二枚目同心 渡辺菊之助

今野綾

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相棒は若旦那

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 菊之助が自分の家の柿の木を見上げ、朝餉の後の歯磨きをして居るところに、亀吉が尋ねて来た。

「おう、亀吉。見てみろ、越後屋から教えてもらった植木屋に柿の木をちょいちょいと弄って貰ったんだ。これで来年は越後屋並みに実をつけるぞ」

 亀吉は越後屋にあった立派な柿の木を思い出して「あれくらい実ったら売りに出せやすよ」と、返してから、いやいやと首を振った。

「そんなことより旦那、今さっき例の松一に会ったんですわ」

 先を話したくてうずうずするらしく、その場で小さく足踏みしながらそう言った。本当にこやつはせっかちで困るとその足元を見ながら菊之助は返事をする。

「梅ぼ志飴の松一まついちか。そーいやな、植木屋の名前が市松《いちまつ》って言ってな、名前を聞いたらきんつばが食べたく……」

「あーあーあ、その話は後にしてくだせぇ」

「俺は今話してぇんだよ」

「いいからいいから」

 そう言いながら何故か菊之助の背中に回って、背を押し始めた。菊之助は押されるままに爪楊枝で歯の間をかりかりしながら歩いて行く。成されるがままというのは少々癪に障るので、敢えて後ろに重みを置いて亀吉の手を煩わせてみたりはしてみたが。

 痩せている癖に力強い亀吉に押されて押されて、屋敷の縁側まで行くと、座ってくだせぇと言われたので、よっこらせっと腰を下ろした。そして亀吉も一緒になって腰を下ろす。

「ほら、飴の話しと偽者だって話はしに行くと言ったでしょ? きちんとあの日、松一を取っ捕まえて話をしたんですよ。で、松一もまあ飴は甘かったしそういう事だろうって納得してその場はおさまりやした」

「ふむふむ、今日も日本橋は平和だな」

「いいやそれが今朝、松一があの若旦那なる男を見たって言うんで、俺に言いに来たんですよ」

「ほぉ」

「しかもしかも、そ奴は榮太樓に入って行ったって言うんです」

 忙しなく動かしていた爪楊枝をとめて、それを握ったまま膝の上に手を置いた。

「飴を買いに行ったんじゃないのか?」

「いいや、違うんだそうですよ。店の横から入って行ったって言うんですから。客ではございませんぜ」

 黙って考えて居る菊之助の前で、雀が柿の木にとまった。
それを見て、菊之助が持っていた楊枝をぽんと柿の木めがけて投げたので、雀は慌てて飛び立つ。

「店の者か……」

 呟いた菊之助に、でも……と亀吉が言う。

「店者《たなもの》ならば、梅ぼ志飴が酸っぱくない事は分かり切ってると思うんですがねぇ」

 呑気に構えていた菊之助が眉間に皺を寄せた。話しはおさまったはずだったのに、どういう訳か剣呑な方へと転がりだしている。

「うーん、榮太樓の人間じゃないのに、勝手口から入って行ったって言いたいのか?」

「へい」

「それはあれだな……なんだ……まずいだろ」

 亀吉は仙人顔で何かを悟ったようにゆっくりと頷いた。

「もしかすると、押し込み強盗の類じゃないかと。最悪、徒党を組んで店ごと乗っ取るつもりじゃ……」

 その言葉を受けて菊之助が立ち上がる。

「行くぞ」

「へいっ」

「越後屋へ!」

「え?  榮太樓でしょうよ、旦那。寝ぼけて貰っちゃ困りやすよ」

 半歩進み出ていた菊之助がくいっと振り返って仙人顔をひと睨みして言う。

「あのな、もしもあちらが徒党を組んで店を乗っとるつもりなら、真正面から入って行って『強盗居ますかぁ?』って訳にはいかんだろ。俺たちがあぶねぇじゃねえか」

 おお。と、亀吉が珍しく感嘆の声を漏らす。ちょっと気を良くした菊之助、にやりと笑って続ける。

「だからよ、越後屋は若旦那の顔を知ってるらしい。ならばその越後屋に中に本物の若旦那が居るか確かめて貰おうって事だ。ついでに松一も連れていくか」

「あーいや、松一はもう商いに出てしまいましたんで、捕まえるのは手間がかかる。なんせ貸本屋は歩きまわるんで」

「まーそうだな。じゃあ、とにかく越後屋に榮太郎の若旦那の顔を見て貰ってからだな」


 そんな訳で二人は連れだって日本橋にある越後屋へと再び赴いた。
 日本橋は朝の魚河岸の喧騒も落ち着き、人々が行き交う穏やかな賑わいとなっていた。橋は人で相変わらずごった返していたが、橋さえ渡ってしまえば歩みも空気も落ち着いたものだった。

 越後屋と言えば『現金掛け値なし』で江戸一番の繁盛店になった大店おおたな中の大店。この日本橋随一の広い通りに立派な店を両側に構える程の有名店だ。奉公人の数も、客の入りも、どの店と比べても桁違いである。
 そんな店の暖簾をくぐると、忙しいのに関わらず、相変わらず店の者がぱっと動いて、店の主を呼んでくるから流石である。そして、客の相手をしていた越後屋の若旦那が直ぐに菊之助たちを迎え入れた。

「またまたお揃いで。何かございましたでしょうか?」

 それはそれは柔らかな笑みを浮かべた越後屋だった。

「そうさな、先日話した榮太楼の事でな、ちょいと頼みたいことがあって」

 そこで越後屋が珍しく困った顔を見せる。

「問題が起きたのでございますか?」

「いや、ちょいと腑に落ちねぇことがな。越後屋さんよ、今から榮太楼に一緒に来ては貰えんだろうか」

 すすっと菊之助に体を寄せて訳を聞かせた。

「榮太楼さんには何をしに?」

「いや、大したことじゃねぇよ。あそこの若旦那が店にちゃんと居て、普段通り商いをしてるかを確認したかったんだが」

「なるほど」

 そう言うわけで榮太楼の若旦那の件で、越後屋の若旦那を借りることとなった。


 越後屋の若旦那、高久は呉服屋の若旦那らしく誰が見ても『粋だねぇ』と言うような洒落者しゃれものであったが、こちらは顔の方は極々並であった。しかしこの洒落者の着物を菊之助が羽織るとたちまちに『生まれはどちらでぇ?  山から出てきたばかりかぇ?』となる。世の中は不思議と万物揃った者がいないのが常である。

 高久は菊之助より五つほど若く、それでいて父親譲りの落ち着いた柔らかさを持つ好人物であった。

 一足先に通りで待っていた菊之助と亀吉を認めると、深々と頭を下げる。さすがは越後屋の跡取り腰の低さも天下一品、そんな風に思いながら、亀吉は菊之助とつい見比べていた。

 菊之助もまた三代続いた同心株を引き継いだ身。大事に育てられたはずであった。が、こちらはどうして口は良くない、態度も雑で、良いのは顔ばかりである。その顔も着物を着れば輝きを失うのだから、残念至極であるのだが。
 じぃっと見つめていた事がばれて、腕組をしていた菊之助が口をひん曲げて「亀吉、俺に惚れたなんざ抜かしてみろ? 瓦版であっという間に笑い者だ」と、言い抜かす。
 高久はそれはそれは穏やかに「おやまぁ、それは困りますねぇ」と笑った。

「しかし悪いねぇ。忙しいのにこんなことに付き合わせちまって」

 菊之助は歩き出しながら高久に詫びるが、高久の方はこれまた柔らかい笑顔で「いえいえ」と返すのだった。

「最近は乗っ取りが何件か起こっております故、そのうち半分ほどは未遂ですみましたけれども……一つは店の人間丸ごと刺殺されたって話ですので」

 そうなのだ。物騒なことに乗っ取り事件が多発しているのだ。
 しかも半年ばかり前に起こったそれは、残忍さを極め世間を震撼させた。大人ばかりか、子供までもが皆殺しにされてしまったのだ。
 蔵の中身は早々に売り払われて、その代わりに入って居たのが全員分の骸だったというのだから、恐ろしい話だ。人を殺めてからも何食わぬ顔で店を開け、商いを続けていたというのも人々を恐怖に落とし入れたのだった。

 人間じゃねぇ。心はないのか、恐ろしい。そんな風に口々噂をしていたのが半年前だというのに、またそんなことが起こったら同心たちは何をしているのだと怒りの矛先が八丁堀の方に向かうに違いない。そんな事態は避けたいし、何よりも江戸は平和が一番似合う。
 菊之助はそんな風に思っていた。

