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二章 笠原兄弟の恋愛事情 後編 ~笠原伊織視点~
僕とお兄ちゃんの難問課題(6)
しおりを挟む二学期が始まって二週間ほどが過ぎると、さすがにもう夏休み気分なんてものは完全に抜けてしまい、僕達は否が応でも受験の波に呑まれていく感じになりつつある。
そんな中――。
「ねえ、伊織君。雪音が志望校を〈学園祭を見てから決める〉とか言ってるんだけど。どう思う?」
まだ半袖でも充分に暑いと感じる土曜日の昼下がり。珍しく深雪から
『二人だけで話がしたい』
と誘われ、僕の家の近所にある可愛らしいカフェで深雪とお茶をしている僕だったりする。
今日はお兄ちゃんも美沙ちゃんとデートに出掛けてしまい、家にはいないからちょうど良かった。深雪の話を聞いた後で、深雪に僕の愚痴も聞いてもらおうと思う。
お兄ちゃんから「好きだよ」って言葉を言ってもらった後の僕は、もうお兄ちゃんのことで不安になるようなこともないんだけれど、やっぱりお兄ちゃんと美沙ちゃんのことを考えるとヤキモチは焼いちゃうし。今日みたいにお兄ちゃんが美沙ちゃんとデートに出掛ければ、その愚痴を誰かに聞いて欲しくなっちゃうんだよね。
だから、今日は深雪が僕を誘ってくれて良かったと思っている。
それに、深雪とこうして二人だけで会うのも初めてだったりするんだよね。
深雪とはいつも七緒家で会ってるって感じだし、僕が七緒家に遊びに行けば、いつも雪ちゃんと頼斗がいる。
深雪の部屋で深雪と二人きりになることはあっても、深雪と二人だけで出掛けるのは今日が初めてなんだよね。
何か物凄く新鮮だし、如何にも友達って感じがして嬉しいな。
とはいえ
「僕はいいと思ってるよ。っていうか、僕も雪ちゃんのその案には乗っかっちゃってるし♡」
深雪は僕に相談があって僕を呼び出しているわけだから、あまり浮かれた気分になっている場合でもなかった。
「え⁉ 伊織君まで⁉」
どうやら雪ちゃんは、自分の志望校を来月と再来月に開催される八重塚と白鈴の学園祭に行ってから決めるという話を、つい最近まで深雪に話していなかったらしい。
自分の志望校を学園祭で決めると言っている雪ちゃんに深雪は頭を悩ませているみたいだけれど、雪ちゃんの案に便乗してしまっている僕は、それについては賛成的な意見しか言えなかった。
僕も雪ちゃんと同じだと知った深雪は目を剥いて驚き
「伊織君は伊澄さんと同じ高校に進学するんじゃないの⁉」
と聞いてきた。
うーん……。やっぱりそう思われちゃうよね。だって僕、これまでずっとお兄ちゃんと同じ進路を歩み続けてきたし。念願だったお兄ちゃんと恋人同士になれた今、僕がお兄ちゃんと違う高校に進学する可能性は深雪も考えていなかったのかもしれない。
「そりゃまあ、お兄ちゃんと同じ高校に通いたいっていう気持ちはあるけどね。でも、お兄ちゃんと一緒に高校生活を送れるのってたったの一年なんだもん。それなら雪ちゃんと同じ高校に通った方が楽しいじゃん♡ それに、僕はヤキモチ焼きだから。学校でお兄ちゃんと彼女が一緒にいるところを見るのも嫌だと思っちゃうし」
僕の進路も学園祭次第で決まると知って唖然としている深雪に、僕は雪ちゃんにも言ったことと同じ説明をしてあげた。
「……………………」
僕からの返事に一瞬言葉を失ってしまう深雪だけれど
「そっか……そうだよね。伊織君が高校に入学した時、伊澄さんは高校三年生だもんね。たった一年しか一緒に高校生活を過ごせないなら、雪音と同じ高校に通った方が伊織君的には楽しいよね」
僕の言葉はそれなりに説得力があったのか、深雪はあっさり納得してしまった。
ところが
「でもさ、それなら雪音と一緒に八重塚に進学するのが一番良くない? 雪音も伊織君も勉強できるんだから。もし、二人揃って白鈴を選ぶようなことになったらもったいないよ。……って、俺は思っちゃうんだけど」
僕が雪ちゃんと同じ高校に通うつもりだと知った深雪は、僕に雪ちゃんと一緒に八重塚に進学するように促してきた。
多分、それが雪ちゃんや僕のためになると思っているから、深雪も僕にそんな事を言ってくるんだろうとは思うけれど、僕は好きな人と同じ学校に通いたいと思う雪ちゃんの気持ちもわかるからなぁ……。安易に「そうだよね」とは言ってあげられないんだよね。
っていうか、どうして深雪がそこまで雪ちゃんに自分とは違う高校に進学して欲しいと思うのかもよくわからないところがある。
確かに、雪ちゃんの学力だと白鈴を志望校にするのはもったいない気もするけれど、白鈴ってそこまでレベルが低い高校じゃないし。白鈴に通ったところで雪ちゃんはちゃんと勉強するだろうから、雪ちゃんが優秀なのには変わりないと思う。
それなのに、どうして深雪は雪ちゃんに白鈴より八重塚に進学して欲しいって思うんだろう。深雪は雪ちゃんと一緒に高校生活を過ごしたくない理由でもあるのかな?
