9 / 228
第1部:序章 - 無名の挑戦
第9話 選管への書類提出
しおりを挟む
「ここから先は、“言うだけ”じゃ済まないんだな」
真田との出会い、駅前での小さな拍手、そしてSNSでのわずかな反響──すべてが、健人の背中を少しずつ押していた。
だからこそ、彼は次のステップへと進む決意をした。
その朝、区役所のエレベーターに乗り込む指先は汗ばんでいた。胸ポケットには、前夜にプリントアウトしたチェックリスト。目的地は、5階の「選挙管理委員会」。
扉が開くと、無機質なフロアに灰色のカーペット。壁には「立候補予定者説明会開催中」の貼り紙が掲げられていた。
窓口で番号札を引き、呼び出されるのを待つあいだ、彼はずっと手元の紙を見つめていた。
──必要書類一覧。
1. 経歴書
2. 戸籍謄本
3. 推薦人名簿(20名分)
4. 選挙公報の原稿
5. ポスター原案
6. 公費支出申請書
7. 供託金振込明細書
……
「本当に……出るんだな、俺」
呼び出し音が鳴り、名前を呼ばれて窓口へ。対応に出た職員は、マスク越しでも分かるくらい表情が硬かった。
「無所属での立候補ですか?」
「はい」
「政党の推薦などは?」
「ありません。一人です」
職員の手が、一瞬だけ止まった。だが何も言わず、手元の端末に情報を打ち込む。
「……こちら、必要な書類です。締切は〇日まで。供託金は300万円。振込先はこちら」
健人は受け取った封筒の厚みに、胸が詰まる思いがした。紙ではなく、“重さ”そのものが詰まっているようだった。
自宅に戻ると、真田がすでにPCに向かっていた。
「どうでした?」
「書類……これ、マジで多すぎる。あと、供託金。300万って、正気かよ……」
ため息混じりに健人が言うと、真田は眉をひそめた。
「それ……落ちたら返ってこないやつでしたっけ?」
「ああ。得票率が一定を下回ったら、没収」
二人とも黙り込んだ。現実が、二人の前に冷たく立ちはだかっていた。
「……親に、頼るしかないかな」
その言葉を呟いた自分に、健人は少しだけ悔しさを覚えた。
だが、夜。彼は意を決して実家に電話をかけた。
「父さん、母さん……300万って、用意できる?」
受話器の向こうで、しばらくの沈黙。そして──
「母さんと話し合った。出るって決めたんなら、出ろ。お前の人生なんだ。失敗しても、お前が前に進んだってことに変わりはない」
「……ありがとう」
深夜、振込用紙をにらみながら、健人は手を震わせて金額を記入した。
三百万円。
人生で最も大きな“賭け金”だった。
数日後。振込明細書を胸ポケットに入れて、再び区役所へ。
分厚いファイルを抱え、窓口に立つ健人。今度は前回の職員とは違う中年の男性だった。
「……ええと、これはすべてご自身で?」
「はい。全部、自分と、仲間とで」
「最近じゃ珍しいですよ、無所属でここまで揃えるの」
その一言に、健人は思わず目を見開いた。冷たくも温かくもない“普通の反応”が、ただありがたかった。
書類を一つずつ確認する職員の手が止まり、「問題ありません。受理いたします」と言った瞬間──
健人は、初めて“本当に始まった”という実感を得た。
役所の外。春の空に薄く雲が流れていた。
公園脇の掲示板には、まだ名前もポスターも貼られていない空白の枠がいくつも並んでいた。
健人は、そこに立ち止まり、手をポケットに突っ込んで言った。
「俺の名前、ここに並ぶんだな」
不安、興奮、恐怖、決意──すべてが混ざりあった感情が、胸の奥に静かに渦を巻いていた。
“制度の壁に、声は届かないかもしれない。
でも、“名を刻む”ことで、声は形になる。
それが、始まりの証明だ。”
真田との出会い、駅前での小さな拍手、そしてSNSでのわずかな反響──すべてが、健人の背中を少しずつ押していた。
だからこそ、彼は次のステップへと進む決意をした。
その朝、区役所のエレベーターに乗り込む指先は汗ばんでいた。胸ポケットには、前夜にプリントアウトしたチェックリスト。目的地は、5階の「選挙管理委員会」。
扉が開くと、無機質なフロアに灰色のカーペット。壁には「立候補予定者説明会開催中」の貼り紙が掲げられていた。
窓口で番号札を引き、呼び出されるのを待つあいだ、彼はずっと手元の紙を見つめていた。
──必要書類一覧。
1. 経歴書
2. 戸籍謄本
3. 推薦人名簿(20名分)
4. 選挙公報の原稿
5. ポスター原案
6. 公費支出申請書
7. 供託金振込明細書
……
「本当に……出るんだな、俺」
呼び出し音が鳴り、名前を呼ばれて窓口へ。対応に出た職員は、マスク越しでも分かるくらい表情が硬かった。
「無所属での立候補ですか?」
「はい」
「政党の推薦などは?」
「ありません。一人です」
職員の手が、一瞬だけ止まった。だが何も言わず、手元の端末に情報を打ち込む。
「……こちら、必要な書類です。締切は〇日まで。供託金は300万円。振込先はこちら」
健人は受け取った封筒の厚みに、胸が詰まる思いがした。紙ではなく、“重さ”そのものが詰まっているようだった。
自宅に戻ると、真田がすでにPCに向かっていた。
「どうでした?」
「書類……これ、マジで多すぎる。あと、供託金。300万って、正気かよ……」
ため息混じりに健人が言うと、真田は眉をひそめた。
「それ……落ちたら返ってこないやつでしたっけ?」
