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6話 犬千代、ダンボールとモーツァルト
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お母様との不思議な再会をしてしまった次の日の朝。感動にふたり抱き合って喜んだ・・・・というのは私が思い描いた幻想。
朝、感動のかけらもないほど家の中は騒々しい。私をこの家に連れてきた男の子は上の子供で、下の子供は女の子。二人とも保育園というところへ通っているらしかった。騒々しい理由は、遅刻しそうなのに子供たちがのんびりテレビを見ているところにあるらしかった。テレビとは、箱の中に人や風景や色んなものが入っている。すごく不思議なものなのだが、里のテレビも見たことがあったので、あらためて驚きはしない。
「ほら、早く仕度をしてちょうだい!遅刻しちゃうから!」
という言葉を何回も言いながら、お母様は朝の仕度に手を休めていない。そこへ会社というところへ行こうとする父親が、
「子犬はどうする?」
と言った。いや、どうするって・・・どうするんだ? 昨日早速ホームセンターに買い物に行ったわりには、私の部屋になるはずのケージや、トイレシーツも買っていない。とりあえずのご飯だけを一袋買っただけだった。この後、子供たちは保育園というところへ行くようだし、お母様も綺麗な衣を着ているし化粧もしている。父親も仕事に行くようだ。里の絵美さんのところと違うのは、お婆さんがいないところだろう。絵美さんが外へ仕事というものに行く間は、後の私たちの世話はお婆さんがしてくれていた。今は、誰が私の面倒をみてくれるのだろう?
「あ、そうよね、子犬どうしようか?眠そうだし、毛布かけて寝かせておく?ご飯はここに置いておこうか。」
お母様が言った。お母様は戦国時代では城の奥深くに住んでいて、ほとんど外へは出てこず、琴を弾いたり繕い物をしたり、書をたしなんでいたりした。しかし、この時代のお母様は、私が現代に生まれた里の絵美さんと同じく外に出て働いているみたいだ。知的でも優しい横顔が戦国時代のお母様とだぶってみえる。仕事に行こうとするキリッとした顔つきは少し新鮮だ。そういえば戦国時代の女性も、ある意味キリッとしていた。それはいつもどうなるか分からない世の中にいるという緊張感からかもしれない。どの時代の女性も頑張っているものなのだな、と感心して見ていた。私は子犬だからか、その朝の喧騒の中でもウトウトと眠り始めてしまった。
「誰もいない。」
目を覚ますと部屋の中には誰もいないし、物音一つしなかった。私は相変わらずダンボールに入れられたままで、毛布が一枚かけられていた。私の下にはトイレシーツが敷いてあるが、粗相をしてしまったようでビショビショだ。気持ちが悪い。
「本当に誰もいませんかぁ?」
私が叫ぶと、それは家の奥へスーッと飲み込まれていった。本当に誰もいないのだ、子犬の私を残して。寂しくはないが、どうしていいのか分からなかった。ここには母犬もいないし、犬兄弟の真一もいない。
「とりあえず、このビショビショの箱から出るか。」
と、私はダンボールを出た。ダンボールは小さく高さもないので、出るのには苦労しない。それにしても、このダンボールを出て広い部屋をケージにも入れられずにウロウロして良いのだろうか? いや、いいのだろう。部屋を歩き回って悪いのだったら、小さなダンボールに置いていったりしないはずだ。
とりあえず私は部屋中を歩き回り、色んなものをちょっとずつ齧ってみたり、鼻で突いてみたり。走ってみたり、歩いてみたり。なんだか楽しくなってきた。細長いヒモのようなものは、絶対に齧ってはいけないと絵美さんや犬の母親に教わってきた。ビリビリとして死んでしまうらしい。私はそういうところに注意して、広い部屋でのびのびと過ごした。眠くなると部屋のどこかで寝て、起きて適当なところにオシッコとウンチをして、また走り回って。
「おや?この部屋を見渡せそうな段があるぞ。」
それは後で知ったが、出窓というものらしかった。飛び乗ろうと思えば、飛び乗れる低さだ。私は力の限りジャンプした。