「どうして深雪は雪ちゃんに自分とは違う高校に通って欲しいの? 雪ちゃんが深雪と同じ高校に通ったら何か不都合なことでもあるの?」
気になるから聞いてみた。
すると、深雪は一瞬肩をビクッと震わせてから、何やら急にもじもじとし始めてしまった。
深雪って僕より年上だし背も高いのに、時々物凄く小動物っぽく見えちゃう時があるよね。
そういうところが、雪ちゃんや頼斗からしてみると堪らなく可愛く思えてしまうところなのかもしれない。
「べ……別に不都合なことがあるわけじゃないし、雪音に〈深雪と同じ高校に通いたい〉って言われた時は、正直物凄く嬉しかったよ。でも……」
落ち着かなさそうにもじもじしたまま、深雪は僕からの質問に答えようとしてくれた。
健気という言葉を全身で体現しているように見える深雪の姿は、深雪と同じ立場の僕から見ても、思わず可愛いと思ってしまう。
「俺のせいで雪音の努力を無駄にしたくないっていうか、俺が雪音の足を引っ張るみたいになるのが嫌なんだよね。雪音は俺としてきた努力が全然違うじゃん。頑張ってきたぶん、可能性だっていっぱいあるじゃん。だから……」
「そうかもしれないけど、雪ちゃんは深雪に足を引っ張られているだなんてこれっぽっちも思っていないよ? むしろ、自分の好きな道を自分で選んでるだけだと思う。というより、今までは特にやりたい事もなくて、とりあえず誰にも文句を言われない道を進んで来ただけのようにも思うから、雪ちゃんに〈深雪と同じ高校に通いたい〉っていう目的ができたこと自体、僕は逆に嬉しいんだけどね」
「でもぉ……」
ふむふむ。なるほどね。深雪は自分と同じ高校に通いたいって言い出した雪ちゃんに、自分が足を引っ張っていると思っちゃうわけだ。
これまでずっとお兄ちゃんや雪ちゃんと同じ道を当たり前のように歩いてきた僕には無い発想だったけれど、深雪は雪ちゃんに比べるとちょっとだけ学力面で劣っちゃうから、そんな自分に雪ちゃんが合わせるみたいなことをすると、自分が雪ちゃんの重荷になっているような気分になっちゃうのか。
でも、今僕が言ったように、雪ちゃんは深雪が自分の足枷になっているだなんてこれっぽっちも思っていない。深雪は雪ちゃんにとっての初めての恋人で、雪ちゃんが初めて好きになった相手だもん。
雪ちゃんにとっての深雪は重荷になるどころか、むしろ生き甲斐。深雪と出逢ってからの雪ちゃんをずっと見てきた僕は、自信を持って深雪にそう言ってあげられる。
それでも、深雪はなかなかそういう風に考えられないから
「雪音が俺と同じ高校に入学してきたら、やっぱりもったいないと思っちゃうんだよね。俺のせいで……って思っちゃうし」
はぁ……とアンニュイな溜息を吐きながら、物憂げな顔をした。
僕もそうだけど、好きな人と恋人同士になれたところで、乙女の悩みは尽きないものだよね。
大好きな人と両想いになれてめちゃくちゃ嬉しいし幸せだけど、好きだからこその悩みっていうのが必ずついて回るんだもん。
まあ、僕も深雪も乙女ではないんだけれど、二人とも彼女役の立場ではあるから、僕達の悩みを乙女の悩みと言ってしまってもいいだろう。
多分、世の中の彼氏持ちの女の子達は、僕や深雪と同じようなことで悩んでいるような気もするし。