「ああ。得票率が一定を下回ったら、没収」
二人とも黙り込んだ。現実が、二人の前に冷たく立ちはだかっていた。
「……親に、頼るしかないかな」
その言葉を呟いた自分に、健人は少しだけ悔しさを覚えた。
だが、夜。彼は意を決して実家に電話をかけた。
「父さん、母さん……300万って、用意できる?」
受話器の向こうで、しばらくの沈黙。そして──
「母さんと話し合った。出るって決めたんなら、出ろ。お前の人生なんだ。失敗しても、お前が前に進んだってことに変わりはない」
「……ありがとう」
深夜、振込用紙をにらみながら、健人は手を震わせて金額を記入した。
三百万円。
人生で最も大きな“賭け金”だった。
数日後。振込明細書を胸ポケットに入れて、再び区役所へ。
分厚いファイルを抱え、窓口に立つ健人。今度は前回の職員とは違う中年の男性だった。
「……ええと、これはすべてご自身で?」
「はい。全部、自分と、仲間とで」
「最近じゃ珍しいですよ、無所属でここまで揃えるの」
その一言に、健人は思わず目を見開いた。冷たくも温かくもない“普通の反応”が、ただありがたかった。
書類を一つずつ確認する職員の手が止まり、「問題ありません。受理いたします」と言った瞬間──
健人は、初めて“本当に始まった”という実感を得た。
役所の外。春の空に薄く雲が流れていた。
公園脇の掲示板には、まだ名前もポスターも貼られていない空白の枠がいくつも並んでいた。
健人は、そこに立ち止まり、手をポケットに突っ込んで言った。
「俺の名前、ここに並ぶんだな」
不安、興奮、恐怖、決意──すべてが混ざりあった感情が、胸の奥に静かに渦を巻いていた。
“制度の壁に、声は届かないかもしれない。
でも、“名を刻む”ことで、声は形になる。
それが、始まりの証明だ。”
2
あなたにおすすめの小説
目の前で始まった断罪イベントが理不尽すぎたので口出ししたら巻き込まれた結果、何故か王子から求婚されました
歌龍吟伶
恋愛
私、ティーリャ。王都学校の二年生。
卒業生を送る会が終わった瞬間に先輩が婚約破棄の断罪イベントを始めた。
理不尽すぎてイライラしたから口を挟んだら、お前も同罪だ!って謎のトバッチリ…マジないわー。
…と思ったら何故か王子様に気に入られちゃってプロポーズされたお話。
全二話で完結します、予約投稿済み
二十年仕えた王女が私を敵に売った。それでも守ることにした
セッシー
ファンタジー
二十年間、王女殿下の護衛騎士として仕えた。その殿下が、私を敵に売った。
牢の中で事実を知り、一分考えて——逃げることにした。殿下の目的を、まだ果たしていないから。
裏切りの真相を確かめるため、一人王都へ戻る護衛騎士の話。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
自称25歳の女子高生
naomikoryo
青春
高校2年生、小森紬。
誰にも気づかれない“地味子”だったはずの彼女は、ある日、前世??の記憶を思い出す。
――3年前に25歳で亡くなった、元モデル・香坂結としての人生を。
中身は25歳、外見は17歳。
「自称25歳なので」が口癖になった彼女は、その“経験”と“知識”を武器に、静かに人生を塗り替えていく。
高校という日常の中で、周囲が戸惑いながらも惹かれていく中、
紬は「もう一度、本気で夢を追う」と決めた。
これは、ひとりの少女が“前世の未練”を越えて、
“今の人生”で夢を叶えようとする物語。
そして何より、「自分を好きになる」までの、リアルな青春再起劇。
〖完結〗私はあなたのせいで死ぬのです。
藍川みいな
恋愛
「シュリル嬢、俺と結婚してくれませんか?」
憧れのレナード・ドリスト侯爵からのプロポーズ。
彼は美しいだけでなく、とても紳士的で頼りがいがあって、何より私を愛してくれていました。
すごく幸せでした……あの日までは。
結婚して1年が過ぎた頃、旦那様は愛人を連れて来ました。次々に愛人を連れて来て、愛人に子供まで出来た。
それでも愛しているのは君だけだと、離婚さえしてくれません。
そして、妹のダリアが旦那様の子を授かった……
もう耐える事は出来ません。
旦那様、私はあなたのせいで死にます。
だから、後悔しながら生きてください。
設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。
全15話で完結になります。
この物語は、主人公が8話で登場しなくなります。
感想の返信が出来なくて、申し訳ありません。
たくさんの感想ありがとうございます。
次作の『もう二度とあなたの妻にはなりません!』は、このお話の続編になっております。
このお話はバッドエンドでしたが、次作はただただシュリルが幸せになるお話です。
良かったら読んでください。
17歳男子高生と32歳主婦の境界線
MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。
「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…
なお、スピンオフもございます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる