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四限目 人は見かけによらぬもの

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(俺と一緒にいたせいで、霧島が父親から酷い目に遭わされていたらどうしよう……)
 という俺の不安は、バイト四日目の朝を迎えても続いていた。
 もちろん
(そんな事にはなっていない)
 と願うし
(俺の考え過ぎか?)
 とも思う。
 でも、俺の目の前で乱暴に娘の腕を引いて帰る父親の姿が、俺の目には普通じゃないものに映ってしまったから、俺は霧島の顔を見るまでは安心ができなかった。
 それなのに――。
「え? 休みですか?」
「そうなんだよね~。休みっていうか、昨日の夜に霧島さんのお父さんから私に直接電話が掛かってきて、〈娘には外せない用事が入ってしまったから、イベントのバイトは今日で辞めさせてもらう〉って言われたのよ」
「そう……ですか……」
 霧島はバイトに来なかった。来なかったどころか、父親によって昨日でバイトを辞めさせられていた。
 これでは霧島がどうなったのかがわからないじゃないか。
「全く……あと二日だっていうのに、急に辞められても困るんだよね。今更代わりなんて見つけられないし。仕方がないから、今日明日は私と篠宮君の二人で頑張るしかないね」
「そうですね……」
 昨日、霧島は別れ際に俺に向かって「また明日」と言った。霧島に外せない用事が入ったなんて絶対に嘘だ。だが、それを証明するすべはない。
 大体、本当に霧島に外せない用事が入ってしまったのであれば、霧島の父親ではなく、霧島本人から直接連絡が入るはずだ。自分で遠藤さんに連絡をして、急にバイトを辞めることについて、謝罪の一言でも言うはずである。
 しかし、霧島の父親から「辞めさせてもらう」と言われてしまっては、雇っている側も何も言えなくなってしまうだろう。高校生は親の承諾がないとアルバイトはできないから。
 それにしても、霧島の父親はイベント主催会社の社員だろ。自分の会社のイベントなのだから、そのイベントのバイトに娘を推薦したのであれば、最後までバイトを続けさせるべきだ。それが自分の勤めであり、責任ではないのか。
「はあ……今日明日は残業確定かぁ……。ま、前半の三日間は楽させてもらったから、罰が当たっちゃったのかも」
 三人体制から二人体制になってしまうと、いつも俺と霧島の二人にブースを任せ、他の仕事を終わらせていた遠藤さんはそれができなくなってしまう。俺だって、遠藤さんと二人きりになってしまうと、昼休みものんびりしていられない可能性が出てくる。
「…………あの」
「うん? 何かな? 篠宮君」
「役に立つかどうかわからない奴なら、もしかしたら手伝ってくれるかもしれないんですけど」
 霧島がバイトを辞めさせられてしまった事は衝撃だし、残りの二日間は遠藤さんと二人で頑張るしかないと思っていた俺は、視界の隅でこそこそと動き回る小さな影を見つけた。
 帽子を深く被り、真っ黒なサングラスをかけ、マスクまでしている怪しい人物は、見るからに怪しいとわかるだけに、まだ始まっていないイベント会場内ではめちゃくちゃ目立つ。
「え⁉ それは願ったり叶ったりだよっ! そんなアテがあるの⁉ 役に立たなくても、ただ立っていてくれるだけでも大歓迎なんだけどっ!」
「じゃあ、ちょっと待っていてください。本人に頼んで来ますから」
 まだイベントが始まるまでは十五分ほどあった。
 俺は遠藤さんにそう言ってブースを離れると、俺達のブースのすぐ傍にある大きな木の陰から、こちらの様子を窺っている怪しい人物に近付いていった。
「っ……!」
