『腰は重いけど速攻解決!』 ~異世界最速のめんどくさがり~

KAORUwithAI

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七将編(剛腕将軍グラドン)

第56話 孤立した勇者

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 ――鐘のような金属音と、地の底で唸るような地鳴りが重なって、祭壇の間はひたすらに鳴動していた。
 だが、叫び声はもうない。甲冑の擦れる音も、退避を促す号令も、泣き声も。砂塵と熱気、石の匂いだけが残り、空気はひどく軽く――そして、静かだった。

 兵士は全員、退避完了。
 通路口には、崩落を防ぐために悠が蹴り倒した石柱が即席の梁になって横たわり、そこから先は薄暗い洞窟の闇に飲み込まれている。人の気配は、ない。

「……ふぁぁぁ」

 悠は欠伸を一つ。鼻の奥に入った粉っぽさが気に食わず、指で鼻梁を押しながら、くたりと肩を落とした。

「ようやく、静かになったか」

 崩れかけた祭壇の中央で、悠はひとり。
 対するは、身の丈三倍の剛腕将軍――グラドン。獣じみた呼吸が響くたび、肩に乗った岩の破片がぽろぽろと落ちていく。破壊の権化が、嬉々として口角を吊り上げた。

「フハハハハ! 勇者、孤立したな。あの人間どもは全員逃げ出したぞ」
「だろうな。俺が逃がしたからな」

 淡々とした返事に、グラドンの目が細くなる。
 悠は腰に手を当て、天井の割れ目を見上げた。舞う砂塵が光の筋に泳いで、きらきらと降り続く。それが止む気配はない。

「……まぁ、静かになったのは悪くねぇ。やっと、耳が休まる」

 くぐもった笑い声が低く転がった。
「そうかそうか。ならば今度は、骨が休まるほど砕いてやろう」

 グラドンの足が沈んだ。踏み込み一つで石床に放射状の亀裂が走り、拾い上げた
大斧を握り大斧が空気をうならせる。

 ――ブン、と。

 わずかな風鳴りと同時、悠の姿が掻き消えた。

 続いて、岩壁が爆ぜる音。
 斧が通った軌道にあるものは、すべて粉々になって四散した。石柱の一つが、途中から消し飛ぶ。残った上半分が、重力に気付くまでの一拍の遅れ。間の抜けた沈黙が生まれ、次いで轟音と共に床へ突き刺さった。

「……はいはい」

 悠は破片の雨を指先で払いながら、斜め後方の瓦礫上に着地した。靴裏が粉塵でざり、と鳴る。
 片足で軽く瓦礫を押し退け、ため息を落とす。

「ほんと、後始末が一番面倒なんだよ。お前ら、壊すことしか考えてねぇの?」

「壊せば済む!」グラドンが笑う。「それが我らの答えだ!」

 ――ドン!

 グラドンの突進は直線で、速い。巨体なのに、風を裂く音が鋭く耳に刺さる。
 悠は身をひねり、肩先で風圧をかわす。すり抜けざま、伸びてきた左拳を指で摘まむように掴むと、そのまま関節ごと外へ流した。巨岩のような拳が、空振りのまま床へ叩き付けられる。

 床石が波打ったように盛り上がり、熱い砂が頬を撫でた。
 悠は無意識に目を細め、睫毛に付いた粉塵を軽く払う。

「……はぁ。眠い。お前と相撲取る趣味はないんだけどな」

「小僧ォ!」

 怒号。斧が逆袈裟に振り上がり、鞭のようにしなる風圧が悠の頬を掠める。
 悠は後ろへ跳ぶでも、前に飛び込むでもなく――半歩、横へ滑った。地面に描いた白線の上を歩くかのような、僅差の回避。
 刃は掠らない。だが、通りざまの衝撃だけで耳がキンと鳴った。

「音がうるさい。静かにしてくれ。」

「黙れぇ!」

 斧の柄尻が横薙ぎに迫る。悠は掌で軽く小突くように叩く。
 鈍い金属音と、たわむ手応え。巨斧は進路を逸れ、グラドンの肩を掠めて背中側へ滑っていった。巨躯がよろめく。

