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七将編(剛腕将軍グラドン)
第65話 水没する坑道と勇者
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――ずぶ、ずぶ、と足元が沈んでいく。
崩落で穿たれた岩盤の裂け目から、地下水が怒涛の勢いで噴き出していた。祭壇跡の広間を満たしきった水は、さらに通路へと溢れ、黒い鏡のような水面を際限なく押し広げていく。
「止水柵を! 土嚢を運べ、急げ!!」
通路側で指揮を執る隊長の声が掻き消えるほど、奔流は轟々と唸った。兵士たちは必死に破れた補修布を押し当て、木枠を組み、桶でかき出し――だが、次の瞬間には波がすべてを嘲笑うように呑み込んでいく。
「だ、駄目です! 間に合いません!」
「水位がまた上がってる、あと少しで腰まで――!」
騒然とする背後で、リオネルが歯噛みした。
「……勇者様さえいれば……!」
その名を口にした時、広間の中央に立つ黒髪の青年が、面倒そうに片手を上げた。肩に跳ねた水滴を払って、あくび混じりに。
「――ったく。湿気は眠気が抜けて最悪なんだよ」
悠は一歩、前に出る。水面が彼の足元で低く唸った。
次いで彼は、何でもない所作で右腕を横へ払う。ほんの、風でも扇ぐような、軽い振り方で。
――刹那、怒涛が裂けた。
目に見えぬ刃が奔ったかのように、水塊が左右へ大きく割れ、通路の目前に乾いた帯が生じる。白い飛沫が雨のように弾け、押し寄せる波は左右の壁へ叩き付けられて反転し、通路の芯だけが守られた。
「なっ――」
「水が……割れた……?」
兵士たちの驚愕が重なる。リオネルは思わず目を見開いた。
悠は肩をすくめる。
「……ちょっと本気出すと、これだ。後で“奇跡だ”とか騒がれるのが一番面倒なんだけど」
割れた水壁の向こう、瓦礫と闇の間から巨影が起き上がる。
剛腕将軍グラドン。岩塊を纏った巨体は、なお赤黒い魔力を噴き、濁流を物ともせずに膝まで沈めて立っていた。血走った目が、通路で安堵の息をつく人間たちを睨み据える。
「化け物め……!」
憎悪と恐怖と、認めたくない敬意が混じった声が、濁った水面を震わせた。
悠は片眉を上げる。
「お前に言われたくねぇよ、筋肉バカ」
グラドンが唸る。濁流が胸板で砕け、波が押し返されるほどの圧。
「小賢しい真似を……だが水など我が腕で掻き破るのみ! 人間の逃げ道など、ここで沈めてくれるわ!!」
巨斧が高く掲げられ、濁った水を掻き割って突進してくる。押し出された水が壁を叩いて跳ね返り、割れ目からの流入と干渉して渦が生まれた。守られたはずの乾いた帯も、じわじわと侵食され始める。
「隊列を崩すな! 後退は悠長にだ、足を取られるな!」
リオネルが怒鳴り、濡れた床に滑る兵士の腕を引き上げる。その横で悠が、溜息混じりにひと言。
「さっきから言ってるけどさ――水没とかマジで嫌だ」
軽口と同時に、悠は足を半歩ずらした。
岩盤に軽く踵を添える。ほんのそれだけ。だが、次の瞬間――。
――ドン、と地下が鳴った。
蹴り出された反発が一点に凝縮し、衝撃波となって水面を下から叩き上げる。砕かれた波頭が花のように開き、グラドンの胸元に逆巻く水の壁が立った。巨斧の軌道がわずかに逸れる。
「ぐぬっ!」
その隙を逃さず、悠の拳が前へ。
蒼い閃が、濁流の向こうで瞬いた。
――ガァンッ!!
