6 / 175
一章 笠原兄弟の恋愛事情 前編 ~笠原伊澄視点~
兄と弟(5)
しおりを挟む伊織の性格からして、人の恋路が上手くいったことで「どうせ自分は……」と卑屈になるより、むしろ「僕も頑張るっ♡」とポジティブな思考に走る可能性が高い。
特に、保育園の頃からずっと一緒にいる雪音に初めて恋人ができたとなると、伊織の恋愛に対するモチベーションは大幅にアップしそうな気がする。
雪音はこれまで数人の女と肉体関係を持ったことはあるが、彼女を作ったことは無いからな。
その雪音に初めてできた恋人が、自分の好きな相手とよく似た相手――つまりは、自分と同じ男で、おまけに血は繋がっていないが自分の兄と呼べる存在であることに、伊織の俺に対する恋心が再熱した可能性もある。
だが、俺には男相手に恋愛をするつもりが無いから、まずは身近にできた同性カップルを俺に紹介して、俺の恋愛観を覆そうと目論んだのではないだろうか。
もし、伊織がそんな計算をしていたとしたなら、俺は用心しなくてはいけない気がする。
それはさておき
「えっと……その質問には俺もどう答えていいのやら……」
今は目の前にいる頼斗からの質問に答えてやるべきなのだろう。
相変わらず俺の頭の中は混乱状態ではあるが、混乱のあまり言葉が出てこないほどではない。質問の意図はわからなくても、質問された以上は答えてやるのが筋ってものだろうし。
「まあ、全く気付いてないわけじゃねーけど、もう終わったことだと思ってた。未だに伊織が俺にそんな感情を持っているとは思わなかったっていうのが本当のところだな。だから今、俺はめちゃくちゃ混乱してるし、動揺もしている」
一応答えにはなっているだろう。嘘は言っていないし、この答えで頼斗も納得すると思う。
「そうですか……。じゃあ、伊織の気持ちを全く知らなかったわけじゃないんですね?」
「一応そうなるな。でも、本当に昔のことだと思っていたから、今の伊織が俺に特別な感情を持っているとは思っていなかった。だってあいつ、普通に彼女とか作ってたし」
「え?」
「え?」
ちょっと待て。何で今驚いた? お前が変なところで驚くから、俺まで驚いちまったじゃん。俺、何か変なことでも言ったか?
「彼女ですか?」
「は?」
な……何だよ、その質問。彼女だろ? 伊織が付き合う相手なんだから、彼女で合ってるんじゃないのか?
「俺が聞いた話だと、伊織が付き合っていた相手は全員男ってことだったんですけど」
「は⁉」
「ああ、そうか。あいつの見た目でついつい伊織が彼女役だと思ってたけど、逆のパターンもあるのか」
「……………………」
「ん? でも、確か伊織は彼女役専門だって……。あれ?」
「……………………」
おいおい待て待て。何言ってんの? こいつ。伊織がこれまで付き合ってきた相手が全員男って? マジで言ってる? そんな話は初耳なんですけど?
「あ。もしかして伊澄さん、伊織の恋愛対象が自分と同じ男に限定されてることを知らないんですか?」
「知らねーけどっ⁉」
思わず取り乱してしまった。何で伊織の兄ちゃんである俺が知らない情報を、伊織と知り合ってまだ日が浅そうな頼斗が知ってんだよ。俺、どんだけ伊織のこと知らねーの?
(いやいや。ちょっと待ってくれねーかな……)
今度こそ、俺は伊織の兄失格って気持ちになってきた。
実の兄である俺に特別な感情を抱いている様子の伊織に気付いた俺は、伊織をまともな道に戻すため、あえて彼女を作り、伊織にダメージを与えることでまともな恋愛に目覚めさせようと思った。
その甲斐あって、中学生になった伊織が早速彼女を作り、その彼女と楽しそうな毎日を送っていると思っていたのに……。
(その恋人が全員男だったなんて……)
その発想は俺に無かった。
確かに伊織は可愛いから、男相手でも恋愛ができなくは無さそうだ。
だが、一度俺に手厳しい扱いを受けた伊織は「やっぱり男同士は無理なんだ」と思い、次からは普通の恋をしようと思ってくれたんじゃなかったのか?
俺はそう信じていたのに、伊織の恋愛対象が男のまま固定されているとは思わなかった。
言われてみれば、伊織は自分に恋人がいる話は俺にもしてくれたけど、その恋人が誰なのかは教えてくれなかった。恋人の写真も俺に見せてくれたことは一度もない。
もちろん、恋人を家に連れて来ることも無かったから、俺は伊織の恋人の顔を一度も見たことがなかった。
「多分、伊澄さんには言えなかったんでしょうね。伊織にとって自分の恋人は全員伊澄さんの代わりでしかないから。知られたら伊澄さんに気を遣わせるか、怒られると思ったんじゃないですか?」
「な……」
何だよ、それ。伊織の恋人が全員俺の代わり? それって本気で言ってんの?
「なぁ、頼斗とやら」
「頼斗でいいですけど。何ですか? その〈とやら〉っていうのは」
「じゃあ頼斗。一つ聞きたいんだけど、その話は伊織本人から聞いたのか? それとも、伊織のことなら何でも知っていそうな雪音から聞いた話なのか?」
聞いてみたものの、その質問にあまり意味は無かった。伊織本人の口から聞いていても、雪音を通じて聞いた話でも、話の内容自体に齟齬はないと思う。
頼斗に無意味な質問を浴びせながら、俺の腹の中には沸々と怒りが込み上げてくるのを感じた。
別に頼斗のことを怒っているわけじゃないが、頼斗を睨み付けるように聞いてしまう俺に
「話そのものは深雪経由で雪音からって感じですかね。雪音から聞いた話を深雪が俺に話してくれたんで」
頼斗は相変わらず冷静な顔と声でそう答えた。
「ほう……」
何が「ほう……」なのかは自分でもわからない。
「でも、自分の実体験もちょっと入ってるっていうか、伊織の恋愛対象が自分の兄ちゃんの代わりでしかないってことは身をもって知ったところもあります。だって俺、あんたに雰囲気が似てるって理由で、伊織には一度キスされたことがあるし」
「はあっ⁉」
「あん時はマジでびっくりしたし、何してくれてんだ! って思った」
「マジか……」
マジか……マジか……マジなのか? この男、俺の弟と一度はキスした仲だっていうのか?