「おお!」
この光景は、まるで戦で小高い丘の上から陣の配置を見ているかのようだった。気分がいい。前世の記憶と、今の記憶との間で、私はちょっといい気になっていた。
「そういえば腹が減ったな・・・・。」
そういえば朝から何もたべていない。ご飯は元寝ていたダンボールの横にある。
「ん?ん?ちょっと飛び降りれない?」
ご飯のあるダンボールまでは、この出窓から飛び降りなければいけない。乗ったのはいいが、降りることが怖くてできない。
「困ったな。腹は減ったし、水も飲めない。安易すぎたな。」
毛布もダンボールの中だ。周囲はだんだん夕暮れになり寒くなってきた。今は如月(2月)だ。日が落ちていくと、寂しくもなってくる。
そこへ帰宅したのが父親だった。すぐに明かりをつけて、私を抱き上げて身体を拭いてくれて、新しいシートが敷いてあるダンボールに入れてくれた。
「悪かったな。ごめんな。ダンボールじゃ出ちゃうよな。危ないことをしなくて良かったよ。」
と言いながら、そこら中に私がしてしまったオシッコとウンチの処理をしている。
「あー、あー、あー!」
と叫んで処理しているが、仕方がないじゃないか、小さなダンボールに入れて置いていったのはお前たちだ。
夕闇が濃くなると、お母様と子供たちが帰宅してきた。事の顛末を聞くと、お母様は私をギュッと抱っこして、
「寂しかったね。ごめんね。明日はお休みだからずっと一緒にいよう。」
お母様はどこまでも優しかった。子供たちも駆け寄ってきて、
「えらいね、お留守番できたね!」
と口々に褒めてなでてくれる。これが私の新しい家族なのだなと、シミジミとした感情にひたっていた。
お母様の休日は忙しい。里の絵美さんもそうだったが、現代女性は本当に忙しい。女主人と侍女の役目、台所番に乳母の役目まで全部が一人でこなすのだ。しかし午後になるとお母様は小さな箱に向かって、不思議な円盤を出してきた。
「これ、モーツァルトよ。音楽は好き?」
お母様は私に犬に話すみたいな言い方をしない。まるで人間に話しかけるようだ。小さな箱に円盤を入れると金属がすれる音がして、カチャンという音、何かが回り始める音がする。すると、不思議な音が流れてきた。これが音楽というものらしい。
「素敵ね。私はとてもこれが好きなの。」
私は音に合わせて歌ってみた。
「うぉーおおー」
気持ちがいい。音楽とは一緒に歌うとなんて気持ちがよいのだろう。そんな私をお母様は驚いたように振り向いて、そして微笑んだ。一緒に声をそろえて歌った。歌詞はない。ただ音程に合わせて出鱈目に歌いまくった。
「お庭に出よう。お天気いいわよ。」
お母様は私を抱っこすると庭に出て、大きめの縁側に腰掛けた。
「外の空気もいいでしょう。昼間なら寒くないし。」
私とお母様は広い縁側に座布団を敷いてゴロンと横になった。冬の柔らかい日差しがふたりに降り注ぐ。なんて幸せなんだろう? たぶん、私はお母様とこんな時間を過ごしたかったに違いない。
ふいに、また音楽が流れてきた。それはお母様が住む家ではないところから流れてきた。どうやら隣の家から流れてくるらしい。しかも、先ほど聞いた音楽よりも、もっと空気を振動させた音だ。戦国時代の世に、お母様が弾いていた琴を思い出す。曲は先ほどのモーツァルトというのと似ていた。
「あら、ピアノの先生が練習していらっしゃるわ。素敵ね。やっぱり音楽は生演奏が一番だわ。」
なるほど、先ほど聞いたモーツァルトはカラクリの箱が奏でていて、今聞いているのは人間が弾いているものなのか。私は見事な演奏に感服して、ピッと背筋を正して座った。
「ねぇ、もっとゴロンとしてリラックスしていいんだよ?」
とお母様が言うが、私は演奏者に敬意を表したかったのだ。
「不思議な子ね、あなたは。」
お母様の優しいまなざしは、一層私を包んでいた。後からお母様はモーツァルトが記憶されている楽器を買ってきて、私にプレゼントしてくれた。私はその後ずっと、その楽器相手に歌を歌うのを習慣にするようになった。
「おお~ん、おお~ん、うぉ~ん」
