『総理になった男』

KAORUwithAI

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第2部:壁 - 国会という名の怪物

第77話 政策チラシが盗まれた

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朝の事務所には、いつもより重苦しい空気が漂っていた。
出勤した健人が扉を開けると、田島が帳簿をめくりながら眉をひそめている。
「おはようございます……何かあったんですか?」
声をかけると、田島は苦い顔で答えた。
「チラシが消えたんだ。昨日ここに置いた分が、まるごと無くなってる」

健人は思わず足を止めた。
政策チラシは、市民に健人の理念を伝えるための重要なツールだ。
昨日もボランティアが駅前で配布し、残った分を事務所の棚に積んで帰ったはずだった。

真田が配布記録を確認していた。
「昨日の配布は予定通り二千枚、残りは三千枚あるはずなんですが……」
田島が棚を指さした。
「見てください。空っぽですよ。夜のうちに誰かが持ち出したとしか思えない」

古いビルのため、玄関にも廊下にも防犯カメラはない。
誰が持ち去ったのか分からず、ボランティアたちの間にも不安が広がった。
「まさか、政治的な嫌がらせですかね」
若いスタッフが呟くと、田島が机を拳で叩いた。
「そんな卑怯な真似をするなんて……!」

健人は手を上げて田島を制した。
「感情的になっても仕方ない。問題は、伝える手段を奪われたことだ」
その声は落ち着いていたが、瞳の奥には怒りが燃えていた。

午後の街頭演説では、さらに奇妙な出来事が起こった。
配布スタッフが通行人にチラシを手渡すと、受け取った若い男がすぐ近くのゴミ箱に丸めて捨てたのだ。
それを見た田島はカッと目を見開き、男に詰め寄ろうとしたが、健人が腕を押さえた。
「やめておこう。感情をぶつけても何も変わらない。大事なのは、市民にきちんと伝わることだ」

演説を終えると、事務所には次々と市民からの電話が入った。
「チラシが欲しかったのに、近くのラックから無くなっていました」
「演説は聞いたけど、もう一度政策を読んで考えたいのに」
そんな声がいくつも届き、スタッフたちは悔しさを募らせた。

真田が静かに言った。
「チラシが広がるのを困ると思う誰かが、わざわざ動いている。逆に言えば、それだけ私たちのメッセージに脅威を感じているということです」
健人は頷いた。
「奪われても、諦めるわけにはいかない。伝える方法はいくらでもあるはずだ」

その夜、健人は自らSNSを更新した。
政策を短い文章と図解でわかりやすくまとめ、写真と共に投稿する。
「紙を奪われても、声は奪えない」――そんな一文を添えて。

すると、若いボランティアたちが自主的に動き出した。
「ネットで広めましょう」「友達に送ります」
チラシをPDFにしてメールやLINEで知人に届ける取り組みが、自然と広がっていった。

さらに、チラシが届かなかった地域の市民からは、「郵送してほしい」という問い合わせが殺到した。
スタッフたちは休日返上で封筒にチラシを詰め、宛名を書き続けた。
事務所の空気には、悔しさだけでなく、確かな連帯感が生まれていた。

ある夜、田島が帰り際にふと窓の外を見て、表情を引き締めた。
街灯の下、見慣れない人物が事務所前のチラシラックを覗き込み、足早に立ち去っていくのが見えたのだ。
追いかけようとした田島を、健人が呼び止める。
「放っておこう。紙は奪えても、市民の心までは奪えない」

翌日から健人は、街頭演説のたびに自らチラシを手渡しで配るようになった。
受け取った市民の中には、笑顔で「頑張ってください」と声をかける人もいた。
そのたびに健人は、疲れの奥に小さな希望の光を感じた。

数日後、SNS上には「チラシを読んで共感した」「街頭で直接受け取れてよかった」という投稿が増え始めた。
健人は画面を見つめながら、静かに拳を握った。
――嫌がらせには負けない。伝えるべきことは、必ず届く。

その夜、ノートに一行を書き込んだ。
「奪われるのは紙だけだ。本当に届くべきものは、人の手から手へ、心へと渡っていく」



“奪われるのは紙だけだ。
本当に届くべきものは、
人の手から手へ、心へと渡っていく。”
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