「前の犯人も捕まっちゃ居らぬしな……。成功に味をしめてまたやるって事は十分にありえますぜ。ねぇ、旦那」

 亀吉は黙って歩いていた菊之助に意見を求める。

 腕を組んだまま歩いていた菊之助がそれを解いて、肩の力をほぐそうと大きく伸びた。

「まぁ、そうさな……。そうと決まった訳じゃねぇが、用心した事には変わりはねぇ。なんでも、皆殺しにされた件は内部に密通者が居たって言うからな。じゃなきゃ、あんなに手際よくことを運べねぇだろうし、その後もぬけぬけと営業できなかっただろうからな」

 恐ろしい話でございますね。と、高久がぽつり呟く。そんな高久に顔を向けて「越後屋さんも重々気を付けておくれよ。あんたんところみたいな大店がひっくり返っちまったら、それこそ大騒ぎだ」と注意を促した。

 三人は少し重い空気になり、日本橋から一石橋方面へと歩みを進めていく。榮太楼のある西河岸町まで距離はさほどないので、そのまま一行は口を聞かずに歩いて行った。

 思った通りというのだろうか、榮太樓はいつもと変わらぬ様子で商いをしていた。
 暖簾の辺りを丁稚奉公の小僧があっちへ行ったりこっちへ行ったりと忙しなく蠢いているのが見えたし、客も一人が出ていくと、また間髪いれずに次の人が中へ入って行くといった感じで途切れることがない。

 客が出入りするたびに暖簾がまくられる。その隙間を高久がまじまじと見つめて言う。
 
「若旦那さんいらっしゃいますね。お客様と普通に談笑されているようです」

 どれだ? 菊之助も暖簾の隙間を高久に寄り添うように覗いてみる。

「前掛けをして、今どこぞの娘さんと話して居るあのお方」

「ああ、あれか。見たことある気ぃがするよ」

 どれどれと、亀吉もまた二人に寄って行って中を覗く。

 男三人、固まって店から少し離れている場所でそれをしているのだから、道行く人も見ている先が気になる。まずは風変わりな事をしている三人を見て、今度は店を見ながら人々が通過していく。

 三人ともしばらく店の様子を伺っていたが、至って普通の商い中にしか見えない。

 視線を店に向けたまま「他に見知った人間はるかい?」と菊之助が問えば「たぶん、あの年かさがいったお方が番頭さんだったはずです」と、高久が返す。横からにょきっと首を伸ばした亀吉もまた、ちらちら見える店内を指して言う。

「あの奥で作業している者も、入り口にて見送りをしていた者も、俺が飴を買い求めた時にもりやした」

 頷いた菊之助が用が済んだとばかりに、道沿いにある水茶屋を顎で示して「場所を変えよう」と言ったので、二人は素直にそれに着いていった。

 川辺りに建てられた簡素な水茶屋へ一行は入り、竹で作られた腰掛けに座った。

「いらっしゃいませ」

 若い町娘は看板娘というには少々もの足らないが、人好きしそうな笑顔で煙管盆を手に出迎えた。

「茶を三つ。食い物は団子だけか?」

 注文する亀吉の仙人顔に娘は笑いかける。

「ええ、うちは団子が売りですよ。榮太楼の餡には負けない、そりゃあ美味しい餡たっぷりの」

「ほぉ、そら面白い。三串持ってきておくれ」

 横から口を出したのは好奇心をそそられた菊之助だった。

「直ぐにお持ちしますよ」

 女は煙管盆を置くと、くるりと体を回し湯がくつくついっている鍋へと向かった。

 暫く待つと、熱々の茶と共に餡たっぷりの団子が三串三人の元へと運ばれてきた。銭を渡して娘を返すと、菊之助は考えていた事をまとめ出した。

「とにかく、店は至って普通、店の者も無事らしい。って言うことはよ、怪しいのは一応……偽若旦那だな。そいつはどうやら店の中に入っていける身分らしい」

 ですねぇと、亀吉は湯飲みを取り上げる。

「店には入れるが飴については間違えた説明をしたのでございましたよね?」

 高久もまた湯飲みをそっと持った。秋が深まってきた江戸は、手先が冷えるので二人はそれで暖をとっているのだ。しかし、菊之助は腕組をしたまま「うーん」と唸った。

「しかしよ、松一も飴を買いに来ている訳だよ。もしも、普通の店先で客相手をする奉公人ならば、松一は若旦那らしきそやつを店で見ていてもおかしくねぇ訳だ。だが、松一は知ってる風じゃねぇ」

 亀吉は「そうですねぇ。梅野に連れられてきたのが榮太楼の人間だと分かったら、禿に問いただすより、真っ先に梅野の連れに聞いた方が早いわけで」と、不思議がる。
 ああでも。と、控えめながら高久が考え付いた事をゆっくりとした口調で語り出した。

「御菓子司でございます。職人は裏方として表には出て来ないのでは御座いませんか? もしこれが、小さな商いをしている店なら兼任することもありましょう。しかし、榮太楼は日本橋でもおしもおされぬ流行り店。しっかり分業していると思われます」

 亀吉が皺のあるおでこをかりかりと爪で掻きながら反論する。

「それならそれで、尚更味を知らないなんておかしかないか? 自分で作ってるのに酸っぺぇなんて言うかね」

 そうでございますね。と、高久もまた頭を悩ます。

 二人の話を聞きながら菊之助は団子に手を伸ばした。四個刺さって四文の団子を、頭を巡らせたままぱくりと頬張った。そして、直ぐ様「うぐぐ……」と悶絶し出すから、横に座った亀吉が「旦那! 詰まらせたか!」と背をばちばち叩き出す。もちろん高久も驚いて自分の湯飲みを菊之助に差し出して「茶を!」となる。
 苦しそうな表情で菊之助は頑張って頑張って、団子を喉から下に落とす。そして高久の差し出した茶を受け取って、熱さに耐えながらかぶがぶとそれを飲んだ。やっとひと息を着いた時には真冬の子供の頬よろしく、真っ赤っかであった。
 そして、絞り出すように一言。

「お、恐ろしくまずい」

 睨んだ先にはもちろん餡のついた団子。慌てふためいていた二人の視線も自ずと団子へ。

「まさか……食うのに苦労するほど不味いんで?」

 恐る恐る問う亀吉に「食えば分かる」と無慈悲な一言。まだ顔が赤い菊之助は目で食え! と脅迫でもするかのように仙人亀吉を睨んでいる。明らかに嫌がっている亀吉だが、そこは一応上からの命令、聞かないわけにいかない。それを憐れに思ったのだろう、高久が串に手を伸ばした。

「いやいや、若旦那は食うことねぇよ。体調でも崩されたら越後屋の旦那に申し訳がたた……ああっ」

 菊之助が止めたのに、高久は団子を齧ってしまった。

「ん!?」

 常に落ち着いた粋な男が目をひんむいた。菊之助は慌てて持っている湯飲みを置いて、代わりに自分用の手をつけていない茶を高久に差し出す。そして、亀吉もあわあわしながら今度は背を擦った。高久も団子を喉に通すまで苦しんで、それから菊之助と同じように茶をがぶ飲みする。最後にはげほげほ咳き込んでうっすら涙すら浮かべていた。

 高久が落ち着きを取り戻した頃、茶屋の娘が「お茶、淹れ直しましょうか?」と声をかけてきた。顔を向けてきた一行ににっこり微笑んで「なんだか皆さんやたらお茶を飲みたがるんですよ。普通のお茶なのに」と嬉しそうに言う。

 三人は茶を断って、用事を思い出したと言い席を立とうとした。しかし、茶屋の娘がそれなら団子を包みますと、ご丁寧にもそれを竹皮に包んで寄越した。取り敢えず受け取った菊之助は、そのまま亀吉へと流す。傍から見ていれば、下の者を大事にする立派な同心様のような行動だが……。水茶屋から離れた途端亀吉が包みを菊之助に戻そうと試みた。

「旦那、お子に土産にしたらいいじゃねぇですか」

 ぷいっと包みから視線を外した菊之助が「お前は一口も食ってねぇだろ? 家で食いな」と、しれっと言い返し、そして「俺はその団子を食って思ったことがあるんだよ」と、続ける。

「いくら真似ようとしてもだ、やっぱり繁盛店の餡なんざ簡単には真似できねぇ。さっきのはまあ……真似するどころか酷い有様だったがよ。とにかく、裏できんつばやら飴やらを拵えている人間も、本物であろうよ。昨日今日、餡を作り出しましたって輩には到底真似なんざできねぇからな」