朝6時半から歌うものだから、わりと不評らしい。が、お母様は拍手してくださるので、きっと音痴ではないのだろう。
その後、私の名前は人間の男の子が好きなアニメのロボットの名前から、「ゼット」と名づけられた。そして家の外への散歩にお母様とでかけることになる。
朝、感動のかけらもないほど家の中は騒々しい。私をこの家に連れてきた男の子は上の子供で、下の子供は女の子。二人とも保育園というところへ通っているらしかった。騒々しい理由は、遅刻しそうなのに子供たちがのんびりテレビを見ているところにあるらしかった。テレビとは、箱の中に人や風景や色んなものが入っている。すごく不思議なものなのだが、里のテレビも見たことがあったので、あらためて驚きはしない。
「ほら、早く仕度をしてちょうだい!遅刻しちゃうから!」
という言葉を何回も言いながら、お母様は朝の仕度に手を休めていない。そこへ会社というところへ行こうとする父親が、
「子犬はどうする?」
と言った。いや、どうするって・・・どうするんだ? 昨日早速ホームセンターに買い物に行ったわりには、私の部屋になるはずのケージや、トイレシーツも買っていない。とりあえずのご飯だけを一袋買っただけだった。この後、子供たちは保育園というところへ行くようだし、お母様も綺麗な衣を着ているし化粧もしている。父親も仕事に行くようだ。里の絵美さんのところと違うのは、お婆さんがいないところだろう。絵美さんが外へ仕事というものに行く間は、後の私たちの世話はお婆さんがしてくれていた。今は、誰が私の面倒をみてくれるのだろう?
「あ、そうよね、子犬どうしようか?眠そうだし、毛布かけて寝かせておく?ご飯はここに置いておこうか。」
お母様が言った。お母様は戦国時代では城の奥深くに住んでいて、ほとんど外へは出てこず、琴を弾いたり繕い物をしたり、書をたしなんでいたりした。しかし、この時代のお母様は、私が現代に生まれた里の絵美さんと同じく外に出て働いているみたいだ。知的でも優しい横顔が戦国時代のお母様とだぶってみえる。仕事に行こうとするキリッとした顔つきは少し新鮮だ。そういえば戦国時代の女性も、ある意味キリッとしていた。それはいつもどうなるか分からない世の中にいるという緊張感からかもしれない。どの時代の女性も頑張っているものなのだな、と感心して見ていた。私は子犬だからか、その朝の喧騒の中でもウトウトと眠り始めてしまった。
「誰もいない。」
目を覚ますと部屋の中には誰もいないし、物音一つしなかった。私は相変わらずダンボールに入れられたままで、毛布が一枚かけられていた。私の下にはトイレシーツが敷いてあるが、粗相をしてしまったようでビショビショだ。気持ちが悪い。
「本当に誰もいませんかぁ?」
私が叫ぶと、それは家の奥へスーッと飲み込まれていった。本当に誰もいないのだ、子犬の私を残して。寂しくはないが、どうしていいのか分からなかった。ここには母犬もいないし、犬兄弟の真一もいない。
「とりあえず、このビショビショの箱から出るか。」
と、私はダンボールを出た。ダンボールは小さく高さもないので、出るのには苦労しない。それにしても、このダンボールを出て広い部屋をケージにも入れられずにウロウロして良いのだろうか? いや、いいのだろう。部屋を歩き回って悪いのだったら、小さなダンボールに置いていったりしないはずだ。
とりあえず私は部屋中を歩き回り、色んなものをちょっとずつ齧ってみたり、鼻で突いてみたり。走ってみたり、歩いてみたり。なんだか楽しくなってきた。細長いヒモのようなものは、絶対に齧ってはいけないと絵美さんや犬の母親に教わってきた。ビリビリとして死んでしまうらしい。私はそういうところに注意して、広い部屋でのびのびと過ごした。眠くなると部屋のどこかで寝て、起きて適当なところにオシッコとウンチをして、また走り回って。
「おや?この部屋を見渡せそうな段があるぞ。」
それは後で知ったが、出窓というものらしかった。飛び乗ろうと思えば、飛び乗れる低さだ。私は力の限りジャンプした。
「おお!」
この光景は、まるで戦で小高い丘の上から陣の配置を見ているかのようだった。気分がいい。前世の記憶と、今の記憶との間で、私はちょっといい気になっていた。
