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二章 笠原兄弟の恋愛事情 後編 ~笠原伊織視点~
僕とお兄ちゃんの難問課題(5)
しおりを挟む「え……」
その言葉の真意がわからなかった。
僕がお兄ちゃんと同じ高校に進学するかしないかはまだハッキリしていないけれど、お兄ちゃんは僕に自分と同じ高校に入学して来て欲しいのか。それとも、入学して来て欲しくないのか……。どっちなんだろう。
「えっとぉ……。それって僕はお兄ちゃんと同じ高校に通ってもいいってこと?」
自信の無さの現れだろうか。まるでお兄ちゃんが自分の通う高校に僕が入学して来て欲しくないと思っているかのような質問をしてしまう僕に、お兄ちゃんは
「はあ? 何だよ、その質問。んなもん、いいに決まってんだろ」
呆れた顔になって言い返してきた。
いいに決まってるんだ。という事は、お兄ちゃんは僕がお兄ちゃんと同じ高校に入学しても嫌じゃないと……そういう事なんだ。
それがわかっただけでもちょっとホッとした。
でも、だからといって僕には良くない事情というか、不安がある。
「で……でも、僕がお兄ちゃんと同じ高校に入学したら、お兄ちゃんは困るんじゃないかと思って……。だって僕、お兄ちゃんのことが好きだし。学校でお兄ちゃんと美沙ちゃんが一緒にいるところなんか見たらヤキモチ焼いちゃうよ?」
なので、その不安を口にすると、お兄ちゃんは少し考え込むような顔になり
「そりゃまあ、そうなると困るっちゃ困るけど……。でも、俺とお前は学年が違うし、学校では普通の兄弟で通すしかねーから、そこは我慢してもらうしかねーよ」
僕が心配した通りのことを言ってきた。
やっぱり僕、学校ではお兄ちゃんからただの弟としてしか扱ってもらえないんだ。
そりゃそうだよね。仮にお兄ちゃんに付き合っている彼女がいなかったとしても、人前で堂々と僕とお兄ちゃんの関係を明かせるわけがないんだから。
だから、僕がお兄ちゃんとの関係を口にできるのは雪ちゃん達の前だけだし、僕もそれで満足するしかない。それは僕もわかっているんだ。
でも……だけどさ、片や美沙ちゃんはみんなの前で堂々とお兄ちゃんの彼女を名乗れるのに、僕は弟としてしか見てもらえないのってやっぱり悔しい。お兄ちゃんにそんなつもりはなくても、お兄ちゃんは僕より美沙ちゃんの方が大事なんだって思っちゃうんだよね。
自分のこういうところ、本当に女々しくて嫌なんだけど。
「でも、その代わり家ではちゃんとお前の彼氏でいてやるから。だからお前も……って! 何で泣くんだよっ!」
「だってぇ……」
泣くつもりなんてなかったけれど、実際にお兄ちゃんから学校では弟として扱うって言われたら悲しくなっちゃって。そんな学校生活を想像したら、一生懸命涙を堪えようとしてもダメだった。
「わかってるけど辛いんだもん。美沙ちゃんはみんなからお兄ちゃんの彼女だって認めてもらえるのに、僕はお兄ちゃんの弟としてしか見てもらえないなんて……」
「って言われてもなぁ……。仮に俺が美沙と付き合っていなかったとしても、俺とお前の関係を人前で公にすることなんてできねーだろ。世間の目ってものがあるんだから」
「そんな事はわかってるのっ! でもぉ……」
あぁ……。こんな我儘を言ってお兄ちゃんを困らせちゃうなんて最悪だよ。こんな我儘ばっかり言っていたら、いつかお兄ちゃんに愛想を尽かされてしまうかもしれない。
最初はお兄ちゃんの彼女になれただけでも満足だったはずなのに。今はお兄ちゃんを一人占めできなくても、雪ちゃん達の前では堂々とお兄ちゃんの彼女を名乗っていいことを幸せだと思っていたはずなのに……。
人の欲望は満足ってものをしないんだろうか。望んでいたものを手に入れても、更に大きな願望を抱くようになってしまう。
「お兄ちゃん、僕のこと好きだって言ってくれないんだもん。本当は僕のこと、渋々彼女にしてくれただけなのかも、って不安になっちゃうんだもん。前にお兄ちゃんも僕への愛情が弟に対する愛情なのか、恋愛感情なのかまだよくわからないって言ってたし……」