「左様でございますねぇ。ああ、取り敢えずうちに寄って行ってくださいまし。口直しに何か飲むなり食べるなりいたしましょう」

 八丁堀に向かおうとしているのに気がついたようで、高久が自分の店に来るように勧めた。

「越後屋の茶は美味いよな。ありゃ、山本山のかい?」
 
 山本山とは煎茶を出した有名な店であり、山本山の茶なら間違いないと折り紙付きなのだ。値はまあまあ張るが、安物で失敗するくらいならちょいと値が張ってもいいものをという商人たちにもてはやされている。今なら亀吉だってどこぞの分からないお茶の葉を買うくらいなら、白湯にするか、気張って山本山へ行くであろう。榮太樓もどきの餡で苦しんだ二人を見ていたら絶対にそうするに決まっている。

「ええ、お茶請けが無かったら買いに行かせましょう。なんと言うか、体が美味いものを食べたいと申しておりますから」
 
 二人は甘い言葉に釣られてそのまま八丁堀にはいかず、日本橋の越後屋へと向かった。
 若旦那が見えると若い手代《てだい》がすぐさま寄って来て出迎え、その男に高久がぼそぼそと用件を伝えると一つ頷いてから、後ろに控える二人に深く頭を一度下げてから立ち去った。
きっと茶の支度をするために走ったのであろう。
 三人は店を賑わす客たちをぬって奥へと進む。今日もいつもと変わらぬ盛況ぶりに、驚かずとも心の内では感嘆のため息が漏れるばかりであった。

 今日はいつもと違って座敷にどっしりと腰を下ろして話すこととなった。

 季節の掛け軸、今はやはり柿の木を描いたものが板の間に掛かっている。立派な客間で、すぐに運ばれて来た茶と、買い置かれていた風月堂の『かぼちゃ菊』が銘々に出された。淡い黄色の菊の形に抜かれた落雁らくがんは中に餡が入って居て、これもまた大変美味である。

 出された落雁を三人とも直ぐに手元の楊枝で切り分け、ぱくぱくと頬張った。

「やっぱり、美味いと知れた店の物は美味いよな。看板に偽りなしだ」

 菊之助の言葉に高久がうんうんと頷き同意する。

「水茶屋でも、棒振りでも美味いのもありやすが、外した時はまぁ酷い」

 そう言ってもぐもぐと目を瞑って堪能する亀吉の顔は仙人よりも、今は少々亀のようであった。それをちらりと見た菊之助は、亀吉の親はなんとまあ先を見る目があるのかと感心したりしていた。

「もしも、榮太樓さんの若旦那を名乗った男が裏で悪い人間を手引きしていたとしても、自分はれっきとした職人なのかもしれませんねぇ」

「それもあるし、もしかすると修行に来てまだ間もないから、味を決めるような事は出来ないって事かもしれねぇよ」

 なるほど。菊之助の予想に高久は異論を述べずに、受け入れた。
 落雁とお茶で暫し時の流れゆくままに時間を過ごしてから、菊之助が亀吉の顔を見た。亀吉もそれに気がついて目を合わせる。

「悪いがこれから松一に会って来て言付けを頼む。『明日一日付き合っておくれと』言っておいてくれ。それと、明日は松一を連れて亀吉はまず榮太樓へ出向く」

「へい、榮太樓ですね」

「うむ、そしてその若旦那という男が居るか見てもらってくれ。居たら店の外から見張りをよろしく頼む」

「わかりやした」

「俺も商いが始まる頃を見計らって榮太樓へ出向き、松一を連れて吉原に行ってくる」

「な!  自分たちだけ吉原とは!」

「仕事は手分けせねばな。お前は見張り」

 亀吉は不満そうにくしゃりと顔を歪めたまま、口を閉じた。吉原には行きたいが、そう言われたら仕方がない。黙って聞いていた高久が「吉原には何をしに行かれますか?」と問う。

「梅野に会いに行って、問いただすのさ。『悪いことをしていると耳にしたが、お前はお縄にくくられて吉原を出るつもりか?』とな」

「なるほど。……それは私も同行させてもらうことは出来ませぬか?」

 え? と先に声が出たのは亀吉で、追随するように、は? と菊之助も問い返す。二人に驚かれ、困ったような顔をしながら高久が照れ笑いをした。

「吉原へは、足が遠退いてから久しいのです。久しぶりに様子を見に行きたいのでございます。……若い頃に、吉原の女に入れあげましてねぇ。それから父に二度と吉原に行ってはならぬときつくお灸をそえられてしまったのですよ。本当にお恥ずかしい話なのですが」