拳と斧がかみ合い、爆圧が水と空気を同時に押した。圧縮された水が通路の左右に叩き付けられ、守られていた乾いた帯が一瞬で霧になる。兵士たちは思わず身を屈めたが――割れた水壁は、なお“通せんぼ”の線を保っていた。悠が腕をわずかに払い、流れを切り続けているのだ。
「ひ……人ひとりの腕で、川を止めてるだと……」
「これが……勇者様……」
祈りにも似た呟きが、通路に満ちた。
その信仰にも似た視線を、悠は振り返りもしない。
水飛沫を散らしながら、ただ目の前の巨躯だけを見据える。
「ほら、視線をこっちに向けろよ。――俺の手間を増やすな」
挑発と同時に、拳がもう一度、青白く熱を帯びる。
グラドンが吠え、巨斧を押し込んだ。岩と金属と肉が軋み、魔力と魔力が火花を散らす。濁流が二人の膝を叩き、天井から落ちる水が雨脚を強めた。
「修理も排水も不要だ!! 人間の街ごと、地の底へ沈めてやるッ!」
「街壊すと、後始末が増えるんだよ。覚えとけ」
ぶつかり合いながらのやり取りは、淡々としているのに苛烈だった。
グラドンが怪力で押し潰そうとすれば、悠は指先の角度ひとつで衝突の線をずらし、力を無効化する。広間の中心で、拳と斧が何度も何度も重なっては弾け、そのたび水面に衝撃の輪が奔った。
「後方、排水路を確保! 負傷者は両壁に寄せて――!」
リオネルは状況が僅かに持ち直したことを見て取り、指揮を早口に畳みかける。通路の“乾いた帯”が辛うじて息をつける空間を保ち、その背で兵たちがロープを張り、負傷者を引き上げ、水をかき出す列が整い始めた。
だが水は止まらない。
岩の悲鳴は深層から続き、裂け目からの流入は増える一方。天井の亀裂から滝のような筋が新たに走り、広間全体が巨大な地下湖へと変わりつつあった。
「このままだと通路ごと浮かされるぞ!」
「勇者様――!」
叫ぶ声に、悠は短くだけ応じる。
「分かってる。――だから、手短に」
拳が沈む。
斧が唸る。
濁流が吠える。
その渾然たる暴力のただ中で、悠は片手を水面に向けて開いた。
掌から走る、目に見えぬ“裂き”の線。割れた水はさらに深く、通路の床石にまで達して二筋の堀となり、流れは左右に大きく迂回した。兵士たちの足元から、ようやく水圧が退く。
「通路、持ち直した……! まだ戦える……!」
歓喜が生まれる。リオネルは胸を撫で下ろし、同時に目の前の男の背中に、言葉のない敬意を重ねた。
その背に向け、グラドンの罵声が飛ぶ。
「人間の身で、水まで従えるか! やはり貴様は化け物だ!」
「何度も言わせんな。お前に言われたくねぇ」
返す言葉は乾いていて、短い。
だが次の瞬間、悠の靴裏が濡れた石を軽く蹴っただけで、広間の空気は一変した。
――水と空気が裏返る。
重なった衝撃が、地下の空洞をまるごと震わせたのだ。
青い閃光が、濁流を透かして一閃。グラドンの肩口へめり込む。岩の鎧が粉砕し、赤黒い魔力が霧のように散った。
「がッ――!」
巨体がよろめく。水が崩れる。
即座に斧が戻る――が、悠の拳はもうそこにはいない。濁流の揺れを踏み台に、彼の影はいつの間にかグラドンの死角へ滑っていた。
拳と斧が、再び正面で噛み合う。
耳を裂く爆音。押し寄せる波。砕ける岩。
水浸しの地獄の真ん中で、なお二人は――いや、ひとりは面倒くさそうに、もうひとりは怒り狂って――激突を続けた。
「兵を二列で後退! 勇者様の背を開けるな、通路を死守!」
リオネルの声が濁流の唸りを割り、兵士たちが動く。
