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序章 堕ちた赤い月
01話◆序幕
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白銀のベールを纏った月が明かりの消えた街を優しく見下ろす。
信号は一日の勤めを終え、今は一色の点滅を繰り返していた。
時計の針は二時三十分を過ぎた頃で、建ち並ぶ高層オフィスビルの街に人の姿は見当たらない。
微かな物音さえ聞こえない程の静寂に包まれた街。
だが、突然タイプのように規則正しい音がビルの間を反響し夜の静寂を裂く。
音を発しているのはフードをかぶった背の高い青年だった。
彼は忙しなく足を動かし、オフィス街を駆け抜ける。
その後方から浮遊する何かが現れた。
それは実体を持たず、靄さながらの不安定さを保持しながら前を行く青年の後を追う。
「どうした? 追い掛けてこいよ」
青年は振り返るとその不気味な靄を挑発するような笑みを浮かべた。
走る速度をあげると、靄も逃すまいとその動きを早める。
奴は愚鈍な上、相当腹を空かせているはずだ。
自分のやりやすい場所まで誘導するのは造作ないことだった。
入り込んだ狭い道は袋小路。
青年は逃げ場所を失ったにも関わらず、口許の笑みを絶やす気配はない。
悠然と刀袋の紐を解くと、中からは一振りの黒い刀が出てくる。
踵を返すと、青年は居合いの構えを取った。
自分を追ってきた靄は一定の距離を置いて止まり、徐々に姿を実体化させていく。
肉など容易く抉る鈎爪を生やした足が地面を踏み締め、剛毛が体躯を覆い尽くした。
爛々とした灼熱の炎のような赤い瞳、目から鼻先にはひどく皺が寄り、剥き出しになった鋭い牙の奥からは獰猛な低い唸り声がもれる。
その全容はまるで巨大な犬、あるいは狼のようだった。
だが決定的に違うのは、その巨大な獣が三つの頭を持っているという点だ。
普通の人間ならば腰を抜かすであろう化け物を、青年は平然とした様子で見上げた。
咆哮とともにその巨大な体が跳躍し青年へと襲いかかる。
鈎爪が残虐に柔肌を引き裂くと思われた瞬間、稲光のような白い光が閃く。
その手には確かな手応え──。
続いて上がる、耳を塞ぎたくなるような断末魔は青年のものではなかった。
獣の体が中程辺りで真横に切り裂かれ、その向こうの風景が見えている。
だが、それだけだった。
切り裂かれた体からは血飛沫は疎か、血の一滴さえ滴ることはなかった。
ただ砂が風に流されるように跡形もなく霧散していく。
そして辺りには何もなかったかのように再び静寂が戻る。
そもそもすべてが幻だったのではないか。
この場に居合わせる者がいたなら間違いなくそう思っただろう。
それほどまでに、刀を手にした青年も獣も非現実的な光景だった。
「こんな小物ばかりじゃいい加減飽きるが……こんなヤツでもいないよりはマシか」
青年は刀を鞘へと戻し、舌で口の端を舐める。
ルビーレッドの瞳がフードの下で鮮やかに光った。
信号は一日の勤めを終え、今は一色の点滅を繰り返していた。
時計の針は二時三十分を過ぎた頃で、建ち並ぶ高層オフィスビルの街に人の姿は見当たらない。
微かな物音さえ聞こえない程の静寂に包まれた街。
だが、突然タイプのように規則正しい音がビルの間を反響し夜の静寂を裂く。
音を発しているのはフードをかぶった背の高い青年だった。
彼は忙しなく足を動かし、オフィス街を駆け抜ける。
その後方から浮遊する何かが現れた。
それは実体を持たず、靄さながらの不安定さを保持しながら前を行く青年の後を追う。
「どうした? 追い掛けてこいよ」
青年は振り返るとその不気味な靄を挑発するような笑みを浮かべた。
走る速度をあげると、靄も逃すまいとその動きを早める。
奴は愚鈍な上、相当腹を空かせているはずだ。
自分のやりやすい場所まで誘導するのは造作ないことだった。
入り込んだ狭い道は袋小路。
青年は逃げ場所を失ったにも関わらず、口許の笑みを絶やす気配はない。
悠然と刀袋の紐を解くと、中からは一振りの黒い刀が出てくる。
踵を返すと、青年は居合いの構えを取った。
自分を追ってきた靄は一定の距離を置いて止まり、徐々に姿を実体化させていく。
肉など容易く抉る鈎爪を生やした足が地面を踏み締め、剛毛が体躯を覆い尽くした。
爛々とした灼熱の炎のような赤い瞳、目から鼻先にはひどく皺が寄り、剥き出しになった鋭い牙の奥からは獰猛な低い唸り声がもれる。
その全容はまるで巨大な犬、あるいは狼のようだった。
だが決定的に違うのは、その巨大な獣が三つの頭を持っているという点だ。
普通の人間ならば腰を抜かすであろう化け物を、青年は平然とした様子で見上げた。
咆哮とともにその巨大な体が跳躍し青年へと襲いかかる。
鈎爪が残虐に柔肌を引き裂くと思われた瞬間、稲光のような白い光が閃く。
その手には確かな手応え──。
続いて上がる、耳を塞ぎたくなるような断末魔は青年のものではなかった。
獣の体が中程辺りで真横に切り裂かれ、その向こうの風景が見えている。
だが、それだけだった。
切り裂かれた体からは血飛沫は疎か、血の一滴さえ滴ることはなかった。
ただ砂が風に流されるように跡形もなく霧散していく。
そして辺りには何もなかったかのように再び静寂が戻る。
そもそもすべてが幻だったのではないか。
この場に居合わせる者がいたなら間違いなくそう思っただろう。
それほどまでに、刀を手にした青年も獣も非現実的な光景だった。
「こんな小物ばかりじゃいい加減飽きるが……こんなヤツでもいないよりはマシか」
青年は刀を鞘へと戻し、舌で口の端を舐める。
ルビーレッドの瞳がフードの下で鮮やかに光った。
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