犬友

有馬 優

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6話 凶暴で危険な匂いは

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 麻耶がベッドの上で目を覚ましたのは、すでに外が明るくなってからだった。朦朧とした頭で、昨夜の鳴海さんの声を思い出していた。

「ずいぶん騒がしかったなぁ。・・・・・そういえば、鳴海さん仕事だとかしゃべっていたような気がする。出かけたみたいだよね。」

麻耶は周囲を見回して、

「お母さんは帰ってない。それとも食事か何かに行ったのかな? おかしいわね、チワバターの施設から帰ったら部屋に帰ってくると言っていたのに。もしかして私が寝ていたから一人で食事に広間に行ったとか?」

麻耶はクローゼットを開けると、母親の服を見てみた。食事の時に着ていく服が揃っている。ということは、食事ではないだろう。それに、部屋に帰ってきた痕跡がないし、ベッドには横になった跡もない。寝ていないのだろうか?

「確か昨日の昼過ぎにチワバターの施設に移動して・・・それからどうしたのだろう?」

麻耶はさすがに心配になってきた。パジャマを脱ぐと服に着替え、髪をざっくり梳かすと部屋のドアを音がしないように開けてみた。

「ドアの外の廊下には誰もいない。音もしない。」

窓の方へ近づいてカーテンをソッとめくって外を見ると、大きく広がるドックランと小さなドックランが点在しているが、どこにも誰もいない。

「おかしいな・・・・あれだけの人数とチワワがどこへ? まさか、まさか、まだチワバターから帰っていないとか? だいたい、鳴海さんは急いで出かけていったけど、みんなをあの施設から連れて帰っているという雰囲気ではなかったわ。」

麻耶の胸の中は笹が風にざわめくようにザワザワと音を立てていた。嫌な予感がする。もしかして、チワワとその飼い主たちはチワバターから戻っていないのではないか?

「でも、執事の黒井さんもいるし、みんなをそのままってことないわよね?」

麻耶は自分の不安を消そうとするように独り言を言った。しかし独り言を言ってみたところで何も解決しないと思った麻耶は、思い切って部屋を出てそっと廊下を歩いてみた。

「他の部屋にも誰もいない感じがするわ・・・。広間はどうかしら?それとも小さな集会室みたいなところでお茶しているとか?」

招待されてきたのに、なぜ忍び足なのか麻耶はちょっと自分で不思議な感じがしたが、今は気配を消したほうが良いような気がする。

「広間には誰もいないし、お茶や食事の痕跡もない。小さな集会室にもいないし、建物の反対側の外や噴水の方面にもいない。いったいどこへ・・・。チワワ御殿の外に出るなら、なおさらお母さんは私に声をかけていくだろうし。ここら辺には、ちょっとそこまでコンビニという店もないはずだし。」

その時、キッチンのほうからメイドと執事の黒井さんの声がした。麻耶はとっさに太い柱の影に隠れて息を殺した。

「ねぇ、ひどいと思わない?」

メイドのアリアさんが不満いっぱいな声で言うのが聞こえる。

「ゲストを置いて仕事にでかけちゃった鳴海様もひどいけど、チワワたちをそっくり置いて何も言わずに失踪しちゃうゲストもひどすぎると思うの。」

アリアさんはプンプン怒っているが、聞き捨てならないことを聞いてしまった。鳴海さんが仕事でいないというのは聞こえていたが、ゲストたちがチワワを置いて失踪したというのだ。そんなことは有り得ない。アリアさんは分かっていない。ここに来た人たちは、自分の命に代えてでも自分の家族であるチワワを守るような人たちだ。置き去りなんてしない。まして、母が私を置き去りになどしないだろう。もしかして、何か必要なものがあるとか、鳴海さんに何かプレゼントでもとか、買い出しにでもみんなで出たのではないだろうか?