通路の“乾いた帯”は細くとも、確かな命綱となっていた。そこを保つのは、たったひとりの腕の軌跡だけ。
悠は水飛沫を浴びながら、ぼそりと呟く。
「……風呂なら入りたいけど、やっぱりこれは嫌」
その軽口と一緒に、蒼い拳が、もういちど深く――濁流の心臓へ突き立った。
水面が弾ける。巨斧が唸る。
崩落で穿たれた岩盤の裂け目から、地下水が怒涛の勢いで噴き出していた。祭壇跡の広間を満たしきった水は、さらに通路へと溢れ、黒い鏡のような水面を際限なく押し広げていく。
「止水柵を! 土嚢を運べ、急げ!!」
通路側で指揮を執る隊長の声が掻き消えるほど、奔流は轟々と唸った。兵士たちは必死に破れた補修布を押し当て、木枠を組み、桶でかき出し――だが、次の瞬間には波がすべてを嘲笑うように呑み込んでいく。
「だ、駄目です! 間に合いません!」
「水位がまた上がってる、あと少しで腰まで――!」
騒然とする背後で、リオネルが歯噛みした。
「……勇者様さえいれば……!」
その名を口にした時、広間の中央に立つ黒髪の青年が、面倒そうに片手を上げた。肩に跳ねた水滴を払って、あくび混じりに。
「――ったく。湿気は眠気が抜けて最悪なんだよ」
悠は一歩、前に出る。水面が彼の足元で低く唸った。
次いで彼は、何でもない所作で右腕を横へ払う。ほんの、風でも扇ぐような、軽い振り方で。
――刹那、怒涛が裂けた。
目に見えぬ刃が奔ったかのように、水塊が左右へ大きく割れ、通路の目前に乾いた帯が生じる。白い飛沫が雨のように弾け、押し寄せる波は左右の壁へ叩き付けられて反転し、通路の芯だけが守られた。
「なっ――」
「水が……割れた……?」
兵士たちの驚愕が重なる。リオネルは思わず目を見開いた。
悠は肩をすくめる。
「……ちょっと本気出すと、これだ。後で“奇跡だ”とか騒がれるのが一番面倒なんだけど」
割れた水壁の向こう、瓦礫と闇の間から巨影が起き上がる。
剛腕将軍グラドン。岩塊を纏った巨体は、なお赤黒い魔力を噴き、濁流を物ともせずに膝まで沈めて立っていた。血走った目が、通路で安堵の息をつく人間たちを睨み据える。
「化け物め……!」
憎悪と恐怖と、認めたくない敬意が混じった声が、濁った水面を震わせた。
悠は片眉を上げる。
「お前に言われたくねぇよ、筋肉バカ」
グラドンが唸る。濁流が胸板で砕け、波が押し返されるほどの圧。
「小賢しい真似を……だが水など我が腕で掻き破るのみ! 人間の逃げ道など、ここで沈めてくれるわ!!」
巨斧が高く掲げられ、濁った水を掻き割って突進してくる。押し出された水が壁を叩いて跳ね返り、割れ目からの流入と干渉して渦が生まれた。守られたはずの乾いた帯も、じわじわと侵食され始める。
「隊列を崩すな! 後退は悠長にだ、足を取られるな!」
リオネルが怒鳴り、濡れた床に滑る兵士の腕を引き上げる。その横で悠が、溜息混じりにひと言。
「さっきから言ってるけどさ――水没とかマジで嫌だ」
軽口と同時に、悠は足を半歩ずらした。
岩盤に軽く踵を添える。ほんのそれだけ。だが、次の瞬間――。
――ドン、と地下が鳴った。
蹴り出された反発が一点に凝縮し、衝撃波となって水面を下から叩き上げる。砕かれた波頭が花のように開き、グラドンの胸元に逆巻く水の壁が立った。巨斧の軌道がわずかに逸れる。
「ぐぬっ!」
その隙を逃さず、悠の拳が前へ。
蒼い閃が、濁流の向こうで瞬いた。
――ガァンッ!!