 間髪入れず、グラドンは足で床を蹴り砕く。石粉が霧のように立ち昇り、視界が白い膜に覆われる。
 その霧の中心――音もなく、悠が消えた。

 次に現れたのは、グラドンの死角。
 悠は拳を作らない。ただ、掌を軽く当てる。胸骨の中心へ、音も衝撃も出さないまま、人差し指でひと押し――くらいの軽さで。

 それでも巨体がぐら、と揺れた。
 グラドンは眉間に皺を刻み、低く唸る。

「……ク、ッ……!」

「な? 静かにやろうぜ。お前の声、本当に耳が痛ぇんだ」

 応えるのは咆哮。
 グラドンの喉奥から、獣の裂けた叫びがほとばしる。鼓膜が震えるほどの大音量が、ひび割れた天井を更に軋ませた。
 砂塵が滝のように降り、割れた石の断面が、血のような赤茶に染まって見える。

 悠は舌打ちした。
「――やっぱ、静かなのは一瞬だけか」

 斧が地面を掘り返す。床石が破片ごと弾き飛ばされ、破片の弾丸が乱射のように四散する。
 悠はその場に立ったまま、掌に薄い膜を張る。破片が触れた瞬間、砂のように砕け落ちるだけの“壁”。
 頬に当たるのは、ぬるい風と粉塵だけになった。

 視界の向こうで、グラドンが肩で息をしている。胸が上下するたび、筋肉が鎖のように盛り上がっては波打つ。
 その両眼には、焦りに似た色が走っていた。

「……何者だ、貴様」

「だから、勇者だって。人間だよ。寝たい人間」

 悠が肩をすくめる。
 言葉の軽さに反して、足元の重心は微動だにしない。崩れた床石のわずかな傾斜、砕けた柱の細かな位置、天井の割れ目の伸び――すべてを、身体の内側でバランスへ変えていく。

 天井がまた、うなる。
 ぱきん、と乾いた音。続けて、蜘蛛の巣のような亀裂が広がる。

「……ったく」

 悠は片手を上げた。
 指先から淡い波紋が広がる。空気が少しだけ重く、柔らかく、粘りを持つ。ひびは進むが、崩れは遅れる。落ちるはずだった岩が、わずかに粘性の層に受け止められて、遅れて、落ちる。

「時間稼ぎくらいしかできねぇ。片付けも、救助も、戦いも――なんで全部俺がやるんだか」

「小細工を!」
 グラドンが足を踏み鳴らす。
 床下の空洞に響いた衝撃が反響し、低い波動が逆流してくる。悠の足元に、ぬるりとした振動がまとわりついた。

 直後、グラドンは斧を頭上に担いだ。背中の筋肉が一枚岩のように締まり、足幅を広げる。
 全力の軌道。
 ――祭壇ごと断ち割るつもりだ。

「来るなら来いよ。こっちも、そろそろ眠気が限界だ」

 悠は口の端を吊り上げた。
 拳を、作らない。肩を落とし、全身の力を抜く。
 代わりに、呼吸だけが深くなった。肺が砂を嫌うように、静かに、だが確実に空気を取り込み、吐き出す。

 グラドンの斧が落ちてくる。
 その瞬間、悠の視界には刃は映っていない。映っているのは、斧が通った後の空間。生まれる真空。乱れる流れ。縁から剥がれる粉塵の舞い。
 空白へ、一歩。

 足の親指が石の割れ目を掴み、踵が返る。最低限の筋力。静かな旋回。
 刃は悠を斬らない。代わりに、悠の残像が粉塵を裂く。

 ――ズバァンッ!

 遅れて岩壁が爆ぜ、天井から大きな岩盤が剥がれ落ちた。
 空気が押し出され、熱の塊が頬を撫でる。石の匂いが喉に刺さり、目が涙ぐむ。

「……ほんと、後始末が面倒そうだわ」

 ぼそり。
 悠は腰をひねり、背後のグラドンの懐へ滑り込んだ。
 右手を、そっと、巨人の脇腹へ。軽く指で押す――だけに見える動き。だが、触れた瞬間、反響が内側で膨らみ、鈍い音がグラドンの体内から響いた。