 粋な若旦那なら吉原通いも首尾よくやり通すと思われるが、この高久はそうではなかったらしい。それを聞いた亀吉が訳知り顔で菊之助を盗み見た。そんな視線を横目で感じ取った菊之助が「ごほっ」と咳ばらいを一つ。菊之助もまた、若い頃に少々散財し過ぎてこっぴどく親たちに叱られたことを、亀吉は知っていたのだ。

「いやだが……、連れて行きたい気持ちはあるが……。行ってはならぬと言っている大旦那に、連れていったなんてばれたりしたら顔向けができねぇからな」

「いえいえ、ですから。調べに行くのにお供させていただくことになったと言えば、父も文句は言わないと思うのです」

 菊之助は大いに迷う。高久の気持ちは分からなくないが、それでまた吉原通いを始められたら、こちとら本当に二度と越後屋の敷居を跨げない。腕を組んでうーんと呻る菊之助に亀吉が「いいじゃねぇですか。旦那だって吉原に行っても、鼻の下が伸びるだけで金をばらまくようなことはせんのだし、こちらの若旦那だってそれは同じと思いますよ」となぜか高久に加勢した。じろりと睨んで見ても亀吉はどこ吹く風。

 菊之助は胡座を掻いたまま前のめりになり、その体勢で首を捻ったりしてみたものの、結局出した答えはこうだった。

「まぁ、何もないとは思うがよ、剣呑けんのんだと少しでも感じ取ったら逃げて貰わなきゃ困る。加勢しようなんて思わんでくれ。それこそ若旦那に傷でも負わせちまったら──」

「私、逃げるのは誰よりも速いと自信がございます。子供の頃は嫌なことがある度に脱兎の如く家から飛び出したものです」

 亀吉が湯飲みを両手で包み込んでにこやかに高久の話に頷いている。それがなんだか菊之助には気にくわない。

「お前、なんだってそんなに若旦那の肩を……あ、もしかして、さっきの団子のお返しか!」

「心根が優しい人には人間、自然と親切にしたくなりやす。それが人情ってもんで」

 けっと不機嫌に言うと菊之助も湯飲みを取り上げ、ごくごくと中身を飲みきった。

「ま、とにかく……吉原に明日行くぞ。梅野が梅ぼ志飴を酸っぺえなんて言うからややこしくなったんだ。梅野はなんでまた、そんな嘘を言ったのか気になるしな」

 おかわりはいかがでございましょう? いらねぇよと、高久と菊之助が短いやり取りをし、亀吉がゆっくり飲み干した湯飲みを畳に戻した。

「しかし旦那。梅野は梅ぼ志飴を食べたことがねぇのか? でもな、榮太楼の若旦那を名乗るぐらいだ、店から手土産を持っていくのが自然。二人揃って寝ぼけたってぇことですかね」

 正座できちんと座る高久がゆっくりと瞬きをすると口を開く。

「一番の謎はそのあたりでございますね。なぜ二人揃って酸っぱくない飴を酸っぱいと言ったのか。もしも口裏を合わせたとしましても、そんなことでなぜ嘘をつかねばならなかったのでしょうか」

 そこは誰も答えを見つけ出すことが出来ず、三人ともうーんとならずにはいられない。開け放たれた障子の向こうの中庭を女中が小さく頭を下げて通っていく。三人とも女中が通っていくのを目で追っていたので、見られた方は恥ずかしそうにぺこぺこと何度も頭を下げていた。

「本人に聞くしかねぇな」

 通り過ぎた女中を見送りながら菊之助が言い、ぽんっと一回膝を叩くと腰を上げた。

「明日問いただしてみるとしよう。そろそろお暇《いとま》するよ」

 亀吉もそれにならって立ち上がり、お気に入りの高久が立ち上がるのを待った。高久ももちろん見送るために腰を上げる。

「明日は榮太樓へ行きますので、ぜひお供させてくださいまし」

 念を入れて頼まれたら、茶を濁すわけにもいかず、ああと菊之助は答えた。横で愛想よく亀吉が高久に微笑んでいるのがどうにも気に入らないので、よろけた振りをして亀吉に体当たりをする。そんな菊之助に亀吉は「いつまでも子供のようでは困りものですよ。しっかりしてくだせぇ」と、真面目な顔で返すからますますへそを曲げて部屋を後にした。
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