どうやってお兄ちゃんに僕のことを「好きだよ」って言わせようか考えていた僕は、最も嫌がられそうな方法でその言葉をお兄ちゃんに言わせようとしてしまった。
こういうの、男の人は嫌がるよね。「面倒くせー奴」って思っちゃうよね。
今までの彼氏からは、特に「好きだよ」って言葉を言ってもらえなくても構わなかった。
っていうか、別にお願いしなくても向こうから勝手に言ってきてくれたから、僕もそんな事を考えたことがなかった。
多分、お互いに〈普通の人間とは違う恋愛を楽しもう〉って感覚だったんじゃないかと思う。だから、甘い言葉も戯れのように言い合っていたような気がする。
僕が彼らに言う「好き」も軽いものだったし、本気じゃなかったから、お互いに愛の言葉なんて必要ないと思っていたところもあった。
でも、お兄ちゃんは違う。お兄ちゃんにはいっぱい本気の「好き」を伝えたいと思うし、お兄ちゃんからも僕に対する愛情を言葉にして伝えて欲しいと思ってしまう。
だけど、男の人はそういう言葉を口にするのが苦手な人も多いから、こっちがそれを強要すればするほど、面倒臭くなっちゃったりするんだよね。
お兄ちゃんに嫌われたくない。面倒臭い奴だと思われたくないのに、お兄ちゃんのことが好き過ぎてどうしようもない僕は、自分がどんどん面倒臭い奴になっている気がする。
「伊織……」
声を上げて大泣きはしなかったけれど、心の底から悲しんで泣いている僕の姿に、お兄ちゃんはちょっとだけ辛そうな顔をした。
僕を彼女にしたことで色々と悩んでしまうお兄ちゃんに、これ以上余計な心労を与えたくなんかないのに。
僕がこんな事で泣いたりなんかしたら、お兄ちゃんに「やっぱり弟を彼女になんかするんじゃなかった」って、いつか後悔される日が来てもおかしくないよ。
いや。今まさに後悔してる最中なのかも。
お兄ちゃん的にはかなりの覚悟を決めて僕と付き合う選択をしたはずなのに、その僕が我儘ばかり言ったり、すぐ不安になって泣いている姿を見たら。
だけど
「悪かったよ、伊織。確かに俺はお前に好きって言葉を言ってやったことがねーし、お前や雪音達の前で、お前に対する愛情がどういうものなのかハッキリしてないって言っちまったもんな。お前が不安になるのも仕方ねーよな」
お兄ちゃんはこんな面倒臭いことを言い出す僕に嫌な顔をするでもなく、本当に申し訳なさそうな顔になって謝ってきた。
そして、謝るだけじゃなく、悲し気な顔でしくしくと泣いている僕をふんわりと包み込んできてくれて、僕の頭をよしよしと撫でてきてくれた。
「お兄ちゃん……」
僕の頭を撫でてくれるお兄ちゃんの手が物凄く優しくて、それが嬉しい僕は益々泣きたい気分になってしまう。
「ずっと一緒にいる弟だし。そんなお前に好きだって言うのがめちゃくちゃ恥ずかしいんだよ。だから、言わなくていいなら言わないままでいようかと思っちまってた。でも、その事でお前がそんなに不安になるとは思ってなかったんだよ。わざわざ言葉にしなくても、俺のお前に対する好意は伝わってるだろうと思ってたから」
「ん……」
頑張って堪えようとしても流れてしまう涙を、お兄ちゃんの指がそっと拭ってくれる。
こんなにも僕に優しくしてくれるお兄ちゃんなのに。そのお兄ちゃんからの愛情を疑ってしまう僕ってどうかしているよね。
今はまだ、お兄ちゃんが僕に対して恋愛的な意味で好きって気持ちがなかったとしても、僕を大事に思ってくれるお兄ちゃんの気持ちは感じる。
だから、僕はあまり彼女という立場に拘り過ぎず、お兄ちゃんが美沙ちゃんよりも僕と一緒にいることを望んでしまうくらい、お兄ちゃんと幸せで楽しい毎日を送ることに専念するべきなんじゃないかと思う。
お兄ちゃんに「好きだよ」って言ってもらえないことが寂しいのは事実だけれど、それだってお兄ちゃんが美沙ちゃんじゃなくて僕を選んでくれれば、その時には言ってくれる言葉だったかもしれないのに。
でも、そうやって反省してしまう反面
