『あなたの悩みに、そっと味付けを』

KAORUwithAI

文字の大きさ
17 / 32

第17話 冷めたスープリゾット

しおりを挟む
 夜の帳が静かに降り始め、オフィス街の灯がひとつ、またひとつと消えていく。
 その喧騒から少し離れた路地裏に、小さな明かりがぽつりと揺れていた。
 癒庵(ゆあん)の暖簾だ。

 店に差し込む空気はどこか冷たく、冬の気配が濃い。
 そんな中、佐伯はひとり、厨房の奥で
スープリゾットの仕込みをしていた。

 大鍋に鶏出汁を張り、冷や飯をほぐしながら落とす。
 じんわりと出汁の香りが漂うが、鍋自体は火にかけられておらず、
 スープはひんやりと静かだ。

 隣の小さな鉄板では、黒い石が真っ赤に熱せられていた。
 石の表面がほのかに橙色に光り、まるで息をしている生き物のように見える。

 佐伯は鉄板の温度を確かめながら、小さく呟いた。

 「……冷めきっていても、終わりじゃない」

 その言葉は料理に向けたものなのか、それとも──。

 

 ガラリ、と控えめに暖簾が揺れた。

 「……こんばんは」

 入ってきたのは30代前半の女性だった。
 整った化粧も、綺麗に巻かれた髪も、どこか元気がない。
 彼女──桐島は、座る前からため息をひとつ落とした。

 「ワインを……お願いします」

 声は弱く、瓶のラベルを見る気力もないようだった。
 佐伯がグラスを置くと、桐島はそれを手にしながらも、口に運ぼうとはしない。

 しばらく沈黙の時間が流れ──
 桐島はグラスの縁を見つめたまま、ぽつりと言った。

 「……恋人と、もうダメかもしれないんです」

 佐伯は急かさず、ただ静かに相槌を打つ。

 「そうなんですか」

 「最近……ずっと気持ちが冷めてて。
  話しても届かない感じで……
  相手もきっと同じだと思うんです。
   “熱” がない関係って、どうすればいいんでしょうね……」

 声はふるえ、瞳には涙の影が揺れていた。

 「頑張っても届かなくて……
  努力しても空回りして……
  もう……終わりなのかなって」

 その言葉に、佐伯の胸に鈍い痛みが走る。

 ──美咲のときも、そうだった。

 熱が冷めていくような気配を感じながら、
 自分は、何も“きっかけ”を渡せなかった。
 気づかぬふりをして、ただ距離を見過ごした。
 だから彼女は……。

 佐伯は、胸の奥に沈む後悔を押し込むようにして立ち上がる。

 「少し、お待ちください」

 

 彼は鍋を手に取り、あえて火にはかけず、
 “冷めたまま”のスープリゾットを器へ盛りつけた。

 湯気はまったく立たない。
 さっきまでの桐島の言葉のように、ひんやりとしている。

 それを桐島の前に置く。

 「……これ……冷めてますよ?」

 桐島が不思議そうに見上げる。

 佐伯は頷き、柔らかく言った。

 「ええ。わざとです」

 

 桐島が意味を問う前に、佐伯は厨房へ向かった。
 鉄板の上では、真っ赤に焼けた石が静かに震えているかのように見えた。

 佐伯は火ばさみでその石をつまみ、慎重に持ち上げる。
 じりじりとした熱気が近づくたび、店内の温度がわずかに変わった。

 戻ってきた佐伯は、桐島に聞こえるようにゆっくり言った。

 「スープリゾットは、冷めると美味しくない。
   でも……」

 熱々の石を、器の中へそっと落とした。

 ジュワァァッ!!

 冷えきっていたスープが、石を中心に一気に泡立ち、
 白い湯気が立ち昇った。
 固まっていた米が、再びふっくらと息を吹き返していく。

 桐島は目を見開き、思わず身を乗り出した。

 「……生き返った……」

 佐伯は、その湯気を見つめながら静かに言った。

 「冷めたままでは、おいしくない。
   でも──冷めきったから“終わり”というわけではありません」

 桐島の目が揺れる。

 「ただ、“熱”が必要なだけなんです。
   外から押しつける温度じゃなくて……
   自分の中にあった熱を、思い出すきっかけ。
   それがあれば、また温かくなる」

 石の周りでふつふつと動くスープ。
 それは料理でありながら、どこか桐島の心と重なった。

 「……人の心も……同じ、ですか?」

 佐伯はゆっくり頷いた。

 「ええ。
   一度冷めても、それは“終わり”じゃない。
   きっかけがあれば、また温まる。
   関係だって……同じです」

 桐島は震える手でスプーンを取り、
 湯気の立つリゾットをひと口すくって口に運んだ。

 優しい出汁の旨みと、蘇った温度が身体の奥まで沁みていく。
 その瞬間、頬を一筋、涙が流れた。

 「……終わりだと思ってました……
   でも……話してみようかな……
   まだ……温め直せるかもしれない……」

 佐伯はただ静かに頭を下げた。

 桐島は会計を済ませると、少しだけ明るい目で言った。

 「……ありがとうございます。
   私、帰ってみます」

 暖簾が揺れ、桐島の姿が夜の中に消える。

 

 店内にひとり残された佐伯は、
 まだ熱を帯びている石と器を見つめながら呟いた。

 「……美咲……
   俺があの時……ひとつ“熱”を渡せていたら……」

 石がじんわりと冷めていく音すら、胸に響いた。

 湯気はゆっくりと天井へ消え、
 静かな夜の空気に溶けていった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話

桜井正宗@オートスキル第1巻発売中
青春
 ――結婚しています!  それは二人だけの秘密。  高校二年の遙と遥は結婚した。  近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。  キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。  ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。 *結婚要素あり *ヤンデレ要素あり

処理中です...