「しかしおかしいのですよ。皆さんお部屋はそのままですし、だいたい御殿の門を開けた形跡がないのです。御殿も門はセキュリティがしっかりかかっていますし、御殿の周囲も地上はセキュリティセンサーが張ってあります。それに誰も引っかからないというのもおかしいでしょう。」

執事の黒井さんが首をかしげている。確かにそれは論理的におかしい。皆、本当にどこへ行ったのだろう?セキュリティにひっかからないということは、あの大人数といい外へ出たというのは可能性が低いだろう。

「チワワは置いていった、と言っていたわ。どこへ?もしかしてチワバターの施設?」

麻耶はふと、チワバターの施設のドックランが半分屋内の透明ドームになっていることを思い出した。外見を見ただけでは、ただのドックランにすぎない。

「透明ドームのドックランに置き去りですからね!頭にきちゃうわ。犬たちがドックランにいるけど、あの白い建物は何かしらね。鳴海さんはあれはアトリエだって言っていたし、音も声もしなかったから誰もいないと思うけど。だいたいあの建物だけは私たちも入れないのよね。」

アリアさんが甲高い声を上げたと思ったら、黒井さんは口をつぐんでいた。しかし黒井さんの目はいつもの穏やかな目ではなく、冷たく赤く光っているように見えた。

「アリアさん、ここをちょっとお任せしていいですか?万が一ゲストの方々がお帰りになったら、すぐに呼んでください。」

と言って建物の外へ出た。しばらくして帰ってくると、

「もうコックもトリマーの方も帰っていただきましょう。ゲストはいません。獣医の方はゲストだったので、こちらもいらっしゃいません。無責任で大人気ないことです。」

黒井さんはアリアさんに言うと、コックたちのことを頼んで再び外へ出た。私は嫌な予感がして黒井さんの後を気づかれないように木や植え込みに隠れながらついていった。

 黒井さんは真っ直ぐにチワバターの施設へ向かっている。チワバターの施設はどうやら黒井さんも入ったことがないようが、ホール正面のエレベーターに乗り込んだ。確か上は展望室になっていると鳴海さんが言っていた。肝心な施設は地下だ。やがて黒井さんは首を振りながら1階へ戻ってきた。

「確か地下は倉庫だと聞いていたし、ここは展望できるドックランということか。ふん、もったいぶって鳴海様は立ち入り禁止とか言っていたが。犬が大好きとか言いながら、大人が寄ってたかってチワワたちを置き去りにしているではないか!この多くのチワワの世話を私にしろとでもいうのか? 私はあくまで人間の執事として雇われたのだ!」

黒井さんは穏やかな印象とは裏腹に、噴火をする火山のように顔を赤くして怒りだした。被っていた黒い帽子を床に叩きつけて、乱暴な言葉を吐いている。

「そうだ、私がこのチワワたちの世話などしなくてもよいのだ。このチワワたちを叩き出し、無責任ゲストの荷物を捨ててしまえば、海外での仕事をし終えた鳴海様には皆が帰ったとだけ言えばよい。」

麻耶は顔が青ざめた。チワワも人間も無かったことにしようというのか。チワワと荷物があるということは、みんなは絶対にこのチワワ御殿にいて、何かしらの都合で出て来られないだけなのだ。

「もしかして、このチワバターの施設に入ったきりなのかしら?!」

麻耶は黒井が施設から離れたら地下へ行ってみようと思った。が、その瞬間黒井は、透明ドームのドアを開けると、チワワを追い出し始めた。

「さぁ、どこにでも行くがよい!このチワワ御殿から出て行け!門をあけてやるぞ、外は森が広がっている。恨むなら無責任な人間を恨むがいい!」

黒井は乱暴にチワワを足蹴にして追い立てて、チワワ御殿の外へ追い出してしまった。そして、信じられないような言葉を麻耶は聞いた。

「はっはっはっは!本当はこうしたかったのだ。犬の世話などはまっぴらだったのだよ。」

御殿のほうを見ると、窓からはメイドのアリアさんが高笑いをしながらゲストの荷物を外へ放り投げていた。

「ひどい、信じられないことになってしまった。」

麻耶は施設の影に隠れて、ブルブルと震えていた。





 透明ドームのドックランは大盛況だ。チワワになれたのはすごく嬉しくて、時間が経つのも忘れてしまうほどだった。広間では一緒に食事やお茶をしていなかったが、いつもチワネットではおなじみの人がたくさんいる。不思議だが、チワワの姿になっても意外なほど誰だか分かるのだ。いや、もしかして人間の姿よりも分かるのかもしれない。