「それにね、雪音は俺に無いものをいっぱい持っていると思うから、そのままの雪音でいて欲しいっていうか……いつも俺の上を行く格好いい雪音でいて欲しいって願望もあるんだよね。俺は白鈴に合格するのがやっとで、八重塚なんて受験する勇気すらなかったもん。でも、雪音は八重塚を受験するだけじゃなくて、あっさり合格することもできちゃうわけでしょ? 俺が受験すらできなかった八重塚に雪音があっさり合格しちゃったら、やっぱり雪音って格好いいな、って益々思っちゃうし……」
「……………………」
ごめん、雪ちゃん。今の録音しておけば良かった。録音して、後で雪ちゃんに聞かせてあげたかった。
「何なの? その可愛い思考。それ、雪ちゃんに言ってあげた?」
「う……ううん。言ってない」
「それは言ってあげるべきでしょ。それを言ったら、雪ちゃんは一瞬で自分の志望校を八重塚に決めちゃうと思うよ? だって、自分が八重塚に合格したら、深雪が益々自分に惚れ込んでくれるわけでしょ? 深雪と同じ高校に通えない後悔は多少残るかもしれないけれど、そのぶん深雪からのより深い愛を得られるし、深雪が家の中で雪ちゃんとイチャイチャしてあげれば、ひとまず雪ちゃんも安心するだろうしさ」
「え⁉ 今のを雪音本人に俺が直接言うの⁉ 無理無理無理っ! そんな事恥ずかしくて言えないよっ!」
見た目が中性的な男子二人が、昼下がりに可愛らしいカフェでお茶をしていることすら若干場違いなはずなのに。僕と深雪の間で交わされる会話の内容は完全に女子だった。
「どうして? 深雪は雪ちゃんに白鈴じゃなくて八重塚に進学して欲しいと思ってるんでしょ? 今よりもっと雪ちゃんのことを好きになるためにも♡ だったら、そういう気持ちは素直に雪ちゃんに伝えなくちゃダメだよ。今の深雪の話を聞いたら、雪ちゃんも迷いなく八重塚を選べるんだからさ。雪ちゃんのためを思うなら、深雪は今の話を雪ちゃんにしてあげるべき」
「う……うー……」
僕の前でも常に恥ずかしそうにもじもじとして本音を語っていた深雪は、雪ちゃん本人の前で自分の素直な気持ちを口にすることが恥ずかしくて堪らないみたいだった。
自分が今の話を雪ちゃんの前でしている姿を想像してしまったのか、肩を窄めて小さくなる深雪の顔は真っ赤だった。
なるほどね。こんな調子だと、確かに深雪が雪ちゃんに「好き」って言葉を言ってくれないのもわかる気がするな。
でも、今の深雪の本音を聞いて、深雪が雪ちゃんのことを口で言うよりももっと好きなんだってことがわかった気がする。
先日、お兄ちゃんに「好きだよ」って言葉を言ってもらえなくて面倒臭いことになってしまった僕だけど、よくよく考えてみれば、自分の気持ちを言葉にして全部伝えるのって難しいし、不可能だったりもするよね。
僕はお兄ちゃんに向かって「大好き♡」って言葉を沢山使っているけれど、何百回、何万回、何億回言ってみたところで、僕の中にあるお兄ちゃんへの気持ちを全部伝えることなんかできないもん。
それでも、人の気持ちは言ってもらわなくちゃわからないから、今言った深雪の本当に気持ちだって、「せっかく勉強ができるのにもったいないよ」って言葉だけじゃ雪ちゃんには伝わらない。
全部じゃなくてもいい。ほんの少しだけでもいいんだ。一番大切な部分を言葉にして伝えてあげるだけで、言ってもらえた方は安心するものなんだよね。
なかなかお兄ちゃんから好きだと言ってもらえなかった僕は、その言葉をもらえた時の喜びを思い出すと、今の深雪にその事を伝えてあげたかった。
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