 俺が自分に向かって真っ直ぐ歩いて来ていると気付いたその怪しい人物は、急にあたふたとして木の陰に隠れたが、さっきからずっと俺の視界の隅でちょろちょろとしているそいつを俺が見失うはずもなかった。
「おい、結月。こんなところで何をやっているんだ。暇ならちょっと手伝ってくれ」
「あうぅ……」
 顔は隠れてしまっているが、このフォルム、この低身長……。どう考えても間違いなく結月でしかなかった。
 加えて、俺を監視するかのように、サングラスの下からジッと俺の姿を視線で追いかけ回しているあたりが、結月以外の何物でもない。
「や……やだ。だって僕、御影と天然水の監視に来ただけだもん。イベントのお手伝いなんて無理。やりたくないし」
「そう言わずに頼む。その監視対象の霧島が急遽バイトを辞めたんだ」
「え?」
「だから、俺を助けると思って、お前の力を貸してくれないか?」
「……………………」
 正しくは、「俺と遠藤さんを助けるため」なのだが、ここで俺以外の人間の名前を出すことは逆効果だ。それくらい、結月と長年の付き合いである俺にはわかっている。
「…………デート」
「うん?」
「僕が御影の力になってあげたら、僕と手繋ぎラブラブデートしてくれる?」
「……………………」
 まあ、タダで手伝ってくれるとは思わなかったが、手繋ぎラブラブデートときたか。男同士で手を繋いで歩いて、何が楽しいというのだか……。
 しかし、背に腹は代えられない。俺のためと言うよりも、遠藤さんのためにはもう一人アルバイトが必要なのだ。
 子供の頃は結月と手を繋いで歩くのなんて当たり前だったし、結月との手繋ぎデートなんて余裕だ。ラブラブは勘弁して欲しいけれど。
「わかった。手繋ぎラブラブデートでも何でもしてやる。その代わり、お前は極々普通の高校生として、ただ普通にしていてくれ。それ以上は望まないから」
「うーん……普通っていうのがよくわからないんだけど。下賤の者にも愛想良くしていればいいってこと?」
「その通りだ」
「わかった。やってみる」
 交渉成立である。どうも〈下賤の者〉という言い方が気に入らないし引っ掛かるのだが、こいつは自分のことを王家の血を引く者か何かだと思っているようなところがあるので、そこはあえてスルーする。
 下手に突っ込んで臍を曲げられても面倒だからな。
 多少の奇行や無礼発言は覚悟の上だが、愛想良くさえしていれば、結月はそれなりに可愛く見える。多少の奇行や無礼発言も大目に見てもらえると信じたい。
「じゃあ一緒に来てくれ。俺のボスを紹介するから」
「うん」
「あ。その前に、その帽子やらサングラス、マスクは外してくれ」
「はぁ~い♡」
 俺との手繋ぎラブラブデートが掛かっているからか、結月は早速愛想がいいし、機嫌も良さそうだった。
「遠藤さん。こいつなんですけど……」
 帽子、サングラス、マスクを外した結月を連れて、俺が再び遠藤さんの元に戻ると、いつもは俺と霧島の二人でやっている景品の在庫確認をしていた遠藤さんは、俺の次に結月に視線を移すなり
「え? はぅわぁっ! かわっ……! え⁉ かわっ!」
 何か変なテンションになっていた。
 何を言っているんだろうか、この人……。
「嘘~。どこで拾ってきたの? このかわい子ちゃん」
「拾ってきたって……。さっきからそのへんでうろうろこそこそしていましたけど」
 なるほど。「可愛い」って言いたかったのか。どうやら結月は遠藤さん的に動揺するほどに可愛い容姿をしているらしい。
「これが前にちょっと話した俺の幼馴染みですよ」
「へー。この子が篠宮君の凄く可愛い幼馴染みか。なるほどね。確かに物凄く可愛いわ。でも、小学生はちょっと……」
「いえ。こいつ、俺と同じ高校生ですよ」
「ほわぁっ⁉ 高校生っ⁉」
 どうしたどうした。さっきから遠藤さんの奇声が激しいぞ。リアクション王か。遠藤さんにとって、結月はそんなに驚きの連発になるような存在なのか?
 まあ、結月が高校生に見えないこととか、結月の容姿が可愛いことは認める。なんてったって、結月はその可愛らしい容姿故、過去に誘拐までされそうになったくらいだからな。
「初めましてぇ~♡ 僕、早乙女結月って言いますぅ~♡」
 でもって、俺との手繋ぎラブラブデートのため、結月も最早別人である。
 俺との手繋ぎラブラブデートのためなら身内以外の人間の前で別人に成りすますことができるのであれば、いつもやって欲しいものである。
「可愛いぃ~っ! 一人称が僕っ! 最高に萌えるっ! いいよいいよっ! 即採用っ! 今から事務所に話を通してくるから、ちょっと待っててねっ!」
「はぁ~い♡」
「あ。私、遠藤成美。よろしくねっ!」
「よろしくお願いしまぁ~す♡」
 まあ、ちょっとぶりっ子し過ぎなようにも思えるが。愛想良くしてくれているのであれば問題はない。
 普段の結月の他人に対する無愛想、無礼具合を考えたら、やり過ぎなくらいの猫被りがちょうどいいしな。



 イベントも残すところ後二日になった四日目の朝に、霧島が急遽バイトを辞めさせられてしまった事は気になるのだが、その代わりに俺達のブースに助っ人として参加した結月のおかげで、俺と遠藤さんは大助かりになってしまった。
 秀泉学院高校一年の中で一番の成績を誇る結月は、アルバイトをさせてみてもその天才的頭脳を発揮し、元々そんなに複雑ではなかった輪投げコーナーのシステムを更に簡略化し、効率良くしてしまった。
 しかも
「ねえねえ、あの子じゃない? 輪投げコーナーにいる可愛い子って」
「絶対そうだよ。ほんとに可愛い~」
「男の子なんでしょ?」
「男の子には見えないよね。小さいし」
 愛想良くしている結月はやはり人目には可愛く映ってしまうようで、あっという間に〈可愛い〉と評判になってしまった。可愛い結月の姿を一目見ようと、輪投げコーナーには次々とお客さんが来てしまう。
「もう一人の男の子との身長差がまたいいね」
「小さい子、大きい子に甘えてるっぽいところが可愛いよね」
「ここのスタッフってほとんど女の人だから、男の子が二人もいるブースって貴重だよね」
 これはやや誤算だった。霧島の代わりに結月を働かせることで、更なる大盛況を巻き起こすとは思っていなかった。
 いつも自分のことを「可愛らしい」と言っている結月が、益々調子に乗ってしまいそうな事態である。
「はぁ~い♡ 五十点の景品でぇ~す♡ 遊びに来てくれてありがと~♡」
「可愛いーっ!」
 結月はあまり体力がないので、テントの下で景品渡しだけをさせていたのだが、ちゃんと愛想良く景品を渡している結月に、女性客は大歓喜だった。
 学校での結月とは大違いである。学校では女の子に歓声を上げられるどころか、男子からも近付かないようにされているのに。
 イベントが終わり、売上金の集計をしてみたら、過去一番の売上だった。
 それに気を良くした遠藤さんは
「明日もよろしくねっ!」
 当然のように、明日の助っ人も結月に頼むのであった。



「僕、アルバイトなんて全然するつもりはなかったけど、御影とずっと一緒にいられるバイトならしてもいいかな」
「俺はお前の豹変っぷりに驚いたよ。人前であんなに愛想良くできるなら、普段からもやってくれよ」
「それは嫌。今回は御影との手繋ぎラブラブデートが懸かっているから、僕も自分を抹殺しているんだよ? 意味もなく下賤の者に愛想なんか振り撒かないよ」
 またしても〈下賤の者〉か。こいつはバイト中での愛想のいい笑顔の下で、目の前のお客さんに対してどんな感情を抱いていたのだろうか。あまり考えたくないし、聞くのが怖いから聞かないけれど。
 四日目のバイトを終えた帰り道は霧島とではなく、結月と一緒に帰ることになってしまったのだが、そこに新鮮さは全く感じられなかったし、急遽バイトを辞めさせられてしまった霧島のことも気になる。
「なあ、結月」
「なぁに?」
「霧島って大丈夫かな」