(何やってんだっ! 伊織っ!)
昔から破天荒なところがあって、ちょっと無茶なことをするところがあると思っていた伊織だけれど、自分の弟がそこまでハチャメチャな奴になっているとは思わなかった。
(俺は一体今まで伊織の何を見ていたんだ?)
俺は伊織のことを甘ったれの可愛い弟だとばかり思っていた。実際、俺の前での伊織は元気で無邪気な可愛い弟でしかなかったし。
でも今日、俺の知らない伊織を知った。
初めて知る伊織の本性は俺の知っている伊織とは全然違っていて、その事が俺はショックだったし、腹立たしくもあった。
「あいつ……俺の前では猫被りやがって……」
さっきから沸々と湧き上がってくる怒りの原因はそれか。俺の前では可愛い弟でしかなかった伊織に騙されていたと感じてしまい、俺はこんなにも腹立たしく思ってしまうってことなんだな。
ところが
「いや。それは違うだろ」
俺の怒りの矛先が伊織に向かったと同時に、頼斗から間髪入れず突っ込みが入った。
そして
「伊織は猫を被ってたわけじゃなくて、あんたのことが好きだから、あんたに可愛いと思ってもらえる自分でいようと頑張ってただけじゃん。っつーか、伊織は誰の前でも猫なんか被ってねーけど?」
いつの間にやら敬語を忘れている頼斗から、まるで俺を責めるかのような厳しい声でそう言われてしまい、俺は頭を強く殴られたような衝撃を受けたのであった。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
推しの完璧超人お兄様になっちゃった
紫 もくれん
BL
『君の心臓にたどりつけたら』というゲーム。体が弱くて一生の大半をベットの上で過ごした僕が命を賭けてやり込んだゲーム。
そのクラウス・フォン・シルヴェスターという推しの大好きな完璧超人兄貴に成り代わってしまった。
ずっと好きで好きでたまらなかった推し。その推しに好かれるためならなんだってできるよ。
そんなBLゲーム世界で生きる僕のお話。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
俺、転生したら社畜メンタルのまま超絶イケメンになってた件~転生したのに、恋愛難易度はなぜかハードモード
中岡 始
BL
ブラック企業の激務で過労死した40歳の社畜・藤堂悠真。
目を覚ますと、高校2年生の自分に転生していた。
しかも、鏡に映ったのは芸能人レベルの超絶イケメン。
転入初日から女子たちに囲まれ、学園中の話題の的に。
だが、社畜思考が抜けず**「これはマーケティング施策か?」**と疑うばかり。
そして、モテすぎて業務過多状態に陥る。
弁当争奪戦、放課後のデート攻勢…悠真の平穏は完全に崩壊。
そんな中、唯一冷静な男・藤崎颯斗の存在に救われる。
颯斗はやたらと落ち着いていて、悠真をさりげなくフォローする。
「お前といると、楽だ」
次第に悠真の中で、彼の存在が大きくなっていき――。
「お前、俺から逃げるな」
颯斗の言葉に、悠真の心は大きく揺れ動く。
転生×学園ラブコメ×じわじわ迫る恋。
これは、悠真が「本当に選ぶべきもの」を見つける物語。
続編『元社畜の俺、大学生になってまたモテすぎてるけど、今度は恋人がいるので無理です』
かつてブラック企業で心を擦り減らし、過労死した元社畜の男・藤堂悠真は、
転生した高校時代を経て、無事に大学生になった――
恋人である藤崎颯斗と共に。
だが、大学という“自由すぎる”世界は、ふたりの関係を少しずつ揺らがせていく。
「付き合ってるけど、誰にも言っていない」
その選択が、予想以上のすれ違いを生んでいった。
モテ地獄の再来、空気を読み続ける日々、
そして自分で自分を苦しめていた“頑張る癖”。
甘えたくても甘えられない――
そんな悠真の隣で、颯斗はずっと静かに手を差し伸べ続ける。
過去に縛られていた悠真が、未来を見つめ直すまでの
じれ甘・再構築・すれ違いと回復のキャンパス・ラブストーリー。
今度こそ、言葉にする。
「好きだよ」って、ちゃんと。
嫌われ者の長男
りんか
BL
学校ではいじめられ、家でも誰からも愛してもらえない少年 岬。彼の家族は弟達だけ母親は幼い時に他界。一つずつ離れた五人の弟がいる。だけど弟達は岬には無関心で岬もそれはわかってるけど弟達の役に立つために頑張ってるそんな時とある事件が起きて.....
君に望むは僕の弔辞
爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。
全9話
匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意
表紙はあいえだ様!!
小説家になろうにも投稿
【完結】 男達の性宴
蔵屋
BL
僕が通う高校の学校医望月先生に
今夜8時に来るよう、青山のホテルに
誘われた。
ホテルに来れば会場に案内すると
言われ、会場案内図を渡された。
高三最後の夏休み。家業を継ぐ僕を
早くも社会人扱いする両親。
僕は嬉しくて夕食後、バイクに乗り、
東京へ飛ばして行った。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる