置も安全なのよね。人間の中身もちゃんと戻って来られるのよね。」
恵理子さんが心配そうに言う。鳴海さんのご自慢の装置だというのに、ちょっと失礼な感じもするのだが、見たことも聞いたこともない装置に自分を置くのだから不安というのも仕方がない。
「大丈夫。もし万が一装置がトラブルが起きたり壊れたりしたとしても、人間に害はないから。」
鳴海さんが微笑んで私たちの背中を押した。
「さぁ、みんなに発表に行きましょう。きっとみんな喜んでくれるわ。この滞在に残ってくれた人たちは、きっとチワワの世界へ行きたいと思うような人たちだから。」
「みなさん、本日の催しは『チワバター』です。」
朝のお茶を飲みながら座っていたチワ友たちは、発表する鳴海さんを振り返った。鳴海さんは上から降りてくるスクリーンをとらえると、映し出された装置の説明と一緒にコメントした。
「チワワ大好きな人たちならば、自分のチワワはもとより、チワ友のチワワとも友だちになれてしまう、夢のチワバターです。実際に人間の身は施設にあり、アバターがチワワと接触しますが、話もできれば一緒にご飯も食べることができます。装置的に危険はありません。チワワ御殿最大なイベント、皆さん、どうかご参加ください。」
スクリーンには装置に寝そべる人間と、本物同然のチワワが作り出されて息を吹き込まれる場面が映し出された。広間に居た人々はザワザワとざわめいた。やはり不安な反面、興味とやってみたいという思いが先行しているようだ。鳴海さんは不思議な微笑を浮かべたまま皆を見ている。鳴海さんは皆の反応を見て楽しんでいるのだろうか。一言も口を挟まずに、皆が静まるのを待っている。
「ねぇ、鳴海さん。チワバターいつやるの?」
と、楠木さんが言ったのを合図に、チワ友たちは腰を浮かして、鳴海さんはシャキッと行動を起こした。
「皆さん、ではチワバターの会場へ行きましょう。もちろんチワワちゃんたちも一緒に。」
チワバターの会場は広間などがある御殿とは別の、白い鉄筋コンクリート作りの3階建てのシンプルな施設のようなものだった。外には透明のドームで覆われた太陽光が差し込むドックランになっている。施設の入り口の横にはこのドックランへの入り口があり、そこにチワワたちを放すことができた。暑くもなく寒くもない、遊び道具なんかもあり、走りがいもありそうだ。チワワたちは環境にも慣れてきて、よくお互いを誘いながら遊ぶようになっていた。恵理子さんにくっついていたリリーちゃんも皆と走っている。
「素敵な光景だわね。」
恵理子さんが嬉しそうに笑った。その時、私の横で娘の麻耶が私の袖を引っ張った。
「お母さん、ちょっと風邪引いちゃったみたい。頭が痛くて熱がありそうなの。自室で休んでいていい?」
確かに顔が赤い。麻耶は昨日のプールの後、よく髪を乾かさなかったのではないか。私は麻耶の額に手を置いた。それほど熱は高くはないだろう。ともあれ、無理はする必要はない。
「温かくして、風邪薬はトランクに入っているから飲んで寝ていなさい。このチワバターが終わったら夕食前に部屋に行くから。」
と私は言った。麻耶は今来た施設のドアを戻っていった。私たちはホールのエレベーターで地下へ向かった。
「他の邪魔な通信などが入らないように、念のため地下に作ってあるの。もちろん後で最上階へ行ってみましょう。本当は最上階にはドームの中で本物のチワワとチワバターが交流するところがモニターで見られるようにしてあるんだけど、皆さん全員チワバターになってしまうから必要ないわね。」
鳴海さんは笑っていた。皆チワワになりたいのだ。見ているだけなら、いつも見ている。私たちの行き先は地下のどれくらい深いところなのだろうか?エレベーターには地下のマークだけで階は表示されなかった。だが、乗っている時間が長い。一般人の家でこれほどの地下の施設とはビックリしてしまう。やがてエレベーターのドアがゆっくりと開いて、青く光る壁の部屋に到着した。
「わぁ、なんだか急に近未来的だわ。」
楠木さんが見回して言った。壁にはまるでSFのようにコンピューターパネルが埋め込まれていて、その中にはドックランが映し出されるモニターもあった。
「みんな慣れてきて仲良く遊んでいるね。」
恵理子さんが微笑んだ。
「リリーに感想を直に聞けるのはワクワクするわね。」
ちょっと怖がりなリリーちゃんだから、この楽しさを何と言ってくれるのだろうか。他のチワワと話したりしているのだろうか?想像すると確かに楽しみだ。私たちは鳴海さんの後に続いて施設の青いライトの中を歩いた。間もなく次の部屋が開いて、そこにはSF映画に出てきそうな病院のMRIのような筒型の機械があった。人間が横になって入れるベッドのようになっていて、それがたくさん並んでいる。ゲスト全員分はありそうだ。
「もしかしてこれに寝て、アバターと接続するの?」
私が言うと、鳴海さんは察しがいいとばかりにニヤッと笑った。
「ここに人間の身を置いて、五感や思考や感情などはチワワのアバターに移ります。操作は私がここでやりますし、他の人は入ってこられない構造になっているので、人間の自分の身体は安全です。何か故障やトラブルがあれば自動的に戻ることができるので、危険もありません。もちろん訓練も要りません。ここに横になるだけで痛いこともありませんよ。」
鳴海さんの言葉に、チワ友たちはそれぞれ装置に横になった。私は恵理子さんと楠木さんの間にいた。その横には沖縄のルカさんもいるし、反対側の向こうには雷子さんの飼い主で写真家の関根さんもいる。北海道のルルさんや九州の幸子さんはどこかな?と見回そうと思ったけれど、装置は自動的に私の身体を緩く拘束した。
「ゆっくり目を閉じて、気持ちを楽にしてください。お昼寝をするつもりのような感じで・・・・。」
鳴海さんが言うと同時に、美しくゆったりした曲がフロアに流れた。心地よく眠りを誘ってくる。頭の中がボーっとしてくる。鳴海さんが何か説明しているようにも聞こえるが、私はそれをはっきり聞き終わる前に意識は装置に吸い取られていったようだ。
「ねぇ、大丈夫?君は新入り?」
私が目を覚ますと、目の前に大きな目のアップが迫っていた。
「うわぁ!」
私がビックリして身を起こして後ずさりすると、相手は更に近づいて顔を寄せた。今度は鼻のアップが目の前に。鼻息がフンフンかかる。
「ねぇ、ねぇ。君の名前は?」
私はそこでハッと我に帰った。見下ろすと自分の足や手は四足になり毛がビッシリ生えている。話しかけてくる相手を見直すと、なんとチワワだ。
「私は、私は・・・えーと、優。優って呼んで。君は?」
「僕はガリ。弟のレオは、ほら、今走ってくるよ。ねぇ、寝ていないで一緒に遊ぼう!」
視線をずらすとレオが必死で走ってくる様子が見えた。これが私の家のチワワのガリとレオ、ガリレオコンビか! なんだかわりと違和感がない。兄のガリはしっかりした話し方をして落ち着いている。一方走ってくるレオは単純な馬鹿丸出し的な表情だが天真爛漫ぽい笑顔の雰囲気だ。周囲を見渡すと、起き上がろうとするチワワがたくさんいる。おそらくチワバターでチワワになったゲストたちだ。動きが多少ぎこちない。
「優さん、優さん。」
おそらく恵理子さんと思われる可愛い茶色のチワワがいた。
「恵理子さん?」
私が近づくと、リリーちゃんが寄ってきて私の前に立った。
「大丈夫?私がついているわ。恵理子さんね。」
私はビックリした。リリーちゃんは自分の飼い主の恵理子さんがチワバターでチワワになっていると分かっているのだろうか?