「ちゃんと好きだよ、伊織。この感情が兄貴としての感情なのか、恋愛感情なのかはハッキリしていなくても、俺がお前のことを好きだと思う気持ちはちゃんとある。むしろ、一緒に住む家族だからこそ、他の誰よりも特別な感情ってものがあるんじゃないかと思ってる。だから、俺はお前を渋々自分の彼女にしたわけじゃねーよ。それだけは絶対だから安心しな」
実際にお兄ちゃんから「好きだよ」って言ってもらえた僕は、お兄ちゃんの口から僕に向かって告げられた「好きだよ」という言葉に、全身が喜びで震えてしまった。
ずっと言って欲しかった言葉だもん。そりゃ身震いするほど喜んじゃうよね。
「それにほら、俺は雪音達の前でこうも言ったぞ? 遊びで自分の弟を彼女になんかしねーって。俺の中でお前を彼女にする決断は、お前に結構マジな証拠なんだよ」
しかも、お兄ちゃんから「結構マジな証拠」とまで言われた。これはもう、僕が不安になる要素がどこにもない。
「っつーか、お前も俺の性格や何だりはよく知ってんだろ。彼女がいるのに俺がお前と付き合う選択をしてんだぞ。俺がそんな選択をするなんて、よっぽど特別な感情を持った相手じゃねーとあり得ねーよ。それくらいわかれ」
自分の発言が恥ずかしくなってしまったのだろうか。照れ隠しのためか少しふて腐れた顔になって言うお兄ちゃんに、僕の涙はいつの間にやらすっかり止まってしまっていた。
まさかお兄ちゃんからここまでちゃんとした気持ちを伝えてもらえるとは思っていなかったから、ちょっと驚いた顔になってお兄ちゃんをまじまじと見上げていると
「ああくそっ! やっぱくそ恥ずかしいっ! 死ぬほど恥ずかしいじゃねーかっ! お前のせいだからなっ! 伊織っ!」
照れ臭さが最高潮に達してしまったのか、お兄ちゃんは顔を真っ赤にしながら僕を責めてきた。
「え……えっと……ごめん、なさい……」
多分、本気で僕に腹を立てているんじゃないとは思うんだけど、「お前のせいだからなっ!」って言われちゃうと謝らないわけにもいかない。
びっくりした顔のまま、素直に僕が謝ると
「っつーわけだから、今度はお前が恥ずかしい思いをする番な」
お兄ちゃんはそう言うなり、僕の身体をひょいと抱え上げてきた。
「え? え⁉」
それは一体どういう意味? って焦ったけれど
「今日はめちゃくちゃエロい事いっぱいさせてやるから覚悟しろ」
僕を抱えたまま、自分の部屋に向かうお兄ちゃんの言葉でその意味を理解した。
お兄ちゃん的には自分に恥ずかしい思いをさせた僕へのお仕置きが込められている言葉だったんだろうけれど、学校が始まるとお兄ちゃんとは今までみたいにセックスできなくなるんじゃないかと心配していた僕にとって、そのお仕置きは嬉し過ぎるお仕置きだったりもする。
っていうか、僕はお兄ちゃんとするセックスが大好きなんだから、セックスは全然お仕置きにならない。たとえお兄ちゃんからどんなエッチな要求をされたところで、それが全部快感と悦びに変わってしまう僕は、今からお兄ちゃんとセックスできることが嬉しくて仕方がなかった。
でも、そうやって僕が大喜びしていることはお兄ちゃんに気付かれないようにしなくちゃ。だって僕、これからも何かあるたびに、お兄ちゃんからエッチなお仕置きがされたいもん。
「お……お兄ちゃん……」
自分の胸の内をお兄ちゃんに悟られないよう、わざと戸惑う素振りをしてしまう僕ではあるけれど、どうしても弛んでしまう口元は隠しきれていなかったと思う。
占いなんて興味はないし見てもいないけれど、きっと今日の僕の運勢は最高だったんじゃないだろうか。
だって、ずっとお兄ちゃんから言って欲しかった「好きだよ」って言葉を聞かせてもらえたし、お兄ちゃんが僕に本気だって気持ちも伝えてもらった。
そのうえ、お兄ちゃんとセックスまでできちゃうんだもん。
学校が始まったら……と不安になっていた僕にとって、こんなに幸先のいいスタートはないよね。
そして、これも雪ちゃんのおかげだと思ってしまう僕は、雪ちゃん達が僕にとっての恋のキューピットであることを、改めて実感せずにはいられなかった。
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