「もしかして、黒太郎さん?ほら、土木関係のお仕事しているって。」

全身真っ黒のチワワに話しかけてみた。

「あ、これは優さんですね。お久しぶりです。あ、初めまして?よくチワワの姿でわかりましたね。」

「それはお互い様。」

顔を見合わせながら笑ってしまった。黒太郎さんはポチャッとした体系だが、隣にチンマリ座っている黒太郎さんのチワワの桃子ちゃんもポチャッとしている。

「お隣はレイちゃん?こんにちは!いつもチワネットでは賑やかなのに。」

静かにお座りしている可愛らしい白いチワワは、レイちゃんというチワ友だ。それぞれ黒太郎さんはチワワの桃子ちゃんを、レイちゃんはハチ平君を連れて遊んでいる。

「あれ?こちらはミーコさん?こんにちは!お仕事の都合がついて来られてたんだ!いつもお仕事忙しくてアクティブよね!こちらはチワワのマグロちゃんね。」

私はチワワの名前に笑ってしまった。もちろん名前にはちゃんと意味があって、行動を止めると死んじゃう自分がマグロのようだから、ミーコさんは飼うチワワに「マグロ」と名づけたのだそうだ。ミーコさんは回遊魚みたいな人なのだ。

「ねぇ、なんだかお腹すかない?もしかしてたくさん走ったからかな?」

ミーコさんがそう言いながら周囲を走りはじめた。すごい行動力だ。

「ねぇみんな!こっちにご飯とかオヤツがあるよ!水もあるから、喉が渇いた人はどうぞ!」

皆同じことを思っていたらしく、ミーコさんの元へ集まっていった。水や食料は充分あった。

「確か、チワワのご飯を食べても大丈夫なんだよね?変換されて私たちの本当の身体に送信されるって鳴海さんが言っていた。」

レイちゃんが言った。私も説明はそう聞いている。それでも最初は恐る恐るで、皆一口食べたり、食べる人を眺めていたりした。

「うん、大丈夫そうだよ。とりあえずこれで食事にしようよ。」

ミーコさんが言った。黒太郎さんと桃子ちゃんはもう本格的に食べている。本当に大丈夫そうなので、私もガリレオコンビを連れて餌にありついた。

「でも、これはもう一回でいいわ。このチワバターの性能は分かったから、食事くらいは普通に食べたい。」

楠木さんがため息をついていった。

「そうね、一緒に遊んだり走ったり、そういうのは本当に楽しいけれど、食事はいいかな。」

奈良在住のやはり私と同じチワワコンビを飼っているチワ友が言った。この人はなかなか本名は明かさず、春海さんとしか知らないが、公私共に色々と相談に乗ってくれる良い人だ。

「とりあえず、そういった人も多いし、食事は人間らしくしたい人は鳴海さんに連絡とって引き上げてもらいましょう。」

春海がキリッと言った。すっかりチワワたちと馴染んでご飯を食べている人以外は、春海さんの元に集まった。

「ところで、鳴海さんに引き上げてもらうにはどうするの?」

私が聞くと、晴海さんの表情が固まった。

「そういえば、ここに来たのもどうやってチワワとしてきたのかも分からないわね。私たちの身体が地下にあるというだけで、そこに自分の意識が戻るには、おそらく鳴海さんの機械の操作が必要になるわ。」

周囲は何となく不安な雰囲気になった。

「ねぇ、鳴海さんにどうやって伝えて機械を操作してもらうのよ。」

誰かがそう言うと、場は少々パニック状態になった。

「そうね、どこかにカメラがあってここが見られると思うから、カメラの前でアピールするのが一番単純かも。このチワバターにもセンサーとか使われているかもしれないけど、どうも身体と一体化しすぎて分からないし。」

そう言ったのはITに詳しい沖縄のルカさんだ。するとカメラを探しに皆が散り散りになった。チワワとご飯を食べていた人たちも集まって探し始めた。チワワと過ごすのは楽しいけれど、いくらなんでも日が落ちてきた。太陽が森のほうへ沈むのを見て、皆は完全にパニックに陥ったが、

「大丈夫だよ。みんな一緒だから、なんとかなるよ。ねぇ、一緒だよ。」

と、チワワのリリーちゃんが言った。怖がりで少し震えているけれど、しっかりと立ってみんなに声をかけている。それを聞いて飼い主の恵理子さんが近づいて寄り添った。太陽が地平線へ完全に落ちると、少々寒くなってきた。空調が聞いているはずだが、なんだかおかしい。仕方なくチワワと飼い主は一塊になって眠った。



 私たちの目が覚めたのは、執事の黒井が透明ドームのドックランを開けて、私たちを乱暴に足蹴にして追い出した時だった。お腹は空いているし、のども渇いている。トイレにも行きたい。そんな中、私たちを追い立ててチワワ御殿の門を開けて放り出したのだ。
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