「リリーちゃん? 恵理子さんが分かるの?」
私が話しかけると、リリーちゃんが私を不思議そうに見て、
「当たり前でしょう。匂い?外見?いいえ、分かるのよ。だって毎日一緒にいるんだもの。恵理子さん、チワワの世界へようこそ。いつの私を守ってくれてありがとう。あちらで一緒に遊びましょう。」
恵理子さんの顔はチワワで、匂いも人間と違うし、笑顔は人間の笑顔と違うのだが、恵理子さんが感動しているのが分かる。リリーちゃんはもっと「お嬢さん」的な感じがすると勝手に思っていたが、想像していたよりずっとしっかりした感じがする。
一方他の場所では、楠木さんのところのミー君が立っている。真っ白でふわふわの毛をなびかせるようにして、顔立ちは凛としている。まったくハンサムで、これぞイケメン・・・じゃなくてイケワンの真髄だろう。傍らには立ち上がろうとして戸惑う女の子チワワがいる。おそらく楠木さんだ。ミー君は手を差し伸べる代わりに、鼻先で脇をつついて立ち上がらせてあげようとしている。なんていうか、いつも見ている通り王子様的なのだ。
「やっぱり素敵ね。王子様的なところは人間から見たときと同じだわ。」
と思ってみていると、立ち上がった楠木さんにピッタリくっついて離れない。本当に横にくっついているのだ。
「これは素敵だ。このままずっとこうしてピッタリと横にくっついていたい。このまま一緒にお散歩しない?」
楠木さんがなんだかナンパされているみたいだ。ちょっと面白くて笑ってしまった。するとガリレオコンビが私の横でソワソワしている。
「ねぇ、あっちで遊ぼうよ!」
私はガリレオコンビに促されて走り出した。身が軽い。チワワのアバターなのだから当然か。一緒に風を切って走っているとすごく爽快だ。大小のボールが置いてあるところまでくると、一緒に転がして遊んだ。
「ねぇ、ガリ。」
私はガリに話しかけた。
「なに?ほら、そっちいったよ!ボールおいかけて!」
私はボールを追いかけながら続けた。
「ねぇ、ガリはいつも飼い主のことどう思ってる?扱いは悪いところない?ご飯は満足してもらえてるかなぁ。」
私は横目でチラッとガリを見た。すると横からレオが、
「ボクね、ボクは優さんが大好きなの!優しいし、楽しいし、お散歩一緒に行くのが毎日の一番の楽しみなんだ。ご飯より楽しみなんだよー!」
レオにとって毎日の楽しみは散歩だったのか。でもいつも仕事から帰ってからお散歩に行くと、長い時間は取れなくて、手短になってしまったりして申し訳なく思っている。
「優さん、僕たちは幸せだよ。毎日大満足ってわけにはいかないけれど、それは人間だって同じだろう?」
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「一緒にたくさん遊ぼう。楽しいね!」
ガリレオコンビに引きずられように移動していると、ちょっと視線を遠くにすると、写真家の関根さんが雷子さんと一緒にいる。雷子さんは人間だけじゃなくてチワワにもファンがいるようで人だかりじゃなくて、チワワだかりがしている。雷子さんはその収拾が付かない状態でも関根さんを横から離さないし、お気に入りの帽子をしっかり被ったままだ。
「全く、この最高の被写体たちをこの角度で撮り放題っていうチャンスなのに、肉球じゃカメラが持てないよなぁ。」
関根さんがぼやいている。しかしモテモテの雷子さんの横でまんざらでも無さそうだ。チワバターでチワワになった人間があらかたチワワの集団になじんできたようだ。知らないようで知っている、知っているようで知らない巨大なチワワの群れが、更に盛り上がって声が高くなってくる。
優の娘の麻耶は、熱っぽい身体を引きずるように自室へ下がっていた。執事やメイドに言うとあれこれ世話をしようと面倒なので、一人でコッソリ戻ったのだ。薬を飲んでベッドに入ると、泥沼のような睡眠に陥った。
どれくらい眠っただろうか。何時間たったのだろう。外は真っ暗なようだ。窓からの光が差さない。部屋に母親の優が帰ってきた痕跡はなさそうだ。熱はまだ下がりきらないようで、ベッドに身体がくっついたように起き上がれない。ゲストルームのある二階の下からは、騒がしい声が聞こえてきて、バタバタと走る音が聞こえた。
「ごめんなさい。急に仕事が入ってしまったの。本当にどうしても断れなくて。すぐに帰ってくるわ。帰ってくるまでゲストの方々を頼むわね。執事の黒井と、メイドのアリアが中心になって切盛りしてね。お願いよ。ちょっと携帯電話が繋がりにくいと思うけど、判断を信じているから。あ、そこのパスポート取ってくれるかしら。」
という鳴海さんの声がする。鳴海さん仕事に出かけるのか。宝くじ当たってこんな素晴らしい御殿を建てたのに、それでも仕事に行くのか。断りきれないと言っていた。そういえば鳴海さんの職業とか知らない。間もなくガタガタと音がして鳴海さんが御殿から出かけていくのが分かった。麻耶はまた再び眠りの中に落ちていった。眠りに落ちていきながら、言いようのない不安が込み上げていて、すぐにでも優を迎えに行きたかったが、どうすることもできない状態でベッドで眠っていた。
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連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
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聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
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