拳と斧がかみ合い、爆圧が水と空気を同時に押した。圧縮された水が通路の左右に叩き付けられ、守られていた乾いた帯が一瞬で霧になる。兵士たちは思わず身を屈めたが――割れた水壁は、なお“通せんぼ”の線を保っていた。悠が腕をわずかに払い、流れを切り続けているのだ。
「ひ……人ひとりの腕で、川を止めてるだと……」
「これが……勇者様……」
祈りにも似た呟きが、通路に満ちた。
その信仰にも似た視線を、悠は振り返りもしない。
水飛沫を散らしながら、ただ目の前の巨躯だけを見据える。
「ほら、視線をこっちに向けろよ。――俺の手間を増やすな」
挑発と同時に、拳がもう一度、青白く熱を帯びる。
グラドンが吠え、巨斧を押し込んだ。岩と金属と肉が軋み、魔力と魔力が火花を散らす。濁流が二人の膝を叩き、天井から落ちる水が雨脚を強めた。
「修理も排水も不要だ!! 人間の街ごと、地の底へ沈めてやるッ!」
「街壊すと、後始末が増えるんだよ。覚えとけ」
ぶつかり合いながらのやり取りは、淡々としているのに苛烈だった。
グラドンが怪力で押し潰そうとすれば、悠は指先の角度ひとつで衝突の線をずらし、力を無効化する。広間の中心で、拳と斧が何度も何度も重なっては弾け、そのたび水面に衝撃の輪が奔った。
「後方、排水路を確保! 負傷者は両壁に寄せて――!」
リオネルは状況が僅かに持ち直したことを見て取り、指揮を早口に畳みかける。通路の“乾いた帯”が辛うじて息をつける空間を保ち、その背で兵たちがロープを張り、負傷者を引き上げ、水をかき出す列が整い始めた。
だが水は止まらない。
岩の悲鳴は深層から続き、裂け目からの流入は増える一方。天井の亀裂から滝のような筋が新たに走り、広間全体が巨大な地下湖へと変わりつつあった。
「このままだと通路ごと浮かされるぞ!」
「勇者様――!」
叫ぶ声に、悠は短くだけ応じる。
「分かってる。――だから、手短に」
拳が沈む。
斧が唸る。
濁流が吠える。
その渾然たる暴力のただ中で、悠は片手を水面に向けて開いた。
掌から走る、目に見えぬ“裂き”の線。割れた水はさらに深く、通路の床石にまで達して二筋の堀となり、流れは左右に大きく迂回した。兵士たちの足元から、ようやく水圧が退く。
「通路、持ち直した……! まだ戦える……!」
歓喜が生まれる。リオネルは胸を撫で下ろし、同時に目の前の男の背中に、言葉のない敬意を重ねた。
その背に向け、グラドンの罵声が飛ぶ。
「人間の身で、水まで従えるか! やはり貴様は化け物だ!」
「何度も言わせんな。お前に言われたくねぇ」
返す言葉は乾いていて、短い。
だが次の瞬間、悠の靴裏が濡れた石を軽く蹴っただけで、広間の空気は一変した。
――水と空気が裏返る。
重なった衝撃が、地下の空洞をまるごと震わせたのだ。
青い閃光が、濁流を透かして一閃。グラドンの肩口へめり込む。岩の鎧が粉砕し、赤黒い魔力が霧のように散った。
「がッ――!」
巨体がよろめく。水が崩れる。
即座に斧が戻る――が、悠の拳はもうそこにはいない。濁流の揺れを踏み台に、彼の影はいつの間にかグラドンの死角へ滑っていた。
拳と斧が、再び正面で噛み合う。
耳を裂く爆音。押し寄せる波。砕ける岩。
水浸しの地獄の真ん中で、なお二人は――いや、ひとりは面倒くさそうに、もうひとりは怒り狂って――激突を続けた。
「兵を二列で後退! 勇者様の背を開けるな、通路を死守!」
リオネルの声が濁流の唸りを割り、兵士たちが動く。
通路の“乾いた帯”は細くとも、確かな命綱となっていた。そこを保つのは、たったひとりの腕の軌跡だけ。
悠は水飛沫を浴びながら、ぼそりと呟く。
「……風呂なら入りたいけど、やっぱりこれは嫌」
その軽口と一緒に、蒼い拳が、もういちど深く――濁流の心臓へ突き立った。
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