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第1部:序章 - 無名の挑戦
第9話 選管への書類提出
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「ここから先は、“言うだけ”じゃ済まないんだな」
真田との出会い、駅前での小さな拍手、そしてSNSでのわずかな反響──すべてが、健人の背中を少しずつ押していた。
だからこそ、彼は次のステップへと進む決意をした。
その朝、区役所のエレベーターに乗り込む指先は汗ばんでいた。胸ポケットには、前夜にプリントアウトしたチェックリスト。目的地は、5階の「選挙管理委員会」。
扉が開くと、無機質なフロアに灰色のカーペット。壁には「立候補予定者説明会開催中」の貼り紙が掲げられていた。
窓口で番号札を引き、呼び出されるのを待つあいだ、彼はずっと手元の紙を見つめていた。
──必要書類一覧。
1. 経歴書
2. 戸籍謄本
3. 推薦人名簿(20名分)
4. 選挙公報の原稿
5. ポスター原案
6. 公費支出申請書
7. 供託金振込明細書
……
「本当に……出るんだな、俺」
呼び出し音が鳴り、名前を呼ばれて窓口へ。対応に出た職員は、マスク越しでも分かるくらい表情が硬かった。
「無所属での立候補ですか?」
「はい」
「政党の推薦などは?」
「ありません。一人です」
職員の手が、一瞬だけ止まった。だが何も言わず、手元の端末に情報を打ち込む。
「……こちら、必要な書類です。締切は〇日まで。供託金は300万円。振込先はこちら」
健人は受け取った封筒の厚みに、胸が詰まる思いがした。紙ではなく、“重さ”そのものが詰まっているようだった。
自宅に戻ると、真田がすでにPCに向かっていた。
「どうでした?」
「書類……これ、マジで多すぎる。あと、供託金。300万って、正気かよ……」
ため息混じりに健人が言うと、真田は眉をひそめた。
「それ……落ちたら返ってこないやつでしたっけ?」
「ああ。得票率が一定を下回ったら、没収」
二人とも黙り込んだ。現実が、二人の前に冷たく立ちはだかっていた。
「……親に、頼るしかないかな」
その言葉を呟いた自分に、健人は少しだけ悔しさを覚えた。
だが、夜。彼は意を決して実家に電話をかけた。
「父さん、母さん……300万って、用意できる?」
受話器の向こうで、しばらくの沈黙。そして──
「母さんと話し合った。出るって決めたんなら、出ろ。お前の人生なんだ。失敗しても、お前が前に進んだってことに変わりはない」
「……ありがとう」
深夜、振込用紙をにらみながら、健人は手を震わせて金額を記入した。
三百万円。
人生で最も大きな“賭け金”だった。
数日後。振込明細書を胸ポケットに入れて、再び区役所へ。
分厚いファイルを抱え、窓口に立つ健人。今度は前回の職員とは違う中年の男性だった。
「……ええと、これはすべてご自身で?」
「はい。全部、自分と、仲間とで」
「最近じゃ珍しいですよ、無所属でここまで揃えるの」
その一言に、健人は思わず目を見開いた。冷たくも温かくもない“普通の反応”が、ただありがたかった。
書類を一つずつ確認する職員の手が止まり、「問題ありません。受理いたします」と言った瞬間──
健人は、初めて“本当に始まった”という実感を得た。
役所の外。春の空に薄く雲が流れていた。
公園脇の掲示板には、まだ名前もポスターも貼られていない空白の枠がいくつも並んでいた。
健人は、そこに立ち止まり、手をポケットに突っ込んで言った。
「俺の名前、ここに並ぶんだな」
不安、興奮、恐怖、決意──すべてが混ざりあった感情が、胸の奥に静かに渦を巻いていた。
“制度の壁に、声は届かないかもしれない。
でも、“名を刻む”ことで、声は形になる。
それが、始まりの証明だ。”
真田との出会い、駅前での小さな拍手、そしてSNSでのわずかな反響──すべてが、健人の背中を少しずつ押していた。
だからこそ、彼は次のステップへと進む決意をした。
その朝、区役所のエレベーターに乗り込む指先は汗ばんでいた。胸ポケットには、前夜にプリントアウトしたチェックリスト。目的地は、5階の「選挙管理委員会」。
扉が開くと、無機質なフロアに灰色のカーペット。壁には「立候補予定者説明会開催中」の貼り紙が掲げられていた。
窓口で番号札を引き、呼び出されるのを待つあいだ、彼はずっと手元の紙を見つめていた。
──必要書類一覧。
1. 経歴書
2. 戸籍謄本
3. 推薦人名簿(20名分)
4. 選挙公報の原稿
5. ポスター原案
6. 公費支出申請書
7. 供託金振込明細書
……
「本当に……出るんだな、俺」
呼び出し音が鳴り、名前を呼ばれて窓口へ。対応に出た職員は、マスク越しでも分かるくらい表情が硬かった。
「無所属での立候補ですか?」
「はい」
「政党の推薦などは?」
「ありません。一人です」
職員の手が、一瞬だけ止まった。だが何も言わず、手元の端末に情報を打ち込む。
「……こちら、必要な書類です。締切は〇日まで。供託金は300万円。振込先はこちら」
健人は受け取った封筒の厚みに、胸が詰まる思いがした。紙ではなく、“重さ”そのものが詰まっているようだった。
自宅に戻ると、真田がすでにPCに向かっていた。
「どうでした?」
「書類……これ、マジで多すぎる。あと、供託金。300万って、正気かよ……」
ため息混じりに健人が言うと、真田は眉をひそめた。
「それ……落ちたら返ってこないやつでしたっけ?」
「ああ。得票率が一定を下回ったら、没収」
二人とも黙り込んだ。現実が、二人の前に冷たく立ちはだかっていた。
「……親に、頼るしかないかな」
その言葉を呟いた自分に、健人は少しだけ悔しさを覚えた。
だが、夜。彼は意を決して実家に電話をかけた。
「父さん、母さん……300万って、用意できる?」
受話器の向こうで、しばらくの沈黙。そして──
「母さんと話し合った。出るって決めたんなら、出ろ。お前の人生なんだ。失敗しても、お前が前に進んだってことに変わりはない」
「……ありがとう」
深夜、振込用紙をにらみながら、健人は手を震わせて金額を記入した。
三百万円。
人生で最も大きな“賭け金”だった。
数日後。振込明細書を胸ポケットに入れて、再び区役所へ。
分厚いファイルを抱え、窓口に立つ健人。今度は前回の職員とは違う中年の男性だった。
「……ええと、これはすべてご自身で?」
「はい。全部、自分と、仲間とで」
「最近じゃ珍しいですよ、無所属でここまで揃えるの」
その一言に、健人は思わず目を見開いた。冷たくも温かくもない“普通の反応”が、ただありがたかった。
書類を一つずつ確認する職員の手が止まり、「問題ありません。受理いたします」と言った瞬間──
健人は、初めて“本当に始まった”という実感を得た。
役所の外。春の空に薄く雲が流れていた。
公園脇の掲示板には、まだ名前もポスターも貼られていない空白の枠がいくつも並んでいた。
健人は、そこに立ち止まり、手をポケットに突っ込んで言った。
「俺の名前、ここに並ぶんだな」
不安、興奮、恐怖、決意──すべてが混ざりあった感情が、胸の奥に静かに渦を巻いていた。
“制度の壁に、声は届かないかもしれない。
でも、“名を刻む”ことで、声は形になる。
それが、始まりの証明だ。”
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