「そういえば腹が減ったな・・・・。」
そういえば朝から何もたべていない。ご飯は元寝ていたダンボールの横にある。
「ん?ん?ちょっと飛び降りれない?」
ご飯のあるダンボールまでは、この出窓から飛び降りなければいけない。乗ったのはいいが、降りることが怖くてできない。
「困ったな。腹は減ったし、水も飲めない。安易すぎたな。」
毛布もダンボールの中だ。周囲はだんだん夕暮れになり寒くなってきた。今は如月(2月)だ。日が落ちていくと、寂しくもなってくる。
そこへ帰宅したのが父親だった。すぐに明かりをつけて、私を抱き上げて身体を拭いてくれて、新しいシートが敷いてあるダンボールに入れてくれた。
「悪かったな。ごめんな。ダンボールじゃ出ちゃうよな。危ないことをしなくて良かったよ。」
と言いながら、そこら中に私がしてしまったオシッコとウンチの処理をしている。
「あー、あー、あー!」
と叫んで処理しているが、仕方がないじゃないか、小さなダンボールに入れて置いていったのはお前たちだ。
夕闇が濃くなると、お母様と子供たちが帰宅してきた。事の顛末を聞くと、お母様は私をギュッと抱っこして、
「寂しかったね。ごめんね。明日はお休みだからずっと一緒にいよう。」
お母様はどこまでも優しかった。子供たちも駆け寄ってきて、
「えらいね、お留守番できたね!」
と口々に褒めてなでてくれる。これが私の新しい家族なのだなと、シミジミとした感情にひたっていた。
お母様の休日は忙しい。里の絵美さんもそうだったが、現代女性は本当に忙しい。女主人と侍女の役目、台所番に乳母の役目まで全部が一人でこなすのだ。しかし午後になるとお母様は小さな箱に向かって、不思議な円盤を出してきた。
「これ、モーツァルトよ。音楽は好き?」
お母様は私に犬に話すみたいな言い方をしない。まるで人間に話しかけるようだ。小さな箱に円盤を入れると金属がすれる音がして、カチャンという音、何かが回り始める音がする。すると、不思議な音が流れてきた。これが音楽というものらしい。
「素敵ね。私はとてもこれが好きなの。」
私は音に合わせて歌ってみた。
「うぉーおおー」
気持ちがいい。音楽とは一緒に歌うとなんて気持ちがよいのだろう。そんな私をお母様は驚いたように振り向いて、そして微笑んだ。一緒に声をそろえて歌った。歌詞はない。ただ音程に合わせて出鱈目に歌いまくった。
「お庭に出よう。お天気いいわよ。」
お母様は私を抱っこすると庭に出て、大きめの縁側に腰掛けた。
「外の空気もいいでしょう。昼間なら寒くないし。」
私とお母様は広い縁側に座布団を敷いてゴロンと横になった。冬の柔らかい日差しがふたりに降り注ぐ。なんて幸せなんだろう? たぶん、私はお母様とこんな時間を過ごしたかったに違いない。
ふいに、また音楽が流れてきた。それはお母様が住む家ではないところから流れてきた。どうやら隣の家から流れてくるらしい。しかも、先ほど聞いた音楽よりも、もっと空気を振動させた音だ。戦国時代の世に、お母様が弾いていた琴を思い出す。曲は先ほどのモーツァルトというのと似ていた。
「あら、ピアノの先生が練習していらっしゃるわ。素敵ね。やっぱり音楽は生演奏が一番だわ。」
なるほど、先ほど聞いたモーツァルトはカラクリの箱が奏でていて、今聞いているのは人間が弾いているものなのか。私は見事な演奏に感服して、ピッと背筋を正して座った。
「ねぇ、もっとゴロンとしてリラックスしていいんだよ?」
とお母様が言うが、私は演奏者に敬意を表したかったのだ。
「不思議な子ね、あなたは。」
お母様の優しいまなざしは、一層私を包んでいた。後からお母様はモーツァルトが記憶されている楽器を買ってきて、私にプレゼントしてくれた。私はその後ずっと、その楽器相手に歌を歌うのを習慣にするようになった。
「おお~ん、おお~ん、うぉ~ん」
朝6時半から歌うものだから、わりと不評らしい。が、お母様は拍手してくださるので、きっと音痴ではないのだろう。
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