「ぐっ……!」

 巨体が片膝をつきかける。
 グラドンは牙を剥き、膝を床に打ち付けて反動で立ち上がった。咆哮。唾が砂塵に混じって飛ぶ。

「舐めるなァァァァ!」

 拳の嵐。
 悠は流し続ける。払う、逸らす、なぞる。
 拳は軌道を外れ、石柱に当たって砕け、床にめり込み、空気だけを裂き続ける。
 その間、悠の呼吸は一定。言葉は少ない。瞳だけが、眠そうに細められている。

「……終わらせるか、そろそろ」

 軽く呟いた、その瞬間。
 広間全体が、海の底のように深く揺れた。遅れて、耳鳴り。天井の割れ目から、巨岩が連鎖的に落ち始めた。

 グラドンの目が光る。
「終わるのは貴様らだ! この地ごと沈め――」

 言葉が終わる前に、悠が動いた。
 片手を上げ、落ちる岩の先頭へ触れる。触れた“その場所”だけが、ふっと軽くなる。軌道が逸れ、岩は横に滑った。次の岩、その次の岩――落下の縦列が、一本の川のように進路を変え、祭壇の外縁へ流れていく。

 瓦礫の瀑布が、悠とグラドンを避けて落ち続けた。
 床が揺れ、石の雨が遠くで轟き、風が渦巻く。なのに、二人の足元だけが、不自然なほどに静かだ。

「……邪魔」

 悠の一言に、空気が従う。
 静けさが、戻る。わずか数秒の、人工の静寂。

 グラドンは理解できず、ただ吠える。
「小細工ばかりしおってぇ!」

「小細工だよ。だって、お前と正面から力比べなんかしたらさ――」

 悠は顎で瓦礫の山を指した。
「――あっちの片付けが、もっと大変になる」

 次の瞬間、地面が抜けた。
 二人の真下、空洞化していた地層が崩落し、丸ごと大きく沈む。
 砂塵と共に、視界が一瞬白く染まる。

 落ちる――はずだった。
 だが悠は、落ちない。
 足裏が“何か”を踏んでいる。踏んでいるのに、そこには床がない。
 空気の層か、力の薄膜か。言葉にできない“支え”に、悠の体重だけが、静かに受け止められていた。

 対してグラドンは、一瞬体勢を崩した。
 落下しかける巨体の肩を、悠が軽く押す。針の穴を通すような微細な力加減で、重心が戻る。
 踏みとどまったグラドンが、顔を歪める。

「なぜ……落ちん」

「落ちたら、後が面倒だから」

 即答。
 グラドンは理解できず、怒りだけが膨張する。

「――なら、斬り落とすだけだ!」

 最後の一撃。
 グラドンの斧が、今までで最も美しい円を描いた。無駄な力のない、洗練された、純粋な破壊。
 悠はそれを、見た。見て、位置を半歩ずらし――“そこ”を、指で、軽く弾いた。

 甲高い、しかし短い金属音。
 斧の刃は、そこでわずかに軌道を逸れた。
 本来なら悠の首を刎ねていた刃は、悠の耳元を通り過ぎ、背後の石壁に深々と突き刺さった。

 止まった刃。固まる巨躯。
 悠は耳を指で擦り、眉をひそめる。

「……ほんと、耳が痛ぇって」

 間合いが零に落ちる。
 悠の拳が――初めて、握られた。

 握った、と認識する前に、衝撃が過ぎる。
 音はない。ただ、空気が一度だけ“欠ける”。
 グラドンの胸が、わずかに凹む。巨体が後ろへ滑り、足跡を二つ残して、踏み止まる。

 沈黙。
 天井から、最後の小石が、ころり、と落ちた。

「……まだ続ける?」

 悠の問いに、グラドンは牙を食いしばった。
 まだだ、と喉が鳴る。だが、膝の奥が震え、肺が熱い。視界の端で崩落が続き、世界が揺れている。

「終わらせたいなら、早く終わってくれ。眠い」

 悠は肩を回し、指を鳴らした。
 祭壇の間は、まだ揺れている。
 二人の戦いも、まだ終わらない。
 だが――人の喧騒が消えた静けさの中、立っているのは、ただ二つの影だけだった。

 孤立した勇者と、剛腕の怪物。
 静かな、激化。
 崩れ続ける広間の中心で、二つの呼吸だけが、ゆっくりと重なっていく。
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