 あまり詳しく説明する時間がなかったから、結月には霧島がバイトを辞めたことしか伝えていなかったのだが、それが霧島の意思とは関係なく、父親の勝手で辞めさせられた可能性があると説明すると
「ふーん……。でもまあ、それも家庭の事情ってやつなんじゃないの? 娘を束縛する父親もどうかと思うけどさ。天然水と父親の関係がどういうものなのか知らない僕から言わせてもらえば、天然水にもそうされる原因があるのかもしれないって感じだし。御影が心配することでもないんじゃないの?」
 結月の反応は至って淡白なものだった。
 まあ、霧島とは面識がないと言っても過言ではない結月だからな。結月の反応が淡白になってしまうのも当然である。
 だがしかし、三日間一緒にアルバイトをして、昨日、霧島と父親とのあんなシーンを見てしまった俺としては、突然バイトを辞めることになってしまった霧島を心配するのも無理はない。
 せめて霧島が無事かどうか――と言ってしまったら大袈裟ではあるが、霧島の顔を一目見ることができれば、俺も安心するんだけれど……。
「はぁ……」
 霧島のことを考えると、ついつい深刻な顔になってしまっていたようだ。
 俺の横顔を見た結月はあからさまな溜息を吐くと
「そんなに気になるなら、明日バイトが終わってから天然水の家にでも行ってみれば? 僕も一緒に行ってあげる。天然水がどんな顔が見ておきたいし」
 と言った。
「え?」
 結月からの提案は意外だったし、まさか結月のほうからそんな事を言ってくれるとは思わなかった。
「でも……」
「そりゃ僕だって不本意ではあるんだけどさ。その様子じゃ、御影は天然水の顔を一目見ておかないと、夏休みの間中、ずっと天然水のことを気にしそうじゃん。僕的にはそっちのほうが気に入らない」
「いや、だから……」
「メスザルが言っていたけど、バイト代って明日手渡しで貰えるんでしょ? だったら、ついでに天然水のバイト代も預かって、天然水に届けてあげたらいいじゃない。そういう口実があれば、御影が天然水の家を訪問してもおかしくないし」
「えっと……」
 メスザルというのは遠藤さんのことだろうか。
 結月の容姿が可愛くて仕方がない様子の遠藤さんは、結月に物凄く良くしてくれたし、結月には甘々だったとも思うのに。結月本人からは〈メスザル〉呼ばわりされているところが哀れ過ぎる。
 いやいや。それはそうと、俺がさっきから言いたいことはそこじゃない。そこじゃなくて……。
「でも俺、霧島の家がどこにあるかなんて知らないんだけど……」
 そこである。
 結月からの提案は有り難いと思ったし、霧島にバイト代を届けるという口実も〈ナイス!〉だとは思ったが、俺は肝心な霧島の自宅を知らない。「行ってみれば?」と言われても、行く方法がないのである。
「そんなもの、メスザルに聞けばわかるでしょ? アルバイトの個人情報なら雇う側は把握しているはずだよ」
「あ、そっか」
 言われてみれば何の問題もなかった。バイト代を預かる時点で、霧島の住所も一緒に聞き出せばいいだけの話だった。
 そんな単純なことすら失念してしまう俺は、余程霧島のことが気掛かりだったということなのだろう。
「言っておくけど、御影を余所よその家に行かせるなんて今回限りだからね。次はないと思ってよね」
「わかった。恩に着るよ」
 今日一日、別人のような愛想の良さを振り撒いていた結月は、その名残りか、いつもでは考えられないくらいの心の広さを見せた。
 明日になって「やっぱりダメ」と言い出さないことを願おう。
「全く……。ほんと御影は他人のことを気にし過ぎっていうか、他人に甘いんだから」
 俺に霧島の様子を見に行かせてくれることにした結月だが、やはり内心面白くないようで、ホッとした顔の俺の隣りで、ぶつぶつ文句を言いながら唇を尖らせていた。


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